佳麗なるかな
「――護衛とやら。どういう了見かは知らないが、それは私への侮辱と捉えてもいいだろうか」
重そうな剣を両手でしっかり正面に構えながら重々しく言葉を発したのは、硬質な色合いの銀髪を殆ど後頭部にアップで複雑に編み込み、揃えられた前髪の左横にだけ三つ編みを控えめにひとつ垂らした、切れ長なグレーの瞳を鋭く細められた麗人。
その正体は何を隠そう、唯一大好評であった悲恋シナリオの悪役令嬢――ナズナ・イア=ナスタチウム、その人であった。トテモ、カッコイイ……。
「うむ。拙者、温厚篤実でござる故に」
対するは両手を組んだまま武器を構えもしない変た――んっ、んん゛っ!
胸に純白の晒し布を巻き、カラフルな力士の廻し――褌かもしれないが――を履いたお下げの魔女カラーな男の娘。トテモ、ヘンシツシャ……。
どうでもいいことかもしれないが、両のお下げはゴツゴツした青藍色のバングルで留められており、何故かミサンガみたいに右手首と左足首にも同じデザインのバングルが飾り付けられていた。
さらに言えば、片足タイツみたいな黒い靴下に赤い派手な下駄を履いていて、刀の存在が無ければ遠目からはただの大道芸人にしか見えなくもない。
……あれって、オシャレなのかな?
「……その傲慢、すぐに後悔することになるだろう」
「それはどうでござろうなあ」
向かいあっての前哨戦、言葉責めはそれで終わった。
次は、決着。
「――ッいくぞ!」
「うむ。どこからでも好きに参るがいいでござる」
結果は、――。
◇◆◇◆◇
時は、少々遡る。
「――久方にお目見えする、シオン・ノヴァ=デルカンダシア辺境伯令嬢。王命寄託により、準騎士ナズナ・イア=ナスタチウムが馳せ参じ、東の魔女殿に同道する栄誉を賜った。……しかし、此度は諸事情により代理を御令嬢へ委任するとのこと。――どうか道中、御身の護衛を私にお任せ頂きたい」
つまり、別に代理でも何でもいいけど王命だから何がなんでも何としてでも該当の魔女を連れて行くってことですね?
主従揃って性急ですね、分かります……。
会うなり跪いて礼をとった女騎士は、朗々と目的を語った。
何か先に口を挟む間も無かった。
現状を理解していて、さらには全部了承してます、という感じで貴族的な挨拶も無くいきなりやられたので、かなり急ぎなのが見て取れる。
後ろに控えていたアザレアが「ぶ」と言いかけたのが聞こえたので、反射的に片手を後ろに見せるように大げさに上げ、即座に言葉を制止させた。
間違いなく、無礼者! と恫喝する気満々だったに違いない。
私、分かるよ。だって、ついさっきも似たようなこと言ってたしね!
「……ええ、久方に不撓不屈な麗しき騎士様とこのように砂地に冠水が及ぶ機会を恵まれ、嬉しく存じます。――ごきげんよう、ナズナ様。王命の先駆け、火急の用件と存じております。ですけれど私、不祥ながらも久方に陽に身を晒したばかり。万全な王命遂行の為、出立の準備に今しばらくお時間を頂きたく……勿論、道中の護衛は是非ナズナ様にお任せを――」
「うむ。しかして待たれよ、娘っ子」
「娘っ子……」
いつの間にか横に出現した男の娘から、突如として制止の声が掛かったことに肩が跳ねた。――びっ、くりしたぁ……。
ちなみに視線の先は私ではなく、完全にナズナにだった。急に割り込んで来て何か言いたいことでもあるのだろうか?
