プリマのベース 二
「特におかしな様子は無いね」
教室の扉の窓から見える断片的な映像だが、ただ部長が帰った後も自主練している様子にしか見えない。
その日の放課後、花蓮さんは先に部室に来ていた。いつもの事だが今日は違う。花蓮さんは起きて昨日仕掛けたビデオカメラをノートパソコンにつないで見ていたのだ。
相変わらずカーテンを閉め切り、夕日が漏れる優しい光の空間で、椅子の上で体育すわり、目がいつもの十倍くらいには輝いて見える。
「顧問の先生が注意しに来て、それで残りの部員も帰ると」
「うん」
「ふぅん。ねぇ」
「なに?」
「この事件はあと一歩のところで解決する」
「事件と言えるのこれ?」
「……確かに違うね。うん。案件と言うべき」
「おう」
自分の分と花蓮さんの分のお茶を淹れる。目の前に置くと、飲み始める。苦手と言っていた気がするのだが、気に入ってくれたようで良かった。
「お前は理由まで察して何で明かすのかって聞いた」
「うん」
「今回は明かして良いと思う?」
「僕はわからないから、君が何をわかったのか」
「うん。でも、確定してないことは話したくない」
「どう判断しろと……」
なかなか面倒な性格だな。
花蓮さんは鞄からファイルを取り出す。紙を取り出し机に並べ始めた。
「昨日、雨宮さんを尾行した」
「は?」
「大丈夫、バレてないから」
「なんで?」
「必要だと思ったから。雨宮さん自身のことも辿る必要があると思った。他の部員もやるつもりだったけど、うん。もうこれでわかった。雨宮さんはバレエの教室にも通っている。プリマも務めている。留学の話も来ている」
「それはすごい」
「それでさ、さっきの映像を見て、ほぼ確信。雨宮さんはベースを担当していたって言ったよね」
「うん」
「でも、自主練は別の人がベースやってる。さっきまでキーボードやってた人が」
「うん」
「おかしいよね。キーボードに支障がでるかもしれない」
花蓮さんの言いたいことはわかる。でも、これらがどうつながるというのだ。
「わからない?」
「うん」
「そう……じゃあ瑠衣はいつものようにやるよ」
「わざわざお集まりいただき、ありがとうございます」
花蓮さんは軽音部の面々の前でそう切り出した。軽音部部室の中央に、四人の軽音部と二人の探偵部。緊張した雰囲気の中、花蓮さんはどこか高揚とした顔、そんな風に見えた。
調査結果を報告する場で、雨宮さんは部員全員がいることに困惑しているのはわかったが、何も言わない。むしろどこか覚悟を決めた様子に見えた。
「さて、雨宮さんには謝らなければ。あなたに許可せず、軽音部全員に集まっていただきました」
「……それは良いから、結論は」
「はい。まず、雨宮さんが懸念してたような、顧問の谷先生と交際関係にある部員はいません」
「……そう。見抜いていたのね。随分私の事も調べ上げた……噂通り……」
意外と冷静な反応に驚いた。でも、取り乱すような人でも無い気がする。
「部室になる音楽室を貰った時期と雨宮さんが谷先生と別れた時期が被り、その上自分が帰った後も部室の電気がついてた、それが疑った理由。違う?」
「そこまでわかっているのね。その通りです」
称賛の声に花蓮さんは特に反応しなかった。でも、目に宿る輝きは増した気がする。
「軽音部の部長である雨宮さんが帰った後の様子は、映像で確認しました。キーボードの篠崎さん、あなたはベースの練習していましたよね」
「はい」
篠崎さんはおずおずと頷く。
「なんでよ!」
真っ先に反応したのは雨宮さんだった。
「だ、だって、部長」
「雨宮さんはバレエをなさっているらしいじゃないですか」
一触即発の二人を花蓮さんが言葉で叩き切る。
「な、なんでそのことを」
「調べさせていただきました。留学の話もあるとか」
「そ、そうよ」
花蓮さんは目で軽音部の人たちに促した。一瞬きょとんとする面々。でもすぐに言葉が始まる。
