幕間 アルフィ7歳
「おい!勇者が逃げんのかよ!」
「やーいやーい!弱虫勇者―!」
アルフィ・カーテスは坂を駆ける。
石を投げられ、それが肘に当たって思わず声を漏らしそうになったが、ぐっと、歯をかみしめて坂を駆け降りる。
ボクだってもう7つだ。父さんは言っていた、勇者っていうのはどんな時でも、絶対に泣かない勇気あるもののことだって。だからボクは泣かない、父さんみたいに強い勇者になるから……!
「ただいま」
「おかえり、アルフィ」
家のボロッちいドアを開けると、のそのそとベッドから起き上がったおばあちゃんがしゃがれた声を出す。おばあちゃんは去年の夏から立てなくなった。ずっと寝たきりで、だけどボクにとっては唯一の肉親で、大切な人だ。
「アルフィ、疲れただろう。今日はきのみのパンを作っておいたからねぇ」
「うん、ありがとう。おばあちゃん」
もちろん。今のおばあちゃんがそんなものを作れるわけがない。寝たきりのおばあちゃんは少しずつおかしくなってきている。背負っていた籠を降ろすと、山から取ってきた野草を机に広げて一つずつ吟味していく。売り物になるもの、ならないもの……。
「アルフィ、おばあちゃんのあげたドレスはどうしたんだい」
「うん。クローゼットに大切にしまってあるよ」
「そうかいそうかい」
ニコニコと皺皺の顔で嬉しそうに微笑むおばあちゃんを見て、ずきりと心が痛んだ。もらったドレスも、クローゼットだって、もううちには一つもないのだ。
ザルの中で薬草を仕分ける。どくけし草に、しびれけし草。今日はあんまり珍しい草は取れなかった。でも売ればにんじんのスープくらいなら作れるだろう。薬草や毒消し草を籠に入れて立ち上がるとズキンと先ほど石をぶつけられた肘が痛んだ。
「おばあちゃん、ボク、薬草を売ってくるね」
「はいはい。子供はお外で遊ぶに限るよ」
石畳でできた道を歩く。
目の前を、手を繋いだ親子連れが歩いていく……。
自分だって父さんがいる。だけど父さんは全然家に帰ってこない。
それもしょうがない。だってボクの父さんはあの勇者なんだ!
今もどこかで、巨大なドラゴンを相手にその自慢の剣で戦っているに違いないんだ。ばっと飛んで、ザクッとやって、ドシーンってドラゴンを倒すんだ!
気が付いたら、自分もみえない剣を持って父さんの真似事をしていた。ぶんと、剣を振るうとたちまちに魔物たちは消し飛んでしまう!!
落ち込んだときは、いつも父さんのことを思い出した。すると不思議と元気が出た。
思い出の中の父さんは何時だって豪快に笑って、豪快に食べて、豪快に寝ていた!魔物と戦っている所をみたことがあるけど、蒼い剣を振るうその姿は本当に、本当にかっこよかった!いつかはボクだってあんな風に……!
「へへへ、見ろよ勇者様がいるぜ」
ピタッと、足が止まる。
すると、さっきまでの高揚していた気分は一発で地の底に落ちそうなほど暗いものへと変わっていく……。
3,4人ほどの男の子がボクの事をぐるぐると囲むと、真ん中にいたお腹の大きい子供がドカリと近くにあった樽に座った。
「勇者様、こんなところで何をしているのですか?」
「……」
「あぁ、トピー様。今ぼくは草を運んでいるのです!」
「クサを!!」
あははははと、手を叩いて笑い出す。一体、何が面白いっていうのか。人の事、馬鹿にして。
無視して通り過ぎようとしたら、行く手をすっと阻まれる。
「見ろよ、こいつの服きったねー。泥だらけだぜ」
「ばか、それはお前が今日ぶつけたやつだろ」
あっはっは!とまた笑いが響く。ぎゅっと、握り拳を握ると、苛立ちと、怒りで、頭の中が真っ白になりそうだった。何が、そんなに面白いんだよ。いつも、いつも、ボクにばっかり!