うーん、いやでもそれよりも……。
「……貴殿は?」
「シオン殿の臨時の護衛でござる」
「臨時の護衛……?」
ナズナよりもよっぽど幼い童顔で、しかも私とどっこいどっこいの低身長という……いくら腹筋バキバキムキムキしてても、いかにもか弱そうな娘っ子という細腕な見た目の男の娘に言われてもなあ……説得力が……。
……というより、いつの間について来てたんだろう。
そもそも護衛だ護衛だって事あるごとに言ってるけど、さっきやっとツッコめるんだと思いながら両親の寝室を出た時に、影も形もどこにも見当たらなくって探したというのに……一体今までどこに隠れていたのだろうか?
今の今まで、近付かれたような気配に全くもって気付けなかったのがなんか悔しい……アザレアは気付いてたのかな。
という、色々なことが気になってしまって――ツッコみたくて――少々落ち着かなくなる。
「……男、か?」
「うむ。そうでござるな」
「少年。申し訳ないが、これは遊びではない。しかし迷子ならば、未熟な騎士とて道案内くらいは手助けできる。ここらで、見覚えのある場所はあるか?」
そんな私を横に、迷子の少年を助けるという話でどんどん勝手に会話が進んでいく。
しかし、ナズナがそう判断しても仕方ないと思われるのも事実。何故なら顔が幼いし、背も低い。十代前半と言われても違和感がないからだ。
――どうみても只者じゃないでしょ!
……と思う私が変なのだろうか。
前世のアニメ文化に毒されて、なんとなくそう判断しているだけなのか。
それとも、身内に似たような刀を持ったチートキャラがいるのが影響しているだけなのか。
「うむ……拙者、これで騎士殿よりも老齢でござる故に。あ、しかして歳は聞かぬがよいでござるよ」
「……私は冗談を好かない。遊びたいだけなら他を当たってくれ、少年」
子ども相手だからと、諭すようにナズナが言葉を告げる。
しかし私はといえば、この状況でどう反応すれば良いのかが分からず困り顔で固まるだけであった。
「……シオン様」
とうとうナズナが匙を投げたくなったのか、それで男の娘と話が通じないからと私になんとかするよう名を呼ばれても困る。
なんといっても私の直感――第六感ではナズナの言い分よりも未だに名も知らない男の娘の言ってることが正しいと判断していたのだから。
「……ナズナ様。こちらの御方、私も存じ上げませんでして――」
「これは失敬。拙者としたことが、名乗りを怠るとは」
と、名前は知らないけど只者じゃないなとは思ってます、とナズナに話そうとしたところで男の娘が突如割り入った。
え、と思いながら横を見ると、いわゆる武士や歌舞伎などで聞いたことのあるような名乗り口上に似たものが急に始まる。
「――拙者、乾の地より宵々渡って来たりて、道々にかげ灯す者なり。呵々性無しの頃、契りに暮しあけぼの待つ精をあはれ麗しと見初む。然れど禍や、往けず止めずに希う萌芽へ、未だし道に至りて神ぞ見放す。徒に、放る虚空の契りを勝手なりに受け継ぎしは性無し名無し草の童に候。宵々渡り、道々かげ灯す者となり――依ってその名を春時雨の精より『牡丹』と賜わる。古来より『桜』『椿』『梅』『菫』、『薔薇』『百合』『菊』『蘭』と――『華』の流れは数あれど、名にふさわしき格を示したる『王花』こそ、唯一『牡丹』に候。持てるは『牡丹』。観るが『牡丹』。百薬も『牡丹』。聞きしに優る『牡丹』の色に、さてもさてもと惑わされることなかれと百花に咲き誇るは王者の風格。――名にし負わば『牡丹』に候」
ぽかーん、と開いた口が塞がらないとはこのことか。
長々と喋られたが正直、ぼたんぼたんの連呼以外で聞き取れた言葉は何ひとつとして頭には残っていない。
とりあえず、全部文字に起こしてくれ。頼む。話はそれからである。
例の厨二語にしたって、心の準備というものが無ければ右から左に言葉が抜けていくのだから、何の心構えも出来ずに急にぶち込まれた今回のコレは言わずもがなである。
……まさか実家で、エリカ様とは別角度の変化球を食らうとは思わなかった。
「なるほど……貴殿の名はぼたん殿、か?」
私と同レベルのヒアリングしか出来なかったのか、ナズナが当てずっぽうなのが丸分かりな自信無さげな顔で男の娘に尋ねた。
合ってるかどうかも分からなくて聞きづらかったので、偽らずに真正面から聞けるその勇気を素直に讃えたい。
「うむ。拙者の名は間違いなく、牡丹でござる故に」
で、合ってるんかーい! 最初からそう言え!
