探偵の休日。 二
「まず、この子のお母さんは探している筈。動き回って」
「なるほど」
「最初にこの店を探した可能性が高い」
「うん」
「この子も同じ。最初はこの周辺を、お母さんと一緒に次に行く店を目指して、それではぐれて、歩き回っていた。そして戻って来た」
「じゃあ」
「既にこの周辺にはいない。そして、捜索範囲を広げているはず。だから、お母さんの行動を推理して動かなきゃいけない」
ノーヒントなのだが、推理と言えるのか、それ。
花蓮さんはマップをじっと見る。
「君、好きなテレビ、ある?」
「んー、ライダー」
「うん。行くよ」
「お。おう」
男の子の手を取って花蓮さんが歩き始めたから慌てて追いかける。僕が迷子になったら本末転倒である。
意外だなと思った。勝手な印象ながら、花蓮さんは子どもとか苦手だと思っていた。
手を繋いで歩く二人を、少し後ろの位置から見ている。
「ここにいると思う」
花蓮さんが立ち止まったのは、何でここにあるんだと聞きたくなる大きなおもちゃ屋さん。
辺りを見回す。一番早く反応したのは男の子だった。
「お母さん!」
駆けて行く子どもを見送ると、花蓮さんはさっさと歩いて行った。ちらりと見ると、お母さんと呼ばれた女性が頭を下げているところだった。
「良いの?」
「お礼は求めてない。良い頭の運動だった」
「見つかって良かったね」
「ん。でも、適当に回ってても会ったと思う」
花蓮さんは一つの店に入る。そこはレトロなデザインのキッチン用具や収納器具が売っている店。他にもちょっとした置物がある。
「父さんも母さんもこういうのに無頓着だからなぁ」
特に父さんの部屋、最低限の物しかないし、母さんも荷物が少ない人だ。それこそ、すぐに旅にでも出れそうな感じで。
「あっ……」
「良いのあった?」
「うん。これが良いと思う」
僕の、個人的な願いだ。
「僕が払うよ」
「瑠衣が手土産として、持って行くものだから。瑠衣が買わなきゃ、意味が無い」
帰り道を花蓮さんと歩く日が来るとは。
空は夕焼け色。まだ暑さは残っている。汗をかくほどではない。話しかける言葉は見つからない。
駅まで話しながら歩くことはあっても、まさか家に招く日が来るとは……。
しかし、誰だろう。父さんと母さんの知り合いって。
「ただいまー。母さん、お客さーん」
「はい。伺っております。いらっしゃい、花蓮さん」
「あっ、瑠衣ちゃん来たー。遅くなるなら迎えに行ったのに」
「乃安さん、お久しぶりです」
朝比奈乃安さんと君島莉々さん、二人には小さいころからお世話になっている。
「花蓮さんの育ての親って」
「見ればわかる」
うん、状況からしてそうか。……なんで今まで会ったことが無かったのだろう。
近くでレストランを経営している乃安さん、となぜか一緒に暮らしている莉々さん。父さんと母さんとは長い付き合いと聞いている。妹がよく遊びに行って乃安さんから料理の手ほどきしてもらっているらしい。
「先輩は明日には?」
「はい。さっき連絡が来ました」
「まさか乃安さん、泊まる気ですか」
「乃安さんじゃなくて、お母さんでしょ」
「お母さんは莉々。乃安はお父さん」
「そこで争わないでください」
花蓮さんはどこか肩から力が抜けているように見える。その姿は家族のそれだった。
「って、花蓮さん、泊まるの?」
「そうなると思う」
「花蓮ちゃんの分も持って来てあるよ」
なんだ、この女子率が高い状況は。勘弁してくれ。意識したことは無かった。母さんや叶と一緒にいるのが当たり前で、父さんが家にいない状況の方が多くて、でも、クラスメイトで同じ部活の女の子が一人混ざるだけでこんなに変わるものなのか。
「どぎまぎしてはいけません。あなたのお父さんは似たような状況に陥っても平然としていましたよ」
母さんに耳元でそう囁かれる。
