迷いの森
ツーンと鼻につく刺激臭で目を覚ました。
確か……魔物に襲われて……
気が付くと、そこは見知らぬ場所であった。
先ほどから匂ってくる薬草の匂いに……"人間たち"の話し声。
逃げなければ!と思ったのだが身体が思うようには動かない。
人間は危険だ。
金狐である自分の毛皮欲しさに、幾度となく強欲なものどもに襲われている。
襖がゆっくりと開く。
入ってきたその相手の喉元をいつでも噛みつけるようにと腰を落としていると、入ってきた人間は柔らかな笑みを浮かべて安堵する。
「良かった。気が付いたんだね」
眼鏡をかけ、薬箱を持ち、黒い髪を持ったその青年からは今まで人間から感じていた敵意などが微塵も感じられなかった。優しく、傷ついた身体を撫でると、包帯を変えながら可哀想にと言って傷の手当てをしてくれた……。
幾星霜と経とうとも、その者の顔が朧気になろうとも、その暖かな微笑みだけは、妾心の奥に深く、深くと刻まれ続けている。
絶対にパーティを抜けてやる!! ~幼馴染の女勇者パーティから抜けられなくなった件~
「さぁ、遠慮はいらぬぞ。なんでもオンガエシしてやろう?」
「み、蜜月にオンガエシって……」
!?
いつのまにか尻尾の上に押し倒されると、ぐいんぐいんと馬乗りになって腰を動かす狐耳の女性。おま、ちょ、それヤバ……!?
抜け出そうとしたが、魔法か何かを使われているのか、金縛りにあったかのように指一本動かせそうにない!?
「オンガエシはオンガエシじゃ。安産祈願に子孫繁栄……なんでも良いぞ?」
ど、どれもそっち系に聞こえるんですけど!?
今度は倒れ込むように豊満な胸をぐぐっと押し付けると、耳元を吹くようにそう囁く。な、なんだ、こいつ、本当にコンなのか!?
妖艶な雰囲気も、脳をしびれさせるような甘美な香りも、まるで別人!
「な、な、何やってるのさ!!」
「おっと?」
ぐぐっとアルフィが狐娘を引き離すと、ようやく俺にも体の自由が戻ってくる。ちょっと残念なような気もするが……。
「驚いたのう!この空間でも自由に動ける者がいるとは」
「……ふぅ、確かに恐ろしく濃い魔素ね、並大抵の人間だったら分解しきれずに気絶してしまってもおかしくないわ」
「ほぉ!この時代に"魔素分解"について知っておるものがおるとはのう。2度目の驚きじゃ!」
「お、お前は一体……」
「ふむ?そうじゃな、そういう雰囲気でもなくなってしもうたし……少し古臭い話の一つでも聞かせてやるとするかの」
うおっ!?
今度は俺のすぐ隣に現れたかと思えば、頭を軽く持ち上げて膝枕される形となる!
な、なんだこれは!?す、凄まじい双丘が額の上に……!