長々と分かりにくいわ!
「――これほどの教養。先んじての無礼をどうかお許し頂きたい」
「うむ。気にしておらぬでござる故に」
「……しかしいずれにしても、よほど高貴な方とお見受けするが、何故こちらでご令嬢の護衛だと偽るのか増々理解致しかねる」
おお! すごい! 聞きたかったこと全部聞いてくれる勢いだ!
いいぞいいぞ! その調子でもっと色々聞いちゃってよ!
起きてから今まで、空気を読んでなんとなくの流れで抵抗なく受け入れちゃってたけど、実は私もそれについては是非理由とか経緯が知りたかったのだ。
いざ聞こうとしても単純にスルーされるか他の問題優先で回避、なんかを何度も繰り返されて若干諦めてた私の代わりに、本当にナズナがさらっと聞いてくれたので非常に助かる。
「うむ……拙者は真実しか申しておらぬ故に。娘っ子の望む答えは与えられぬでござるよ」
「あくまでも目的を隠す、と」
「ちと、それは曲解でござる故に……」
カリカリと後頭部を掻いて、分かりやすく牡丹くんがあからさまな困りましたよ感を醸し出した。
いや、普通にまずは経緯とかでも教えてくれればいいだけなのに……。
「――シオン様。差し出がましくも進言致してもよろしいでしょうか」
「よろしくってよ、アザレア」
「では。――デルカンダシア領内に、シオン様のお傍に在れる時点でこの者はシオン様の敵ではございません」
あ、そっか。そういえば領内は魔女の領域だった。
魔女の領域というのは文字通りの意味で、言い換えれば安全に好き勝手出来る私領地みたいなものだ。
一応軽く調べてみたが、デルカンダシア領域は今、母が臥せっている影響もあるのかアザレアが最も警戒レベルの高い設定領域にしていて、特定人物への明確な害意もしくは嘘があれば、魔女や領民以外は即刻問答無用で容赦なく物理的に例外なく領外へと弾かれる仕様になっていた。
ちなみに軽く言っているが、アザレアのした設定を前世風で例えると、首都のど真ん中から県を二つか三つ跨ぐような距離を、アウト判定食らった途端、何の準備も無くいきなり吹っ飛ばされるということなのでかなり心臓に悪い設定なのだ。
たまに兄が母にお願いされて点検名目で実際に吹っ飛ばされる確認に付き合わされていると聞いたことがあるが、普通に有り得ない。
というか軽く死ぬ。確実に死ぬ。兄以外は。
魔女の領域内に入っても、すぐには追い出されない仕様だというのもまた、相手を油断させたところを狙うというなんとも殺意マシマシの殺傷力高めな設定である……。
いつもはここまで酷くはない。ただ、母が臥せっていて私も長く寝ていたせいでアザレアによる私への安全保障が暴走したというだけで……。
これって私のせいかな……?
補足として。普段の設定での主な効果は、領内の簡易な監視及び敵意の感知、領域外で自然に生じる結界での簡単な魔獣除けなど。
細かく上げればキリがないが、そんなところである。伝え聞いた話によると、魔女の実力によってはもっと凄いことが出来るそうだけど。蛇足。
確か、今はともかく普段は母とアザレアでデルカンダシア領域を共有していたはず。
なら、領域の設定や母が臥せっているのを抜きにしても、やっぱりアザレアが牡丹くんの存在を最初から認識し承知していたということになるのだけど……。
「しかし、私の許可なくシオン様の護衛を名乗っており、身元不明の怪しい者だというのも事実でございます」
んんっ? どういうこと……?
