逢引?
「――運命だと思わない?」
――いいえ全く。むしろ待ち伏せかストーカーでもしたんじゃないの?
と、口に出すことはジギタリスとの身分差上出来ない――面倒くさいとも言う――ため、親し気に距離を詰めてこようとしたヤツからササッと距離を取った。
だいぶ苦しいが、まだジギタリスへ正式に返答していない今ならば見なかった、会わなかったという体にして踵を返してしまえばいい。
名案だな、と一人納得し足早にその場を去ろうと試みた。
「……ちょっと待ってくれるかな?」
――が、やはりそう簡単に逃がしてくれるわけも無く、あっさりとジギタリスに先回りされてしまう。さすがにここまでされて丸っと無視では、人気のないことも相まって非常にマズイ。
仕方なく、ほんとーに! 仕方なく。Aが失敗したため、プランBに作戦を移行する。
「……あら。オホホ……どなたか存じ上げませんが、人違いですわね。わたくし急いでいるので失礼致しますわ、ふふ」
名付けて人違いですわよオホホ作戦である。世の貴婦人たちが社交界で良く用いるお誘いお断り常套句だ。これが分からない奴は貴族ではない。
つまり、お前はお呼びでねーよと公式にフラれたも同然。
「少しだけ、君の時間をくれないかな?」
――貴族的に受け取るとかなり卑猥な言い方だなぁおい。
こちらがこめかみピクピクさせまいとオホホ~とかよー分からん微笑み頑張って浮かべて、丁重に断ったというのにコイツは……。
初対面に近い男女の場合、相手の時間を欲しいと請うのは火遊びだと言ったも同然。本気ならば何度フラれても出直すというのが普通なのである。こんなに堂々と遊び宣言かますとは、中々にご自身に自信がオアリナヨウデ。
もし、私が少しだけならば……とか妥協しようものならば、せっかくキッパリフッたのに、今までの言動は全て駆け引きだったという名の脈アリ尻軽女に変わってしまう。
この場合、少しでもジギタリスに譲歩しようものなら完全に負けである。なのでこういう場合はハッキリと、しかし丁寧に断るのみ。断固拒否、絶対。
身分の関係上、今後、家同士が面倒くさいことになりかねないが、そこらへんは母に任せよう。母はこういう軟派野郎は大嫌いなのだ。きっと裏で締め上げ……ふんげふん。両家にとってとても良い取引が行われるに違いない。
「――丁重にお断りいたします」
先程までギリギリ微笑んでいられた顔からげっそりと表情が抜け落ち、真顔のまま、これでもかと綺麗な所作で居住まいを正して屑野郎を見据えてハッキリ断る。貴族女性にここまで言わせるのは相当な甲斐性なしか屑野郎だけ。
この流れなら普通、無理強いした己を恥て二度と目の前に出てこないという約束を交わすのが紳士の礼儀である。これを破れば国王であれ白い目で見られるほど礼儀や誓約というものにこの国の貴族社会は厳しいのだ。
「そんなこと言わずに、ね?」
――が。理解しているかいないか、いやしているが自分には適用されないとでも思っているのか、図々しくも笑みを浮かべて引き留め、去る気配が無い。
――コイツまさか、人目が無いから大丈夫だとか考えてなかろうか?
人目はないけれど、常に学園内を監視している魔道具という前世の監視カメラみたいなものは存在しているのだ。
ヒステリックに怒ろうものなら、映像だけでは私が迫ってフラれた現場としか思われない。そうなったら心の底から遺憾である。どうにか穏便にこの場を去ってくれないものだろうか。
「……申し訳ございません。私、先約がございますの」
「誰と?」
――おめぇにゃ関係ねぇよ! あえて誰かと言われたら居ねぇけどなっ!
間髪入れず問われた内容に、思わず反射で暴言が出てしまうところでしたわオホホ……。――落ち着け私。冷静さを失えば身分上、最終的に悪いのはこちらになってしまう。
ふぅ、と息をひそかに整え真っ直ぐクソ野郎に言い返す。いい加減この不毛な言い合いを終わらせたい。ただそれだけなのに。
「……あら、それは違うのではなくって? 淑女に尋ねるものではございませんわ」
「……そう?」
――そうなんだよっ! お前の脳みそは不都合切り捨て主義かっ!
