22.今生の別れ
「よう、久しぶりだな。ネルウァ」
「お久しぶりですね、水鳥鮪くん」
私は白い虚構空間を背景にして、ネルウァと水鳥鮪くんとを見比べていた。
ネルウァはいつも通りの、ウェーブがかかった白い長髪に、丸めがね、赤褐色の肌をしていて。
水鳥鮪くんは、欧州生まれの顔立ちをしていた。
金髪のさらさらヘアーに、太い眉毛、目は二重で、耳は餃子のようなつぶれた形をしていた。
鼻骨が折れているのか、鼻もおかしな方向を向いていて、ほほの辺りは皮下出血を起こしたような、黒ずんだ色をしている。
背は高いが細身であり、ぎゅっと引き締まった筋肉が衣服を通して伝わってきた。
「こんなところに呼び出して何の用だ、ネルウァ。大量出血で宿主が死んじまったか?」
唇を喰いちぎったことを言っているのだろうか。
死んだと思うなら、そんなグロテスクな行為は最初からするなよ。
そう私は口元に手を当てる。この虚構空間ではその傷口はなくなっていた。
「いえいえ、そんなことはありませんよ。創傷の保護は、私が特別に施しておきましたから、心配いりません」
「じゃあ、なんの用だよ」
水鳥鮪くんは創造神に対しても大胆不敵だった。
なんだか洋画に出てくる俳優みたいでカッコいい。
カッコいいけど、唇を噛みちぎったのは許せなかった。
それとこれとは別物だ。
「出てきなさい、ハドリアヌス。そして水鳥鮪くんの人間偏差値をご覧なさい」
「うるせーな。わかってるよ」
どこからともなくふらっとハドリアヌスが現れた。
彼は熊のように大柄で、天然パーマの髪形に、切れ長の細い目をしていて、鼻梁が高く、整ったあごヒゲを蓄えている。
「そりゃあ自殺を止めたんだからよ、人間偏差値が上がるのも当然だろ」
「私が言いたいのはそういうことではありませんよ」
「なんだ。俺が負けたってことを強調したいのか。わかったわかった。俺の負けだよ。五賢帝にふさわしいのはあんただよ、ネルウァ」
「いいですか、ハドリアヌス。人間を救うことが出来るのは、神様ではなくて人間なんです。私はどんな人間も、その性質は善であると信じています。そして人間の持つ善性を引き出してあげるのが、創造神の仕事なんです」
「お前はいつもそうだな、ネルウァ。俺もそれを信じていたさ。だけど、俺は人間に裏切られ続けたよ。信じているからこそ裏切られるんだ。最初から疑ってかかれば裏切られることはない」
「裏切られても、信じ続けるんですよ。裏切るまでには必ず経緯があります。その裏切った理由を突き止めて、解消して、それからまた信じてあげるんです」
「どうしてそこまで無条件に人間を信じられる?」
「人間が私たちを信じてくれているからですよ。一神教であれ多神教であれ、人々は神的存在を認め、信仰しています。ならば私たちも人間を信じて、見守ってあげるべきではないでしょうか」
「まあ、俺は人間の性質は悪だと思うよ。放っておけば、世界の秩序を壊しかねないと思ってる」
「そうですか……」
「だからこそ、創造神が環境を創造ってやる必要があるんだろ。俺はあんたみたいに楽観的な見方は出来ないけど、悲観的に見守ってやるぜ。人間をな」
「そうですね。ありがとうございます」
「なあ、ネルウァ。話に割って入って悪いんだけど、『更生すれば、現世に返してくれる』って約束だったよな。どうだ、俺は更生したように見えるか?」
欧州風の男の子は朴念仁な調子でそう尋ねた。
腕を組んでいて態度は悪いが、ハンサムであることは否めない。
「そうでしたね。その審査は仁科歩さんにしてもらいましょう。どうですか、水鳥鮪くんの過去を踏まえた上で、彼は更生したと思いますか?」
「俺は悪いことなんかしてねえけどな」
そう唇をとがらせる彼がなぜかとても愛おしかった。
私は思わず相好を崩してしまう。
「ええ、更生しました。現世に返してあげてください」
「おいお前、俺がいなくても大丈夫なのかよ。またいじめられたりとかするんじゃねーのか?」
水鳥鮪くんはそう私を気遣ってくれた。
私は涙が出そうになるのを我慢して、無理に笑顔を作った。
「大丈夫だよ。水鳥くんこそ、人を殺しちゃだめだよ」
「ああ、気を付けるさ。じゃあな。また会おうぜ、仁科歩」
「うん、約束だよ」
「では水鳥鮪くん。遺体が荼毘に付される前に、現世へと帰還しましょうか」
「ああ。頼むぜ、ネルウァ」
「仁科歩さん。創造神が人間界に直接干渉することは、本来許されていません。おそらくこれが今生の別れとなりますが、なにか言い残したことはありませんか?」
「はい。あの、今度また五賢帝の話を聞かせてください!」
「承知しました。それではまた来世にお会いしましょう」
ネルウァはそうパチンと指を鳴らす。私の意識はそこで雲散霧消した。




