10.出会い
水鳥鮪が深夜のアルバイトを終えるころには、新聞配達のバイク便が、閑静な住宅街を切り裂いていた。
山あいからはうっすらと日の出が昇っていて、喧騒を前にたたずむ駅前は奇妙な静けさに満ちていた。
冷涼な空気が、澄んだ街並みを優しくなでる。
タンクトップ姿でランニングをしている高齢者が気持ち良さそうに走り抜けていった。
「ねえ、やめてください。私、バイトの帰りなんです」
下品な金髪頭に、耳と口にはピアス。
竜の刺繍が入った黒いジャケットを着た若い男が、アルバイトの娘をナンパしているところだった。
「いいじゃねえか。こんな時間までバイトしてるなんてよっぽど金がねーんだろ。俺様がおごってやるからよ」
「やめてください」
「おい、その娘が嫌がってるだろ。やめろよ、クズ!」
コンビニエンスストアの入り口で、水鳥鮪は相手の男をにらみつけた。男からはきつい香水のにおいがした。
「はあ。なんだよ、テメェ!」
コンビニから漏れる毒々しい明りが、両雄を照らし出す。
男は水鳥鮪の胸倉をしめつけるようにして持ち上げた。
その刹那、水鳥鮪は、無意識のうちに相手の耳ピアスをつかんで下へと引っ張っていた。
それは日頃の戦闘経験によって培われた洗練された動作で、相手が痛みを知覚するまでに時差が生じた。
男の耳たぶはちぎれて、そこは、血で濡れていた。
柔らかい肉片は縦に割れ、亀裂が生じている。そこから生温かいドロリとした液体が、ぽたりぽたりと滴ってアスファルトを赤黒く染めていた。
「う、ぎゃあああッ!!!!」
黒ずんだ歯茎を剥き出しにして、男は叫ぶ。
水鳥鮪はそんな彼の鼻ピアスをつまんで、同じく引っこ抜いた。
ぶちぃと肉の裂ける音がかすかにした。
男はたまらず手を離してうずくまった。患部を押さえて止血をしているようだった。
「コイツ、殺していいよな?」
男の頭上に靴底を当てて、水鳥鮪はアルバイトの娘に話しかける。彼女は恐怖に顔面を歪めながらも、やめてくださいときっぱり断った。
「何故だ、クズは始末した方が社会のためにもなるだろ。俺、なんか間違ったこと言ってる?」
「間違っていません。でも、さすがにやり過ぎです。あの……」
しどろもどろになった彼女を遮るようにして、パトカーのサイレンが鳴り響いた。
警察官が拡声器で何事かを叫びながら走行している。
「ちっ! またポリ公だ。この前捕まったばっかなんだよな」
そう足をどかしながら舌打ちをする。
「え、なんですか?」
「走るぞ」
水鳥鮪は女の子の手首をつかんで駅の階段を駆け上がった。彼女は想像以上に、細くて、柔らかい肢体だった。
反対側の出口に向かったが、ほかの警察官によって包囲されているような気がした。通行人がじろじろと無遠慮に見てくる。
息は切れ、汗がどっと噴き出てきた。
うまく思考がまとまらない。早く、どこか遠くへ行かなきゃ。
そうして発車時刻が近い電車に飛び乗る。笛の音がどこか遠くで聞こえた。
鉄と鉄が触れ合う音がして、がたんと車内が揺れる。水鳥鮪と女の子はペアシートに座った。
「俺は水鳥鮪。あんたはなんて名前だ?」
「え? 私は、飯島りんですけど」
突然の名乗りを受けて戸惑いつつも、女の子は律儀に答える。
声が低くて、大人っぽかった。
「飯島りん。良い名前だな」
「そ、そうかな……」
「ああ、良い名前だよ」
「えへへ、ありがと!」
飯島りんは照れくさそうにはにかんで窓辺を見つめた。そこは工場地帯に差し掛かっていてとくに面白味はない景色だ。それでも彼女は首を捻じ曲げるようにして外を向いていた。そうしていないと照れと緊張で身動きができないと言わんばかりに。




