カーサの港
潮の匂いがした。
カーサ港町は浅黒く焼けた船乗りたちが大きな船から荷物を運び出しており、照りつける太陽が熱いくらいだというのに、爽やかな青空の下をカモメたちは気持ちよさそうにクアクア鳴いて飛んでいる。
「クロウ!おっきな船だよ!!うわ~!」
「船くらい、見たことあるだろ」
「こんなに大きいのはないよ!すごいな~!」
「人も多いし、なんだか髪がパサパサするし……」
「ナンカ、ゴワゴワ!!」
アルフィは港町の光景にテンションが上がっているのに対し、フロレンティーナはあまりの暑さに何時もかぶっていた三角帽子などとうに脱ぎ捨て、俺の日陰に隠れるようにしてやや陰鬱とした雰囲気となっている。
ここで降ろした武具やアイテムなどの積み荷はカイサの街で冒険者向きに売られて、逆に冒険者たちがダンジョンで見つけたものはここから各国へと輸出されていく。
当然、観光客や冒険者を乗せる客船もあり、俺たちの故郷、クオーキサ王国へと向かう船もあるのだろう。しかし、なんだろうか。この港町の風景、なんか違和感があるな……。俺が知っている港町とどこかが違う、一体……。
「ねぇねぇコン。そのソフィアって人の遣いがどこに居るか知ってる?」
「?コン、シラナイ!」
だよな!
足元のコンが笑顔で元気よく答えてくれた。
はぁ……もう少し、パトラさんから詳しい話を聞いておけば良かった。と、フロレンティーナのやつ、かなり限界が近いな……
「ちょっと待っててくれ」
「え、えぇ……」
とりあえず、3人を待たせて大通りを外れると近くの日陰で露店を出して居た婆さんの元へと近づく。
「いらっふぁい」
「それください」
「あい」
適当に売っていた麦わら帽子を一つ注文して、お金を払うついでに情報を得ようと試みる。
あいつの使いっていうのなら、たぶん取り巻きA・Bのどっちかくらいは来ているはずだが……
「婆さん、この辺で貴族を見なかった?……髪がくるくるした感じの」
「知らんのう」
「じゃあ、背の高い感じの大人しいのと、ちっさくてリス見たいなくりくりした子は?」
「知らん知らん」
……まぁこんな特徴だけじゃな。
「いなくなったのなら……"海神様の祟り"にあったんじゃろう」
「え?」
「……」
祟り?……詳しく聞いてみたかったが、お婆さんはそのまま膝を抱えてただならぬ雰囲気を醸し出しながら俯いてしまう。
麦わら帽子を軽く上げてお礼を言うと、俺の買い物を待っていた二人と一匹の元へと戻る。
「何を買っていたの?」
「ん?帽子だよ。ほら、これで少しはマシになっただろ」
ポンとこちらに来てから無防備だったフロレンティーナの頭に帽子を乗っけてやる。
潮風が当たらなければ少しくらい潮風と紫外線対策になるはずである。
「…………あ、ありがと……」
「ぁ……すっごく似合ってるよ!ティーナ」
普段暗い感じの衣装が多いフロレンティーナが、ちょっと爽やかに見える。っと、グイグイと今度はコンが俺の服を引っ張る。
「クロウ~、コンのハナ、ヘンなカンジする~」
鼻をごしごししながら耳を垂らしてクルクルとその場で回るコン。
「ん?大丈夫か?潮風のせいか?……まぁそのうち慣れるだろ」
「ウ~ッ!」
「さて、どこから探すか……」
「コン、クロウについてく!」
俺達は今日の宿を抑えると、一度解散して手分けしてソフィアからの使者を探すことにした。
港には船乗りや商人以外にも俺達と同じで冒険者のような身なりをした人たちも多い。
そして、そういった冒険者が集まっているところというのは自然と情報も集まりやすいはず。ここは一度冒険者ギルドにでも行って……。
と、そこで人間状態のコンが俺のズボンをぐいぐいと引っ張る。
「クロウ!スッゴク、イイニオイ!する!」
「ん?おぉ、これは……」
匂いの元を辿って見えてきたのは海鮮系の屋台である。
腹巻をした獣人のおっさんが、魚や貝を大きな網の上で豪快に焼いていて……あれに醤油をかけて食ったらすげー美味そう……!
