プリマのベース
そもそも普通に生きていて、不可解な、それこそこうして物語になりそうな出来事に会う方が難しい。
こうやって自分の体験を物語仕立てで書いていて、よく長々と書けるような出来事に出会えたものだと思う。それもこれも、今後ろに座って僕が書く文章をしげしげと眺めている、花蓮瑠衣という少女がきっかけなのだが。彼女の眠そうな目が開き、緩慢な様子が様変わりする様を見る機会に恵まれる日が来るとはと思っていたのだが、まぁ飽きずに読んでくれ。語り部はわきで眺めていた日暮進である。
文芸部の活動は年間一冊の部誌を作る事にある。と僕は定めた。なので部誌を作らなければならないのだが、過去の部誌を探す事から始めなければならない。
放課後、夕日が差し込む部室は花蓮さんの手によってカーテンをひかれる。一体何時間眠るつもりなのだろう、彼女は。
あちこちに置かれた段ボールは前年、この部室は物置のように扱われていた事を示していると思っていたが、よくよく開けて見ると、ほぼほぼ文庫本だ。それは文芸論だったり著名な作家の本だったり。図書室があるのにわざわざ部室にも用意していたのか。
これだけ本があるなら部誌は何処に片づけたのか、僕は頭を悩ませる。
「どこにあると思う? 花蓮さん」
「お前の目はどこについているの?」
「優し気な口調できつい言葉を放り投げるな」
声をかけると、長い黒髪の隙間から眠そうな目が覗く。
「その棚でしょ。掠れて読みにくいけど、部誌って書いてあるよ」
「マジで!」
確かに、古ぼけた棚の隅の引き出しの扉に貼られたテープには、よく見ると部誌って書いてある。
「よく気づいたな」
「自分の寝床になる場所の探索は徹底するよ」
むしろ、今まで自分で気づかなかったことに驚きだ。観察する習慣を怠るとは。気をつけよう。
しかし、こんなに眠るほど疲れてるなら、部活なんかせずに家で寝てれば良いのに。律儀なもので、文芸部の活動もそこそこ手伝ってくれるのだ。
部誌を作る話をした時、構成案、結局は決まらなかったがちゃんと話し合いに応じてくれた。
「多分、今日依頼来るから」
「どんな?」
「結構面白いと思う」
それだけ言って、愛用の枕に頭を乗せてぐてーっと効果音でもつきそうなくらいにだらける。布団の上で。ある日彼女は部室に布団を持って来たのである。
一度、こっそり寝転がってみたが、凄く寝心地が良かった。ばれたら怒られそうなので黙っている。証拠は徹底して消した。
「そういえばさ、知ってる?」
「何が?」
「瑠衣の持論。前使った時よりやけに綺麗だと、逆に怪しい」
「……何が言いたい」
「まぁ、使った後に綺麗にしてくれるのは良い事だけど」
この前の手紙の件で発揮された観察力と、そこから何かを導き出す推理力は、やはり恐ろしい。
六月、お互い夏服で過ごす放課後の部室。花蓮さんも半袖になり、触れただけで折れそうな細い線をのびのびと布団の上で転がす。
制服がしわにならないか、結構心配だ。
しかし、定期試験明け最初の部活に依頼が来るとは。
多分花蓮さんまた一位取るんだろうな。僕はそこそこ取れるだろうという手ごたえはあった。
「何してるの?」
「依頼が来るんでしょ。だったらお茶とか必要じゃない?」
母さんに学校の事を話したら持たされたのは茶葉とカセットコンロとマグカップ。ついでに淹れ方も教えてもらった。
「瑠衣は紅茶苦手」
「これ飲んで不味かったら言ってくれ」
扉を叩く音。二回目だが、果たしてどんな依頼が持ち込まれるのやら。
「最近部員の様子がおかしい」
依頼主、二年一組雨宮薫さんはそう語った。
「軽音部はいつも放課後、四時から二時間。ライブ前は夜まで練習するのですが、なんか最近、変なのです」
「変というのは、具体的には?」
「……」