信じられない。言ってる意味は通じているはずなのに、会話が成立している気がしない。ゲーム中はあまり違和感も無く、ヤンデレ部分に恐怖を感じはしたものの、他は普通だと思っていた。
がしかし、これをきっかけに考えを改める必要がありそうだ――予想以上に実物はとんだくそ野郎だったってね!!
ファ〇ク……ッッ!! く〇ったれが……!! ……オホホ、失礼しましてよ。
「ほら、天気もいいから一緒に散歩でもどうかな?」
「散歩ですって……?」
さらに会話が通じていない証拠だとでも言うように、また噛みあわないことをおっしゃる。
先程から「サレ、クズヤロウ」と言ってる私の言葉の数々を理解している風なのに、その反応はまるで「だから何?」と言わんばかりに堂々としていて、とてつもなく気持ち悪い。ドン引きである。ぞわわっ。
――こうなったら最終手段だ。
「――私、神に誓った既婚者ですの。他の方を当たってくださいませ」
もはや未亡人も同然だが、神に誓って結婚してしまったため、正真正銘の既婚者である。わざわざ齢6歳にして神殿に既婚者届けを出し、未成年であるものの直接的に神へ誓って婚姻が認められているならばと、当時秘密裏に上層部が大騒ぎの末、神殿から非公式に公式に認められたほどの強い効力を持っている。
そもそも既婚者に手を出す独身貴族はいくら学生とは言え外聞が悪い。それが神に認められた婚姻を果たした娘ならば尚更。
「既婚者? そうは見えないなあ」
それはそうだろう。この学園に通う貴族子女では婚約者が居ることは良くあるが、既に既婚者であるというのは天と地がひっくり返るほど有り得ないのだ。
そもそも婚活目的で入学しているのが殆どの中で、既婚者は色々な意味で邪魔ものである。まあ、自分と同い年なのに既に相手が居り、将来が決まってて焦らなくていい女ってのは婚活女子にとっては精神的に目障りだろう。
前世の私なら迷わずリア充爆発しろと罵ったに違いない。……まあ、現実は未亡人同然だけども。……実にシビアだ。
「それに、神に誓ったなら証があるだろう?」
――コイツ……。
物凄く優し気な上から目線で「ん? どうなんだい?」と、まるで私が咄嗟に大ウソを吐いたような態度である。しかも疑問形とは言え、証があるなら見せて見ろというのはこの上ない侮辱である。
――そもそも、神に誓うというのは簡単なことではない。手続きもそうだが、一度誓えば二度と破ることが出来ない――実際には事実だったわけだけど……――と言われているお伽噺レベルの眉唾の婚姻である。
なので、現在では習わしとしてそれっぽいものが残っているだけで、事実上の効力は無いので本物ではない。所謂理想の結婚として広く知られているもので、乙女の憧れ程度のものである。
理想のプロポーズに「共に神に誓いましょう」という簡易的なのもあるが、例えば、庶民の間では神殿で式を挙げて神に誓うというのが金銭的に難しく、最上級の甲斐性にあたるため、特にこれを言われた女性は一も二も無く承諾するのだとか。
また、貴族の間では公に、社交界で純愛として一途に一人だけを愛すと宣言するもので、不倫、愛人、浮気されるのが普通の貴族女性にとってはこれ以上ないほどの最上級の愛の栄誉である。
……しかしまあ、しばしば約束は破られることもあり、庶民、貴族の両方とも逆に女性から宣言する稀なケースも存在するので、社交界デビューしたての紳士淑女諸君に、理想はただの理想であると無慈悲にお伝えしてくれる格言のようなものでもあるのが何とも言えない……。
それに、一概に本物の誓いだったら素晴らしく、素敵か、と聞かれると当事者としては微妙な面持ちにならざるを得ない……が、これは閑話休題。
――証を見せられるものなら見せて見ろって顔ね……腹立つわ。