俺の動揺をよそに、狐娘は何事もなかったかのように話を始めた。
御伽話を聞かせる母親のような優しい声で彼女は語った。
その昔、魔物に襲われ瀕死になっていたところを一人の青年に助けられたことを。
そして匿われるようにして傷を癒してもらった彼女は、その受けた恩義を返そうと彼の家を訪れた時。いつの間にか青年は既に旅に出ており……その足跡をなぞるように、彼女は何年、何十年、何百年という時の間青年のことを探し続けていたのだという。
すでに天寿を全うし、この世を去った、その青年を。
「人間とは儚い生き物よなぁ……」
俺の頭を撫で続けているゴセンゾサマ。膝枕の姿勢で、身体はそのもふもふの4本の尻尾で包まれている。柔らかくて、ふわふわしていて、大変気持ちが良く、ぶっちゃけ話はほとんど頭に入って来なかった……。
しかし、アルフィはその話を聞いてダラダラと涙を流してずっと嗚咽を漏らしている。フロレンティーナも、少し鼻を啜っている。
「どうにかして、恩を返したかった妾は一つの可能性に行きついたのだ。そう、もうあの人はこの世を去っておろうが、もしかしたら、その子孫ならばと!」
「……それがクロウ?」
「うむ」
皆の視線が突然俺へと集中する。
「……何さ、ずっと鼻の下伸ばして……ちゃんお話きいてたの?」
「の、伸ばしてないって!」
「なんじゃ、ヤキモチか?仕方がないのう」
「わわっ!」
すぐ目の前にアルフィの顔がやってくると、アルフィもモフモフの尻尾に包まれて徐々に顔がトロトロに蕩けていく。
「く、クロウ!これ、すごっく……あったかくて気持ちいいよ……」
「あぁ、これは駄目になる……」
「むふふ、そうじゃろそうじゃろ?童たちにも大層人気でな……どうじゃ、そなたも?」
「いいえ、遠慮しておくわ。それで話はわかったわ。あなたはそこで間抜けでスケベな顔をしているクロウ・クライネルトに代わりに恩返しをしに来た。そういう話よね」
し、してないってだから!てか、身体が動かないんだからしょうがないだろ!
いや、本気出せば抜け出せそうだが、わざわざ抜け出すのはもったいな……面倒だったのだ。
「うむ!そうじゃ。受けた恩を返す。子孫を探すにあたって使っていた分身体……コンめも随分と世話になったようじゃし、今度は妾が恩をお返しする番じゃ!それが妾の宿願じゃからの!」
「なら、その恩とやらを返して帰ったら良いんじゃないかしら。私たちは大切な使命を帯びた旅の途中なのだけれど?」
うお。なんか、怖いぞフロレンティーナ。そんな言い方ないんじゃないか。こんなにフカフカのもふもふした良い奴なのに。
「……二人とも。このまま彼女のペースに惑わされては駄目よ。こんな強力な"固有結界"を作り出すなんて彼女……並みの"金狐"ではないわ。それに、古来より金狐は人を化かすと言われているわ。ここは迷いの森。もしかしたら、彼女は……」
敵、かもしれない。
そういうことなのか?
フロレンティーナがそのルビー色の瞳で油断なくコンだったのじゃろり狐を睨みつける。
しかし、相手の方はと言うと口元を緩めて大笑いをし始める。
「はっはっは!お主たちの敵じゃと?そんなわけあるまい!」
「妾がその気なら、その頭、既に三つとも胴から外れておるわ」
ブワリ!と凄まじい威圧感だった。
咄嗟に身体を跳ねのけて、剣に手を掛ける。同じように寝ていたアルフィも同様だ。
そ、底が見えない……!
先ほどまでの彼女とはまるで別人である。尻尾は揺らめき細められた瞳から覗かせる眼光はまるで蛇のように鋭い。
それに、俺はともかく、二人の様子がおかしい。
あのアルフィが、影が地面に縫い付けられたかのように体が動かず、手をプルプルとさせるばかりで、ブルー・デュランダルの柄に手さえかけられていない。同じくフロレンティーナも冷や汗をかきながら、浅い呼吸を繰り返している。
俺は、こんな"化け物"の膝元に頭を……!!?
「や、やめ……!」
パン!と、彼女が手を叩くと、次の瞬間にはガクガクとアルフィたちが膝を着いた。
胸を抑えながら酸素を取り込もうと過呼吸気味になっている。
「ハッハッハ!すまぬすまぬ、恩人様の前であのような疑いを受けて妾としたことがちとカ~ッとなってしもうた。普段ならこんなことはせぬのじゃが、恩人様じゃからの」
……友好的な笑顔をいっぱいに浮かべる彼女は本当に敵ではないように見える。
だが、その本性はあまりにも恐ろしい!
