屋敷
「にーちゃ、おきてー」
……起きてる。
おきてるさ……。ちょっと瞼を閉じてるだけで……。
「にーちゃ、おきない……」
「こうすればいいのにゃ!!にゃにゃにゃにゃ~!」
ぐお!ぐえ!?何かが飛び跳ねている!!?
これにはたまらないと、慌てて体を起こすと……。
「にーちゃ、おきた?」「うん!リムのいったとーりにゃ~!」
馬乗りになって暴れていたのは、耳の片方ない猫耳少女・リム。そして、その隣で目を細めているのが盲目のエルフ少女、名前は確か……アリア。
「にーちゃ、おはよー」「おはようにゃ、像の人!」
「……おはよう、アリア、リム」
「朝ご飯ができてるにゃ!早くお家にいくにゃ~!」「にーちゃ、おててつなぐ……」
「ま、まて。ちょっと先に着替えさせてくれ……」
眠い頭のまま二人の小さな手に引かれ、今日も……ブロンシュ達との1日が始まった。
家から屋敷までは徒歩にして3分もかからない。
無理言って、屋敷ではなく昔の家で寝泊りさせてもらっているが……こうも近いとあまり遠ざかった意味はないように思われる。
「にゃ・にゃ・にゃ~♪」「ん~♬」
手をつないだまま腕をちぎれんばかりに振り回すリムに、俺の手を強く握ってぴったりとくっつくアリア。特に目が見えないアリアは俺としては転んだりしないか心配で仕方がないのだが、本人は割と気にせずに歩いている。
「あ、おいしそうな雲!」「くも?」
「おさかにゃみたい!」「わぁ」
「あ、トリがうんちしたにゃ」「あはは~うんち~」
リムは手をつないだまま、目に見えているものを一つ一つ目の見えないアリアに説明している。アリアは、その様子を想像して楽しいのか、さっきよりも強く俺の手を握ってぐいぐいと引っ張っている……。
正直、滅茶苦茶に可愛らしい。
なんというか、最近疲れることが多かったから、こういった日常の一コマみたいなのは癒される……。
「今日の朝ご飯はなんだろにゃ~♪」「にゃ~♪」
そう言って、手をつないだまま跳ねるリム。
「なんだろにゃ~♪」「にゃ~♪」
合いの手を入れるアリア。
即興で思いついたのか、いつも歌っているのかはわからないが……何となく音程が不安定な気がする。
そうこうしている間に、俺の像が佇む屋敷が見えてきた……。あの像だけでも、俺が居る間に絶対に撤去させよう。
「クロウ!そっち行ったぞ!!」
「おう!」
所変わって、牧場のど真ん中だった。
「ガルルッ!!」
こちらに走ってきたアイウルフをスパンと切り裂くと周りの状況を確認する……。どうやら今のが最後の一匹だったらしい。剣を収めるとパタパタと太った依頼主のおっさんがこちらへと走ってくる……。
「いやー助かったわ兄ちゃんたち~。えらい強いねんな~!」
「おう、ま、これくらい朝飯前だぜ」
「もうお昼や」
あっはっはと笑うジルヴィとおっちゃん。
今のギャグ、そんな面白かったか?