「って、ダメだ。食べるのは後だ、後……いや、しかし……」
人を探すのならば、多少を腹ごしらえをしてからの方がよいのではないだろうか?
腹が減ってはなんとやらともいうし、港に来て美味い炭焼きが出ている、そうなると食さないことの方こそ失礼なのではないだろうか?
「いらっしゃい。あんちゃんなんにする?」
「その貝とエビ、二つずつください」
「ほな、すぐに焼けるから、ちょっと待っててや」
結局、気が付くと、俺達は屋台の前へと……うん、これは仕方がないな!仕方ない……ってちょっと待て、なんか高くないか?普通なら2個と言わず6個くらいは変えそうな値段だ。
「おっちゃん、頼んでから言うのもなんだけどちょっと高くないか?」
「あ~……"アイツ"が出てくるようになってから、漁の調子が悪いねんなぁ……大きめの奴にしとくから堪忍やで兄ちゃん」
「アイツ……?」
「バケモンやバケモン。海の中にごっついバケモンが追って、船は出せんわ客は来んわで商売あがったりや。みてみい、船も出さんとみーんな辛気臭い顔しとるやろ」
言われて違和感の正体に気が付いた。
確かに、船が全く海上を出ていない。それに、婆さんにしろ働いている水夫にしろ、みんな俯いていてどこか暗い表情をしている。
「そんなにやばいやつが……」
「クロウ、アレは?アレはナァニ?」
そういってコンが差したのはセルツァー水の屋台だった。
この世界にはコーラやメロンソーダなんてものはないが、サイダーに近いラムネ、セルツァー水が売っている。
今も、子供が母親にセルツァー水を買ってもらったそれを美味しそうに喉を鳴らして飲んでいて、大喜びしている。それを見てコンも気になったのだろう。
「あっちはセルツァー水だな……よし、飲んでみるか」
「ウン!」
コンが目を輝かせて尻尾をゆらゆらと揺らす。
おっちゃんから、もう我慢できないほどいい匂いのした焼けた貝とエビの乗った皿を受け取ると、薄着のお姉さんから冷たい水に漬けられた瓶を2本買って、適当に海が見える縁石に腰かける。
瓶の蓋を明けるとポンという音とシュワシュワと空気に溶け出す炭酸の音が聞こえてきた。
コンはその光景を不思議そうに見つめたまま、両手で開けた瓶の飲み口を近づけて、恐る恐るといった風に口元へと近づけて一気にラッパ飲みをする……
「ッ!?」
一口口に含んでから、目を白黒させると慌てて首を振るう。
「クロウ!コレ!バクハツ!」
「ははは、ま、毒ってわけじゃないって」
顔に飛び散ったセルツァー水を舐めるたびに、ブルブルと首を振るコン。
しかし、段々と甘みが舌に広がってきたのか溶けたような美味しそうな顔をして、舐める様に飲み始める。どうやらお気に召したようだ。
……そういえば、悪役令嬢……ソフィに初めてこれを飲ませてやった時もこんな感じの反応だったっけか。飲んでいるときも面白かったが、何よりも
「ゲプッ!」
コンの胃の中にたまった炭酸が一気に出る。それを見て俺はたまらず噴き出してしまった。
そうそう、これこれ。普段お高く留まっているお嬢様が、人前でゲップなんかして、俺は大笑いしてしまったんだ。そしたら、あいつは顔を真っ赤にして怒鳴り散らしてきて……。
ぷりぷりとした歯ごたえの美味い貝とエビの炭火焼きを頬張りながら、セルツァー水で流し込む。甘辛い醤油が喉の奥で弾けていく……。
「かぁ~!美味いな!」
「うん、オイシー!」
コンが食べて飲み終わるまで、俺はしばらく海を眺めたままぼーっとこれから会うであろう、ソフィアや王国の騎士団連中のことを思い出していた。
みな、元気にしているだろうか。
俺が居なくて、騎士団は上手くいっているのだろうか……。
これから、俺達はどこに向かうんだろうか……。
「クロウ、ゴチソウサマ!」
「ん、美味かったか?」
「ウン!ミンナ、オイシー!タノシーッて!」
……みんな?あー……ゴセンゾサマの事か?あれ以来あってないけども……。