「わ、わかった。それなら恩を返してもらおうかな」
それでさっさと帰ってもらおう。でないと、アルフィ達が何をされるか。
俺がそう言うと、のじゃ狐様は一瞬面食らっていたが、すぐに興奮した様子で鼻息を荒くして身を乗り出して顔を輝かせる。
「お!?お~っ!!!そうかそうかッ!!うむ!うむ、うむ、うむッ!つ、遂にこの時がやって来たのじゃな!
あ、あの方の子孫……クロウ・クライネルト。そちの願いはなんじゃ!!なんでも叶えてやるぞ?金か、力か、名声か?」
「え?えっと……」
参ったぞ。恩返しをしてもらおうとは思っていたが、まさか選択式だったとは。急に、そんなこと言われても……頭を掻いてう~んと唸る。
なんでも願いが叶うならか……誰もが一度は考えたことだろう。魔法のランプだの、青いたぬきのロボットだの。まぁ、俺はひねくれてたから、願いを無限にしてほしいとか、願いをかなえる力がほしいとか……そんな回答ばっかりだった気がする。
「ほれほれ、早く言ってみい!」
「その、叶えられる望みって一つだけなのか?」
「ん?いやいや、特に決めとらん!難しくなければたくさんでも良いし、難しければ一つが限界じゃろうなぁ。でも、何でもしてやるぞ!ナンデモじゃ!」
のじゃ狐ゴセンゾサマは期待に満ちた顔をしながら俺の方を見て、大きな胸を持ち上げながら尻尾を揺らしてそんな曖昧な言葉で返事をした。
「えーっと……アルはなんかあるか?」
ずこっと、ゴセンゾサマがずっこける。
「わ、妾はお主の願いしか叶えぬぞ!」
「参考。参考にするんだ」
ちょっとは回復した様子のアルフィが困ったように俺を見る。なんでもいい、とりあえず良い感じの音が言ってないだろうか?
「えっと、ボク?うーん、願いならいっぱいあるよ。けどね……」
チラッと俺とフロレンティーナを見た後、鼻を擦って「別に良いんだ!」っと少年みたいに笑った。なんだよ、その意味深なのは。
「ティナはどうだ?」
「私も良いわ。そもそも、この金狐はあなたに恩返しをしたいのだから」
まぁそれはそうなんだが結局なんの参考にもならなかった。
願い、願い、願い……?
願い!!
あ、あるじゃないか!俺にも!とんでもなくデカい願いが!
俺は、ゴセンゾサマのぴくぴく動く狐耳に手を覆ってこっそりと声を出す。
するとその言葉を聞いて、ゴセンゾサマはえらく驚いていたが、すぐにニヤリと笑みを浮かべる。
そう、俺の今の願いと言えば……!
「コッチ!コッチ!」
前を指さして笑顔で道案内をしてくれるコン。先っぽの黒い金色の耳と尻尾がゆらゆらと揺れる。
さっきのお婆ちゃん口調のゴセンゾサマはどうやら長いことコンに憑依できないらしい。あの後俺の願いを聞くと直ぐにまたコンの状態に戻ってしまった。……にしても
「……なぁ、アルフィ。こっちで良いのか?さっき、俺たちが歩いて向かってたのとほぼ90度違う方角に進んでるみたいなんだが……」
「どうなんだろう。でも、間違ってるとは思わないよ」
じゃあ、合ってるのか?なんだか、木々は一層深くなってくるし魔物の数も極端に減ってきているし、嫌な予感しかしないんだが……。ちゃんと俺の願いは聞き入れてもらえたのだろうか?
