絵の向こう 二
「ありがとう、母さん」
「部活動、頑張ってください。いってらっしゃいませ」
母さんは子どもにも丁寧な言葉遣いをする。そして、今日の早起きも全く苦じゃなかったようで、電車が無いからとわざわざ送ってくれた。何というか、逆に申し訳なくなる。全然文句を言わないし、嫌そうな雰囲気を微塵も感じさせなくて。
車を見送って、話通り校舎は開いていた。東校舎、日の出が終わり少しづつ太陽が高くなっていく。
件の絵のある階段まで来る。四時四十分、丁度良い時間だ。
「おはよう」
階段の上を見る。花蓮さんは既にいた。
「何してるの?」
「実験。科学部の持ち込んだ依頼らしく」
眠たげな言葉遣いとは裏腹に、目は輝いている。
四時四十四分、絵には何も起きなかった。
「やっぱり。それじゃあ、こうする」
花蓮さんはポケットから鏡を取り出して、僕に持たせる。
「そっち持って、こういう角度で」
「うん」
花蓮さんが僕の鏡に、反射させた太陽光を当てる。
僕の持った鏡から放たれた光が、絵に当たる。
「……えっ……」
絵が変わった。
民衆の目は緑に輝き、全員この学校の制服に変わっていた。旗は学校の校章に×をつけている絵が浮かび上がる。
「太陽光を当てると変化する絵」
それが花蓮さんの明かした絵の秘密だった。
「なにこれ」
「絵の意味なんて、作者が言わない限り、私たちの印象。後は私たちが一週間後に死ぬかどうか」
続いて花蓮さんは絵を取り外しにかかった。
「なんで?」
「瑠衣は、絵の向こうに秘密がある、そう思った」
向こうの壁には何も書かれていなくて、でも、額縁の裏には。そこにはノートや、日記のようなもの、ボイスレコーダーも入っていた。それらは部室に一旦持ち帰る事にする。
学校には、いや、集団生活では起きないなんて事はほぼありえないと言われるいじめ。大人たちが必死で倫理や道徳を教えても、いや、教える大人たちですら起こす、そんな、いじめ。犯罪の複合体とも言える行い。窃盗、暴行、恫喝、それらをまとめて片づけてしまえる一言。
歴史ある学校なら、当たり前に起きているだろう。そして証拠が挙がってももみ消そうとすることも、あり得る事だろう。歴史のある学校なら。
じゃあ、これは?
このノートは?
「確かに、これは、呪い」
花蓮さんはそう呟いた。
「呪いはあったけど無かった」
夏至から一週間後、亡くなった人がいる、そんな記録を探そうか、少し思った。けどやめた。これを告発したところで、もう意味は無いから。知ってしまったのに、何もできない。それが、もどかしい。このもどかしさが呪いなんだ。あの緑の光を知って、それの正体を知って、意味を悟って、そして、こんな風に無力さを抱える。
「花蓮さんは、これをどうする?」
「戻す。この呪いを、これからも残しておく」
「なんで?」
「それが、正しいと思う。良い勉強に、なった」
花蓮さんも同じことを、感じていたのだろうか。
遠い存在だと思っていた彼女が、近く感じた。
「なぜ、瑠衣の頭を撫でる?」
「君でもわからないことはあるんだね」
「当たり前。むしろ、わからない事の方が良い。なんで、この人は、この時これを、例えば警察に出さなかったのか、わからない」
花蓮さんは目を閉じた。
「考えるだけ、無駄。この事件は、呪い何て無かったで報告、任せる。資料、作るから」
呪いは無かった。科学部の面々は今日も元気に実験してる。
絵に関しては、僕が卒業してから取り外されることになったと、この間会った入間さんから聞いた。科学部の事件の事も知っていたらしい。どんな情報網だよ。
あの絵に関しては調べる気が起きないが、もしソーラープリントとかされている絵なら、もしかしたらわりと最近で、その時いた先生もいて、そしてあの噂について聞いているならあまり面白くない絵かもしれないし、でも、何で展示しているのか、もしかしたら後悔している先生もいるのかもしれない。
どちらにしても、僕はあの絵の裏に隠されているものを、知っている。
何かを守るために、その上に絵を描く事は、歴史を紐解けば見つかるものだ。
「花蓮さん」
「ん?」
「僕はやっぱり、そうだな……例えば出会った事件を創作の体で書いて公開するってどうかな?」
「君は、ワトソンにでも、なる気?」
「もうワトソンじゃん」
「そう。良いと思う。探偵部の活動、文芸部に直結。悪くない」
「だよね」
だから今書いてる。
今日も枕に頭を預けて充電中の花蓮さんを後ろに、これからどんな不思議な出来事と遭遇するのか、結構楽しみ。そろそろ夏休みだけど、文芸部は活動するが、探偵部はどうするのか、うちの探偵さんに確認しなければ。