無許可で私の護衛をしてるってこと……?
それはそれで、何故?
「いくらダリア様が実力を保証する旨の書かれた本物の紹介状があろうとも、奇怪な身なりからして怪しいことに変わりはありません」
「お母様が紹介状を……?」
アザレアも牡丹くんのこと変な格好の怪しいやつだなって思ってたんだ……という感想と共に、母が実力を保証するって私の直感通りに相当凄い護衛なんじゃないだろうかという考えも脳裏を過ぎる。
しかし何故か「なんだ。やっぱり母経由だったのか……」とあっさり色々納得しかけた私に、待ったをかけるようにアザレアが言葉を続けた。
「ご存じの通り、シオン様の眠りから目覚め、そして今この時までも彼が実直に護衛を務めてございます。ですので、敵ではございません」
心なしか、声がトゲトゲしい。……どうしたんだろう。私の事に関して以外、他人が見えていないのかと疑うほど冷静沈着で無関心なアザレアにしては、常にないほど違うベクトルで牡丹くんに対して感情的に見える。
ついさっきまで石像みたいに凄く静かだったのに……。
「ですがッ! ……ダリア様が臥せっている今、本当に手配された本物の護衛であるかどうかは、確固たる事実確認が未だ出来ておりませんので、当然自称の護衛でございます」
「うむ。実力に関しては先頃、アザレア殿に直接じっくりご確認頂いた故に。拙者の力が足りぬとの心配には及ばないでござるよ」
「そう、なのね……」
あ。察し。
なんでこんな急にイライラしてるんだろう、と思ってたけどなるほど。たぶんこれ、明言はしてないけどアザレアが牡丹くんに負けたんだ……。
兄との軽い対戦で引き分けに持ち込んでは悔しそうにしてた過去のアザレアが思い出される。そのせいでか、非常に負けず嫌いなのだ。
アザレアに懐いていた私のおかげでか、無意識に兄から手加減されていた事が酷く屈辱だったのだろう。アザレアは努力家だったから、余計に。
事あるごとに兄へ突っかかっていたのも対抗心の表れで、そのおかげで今では母や兄も認めるほどの実力にまで成長出来たともいえる。
……兄本人に言っても無駄だからと手加減云々の事は何も言わなかったようだけど。
だから兄みたいな分かりやすい規格外とかならともかく、ぽっと出のよく分からん男の娘に負けたのは単純に悔しいのだろう。
必要そうな時まで静かに黙って控えていたのは、真面目なアザレアのことだから公私を混同してしまわないようにと抑えていただけに違いない。
「……ダリア様に事の詳細について確認が取れない以上、使者の立場として彼が自称とはいえシオン様の護衛であると信じ難いのであれば、準騎士ナスタチウム様自らお力添え頂き、実力を直接お確かめになればよろしいかと存じます」
「おお。それは名案でござる故に」
「……ふん」
……とにかく。そんな、点検目的とはいえ兄ですら容易に容赦なく吹っ飛ばせる殺意マシマシ設定を三か月もの期間、何事もなく護衛として私の近くで過ごせたそうなのだから、そりゃあアザレアであっても疑念は残しつつも嘘や害意は無い味方――仮と付くだろうけど――なのだと認めざるを得ないことだろう。
アザレアとしてはそこも苛つきポイントなんだろうけど。こんな明らかに怪しいやつに、なんだかんだ私の目覚めまできっちり護衛されてしまっては疑いも文句も言えないのだから、余計に。
とはいえ、アザレアの良いところは認めるべきところは素直に認めるところ。分かりにくい助け船だけど、アザレアの反応からして牡丹くんの実力自体は本当に申し分ないのだろう……。
それ以上に、怪しさも申し分ないけどね! でも、母の紹介だと言われると母の知り合いなら「こんな変な人もそりゃいるよね……」って私は深く考えずにもう納得しちゃうよ!
