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白銀物語 ‐the Journey to Search for Old Friends‐  作者: 埋群のどか
第1章:エルフの隠れ郷・シドラ
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第47話

 クロエが声にならない声を上げた。額のあたり、そこに強烈な熱さを感じたのだ。それが痛みであると理解するまでに少しの時間がかかったが、クロエは地面に落ちた血の雫を見て少女が投げたのが石のような硬い何かであることを悟った。


「こ、こら! 何をするんだ!」


 側にいた森精族(エルフ)の男性がしゃがみ込み、森精族(エルフ)の少女に注意をした。しかしその注意はクロエに傷を負わせたことではなく、危ないことをした少女を気遣ったものだった。

 少女は男性の言葉に少し怯みかけたものの、その瞳に強い意志を宿し人垣から一歩前に出ると、クロエを真正面に捉え毅然とした態度で睨みつけた。


「……裏切り者! どうしてお父さんを殺したの⁉︎ お友達だと思っていたのに! 返してよ! お父さんを返してよ!」

「……ッ!」


 静まり返った広場に冷たい風が吹き込んだ。曇天の空は森を押しつぶすかのように広がっている。クロエは静寂に包まれた広場において、跳ね上がった自らの心拍の音をうるさく感じていた。まるで身体から心臓が飛び出したかのようだ。

 少女は重苦しい緊張に包まれた広場において、罵倒を続けるでもなくただ静かに涙を流していた。その涙の雫が一つ、また一つと落ちるたびにクロエの心にヒビが入っていく。自らが犯した過ち。その大きすぎる傷をまざまざと目の前で見せつけられる苦行に耐えられるほど、クロエの心は強くなかった。


「――何事ですか。」


 緊張を打ち破ったのは、広場に面する自宅から現れた大長老、サーシャ・エルゼアリスだった。サーシャは周囲をぐるりと見渡すと、泣きじゃくる少女を優しく抱き上げて人垣の一角へ歩いた。そして憔悴した様子の森精族(エルフ)の女性に少女を渡すと、その耳元で二言三言何かを呟いた。

 女性は疲れ切った目元に涙を浮かべると、少女を抱きかかえたまま深く頭を下げそのまま人垣から姿を消した。サーシャはその後ろ姿をしばらく眺め続けていたが、くるりと振り返ると跪くクロエの前まで歩み寄った。

 クロエはサーシャを見上げた。しかし、自らを見下ろすその視線の冷たさに思わず視線を逸らしてしまう。そんなクロエに興味もないのか、サーシャは淡々と伝えるべきことだけを伝え始めた。


「この国には司法機関はありません。私と各長老で罪状を話し合い伝えるだけです。クロエ、あなたに罪状を下します。」


 風が止まった。人垣の視線がサーシャの口元に集中する。クロエは相変わらず視線を下の方に逸らしたままだった。


「あなたに国外追放と、無期限の再入国禁止を命じます。その魔力封じの枷を付け、何処へなりと自由に行き、勝手に野垂死になさい。」


 人垣とその中心のクロエに動揺が走った。しかしその同様の内容はお互いに異なっていた。

 クロエが動揺したのはその罪の軽さ故だった。自らに下される罪状は死刑以外はないと半ば覚悟を決めていたクロエだったが、下された罪状はクロエの基準から見れば軽いものだったからだ。クロエは内心で、少しだけ胸をなでおろしていた

 拍子抜けしたような、若干呆気に取られたような表情のクロエを見たサーシャがとある事実を告げるまでは。


「何か勘違いしているようですが、この罪は我が国で一番重い罪です。国の外に広がるのは魔境とも呼ばれるこの大陸最大の樹海。そこには数多くの獣物(ケモノ)や危険な動植物、果てには魔物が存在しています。」


 クロエの表情が少し青ざめ始めた。


「それだけではありません。我々森精族(エルフ)でさえも何の装備や準備なしにこの樹海を単独で抜けるというのは並大抵のことではありません。森に慣れていないあなたが、魔法を封じられたあなたが、たった一人でこの森を生き抜くのは不可能に等しいのですよ。」


 クロエはここまで来てようやく悟った。このシドラにおける国外追放・再入国禁止とは実質の死刑と同義だったのだ。クロエは自らの浅はかさを呪った。

 クロエを取り囲む人垣が動揺したのは決して罪の軽さ故ではなかったのだ。人垣の中には此度の事件の詳細を知る者も少なからずいた。クロエが自らの意思でこの惨状を生み出したのではないということだ。