「すいませんでした部長。疑わせるような真似をして。私たち、部長にバレエの道を歩んで欲しいと思ってしまったのです。こんな、田舎のすみの軽音部に、縛り付けたくなかったのです。だから」
話し始めたのは、ボーカルの蛍川さんだ。でもすぐに甲高い声が響いた。
「なんでよ! 親に始めさせられたバレエじゃなくて、私は、自分でやりたくてこれを始めたのに」
「親に始めさせられても、今こうやって才能を発揮して、才能だけではたどり着けないところまで来ているじゃないですか。好きじゃなくてそんな努力ができますか!? 部長がいなくても大丈夫だと言えるように、こうやって篠崎も自分から、昔やってたからとベースギターを持ち始めたのです」
花蓮さんは僕の方を向いて頷いた。
『あとは彼女たちの問題だ』と。
二人そろってこっそりと抜け出した。
……本音で語り合う機会を作れた、そう解釈するのが良いのか。
放課後の廊下、夕日が差し込んで明るくて暖かい。先程までの緊迫した雰囲気から解放されて思わず息を吐いた。
「しかしさ」
「何?」
「なんで依頼来たんだろ。新設された部にあんなディープな問題持ち込むとか」
「新設と言っても、昔からあるって噂が流れれば? 都市伝説のように」
「どういうこと?」
花蓮さんはスマホの画面を見せる。
「それは?」
「学校の裏掲示板」
そこには、『幻と言われる探偵部、本当にあった!』
『探偵部実際に行ってみた』
『昔探偵部やってたって先輩に会ってきた』
『探偵部依頼方法まとめ』と並んでいた。
「……なにこれ?」
「これ全部私書いた。興味惹かれると思う」
自演工作って、おい。
花蓮さんの目は眠そうな、退屈そうな、そんな、いつものような感じに戻っていた。
あの高揚した、行動的な、饒舌な花蓮さんは鳴りを潜めていた。謎を解くときの花蓮さんは眩しかった。
僕はワトソン。多分、彼女の活躍を横からサポートしながら眺める。そんなポジションだ。結構性に合う気がする。
だから後の彼女たちの話も記録しておこうと思う。
夏休み前最後の全校集会、つまり終業式で、雨宮さんは留学に行くことが発表された。勝手に学校の代表にされ、わざわざ全校の前で喋らされる彼女の心中はいかに。とか聞いている時は思ったけど、どこか吹っ切れたようにも見えた。だからまぁ、部員との折り合いはちゃんとつけられたと思う。
だけどその分、当校誇りだとか、そんなものがあるのかも知らないのに、勝手に名前を背負わせる校長を思わず冷ややかな目で眺めてしまった。
軽音部はライブを順調にやっているらしい。新入部員の確保はできるのだろうか。探偵部は彼女たちに恨まれているのか、知る由は無い。雨宮さんとはあの推理披露以来会っていないのだ。
「探偵部は感謝を求めていない。求めているのは真実のみ。真実を得てその結果恨むのか感謝するのか、それは依頼者が決める事って思った」
花蓮さんが提示した探偵部の活動指針にはそうあった。
雨宮さんが軽音部じゃないと思った理由も聞いた。
「ああ、あれはただのブラフというかかまをかけただけ。一瞬言葉に詰まったから尾行しようと思えたけど」
今日も部室にいけばいつものように、カーテンが閉め切られた部屋で、枕に頭を乗せて充電中の彼女を見ることができる。三日間探偵部に費やして、部誌の話は欠片も進んでいない。
次いつ依頼が来るかもわからないし、なるべく早めに決めておきたいところだ。
上がって行くのはお茶を淹れる腕ばかり、妹に持たされた茶菓子を彼女の前に置くと、素早い反応が見れるから、多分はまってくれている。我が妹の叶も喜びそうだ。
「これ、タイトルどうする」
「タイトル?」
「うん、君の大好きなホームズにも『緋色の研究』とかあったじゃん」
「……お前に任せる。あれ、確かワトソンが付けてた」
「へぇ」
じゃあ、そうだな……プリマのベースとかどうだろう。