「おいおい、これはやくそうじゃねぇか。ちょうどいい、母さんが欲しがってたんだよな」
「!返してよ」
「何?でも、この草は誰のもんでもないだろ。アルフィ。お前はただ拾ってきただけだ」
「そうだよ!ボクが拾ってきたから、ボクの物だ」
「それは違う。お前はただここまで運んできただけだ、俺たちのためにな!」
「そんなわけ!」
「じゃあ、オレは毒消し草!」
「僕はしびれけし草!」
「な!!?返してよ!!」
「悔しかったら、取り返してみろよ!お前ら、散れ!!散れ!!」
わーっと、声を出すと、背負っていた籠の中身を根こそぎ奪って走り出すトピー達。誰から、誰から行けば……そう思っているうちに、みんな狭い路地のどこかへと消えてしまい。見えなくなってしまう。
「……ぁ」
ばっと、一人路地を出てきたと思ったら、ベロベロと舌を出してまた路地に消えた。
かと思えば、別の物陰から男の子が出てきた今度ははなくそをほじった。
何とも言えない、黒い感情が自分の中で渦巻いていくのがわかる。
どうしてこんな酷いことを平気でできるのだろう?自分が同じ立場になったら、どれだけ辛くて、悲しいか、わからないのだろうか?
「おい、アルフィ、悔しかったら取り返してみろよ!」
「言ったな!」
思いっきり地面を蹴ると、トピーに向かって殴り掛かった。
向こうは、こちらがこんなに早く動くと思っていなかったのか、躱せず、拳を受けたトピーはケツから樽に倒れこんだ。
「おい、勇者が人に暴力を振るったぞ!」
「お前なんて勇者失格だ!!」
「っ!」
そういわれたのと、物陰に隠れていた二人が飛び出してきたのはほぼ同時だった。
やられる!と、思い目をぎゅっと瞑った。
……けど、何時まで経っても痛くない。
「馬鹿言うな、こいつはよく我慢したほうだぜ」
「な、なんだお前!」
目を開けると、そこには黒い髪をした男の子が背を向けて立っていた。
こちらに顔だけ向けると、にやっと笑った。
「大丈夫か?やれるか」
「う、うん!」
「こんなやつ!みんなでやっちまえ!!」
わっと、襲い掛かってくる。
だけど、今はどこか心の奥から炎が燃え上がってくるような。そんな熱い気持ちだった。
「いてて」
「おい、大丈夫か?膝か?」
「う、うん。平気だよ」
「見せてみろ……ヒール!」
夕焼けの光を浴びながら、僕たちはある建物の屋上に来ていた。
あれから、こちらの方が攻勢だったのに街の騎士団の人がやってきて、みんな捕まる前に散り散りになって逃げだしたのだ。それは、ボクたちも例外じゃない。
「す、すごいね。もう回復魔法が使えるんだね」
「便利そうだからな、覚えたんだ。後、肘もケガしてんだろ。見せてみろ」
「う、うん」
腕を見せたら、一度眉を八の字にして、それからすぐに回復魔法を使ってくれた。緑色の光が暖かいお湯につかっているみたいに気持ちがいい。
「痛かっただろ。よく泣かなかったな」
「当り前だよ。だってボクは勇者だからね」
「勇者?ふーん」
回復が終わると、まるで信じてないとばかりに男の子は鼻をならした。
「ねぇ、キミはどうしてボクを助けてくれたの?」
「助けた?違うな、手を貸したんだよ」
「一緒だよ。ボクなんて助けたら、キミまで狙われちゃうよ……」
「それは、まぁ、あれだな。お前がかっこよかったからだ」
「ボクが?」
「あぁ……あんなことされて、あんなこと言われて、だけどお前はずっと我慢してた。まぁ最後には爆発してしまったけど、かえってスカっとしたねあれは」
「……ボク、勇者じゃないって言われた」
「んなわけあるかよ。間違ったやつをとっちめるのも勇者の仕事だろ。お前は優しいんだよ。あんな奴らにも我慢してさ。俺だったら絶対にあのデブっぱらに蹴りを入れちゃうね。だから、お前はすごい奴だよ。尊敬する」
なんてことないようにそういう男の子の横顔を見ていたら。なんだか、なんだかボク、おかしくって。
「……うぇ、うぇえ、うぇぇぇえぇぇえッ!!!」
「お、おい、どうした。どうしたんだよ」
ボクは、ボクは父さんが居なくなってからずっとため込んでいた涙を初めて吐き出した。絶対に、泣かないって、そう決めていたけど止めようとしても奥から奥から溢れてきて……止められないよ。
「泣くなよ、おい……はぁ、男同士で抱き合うなんて、大人のお姉さんが大喜びだぞ……」
男の子ははじめ戸惑っていたけれど、やがてボクのことをぎゅっと抱きしめて、偉かったなぁとか、頑張ったなぁとか、ボクのずっと……ずっと誰かに言ってほしかった言葉を、すっごく……すっごく優しい声で囁いてくれた。その言葉を聞いていると、ボクは間違ってなかったんだって、頑張ってきてよかったって思えて、また、涙があふれてくる。
ボクは落ちていく夕日が沈むまで、ずっと、ずっと、涙が枯れるまで泣いた。
それが、ボクがクロウ・クライネルトに出会った日だった。