……深くツッコんじゃいけない系の深堀りツッコミは精神的にとても疲れると、兄でもっぱら経験済みである。
「……ふむ。悪くはない提案とみえる。承知した。あちらの広場を借りてもよろしいか? 子爵」
「ええ、存分に。お好きにお使いくださいませ、準騎士様」
「配慮、感謝する」
と、こうした流れで冒頭の話に繋がるわけである。
そして結果は、――。
「――参った」
「うむ。単直な剣筋でござる故に。しかして拙者の好筋でも有り」
「我が剣をお褒め頂き、誠に光栄です。再びの無礼をお許し下さい」
「うむ。気にしてはおらぬ故に」
アザレアが負けたっぽいと気付いた時には、ナズナ様には悪いけど既に結果は分かっていた。けど、思っていたより素人目にも凄かった。
私は残念ながらこの世界では生まれながらにしてかなり鈍臭い側の人種なので、どこがどう凄かったのかの細かい解説は出来ない。
――が、ありのまま見たまんまの状況は説明出来る。
私に見えたということは、それほど超人的な早さで決着が着いたわけではない。勿論、実際には当事者たちの体感速度はとても早いのだろうけど。
簡単に言えば、ナズナが踏み込んで思いっきり上から切りかかったところに一歩、牡丹くんが前に踏み出して下から掌底らしき技をナズナの持つ剣の持ち手にやおら繰り出したのだ。
そして私の目にはくるり、と擬音が付きそうな軽やかなすっぽ抜け回転をした剣が、牡丹くんの手に対して逆手になるよう、すぽっ! とそのまま綺麗な流れで収まったように見えた。
つまり、もっと簡単に言ってしまえば、ナズナの剣をナズナから奪い取ってナズナの首に突き付けた、という状況である。
実際に見るのと聞くのとでは全く違うというのは本当のようで、ちょっと武人同士のやり取り的なものに初めて感動してしまった。
……兄? 私に兄の動きが見えるわけがないので感動したことは一度もない。むしろ兄の残す破壊跡に何度青褪めたことか……感動どうこうどころの話ではない。
兄には頼むから常に自重しててほしいのが本音だ。間違っても武人的なアレコレを兄に対してだけは緊急時以外でねだるわけがない。
ねだったその後の被害があまりに大きすぎる……!!
「――ではそのようにお願い致す、ぼたん殿」
「うむ。拙者は拙者の務めを果たすのみでござる故に」
若干、過去に兄がやらかした悲惨な事案のアレコレへとトリップしかかっていく私の思考をよそに、いつの間にか牡丹くんが護衛として同行という話で進んでいるようだった。
……どうでもいいことなのかもしれないが、私の了承とかもはやどうでもいいのだろうか。……うん。どうでもいいのだろう、きっと。
だって、よく考えなくとも今まで私に甘々なアザレアにさえコレ系――戦闘系特訓や治安維持に関してのアレコレ、他には重要な案件などの護衛手配なんやら――で意見聞かれたこと一度も無いし……!