その後、アイウルフの群れの討伐報酬を受け取って上乗せで取れたての牛乳が入った瓶をおまけしてもらうと、俺たちは丘の上にある牧場を後にした。
「へへ……腕が鈍ってないみたいで、安心したぜ」
「そりゃそうだろ。ずっと騎士団に居たんだし」
「それそれ。クロウみたいなやつでも騎士になれんのな」
「お前な……」
「へへへ」
ひょいと、ジルヴィがちょうどいい岩の上に腰かけた。そして、目で俺にも座れと促してくるので、冷たい岩に腰かける。
カイサの街が眼前に広がっていて、気持ちのいい風が吹きぬける……。
「お前さ、やっぱり冒険者の方が向いてるよ」
「……なんだよ、急に」
「ブロンシュは反対するかもしれないけど、また昔みたいにさ。ダンジョンに入ろうぜ?今のオレ達なら、昔よりももっと奥に潜れる」
ジルヴィがポンと、牛乳瓶の蓋を開けると腰に手を当てごくごくと豪快に牛乳を飲み始める。
ダンジョンか。
入るたびにその形を変えるという不思議なダンジョン。一体どういった原理で出来ているのかはわからないが、その内部は魔物たちの巣になっており、奥へ進むほどその強さは跳ね上がっていく。未だに一番奥地まで行けた冒険者は居ないと言われているほどだ。
それでも人々がダンジョンを潜るのは、比例するようにダンジョンが生み出した宝箱のアイテムや魔物の討伐報酬なども豪華になっていくからだ……。まぁ、もちろんその分命の危険が跳ね上がるわけで、どんな手練れでも運が悪ければぽっくり逝くことも珍しくない。それがダンジョンである。
俺も、牛乳瓶の蓋を開けると早速瓶に口をつける……。少し牛くさいが濃厚で、良い味が出ている。牛乳って、コップで飲むより、ビンで飲んだ方が美味い気がするから不思議だ。
「悪いけど、俺は冒険者になるつもりはない。騎士の仕事だって気に入ってるしな」
「でもクビになったんだろ?つまり、遊び人だ」
手で平べったいものを弄りながら目を細めるジルヴィ。ってそのカード!?
間違いない、俺が懐に入れていた職業カードだ!こいつ、いつの間に!
しかし、俺が返せという前に、ジルヴィはひょいとカードを投げてよこした。そして、口の端を釣り上げてニヤニヤと笑う。
「少なくとも、職業カードはお前のこと、冒険者だって記録してるみたいだけど?」
「なに!?」
カードを覗き見ると、確かにそこには職業欄から遊び人の文字が消え、代わりに『冒険者』と印字されている……。道理で、最近戦闘中に遊ぶ気が起きなかったわけだ。遊び人を脱却できたのは喜ぶべきことだったが、冒険者になるというのは……正直複雑だ。
「なぁ、騎士ってのは、冒険者よりもワクワクすんのか?」
「ん?なんだよ、興味あるのか」
「……で、どうなんだ?」
「そうだな。ま、ワクワクするようなことはないかな。平和だと、酔っ払いの相手とか、公共事業の手伝いとか、事務処理とか……」
「うえ、聞いてるだけで頭が痛くなってくるわ!ははは!」
男みたいに膝を叩いて笑うジルヴィ。確かに面白い仕事なんてのはほとんどないかもしれない。けれど、その代わり安定性は抜群だ。
「誰も見たことないような鉱石を見つけてさ、つえー武器を作るんだよ。そんで、誰も見たことない場所に行って、一番奥で宝を守ってるドラゴンを倒してそらとぶ絨毯を見つけてさ……」
「おい、それって……」
「オレは、あの頃のお前のが心の底から楽しそうに思えたけどな」
遠くを見つめたまま、ぐいっと瓶の中身を飲み干すジルヴィ……。
楽しそうだった、か。まぁ、確かにジルヴィたちと一緒にクエストをこなしたり、ダンジョンを攻略する日々は苦労も多かったけれど楽しかった…………楽しかったが……。
ぐいっと牛乳を飲み干すと、喉の奥をさわやかな甘みが通り抜けていった。
「おいおい、牛乳ついてるぜ?」
ジルヴィが俺の口についた牛乳を指先で拭うとぺろりと舐めてニッと微笑む。大胆なジルヴィの行動に面食らっていると、向こうも自分が何をしたのか気が付いたらしい、徐々に顔が面白いことになっていく……。
「こ、こっちみんなボケ!」
渾身の照れ隠しブローが飛んできたので慌てて躱す!殺す気か!?