 それを知るものの心情としては、無罪とまではいかずとも斯様な少女に死刑と同義の罪を下すのはどうなのかという良心のせめぎ合いが生まれたのだった。

 すっかり青ざめたクロエの表情を見て、周囲の人垣の喧騒が一段と大きくなった。ここまで来ればクロエの耳にもその内容が届く。その罪は妥当だ、いやもっと苦しめてやらないと気が済まない。待てあんな少女に対して残酷すぎだろう。どちらでも良い、二度と関わりたくない。


「皆の者、静粛に。」


 針の(むしろ)に押し付けられたような時間が流れる中、不意にサーシャが口を開いた。決して大きくはない声だったが、サーシャの近くの者からその口をつぐみ、その沈黙はその場の全員に伝播した。

 サーシャは場に静けさが満ちたのを確認すると、真正面からクロエを見下ろした。


「これより罪人を国の外へ運びます。クロエ、何か言い残すことは?」


 サーシャの呼びかけにクロエは何も答えられなかった。たとえ謝罪を口にしたとしても、自らの罪の重さが変わるわけでもない。クロエは今すぐこの場から消えて無くなりたかった。

 何も言わないクロエの様子から言い残すことはないと判断したサーシャは、自らのそばに控えていた闇森族(ダークエルフ)数人にクロエの護送を命じた。闇森族(ダークエルフ)たちは頷きで返事をすると、地面に垂れていた鎖を持ち上げ心持ち優しく引っ張った。

 クロエは抵抗することなく立ち上がり、弱々しい足取りで歩き始めた。周囲の人垣はまるで預言者が海を割ったかのように道を開けていく。

 クロエは再び国の中を歩いた。先ほどの場所へ行くまでに浴びた疎外感を一身に浴びながら、時折聞こえる自らへの言葉に心を苛まれながら。

 何よりも辛いのは言葉を投げかけられることではない。クロエが親しかった者であればあるほど、辛い言葉をかけるのではなく目を逸らし無視をすることだった。つい先日まで親しく会話していた顔見知りから気まずそうに目を逸らされる。まるで自らが世界に存在することを否定されたような辛さがあった。

 歩くこと一時間弱。クロエはシドラの端に到着していた。破損の跡の見える大きな木製の扉がゆっくりと開かれた。

 クロエの目の前に広がった光景は人の手が一切入っていない原生林であった。これまで何度か外に出たことはあっても、周囲には仲間がいた。魔法が使えていた。戦う(すべ)があった。しかし今やそれら全てが存在しない。


「さぁ行け。そして二度と姿を見せるな。……互いのためにもな。」


 悲しそうな光をその瞳に宿した闇森族(ダークエルフ)が、クロエの手枷を外し毅然とした口調で門の外へ突き出した。押された反動でクロエはよろめきながら門の外へ出る。背後を振り返ると、門を塞ぐように闇森族(ダークエルフ)数人が門をガッチリと塞いでいた。戻ることは許されない。


「ぁ……、……。」


 クロエは何かを言おうと口を開きかけたが、視線を下に落とし口を閉じた。シドラに背を向けると、細く華奢な足を森へ向けて進ませた。


「……おい。」

「え?」


 不意に背後から声をかけられ、クロエは恐る恐る振り返った。その視線の先には相変わらず門を塞ぐ闇森族(ダークエルフ)がいたが、いつの間にかそのうちの一人の手にはやや大きめの皮袋が握られていた。

 皮袋を手に持った闇森族(ダークエルフ)はその皮袋をぞんざいにクロエの隣へ放り投げた。クロエは驚いてそれを見つめる。すると、皮袋を投げ捨てた闇森族(ダークエルフ)たちが突然喋り始めた。


「あ! しまった、支給品の入った皮袋を失くしちまった!」

「何だって? あの中には数日分の食糧と回復薬(ポーション)が入っているんだろ? 大変じゃないか。」

「まぁ、失くしてしまった物は仕方がない。俺らにはどうしようもないよ。」


 彼らの棒読みの台詞とチラチラと視線を向ける挙動から、クロエは彼らが何をしたいのか悟った。腰を屈めると皮袋を手に取る。

 クロエは礼を言おうとしたが、彼らが何の為に下手な芝居を打ったのかを考えた。黙ったまま大きく頭を下げると、皮袋を胸に森の方へ駆けて行った。

 木々が乱立する暗い森を歩く。すでにシドラの国は見えなくなっていた。ちらりと後ろを振り返ったクロエだったが、もう一人ではシドラに戻ることはできないだろう。地理的にも、心理的にも。