なんて悲しい……。これでも前世よりはかなり機敏に動けるのに……。動けるのレベルが違い過ぎて、結局前世と立ち位置変わらないって現実が悲しい……。
「くれぐれもシオン様にご迷惑を――ッ」
「……アザレア? 顔色が悪いわ……無理をしては、いけないわ」
私を抜きにして詳細を詰めていた三人の中で、アザレアの様子が突如として変わる。私が傍にいるせいなのか、あまりアザレアが不調を顔に出さないで控えていたので、すぐには気付けなかった。
……やはり相当無理をしているみたいだ。自分の存在値に等しい魂を、回復する間もなくどんどんと日々擦り減らし続けているのだから、不調は至極当然のことだが――。
「申し訳、ございません。……シオン様。少々、席を外させて頂きます。すぐに戻って参りますので。準騎士様も、暫しお時間を――」
「お疲れのようだな、子爵。話は明日以降で構わない。重要なのは王命を果たす為の用意段階だからな」
「――お気遣い恐れ入ります、準騎士様」
話している途中にも悪化しているのか、どんどん真っ白な紙のように血の気が引いていくアザレアの様子に、私の肝も共に冷えていくようだった。
ナズナはさすがに使者なだけあって魔女の存在自体は知っているようだけど、とはいえその生態や出来ることについて詳しいことは知らないはずだ。
単に、今日だけアザレアの体調が悪いのだと思っているに違いない。
……それは実に好都合だが、かといって喜べる状況でもない。
司源に関しては魔女が一般に公言していることでもないので、断片的でもナズナに余計な知識を得られるのはあまり好ましくはない。
――怖さが視えている魔女と違って、人間は見えないものに対してとても欲深いのだから。
ナズナが知識を悪用しなくとも、いつかナズナからぽろっと漏れた情報で誰かが何かに悪用するかもしれない。それが人の性である。
なので私も心配以外の声はアザレアに掛けられない。アザレアの体調が急変するくらいに、母と繋げているだろう司源の状態が今どうなってるのかなんて聞きたくとも今すぐには聞けないのだ。
「――ぐッ」
「あっ!」
暇を告げてすぐさまその場を去ろうとしたアザレアだったが、よほど酷く速く削られているのか、ついには身体をふら、と大きくよろけさせた。
心配で見ていたので反射的に思わず手が出てしまったが、鈍臭い私が支えに間に合うはずもなく、アザレアが倒れて――。
「無理は禁物でござる故に」
「……お手数、お掛けしましたわ」
倒れそう、というところで一番距離があったはずの牡丹くんが誰よりもいち早く動き、アザレアの腕をぐっと掴んで自分のほうへ引き寄せ、しっかりと立てるよう支えてくれた。
よかった……当のアザレアはムッとした、とても嫌そうな顔してるけどね。
そんな風に安心してる私と、牡丹くんに後れをとって上げかけた手を降ろす途中のナズナをよそに、牡丹くんがあからさまに頼るのが嫌そうな顔をするアザレアをまじまじと見て、――ふと、思わず零れちゃいました、と言わんばかりに幼い少年みたくふんわりと笑み零れた。
年寄り臭い話し方からのその急に来たピュアな笑顔に思わず「おお、笑顔が見た目の年相応の無邪気さだ」と暢気な感想を持つだけだった私だが、次の瞬間には牡丹くんの浮かべた笑顔に似合わないすけこましな発言に、何も飲んでいないのに何かを吹き出したくなるとは夢にも思わない。
「――佳麗なるかな、ことざま故に」
「な……」
――わーお……これは……。
ガクッ! と分かりやすくアザレアが態勢を崩しかけた。おお、凄い! あのアザレアが動揺するとは珍しい!