父さん、どんな人生送っているんだよ。
お風呂だけでも外で入りたい。駅の近くに銭湯があったはずだ。そこに。
何でことは許される筈はない。と思っていたが、全員で行くことになった。少し気が楽だ。不思議なくらいに空いている広い湯船、足を広げて伸び伸びと浸かる。心からくつろぐ。
隣はそこそこ賑やかだと言いたいところだが、基本的に静かな人が集まっているから、そうでもない。でも、会話はあるようで時折漏れ聞こえる声は和やかなものだ。
どんな話をしているのだろう。叶は花蓮さんと仲良くできているのだろうか。
「兄らしい心配もできるんだな。僕」
夕飯は乃安さんが作った。
目の前に座る花蓮さんは黙々とちらし寿司を頬張っている。ちなみに僕は唐揚げにはまった。優しい味がした。
「乃安さん、変わりましたね」
「そうですか?」
「はい、ただ美味しいだけじゃなくて、すいません、上手く言えませんけど」
母さんも、同じことを感じたようで、珍しくどう言えば良いかわからなくなっているようだった。
「花蓮さんって、いつから乃安さんと」
「今年からだよ」
答えたのは乃安さんだった。
そっか。だから会ったことが無かったのか。
じゃあ今まではどこでと聞こうとしてやめた。花蓮さんの眠たそうな眼が鋭く光って、僕を貫くように見つめていることに気づいたから。今まで見たことが無い彼女だ。
「退屈な人生だったよ」
彼女はそれだけ答えた。
「今は楽しいの?」
「……今のところは」
探偵部が、探偵部がもし、彼女の能力を存分に振るうために作られた物なら。そうだとすれば、今までの二つの事件は一種の娯楽でもあったのかもしれない。
だからといって、咎めるつもりはない。
咎めるほどの事でも無い。
ちらし寿司の海老が美味しい。花蓮さんに食べ尽くされる前に取っておいて良かった。
「二人とも、野菜も食べないと」
綺麗に盛り付けられた二人分の胡麻ドレッシングがかけられたサラダ。野菜を切って盛り付けただけというわけでなく、ちゃんと食べやすかった。
「野菜を食べない生活は、意外とガタがくるよ」
莉々さんはそう言った。
実感のこもった言葉に、保健や理科の教科書や先生が教える授業を超える説得力を感じた。
「ごちそうさま」
大皿に盛られたご飯が綺麗に食べ尽くされ、手を合わせて、行儀よく座り直した。
確かに、もうテーブルの上の料理はほとんどない。
その言葉を合図に少しづつ片付けが始まった。
夜中になって、僕は落ち着かない気分の中で目が覚めた。
喉が渇いた。水が飲みたい。
花蓮さんはこの家にある客間の一つで寝ている。だから別に緊張することなんて無いのに。
「なんだ、眠れないのか?」
リビングに入ると、ソファーに人影があった。
「父さん、帰ってたんだ」
「仕事がひと段落着いたから、ここからは僕の仕事ではない」
「そう」
「夏休み、山でも行くか? 海が良いか?」
「山かな」
父さんの仕事、本当に何なのだろう。
花蓮さんなら、すぐに推理してくれるのだろうか。解き明かしてくれるのだろうか。
「僕はそろそろ寝るよ、進も眠れなくても、目を閉じてるだけで大分違うぞ」
「うん」
「あと、喉乾いたからってがぶ飲みは良くないからな」
「わかってる」
キッチンに入ると、人の気配が遠ざかって行くのに気づいた。父さんも自分の部屋に行ったのだろう。
日暮家に全員がいる、そこに乃安さんに莉々さん、意外なメンバーとして花蓮さんがいる。
何となく、本当に、根拠もないけど、明日、何かが変わる気がした。ほんの少しかもしれないし、大きくかもしれない、でも、僕にとっての何かが変わる、そんな気がした。
そんな気がして、そこで落ち着いた気分になって、ようやく眠れる。眠れた。
そういえば、花蓮さんに買ってもらったあれ、ちゃんと見てくれただろうか、どう思ったのだろうか。