 視線を正面に戻すと、クロエはまた力なく歩き始めた。日が傾き始めた森はすでに薄暗く、ところどころから聞こえる鳥とも獣物(ケモノ)とも分からない声が聞こえてくる。

 今回の事件で森の危険な生物が減っていたのか、今のところクロエは無事で歩いていた。しかし、日の光は確実に減っており、視界は徐々に暗く悪いものになっている。世界がぼんやりと潤み、曖昧になっていた。


「……え、あれ?」


 クロエはとあることに気がついた。視界が悪くなっていたのは暗さだけが原因ではなかった。世界が潤んだのは、瞳に溜まる涙のせいだったのだ。

 自身の涙に気がついたクロエは、あわてて手の甲で目元を乱暴に拭った。しかし涙は拭う側から瞳に溜まっていった。拭いきれなかった涙の粒が頬を伝い、地面に吸い込まれていく。


「ヒック……、グスッ……! 嫌だ……、一人ぼっちは嫌だよ……!」


 静かな森の中に、しゃくりをあげる声だけが響いた。おぼつかない足取りで歩くクロエは時折木の根に躓きバランスを崩す。危なげな足取りで何とかバランスを取ると、再び足取り重く歩き出した。まるで止まると死ぬかと言わんばかりに。

 暫く歩くうちに、いつの間にか涙は収まっていた。しかし気持ちは先ほどよりも深く沈み込んでいる。足取りはさらに重く、目元はすっかり赤くなっていた。木々の隙間から見える空もまた、燃えるように染まっている。

 当てもなく歩いていたクロエだったが、いつの間にか開けた場所に辿り着いていた。下ばかり見て歩いていたので気がつかなかったが、その視線を上げて前を見るとそこにあったのは湖だった。


「あ……、ここ……。」


 クロエが小さく声を上げた。目の前の小さな湖は、クロエがサラたちと国外に出た際によく拠点にしていた場所だったのだ。無意識ながら身体が道を覚えていたのだろうか、湖に映える赤と木々の緑が目に眩しい。

 湖の水際に近づく。風にそよぐ湖面の水鏡が、空の赤とクロエの姿をぼんやりと写していた。しかし、そこに写る表情はぼんやりとした鏡像であっても暗いものであるとよくわかった。


「(ハハ……、酷い顔。まぁでも、仕方ないか……。)」


 自嘲気味な笑みが自然と浮かんできた。クロエはその場に腰を下ろすと、地面をじっと見つめる。その瞳は何を見つめるでもなくボンヤリと景色を映していた。思い描くのは懐かしい思い出だった。


「(ここで……、何回かキャンプをしたな。確か一番最近は、サラさんとミーナさんと、あとシーラと一緒だったっけ。あの時食べた魚のハーブ焼き、もう一度食べたいな……。)」


 口の中に味が広がったような気がした。記憶の混濁かと思われたが、口の中に微かに広がる塩味は幻覚じゃない。クロエは目の端から再び涙を流していたのだ。先ほどのように泣きじゃくるのではない。静かに音もなく泣いていた。

 呻くように涙を流すクロエはまるで赤子のように丸まっていた。心細さを誤魔化すためか、肩を抱くように震えている。空の赤はすでに紫に変わりつつあった。


――ガサッ。


 不意にクロエの背後から草を踏む音が聞こえてきた。ハッと顔を上げる。後ろを振り向く勇気はなかった。涙がピタリと止まり、大きく目を見開く。両手は解放されたとはいえ、今のだその両手には魔力封じの枷が付いたままだ。もし今何者かに襲われでもしたら、抵抗もできず殺されるだろう。

 立ち上がることもできなかった。覚悟を決めていたつもりでいたが、結局は生半可な物だったのだ。ギュッと一際強く自身の体をかき抱き、襲いくるであろう何かに恐怖した。

 しかし、その心の片隅ではどこかこの状況を受け入れていた。


「(死んだら、死んであの世にでも行ったら……。もしかしたらもう一度、あの人たちに会えるのかな。)」

「――クロエさん?」


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