17.ネルウァ
「水鳥……」
私はあの男の子のことを想起する。容姿はちっともわからないけど。
「あの子がどうかしたんですか?」
「あなたと彼は一蓮托生です。いや、一心同体の方がしっくりきますかね」
「私が殺されたら、彼はどうなるんですか?」
「契約不履行につき、魂そのものを消滅させられます」
「え?」
魂を、消滅?
そういえば彼は、私の身体に魂を寄生させているだけで、生きているわけではないんだっけ?
だとしたら、彼はもう……。
「あの子は、飯島りんって女の子を助けたいって言ってました。せめてその願いだけでも叶えてあげたいんです。消滅はそれまで待ってもらえませんか?」
「大丈夫ですよ、仁科歩さん。あなたが死ななければ彼が消滅することもありませんから」
「たとえ私が死んだとしても……」
「無理です」
今まで温厚だったネルウァは、表情は穏やかでも、声には迫力が伴っていた。
「だから逃げてくださいって言ってるんです」
問答無用。有無を言わさずネルウァは断言する。
「逃げるって、そんなお金なんかどこにも……」
「おいおいネルウァ。人間に直接干渉するなと、創成法第230条に規定されていることを忘れたのか?」
熊のように大柄な男性がネルウァをそう咎めた。
彼は天然パーマの髪形に、切れ長の細い目をしていて、鼻梁が高く、整ったあごヒゲを蓄えている。ダンディでちょっとイケメンだった。
「あなたこそお忘れではありませんか、ハドリアヌス。創成法第199条に、故意に人間界の風紀を乱すことを禁ずるとある。これは狭義には、転移者及び転生者による殺人を防ぐための条文と読み取れる。あなたは自らの手で罪を犯そうとしているのですよ」
「悪いか。ならば力づくでとめてみろよ」
「わかりませんね。なぜそこまで私を陥れようとするのですか」
「あんたは俺の、かつての憧れだったんだよ」
「…………」
ネルウァとハドリアヌスという2柱の神様(ダンディな人も神様だよね?)は、私を置いてけぼりにして話し始めた。
いろいろと聞きたいことはあるけど、ここはじっと我慢する。
「清濁併せ呑むあんたの姿は、俺の理想だった。どんなにダメな人間でも地獄送りには決してしない。神の中でも人格者だと思ったよ。だけどどうだ、あんたを見習った俺の人間偏差値は急降下。ここまで来るのも楽じゃなかったよ」
え、それって、八つ当たりじゃないのかな。
「あんたに師事した俺がバカだった。あんたなんか五賢帝にふさわしくない。俺が追放してやるよ」
「左様ですか。それは悪いことをしましたね」
ネルウァはそうあやまった。こんなイケメンにあやまる必要なんてないのに。
「私が師匠でありながら、弟子の心のゆがみを矯正できずにいたとは無念です」
「なん、だと?」
ハドリアヌスは顔中に太い血管を浮かべて、牙をむいた。
「ふざけるなよ。だれが――」
「どちらが五賢帝にふさわしいかは、彼らに決めてもらいましょう。それでよろしいですか?」
「どういう、意味だ?」
「転生者の佐伯あかねと転移者の水鳥鮪。どちらの人間偏差値が高いのかで決めるんです」
「いいのか。あんたの手札は落ちこぼれ。こっちは秀才だぞ」
「構いませんよ。私は彼を息子のように誇らしく思っています。もちろん仁科歩さん、あなたのこともですよ」
「殺されても知らねーぞ」
ハドリアヌスはぺっと唾を吐き捨てるとどこかへ消えてしまった。
「仁科歩さん。私は性善説を信仰しています。どんな人間でもその性質は善であると信じています。水鳥鮪くんもその例に漏れません。だからどうか、彼がピンチのときには助けてあげてくださいね」
「え、ちょっと……」
「託しましたよ。もう逃れられない運命なんですから。賽は投げられました」
ネルウァがパチンと指を鳴らすと、仁科歩の意識は消滅し、現世へと帰還した。