何故ならアザレアは美人だ。美人だから、褒められ慣れている。数ある美辞麗句を網羅しているのではないか、と邪推するくらいの美人なのだ。半端な褒め言葉ではその鉄壁は崩せない。
しかし、牡丹くんがやった。――やってしまった。
特に精神的に参ってるところに、急に純な美少年天使スマイルで「君は心が強く美しいから、美しいのだろう」的なオシャレな褒め言葉を間近で食らえば、あの鉄壁のアザレアだってギャップ萌え……ごほごほっ! くらっとするのは仕方ないと言える。
言った張本人は、ふんわり美少年笑顔をキープせず、言ってすぐに先程までの只者ではない感じの顔に何事も無かったかのように戻ってしまっていたが。
「――ふ、ふざけないで! なんて野卑なッ! は、恥を知りなさい!」
「おっと。――少々、危なっかしいでござるよ」
「――ッ!?」
「うむ。確か、こちらでござったか?」
「ええ……」
あ。お姫様抱っこ……。
ぷるぷる震えて即座に抗議したアザレアだったが、自分の体調が悪いということを瞬間的にカッとなったせいで忘れてしまったのか、あっさりぐらついて牡丹くんの腕にすぽっと回収されてしまった。
こちらに問いかけられるまで何か言葉を挟む隙も無かったが、とりあえず体調の悪いアザレアをこれ以上別の意味で悪化させない為にもさっさと牡丹くんに部屋に運んでもらうことにした。
お姫様抱っこで運ばれている間、アザレアは暴れず非常に大人しかった。何故なら私が心配そうに度々覗き込んでいたから。
アザレアには悪いけど、効率重視である。決してちょっと二人の状況にオタク魂が萌えているからではない。断じて違う。
アザレアが心配だからこその、苦渋の断行である。
それにしても……うーんこれは。
完全に致命的な殺し文句喰らったなぁ……うん……。
あのアザレアが、ねえ……分かりやすく真っ赤っかよ……。
私なら多分、免疫無さ過ぎてすぐ気絶かな。他人事で良かった……。
◇◆◇◆◇
――後日。
アザレアお姫様抱っこ事件とは別に、また色々と問題や事件はあったが……数日の準備の後、やっと出発の日がやってきた。
乗るのは貴族なら誰もが持っている魔動車というものだ。……有体に言えば、魔力で動くただの高級車ともいう。
あの日の醜態以降、徹底して完璧を崩さないよう適度に休むようになったアザレアに見送られ、早朝にデルカンダシア領から王都へと出発する。
実はあれからも何度か、わざとなのか天然なのか判断できないがすけこまし発言を度々アザレアにかまして鉄壁を崩しに掛かっていた牡丹くんだが、ある意味では根を詰めていたアザレアを救ってくれた恩人でもある。
おかげでアザレアが牡丹くんに隙を見せない為にと、無理せず休むようになったのだから……やり方はアレだが、恩人は恩人。感謝している。
「……そういえば、ぼたん殿」
「む?」
と。一台しかない為にみんな仲良く道中は相席という状況に、ナズナが会話を試みた。
私としては別に、無言でも苦ではないけど……嘘です。ごめんなさい。すけこましさんの扱いが分からなくて非常に困ってました。
「子爵が倒れた時に、何か言って怒らせていたようだが……」
えっ! と驚いてナズナを思わず二度見してしまった。もしかして、あれが聞こえてなかった? 確かに聞き取りづらい位置には居たと思うけど……。
それにしても……と、ひとり内心で焦る私。牡丹くんになんて返されるにせよ、その後の会話に困るのが目に見えるようだ……。
……悪気は無いのだろうけど、いきなりすけこまし発言について話題にするのは、いくらなんでもこのメンツではハードルが高すぎやしないだろうか……。
なんて返すのか、どきどきしながら対面に座る牡丹くんをちらりと窺う。
「む? ……うむ。あれは単に――」
一瞬だけきょとん、と首を傾げた牡丹くんだが、すぐにナズナから聞かれた内容を理解したのか、優しく目を細めたかと思えば、この前とは打って変わってどこか艶やかな大人っぽい笑みを浮かべた……ように見えた。
これはこれでやば……。
「――いい女、と褒めていただけでござるよ」
わーお……。
恥ずかしげもなく、なんてド直球……。
天然ジゴロかな?
「なっ……なる、ほど……そ、そうか。そうか……」
と、真面目に生きてきたおかげで、やはり私と同じくあまりそちら方面に耐性が無かったのか、ナズナが赤面しながら口をもごもごさせてから最終的に顔を俯けて黙ってしまった。
ちなみに言わずもがな、私はとっくの昔に顔を下に俯けて冷静に素数を数えているところだ。
「うむ」
「「…………」」
分かるよ。なんか恥ずかしいよね。うん。分かるよ……。
私たちが言われたわけでもないのにね……うん……破壊力が……。
――私とナズナだけ気まずい沈黙と空気に包まれたまま、王都への道程は滞りなく進んでいくだけだった。
…2、3、5、7、11、13、17、19、23――。(._.)ブツブツ