「それよりもさクロウ。一体何をお願いしたの?」
「ん?あ~それは」
「うぅ、マモノ!クロウ!」
「おう」
タイミングよくコンが指さしたキノコに向かって切りかかると、断末魔も上げずにキノコは黒いもやと一緒に消えていった……ん?どさっと、キノコを倒した後に「ぼろい服」が落ちた。なんだ、これ。
よく見ると、周りにも似たような服付きのキノコがあるし、不思議と美味そうな匂いが……。
「あ!!……これはアルビトキノコっていう魔物だよ!美味しそうな匂いで人に「自分」を食べさせて、もしもそれを食べちゃうと、徐々に食べた人もアルビトキノコになっちゃうんだ」
「寄生型の魔物ね……本では見たことが有るけれど」
『……この服……見おぼえがあるのう。こやつらは、コンのことを追いかけまわしていた人間の一人じゃな。中々追ってこぬと思ったら……クク、欲に取りつかれた報いじゃな』
どこからかのじゃ狐様の悪そうな声が聞こえてきた。なるほど、金目当てでこんなところまではいってきたのだ、昨日フロレンティーナが予想が当たっていたか。
でも、その死にざまはあまりにも気の毒だったので、俺たちは服を土に埋めると、何も言わずに手を合わせてその場を離れたのだった。
「なぁ、コン。あとどれくらいで出られるんだ?」
「モウすぐ!チカイ!」
「……森が道を隠そうとしてるみたいだわ」
「……うん。なんだろう、こっちのほうに行くとすっごくドキドキしてくる」
鬱陶しいくらいに生えている長い雑草や絡んだ蔦を切りわけ3人の道を作りながら進む。さっきから草を斬ると変な水分が剣に付着し、前に進むごとに足元がどろどろとした土に変わっている。おまけに小さな変な虫が飛んでて耳に入りそうになるし、うぅむ、嫌な感じだ。フロレンティーナは平気だろうか?こんな道……
「ん?」
何だここ。
古びた、遺跡のような場所に出た。石は朽ち果て、壁は崩壊してしまっているが……。
ぬかるんだ土からこわれた石畳に地面が変わる……なんだろうなぁ、こういうの……どっかで見たことあるような……。
「なんだか不思議なところだねぇ。神秘的っていうか。変わった空気だね」
「ここって……!!」
「コッチ!!」
「あ、おい!」
トコトコと走り出したコンを追う。誰かが住んでいるという気配はない。それどころか、魔物すらいる気配がない。確かに神秘的だが、どこか不気味さを覚える雰囲気が漂っている。
「ツイタ!ツイタ!」
……魔法陣の書かれた祭壇のような場所にやってきて飛び跳ねているコン。これは……まさか……?
「これって"転移陣"!?」
「知ってるの?ティーナ」
「えぇ、通常2対の魔法陣になっていて、乗るとたちまちもう片方の転移陣に転移できると言われているわ。でも、転移陣に関する知識は失われ、魔導書でもその存在については確かなことは書かれていないのだけれど……こんなところでお目にかかれるなんて……」
珍しくやや興奮したように言うフロレンティーナ。
俺もこの世界でこういう魔法があればあんな面倒くさい行軍しなくていいのにと、騎士団時代に何度も考えていた。でも、こういうタイプの特殊な魔法陣ってのは、本当限られた天才しか取得できないらしい。今も、目の前にぼぉっと光を放つそれが、どういう構成で、どんな魔術方式なのかさっぱりわからなかった。自分で使う魔法は割と直感でなんとかなるのだがこの手のは複雑すぎて俺には無理だ。
しかし、なるほど。そう来たか。
俺は顔がニヤつくのが抑えられない。
俺の願い。パーティを抜けて家に帰ること!確かに、この転移陣があれば家に帰るなんてのは一瞬のこと。アルフィ達もついて来てしまうのがネックだが……一度帰ってしまえばこっちのものだ。二人を説得して何とか元の暮らしに戻ってやる。
「あ、わかった!これで大都市まで一気に転移するんだね?クロウ!」
「え?あ~」
「ダイトシ?」
小首をかしげるコン。あ、馬鹿!言うな!?
『何を言っているのじゃ。この先は、クロウ・クライネルトの望み通りの場所につながっておる……そう、つまりは魔王城じゃ!』
…………はぁ!!?