問題なのは現在、効力が無いとはいえ誓いは誓い。本物にあやかって、神に誓った証というのは得てして人からは決して見えない、つまり、夫婦でもなければ見られないような場所に刻むのが神に誓った証となるのだ。
はい。完全にセクハラ発言ですね。モラハラパワハラセクハラのスリーアウト、チェンジするまでもなくアンハッピーハラハラセットで完全にゲームセットである。レッドカード退場なんて生易しいレベルでキチガイ確定だ。
ここまで言われたら相手する義理などない。いざという時の為に懐に仕込んでおいた母お手製のボイスレコーダーのような魔道具のおかげで、後で何か言われたとしてもむしろ脅しの材料になるな、とひっそりほくそ笑む。
ここが潮時だろうと、しつこい野郎と一気に距離を取るべく先程より足捌きを急ぐ。理由はなんでもいい。なんとかしてくれるだろう。そうだ――
「――天気も悪いようですし、これにて失礼いたしますわ」
雲一つない晴れを頭上に堂々とのたまう。案の定、見え透いた逃げ口上にとうとうジギタリスの野郎が薄気味悪い仮面の下から乾いた笑いを漏らしてしまったようだ。
まるで、俺から逃げるお前がおかしいと言わんばかりの自信に満ち溢れていてやはり話にならない。
「天気が悪い? 今は雲一つない晴天――」
そう言って上を指したマヌケ野郎は、そこで異変に気付いた。たった今までは確かに雲一つない晴天だったはずなのに、異常な速度で暗雲が立ち込め始めた空の異変を。
「……は?」
――ジギタリス・サギ=グロヴェリア。あなたは神聖な誓いを土足で侵している。その結果がこれよ。
この誓いは決して空想上のお伽噺ではなく、ましてやただの乙女の理想なんていうちゃちで可愛げのあるものなどではない。
正真正銘、――
――神の呪いである。
あまりの事態に呆気にとられてるアホ面のクズを確認し、とっととその場を退散しようと音をたてないように下がっていく。
――しかし、あと少しで出口に走り抜けれる、というところでアホ面がこちらに気付き、先程の貴公子然とした薄気味悪い薄笑いをかなぐり捨てた鬼の形相で追いかけてきた。
いや、なんでだよ! 普通にこえーよ!
――ゴロゴロ、ピシャッ! ドーンッッ!
あと少しで腕を掴まれる……! というところで空から二人の間に怒りの落雷が落ちた。そう、紛うことなく神の怒りである。
そもそも浮気とか男女付き合いのアレコレは全て神の判断基準によるものなのだが、普段はここまで怒りを顕現することはそれほどない。
が、さすがにジギタリスはやり過ぎたのか、接触禁止ものの神の怒りに触れたようだ。空気からもビシビシとそこはかとない怒りを感じる。
こういう事態に慣れて耐性のあるはずの私でさえ、心底恐怖に染まるレベルだ。さすがのジギタリスも足を止め、恐れ戦いたかと思い顔を上げると、――
――何故かそこには、さらにキラキラしい笑顔を浮かべた少年がいた。
いや、だからなぜそうなる。やっぱコイツやべーやつだ、間違いない。確信するとともに、普段は感謝したことない神様の呪いに今は全力で感謝する。
おお神よ、どうかこの救いようのないクズアホウに鉄槌をあたえたもう……。
「――ねぇ、まさかとは思っていたけど、君って……」
とってもキラキラした笑顔で何かを早口に捲し立てようとするジギタリスに、すわ神の怒りが落ちるかととっさに身構えた――
「――オイ。いい加減にしろ……」
――ら、何故気付かなかったかと疑問に思うほど、物凄く近くに居た、とても言いようのない、とてつもない美形が絡んできました。
……えっ……どちら様ですか……えっ?
「俺は今、貴重なサボり寝の最中なんだよ」
唐突に出現した美形は、とても真剣な顔で声を潜めておっしゃった――。