雨宮さんは黙り込む。
というか、なんで僕が応対しているんだ。
「……あなた、本当に軽音部?」
「えっ、あっ、そう言ってるじゃん」
「そう。楽器は?」
「ベースですけど……」
「そう」
花蓮さんは花蓮さんで雨宮さんをどこか退屈そうに観察している。
「具体的には?」
「えっと、どこか勢い感じられないというか、何か、疲れてるというか」
「それは探偵部ではどうにもできない」
「わかっています。けど、原因が知りたくて」
「そう。外的な要因と考えているんだ。他には?」
「はい。後、練習終わった後、なぜか部室の電気がついていて。鍵は、部長の私が一つ持っているので、多分、職員室のを使っていると思うのですが、でも、練習の時の様子から見て、自主練してるとは思えないので、はい」
花蓮さんの左目が閉じられる。右目が大きく開かれる。
「わかった。調べてみる。三日頂戴」
「ありがとうございます。お願いします」
「行こうか、日暮君」
「行こうかって、どこに?」
「瑠衣の協力者さんのところ」
普段の様子から想像がつかない機敏な動作で手を掴まれる。連れてこられた場所は僕の隣のクラスの教室。そこにはツインテールを揺らしながらせっせとノートに何やら書き込んでいる人がいた。
「入間さん。こんにちは」
「はっ……なぜあなたがなぜここに」
「教えない。それよりも質問に答えて」
二人の間に何があったのか。どこかピリピリとした空気が流れる。いや、違うな。入間さんが怯えていて花蓮さんが脅かしているのか。何をしたんだこいつ。
「あなた知っているでしょ、軽音部部長の雨宮薫さんの事」
「し、知っていますよ、一年生の時軽音部を立ち上げ見事な演奏で各地でライブを成功。防音設備付きの部室という名の使っていない音楽室を与えられた軽音部の部長の雨宮薫さんですよね」
「その子の事一通り教えて」
「うっ……書面じゃダメ?」
「別にそれでも良い。人間関係から生活習慣まで全部ね」
「生活習慣まではわからないよ~。あっ、でも人間関係なら結構面白い話があるよ」
「面白い話?」
「そう。彼女、自分の部活動の顧問と付き合ってた、と言っても別れたけど。そんな話」
わりとゲスイ顔をするんだね、入間さん。
張り込みと言い出したのは花蓮さん。だけど学校というのは隠れ場所も少ないので花蓮さんが部室に持ち込んだビデオカメラを活用させてもらう事にする。
「探偵ってさ」
「何?」
「こんなストーカーまがいのことするの?」
「そうだよ」
当たり前のようにそう頷いた。
「華麗な推理を披露して、事件を解決に導く創作の中の探偵も、実在の浮気調査とか素行調査とかする探偵
も、結局は、地道な捜査という、人の秘密を暴くストーカーまがいの行為が実績の根底にある」
「君はなんでこれをしようと思ったの?」
セッティング完了。段ボールでカモフラージュして怪しまれないようにしておこう。
「そんなの……いつか話す。今は行こう。気づかれるから」
防音室と言えど、漏れ聞こえる音は激しく空気を震わせている。こちらの音が聞かれていない心配はない。
明日回収予定のそれをちらりと見る。
お互いの部員を確保するための関係は、この一か月でどこか慣れたが、お互いお互いの事を話そうとしない、だから、つかみどころを感じられなくて、代わりに壁のようなものを感じているのかもしれない。
「ちなみに探偵さん、今の所の考えは?」
「それは確定してからでないと話せないかな」
「花蓮さん、君、かなりホームズ好きでしょ」
「中学生の時に読んでた程度、別に特別好きというわけでは無い」
今日の花蓮さんは饒舌だ。しかし、彼女の行動力は普段眠って貯めているのかと思うほどに豪胆で、この時の僕はまだその片鱗しか知らなかったと、今や過去になった今だからそう言える。