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思い出は残された人のもの。

お盆も終わり、帰ってきてた人たちを見送る。


「亡くなった人を忘れないで」という意味の言葉は、色々な場所で聞く。

戦争にまつわる日が多い、8月。別に身近でもない人の死だけど、よくテレビなんかで言われている。

でも、これだとちょっと意味が違うか。

なら、友達の葬式の席で、その親が「たまには思い出してやってください」は?

この言葉は常套句だ。


「忘れてないよ」と示すために、

お盆になったらお供えをする。

命日になったらお供えをする。


でも、そんなことをしなくても、たいていは覚えている。

自分の人生に関わってきた人のことは、そうそう忘れるものでもない。


でも、亡くなっていった人たちを全部覚えていたら、そのうち頭のメモリーは死人ばかりになってしまわないのだろうか。

生きていくためには、目の前にあることのために、生きている人や日常のことにメモリーを費やすべきなのではなかろうか。


そう、時折思う。

一方で、そんなことを思う自分を不謹慎だと思う。

亡くなったけど、私にとって大事だった人たちを悪いもののようにいうようで、ものすごく嫌だと思う。


でも、そんな罪悪感に縛られる必要があるんだろうか。


漫画家のいくえみ綾さんの「清く柔く」の最後を思い出す。

死んだ幼馴染の恋心に答えられなかった主人公が、罪悪感でがんじがらめになっているとき、もう一人がこういう。

「あいつは、あんたをがんじがらめにして苦しめるようなやつだったのか、ちゃんと思い出してやれよ。そうじゃなきゃかわいそうだ」と。


その通りだと思った。

でも、自分が死んだ人間だったら、そんなきれいじゃないかもしれないと思った。

苦しみながら死んでいったとしたら、自分を助けてくれなかった人に対して、お前も苦しめと思ってしまうかもしれない。

そう思うと、この言葉も、亡くなった大事な人を美化して、過去のことをはすべてよかったものとして、今の状況を、今の自分を肯定しているだけに過ぎないのではないかと思った。


結局、生きている自分が亡くなった人を

覚えていても、

忘れていても、

美化しても、

貶しても、


どれも、すべて生きている自分の心を落ち着かせて、目の前の生活を滞りなく行わせるため。



そうして、私はたどり着く。


どんなに私が亡くなった人たちのことで思い煩おうとも、

もはや、その人たちにかかわることは微塵もなく、

一片の影響も与えられないほどに、


隔離されてしまったという現実に。








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