11.祭り
「だれよあの女。さっきから鮪くんにべたべたくっついてて気持ち悪いんだけど」
「だれにでもホイホイ腰を振ってついてくビッチじゃない? いるよね、ああいう女」
茶髪のロングヘアーが目立つ女子と、金髪のショートを右に流している女子が、手鏡で化粧をチェックしつつそう言った。
ほかの乗客の迷惑は考えずに、まつげを切りそろえていく。
ペアシートと通路を挟んだ四人乗りの座席で、彼女たちは談笑するりんを見ながら、声を潜めて意地汚く笑っていた。
「やっちゃおうか。どうせヤルことしか考えてないやつでしょ」
「うん、そうだね。じゃあ私が手配しておくよ」
「これも私と鮪くんの幸せのためだもんね。クソビッチには消えてもらうわ」
茶髪のロングヘアー女子が、さらに不敵に笑う。
悪意が、巨悪が、ひそかに蠢き出そうとしていた。
「遅いじゃねえか、せっかくの祭りなのによぉ」
「ごめん、ちょっと着付けに時間かかっちゃって」
水鳥鮪は普段通りの私服だが、飯島りんはピンクの浴衣姿だった。
帯は白色で足元は草履だった。爪にはピンクのネイルが塗られており、つやがあってきれいだ。
「桜、きれいだな」
「そうだよね、ホントきれい」
りんは瞳を潤ませながら街路樹を見つめる。
控えめなイルミネーションがちかちか光っていた。
お花見祭りである。桜は見頃を迎え、観光客も訪れるほどだった。
この地区では商店街の一角を貸し切り、交通誘導員を立てて行われるほどの一大イベントとなっていた。
「お、フランクフルトの屋台があるじゃねーか。行こうぜ!」
「えー。私、金魚すくいがいいなー」
そう夜間の縁日を練り歩く。
さびれた商店街には提灯などの装飾が施されており、それなりに盛況だった。
わーっしょいわーっしょい。遠くから掛け声が聞こえてくる。
裸一貫にふんどしを身に着けた男たちが息を白くしながらみこしを担いで逍遥しているところだった。
沿道にいるお客さんたちもつられて、「わーっしょいわーっしょい」と叫んでいて、その声が少しずつ近付いてきた。
「お前も参加してくればいいじゃん」
鮪がへらへら言うと、
「いやよ、鮪くんこそ行って来ればいいじゃない」
りんはそう反抗した。
「りんが来る前にそうしようと思ったんだけどさ、断られた。地域住民の若い者たちだけで担ぐんだってさ」
「えー。ひどい。私も断られるとこだったじゃん」
「SNS映えするかなーって」
「しないよ。っていうか、しないでよ!」
「あはは、冗談だって……」
「ひどーい。じゃあ金魚すくい手伝ってね」
「仕方ねーな」
二人はそう金魚すくいの屋台に移動する。
鮪は何者かの悪意を感じた気がして幾度か振り返ったが、背後には女や子ども、家族連れしかいなかった。
「……気のせいか」
「どうしたの?」
「いや、なんでもない」
りんは翳のある表情を浮かべる鮪を心配そうに見つめたが、まあいいかと、視線を簡易プールに移す。
子どもが水遊びに使うような小さなプールで、金魚は泳いでいた。
「こういうのは角度が大事なんだよ。いいか、見てろ」
店主から薄い紙の貼られたポイを受け取って鮪は得意げに主張した。
「まずは野球のレーザービームと同じ、45度で水につける」
袈裟懸けに切るようにして、ポイを水中に入れ、説明を続ける鮪。
「魚の腹の下にポイを潜り込ませる」
そしたら、破れた。
薄い膜が、破れていた。
「くそ、マジかよ」
「わあ、私、すっごい取れるよ。見てみて」
袖を濡らしながら、りんは目を輝かせる。
彼女のお椀には金魚が数匹入っていた。
「見てなかったのかよ! っていうか、すげーな!」
すくった金魚を元に戻し(文字通りプールして)、今度は射的の屋台で足を止めた。
「射的やろうぜ。なんか楽しそうだし」
「うん、いいよー」
おもちゃのライフル銃にコルク弾を詰め込むと、店主は景品の位置を微妙に変えていた。
弾数は十発で、棚に並んだ景品を倒せばそれがもらえるということだった。
「よっしゃ、どっちが多く取れるか勝負だな」
「うん、手加減しないからねー」
鮪はゲームソフトやアニメのフィギュアを、りんはお菓子や小物類を狙っていた。
なかでも鮪の集中力はすさまじく、好餌を見つけた虎のように景品を撃ち落としていった。
そのせいで、気が付けなかったのだ。もっと、大事なことに。
「おい、めっちゃ取れたぜ」
そう隣の人に話しかけるが、返事がない。その人は、りんではなかった。
「あれ、トイレかな……」
鮪はしばらく待ってみたり、屋台を徘徊してみたりしたが、その姿は見つからない。
屋台が撤収を始めたころにようやく、スマートフォンが彼女からの通知を受け取った。
「体調が悪くて先に帰っちゃった。ごめんね」
そう簡素な文章が書かれている。
鮪は、「夜は冷え込むから気を付けろよ」と送った。返事はなかった。