---------------------------------------------------
ジルヴィ・マルールはピタリと足を止めた。
……来たか。
「先行っててくれ」
「ん?良いけど、何か用事か?」
クロウの間抜け面がこちらを向く。
気が付いているかと思ったけれど……やっぱり、殺気がないとこういうことはまだオレの方が敏感らしい。
「まぁ、ちょっとな。庭の奴らと遊んでてくれ」
「あぁ……」
オレのことをもう一度見た後に、素直に庭の方へと駆けていくクロウ。ちょうどリムやアリアも遊んでいるし、しばらくはこっちに来ることはないだろう。
クロウが居なくなったのを見届けてから、後ろに振り返ると物陰に向かって声をかける。
「……でだ、お早いお迎えだな?勇者様」
物陰から現れたのは、あの時、地下水道に居た勇者と魔法使いの二人組……。どうやら、あのエルフの射手はここには居ないらしい。もともと仲間じゃなかったのか?まぁ、良い。
「こんにちは!……あの、ボクたちの仲間のクロウを迎えに来たんだけど……ここに居るかな?」
「ああ、あいつなら確かにここに居る。にしても、よくここが分かったな?」
「ええ、私たち、探し物は得意なの」
魔法使いの手元が光り、矢印のようになってクロウの居る場所を指している。
……変な魔法で追跡してんのか。特定の人物を追跡するなんて魔法、聞いたことないが……まぁ、いいさ。来ちまったもんはしょうがない
「そこから数歩歩いてこっちに来て……覗いてみな」
そういうと、勇者たちは警戒したまま、しかし、素直に歩みを進める。隙は……無いか。やっぱり、あいつの仲間を名乗るだけはある。
オレの立つ位置からはちょうど庭で鬼ごっこをしているクロウの姿が目に映る。どうやら、次々と現れるオリジナルのタッチ無効ルールにてこずっているようだ。しかし、その顔は振り回されながらもどこか楽しそうで……オレも緩んだ顔を引き締めると改めて勇者たちに対峙する。
「わかっただろ?あいつの居場所はここにあるんだ。……だからさ、ここまで来てもらって悪いんだけど帰ってくんね?」
「拉致同然に仲間が連れていかれて、はいそうですかと帰れるわけないじゃない」
「あいつはオレたちの「家族」なんだ。あんたたちには関係ない」
「……ボクたちクロウとお話がしたいんだけど、ダメかな?」
「あぁ、言うことがあるならオレが伝えといてやるよ。だから、アンタたちは回れ右して、大人しく帰ってくれ」
「きちんと言わないとダメかしら?私たちは、直接、クロウと話がしたいのよ」
「……」
ピリっと空気が震える。勇者と魔法使いの纏っている雰囲気が変わった……!?
「……ねぇ、クロウと話すのに?君の許可が居るのかな?」
「……当たり前だろ」
愛用のタガーに手を掛け二人の様子を眺め見るが……オレ一人では厳しい相手かもしれない。特に、勇者と名乗るあいつは……それ相応の実力がある!
でもオレだって負けるわけにはいかない!
「ボクたちは戦いに来たんじゃないよ?ただ、仲間を、クロウを返してさえくれれば……」
「それが無理だって言ってんだよ……ここじゃなんだ、場所を……」
魔法使いが魔導書に光を込める!クソ!喧嘩っぱやいや……「何やっとるんやジルヴィ!」!
「ブロンシュ!?」
「ジルヴィ!あかんやろ、お客さんにそんな物騒なもん向けたら」
そういうと、ウチの仲間がごめんな~とあいつらに向かって謝罪するブロンシュ……。魔法使いも矛先を収めてくれたみたいだが……ブロンシュの奴、どういうつもりだ?
流石に、これだけの騒ぎだ。クロウの奴も気が付いたのか、アリアと手を握って不思議そうにこっちを見ている。
馬鹿野郎……誰のためにこんな……。