コンについても謎が多いよな。そう言えば、いくら俺の先祖が助けたからってこんなところまで一緒についてきて。
縁石から立ち上がると体中からパキパキと音が鳴っていた。さて、休憩は出来たし、そろそろわがままなお嬢様でも探しに行くとするか……。
そのままご機嫌に海を見ながら歩くコンと一緒に海が見える道沿いを歩くと、この港の冒険者ギルドが見えてきた。
いつもの両開きのドアを開けて冒険者ギルドの中へと入ると、まず目についたのはギルドの壁に飾ってあるデカい魚の骨だった。そして……
「それでな、角ザルが投げる石がなくなったから自分のババを投げてきよってん!?」「ワハハハ!?」
「せかい~が闇に、覆われ~し時~、5人の、勇ましき戦士が~♪」
「……」
酒を片手に大盛り上がりする一行もいれば、カウンターの片隅で静かに昼食をとっている人もいる。2重顎の吟遊詩人は誰に聞かせているのか耳にタコができるくらいに聞いた5大勇者の歌を奏でていて……初めてくる冒険者ギルドってのは入りにくくって仕方ない。しかし、少なくともギルド内は港町全体を包んでいたような陰鬱とした雰囲気はないように感じる。
とりあえず、カウンターに居るおっさんに話でも……「ワアアア!!?」?
突然、どこからか歓声が上がったかと思えば、ドンと俺の目の前で誰かが肘から倒れこむ。
「ぐえ!?」
「く、くそ。なんだよあの女!?ちょっと顔が良いからって……」
「お、おっかねー……」
そういって連れらしい二人の男が、倒れた男の肩を持ってギルドから逃げ去っていくとひと際大きな歓声が沸き起こる……。
「ふん。身の程を弁えなさいよね」
そう言って、クルンと巻かれた巻き髪を手の甲で払うとワーッ!とまた歓声が沸いた。
なんか、今ものすごく聞き覚えのある声がしたような……。
「かっこよかったです!あいつら、言いたい放題言ってて……あ、あの、良かったら僕たちのパーティに入りませんか!?」
「……」
「綺麗なお嬢さん!いっぱいおごるからワイらと飲もうや!」「せやせや!」
「宝石のような瞳、麗しき女―♪」
「ハァ…………ッッ!?」
ゲッ!?
急いで目を逸らしたが、間に合わなかった。
そこに居たのは、美しい金色の髪をシニヨンにまとめ、モミアゲ付近にはお嬢様の証のくるくるドリル!
太ももや大きな胸元が見えている赤のレオタードアーマーに緑のマントを身に着けた鋭い目つきの女騎士風な少女が……ニンマリっと意地の悪そうな笑みを浮かべると俺の方へとツカツカと近寄ってくる……!?
「……ねぇそこのあなた、あたしのこと見てゲッ!?って言ったわね?」
「い、言ってないぞ!?」
「ん~じゃあ、思った?……ねぇ?」
「お、思ってない……ぞ?」
甘えるような声を出しながら、ジリジリとこちらを上目遣いに見ながら近づいてくる……む、胸が見え……。
って、どうして、こいつが居るんだよ!?
来ているのは取り巻きの方なんじゃ!?
「クロウ?このヒト……ダレ?」
「……あら、随分可愛らしいお友達ね」
「ワ・ワ・ワ!?」
……しゃがんで柔らかい笑みを見せるとコンのことをわしゃわしゃと乱暴に撫でる……そして……
「さてと……」
バキィッッ!!?
突然、目の裏が真っ白になるほどの強い衝撃が左頬を襲う!
流れのままに床に尻もちをつくと、懐にしまっていた扇子を突き付けて、俺のことを見下ろす悪役面……!
「ってぇ……」
「クロウッ!?ナ、ナニスルノッ!」
警戒して尻尾と耳を飛び出して威嚇するコンを無視するように俺の顎を持ち上げると、キツイ釣り目を細めて俺の瞳を覗き込む。
「……さて、あたしをほったらかしにした覚悟は出来てるんでしょう?ねぇ……クロウ?」
暴力的なまでの放漫さと美しさを併せもつ、こいつこそが……!
ソフィア・フォン・ダールベルク!
……まさに、この世界の悪役令嬢と呼ぶにふさわしい女である。




