第44話
第八魔王は上機嫌な様子でそう話すと、【影操】で足元から一本の槍を生成した。幅広の刃の付いた長い柄の武器、いわゆるパルチザンと呼ばれる様なものである。
これだけならばクロエの持つ固有魔法と何ら変わりがないが、第八魔王の持つ槍にはこれまでの武装と異なる点があった。
それは槍の各部に色づく緑の輝きである。クロエの【影操】で作られる物は元が影であるが故に、その色は基本的に黒一色である。しかしその槍は各所に緑の色を湛えていた。
異なるのはそれだけではない。その違いに気がついたのはサラだった。
「あの槍……! 風属性の魔力を持っていますわ!」
その言葉にミーナが驚いた。個人が所有する魔法の適正属性は一人につき一つがこの世の常識であるからだ。仮に誰かが別の誰かにその人物とは異なる魔法属性の魔力を流し込んだとしても、拒絶反応を起こしその魔力は使用できない。目の前の現象は本来はあり得ない事なのだ。
呆気にとられる二人を他所に、第八魔王は武器を構えた。素早い動きでミーナへ距離を詰めると、恐ろしい速度で槍を振るい始めた。
「うっ……! くっ、速い……!」
ミーナが両手に持った武器で何とか迎撃を試みるも、その手に持つのはハンマーとメイスという防御には向かない武器だった。いくら闇森族の身体能力であったとしても、まるで重みを感じさせない動きで振るわれる刺突と斬撃に対応が間に合わない。
「そらそら、どうした? 鈍いぞ、身体が石にでもなったのか?」
第八魔王が軽口を叩いてくるが、それに答えられるほどの余裕がミーナにはなかった。今やその褐色の身体にはいくつもの赤い線が走っている。それは明らかに避けたはずの攻撃でついた傷だった。
「(この槍、刃の周りに空気の刃をまとっている……⁉︎ 避けきれない……!)」
「ミーナ、下がってくださいまし!」
聞こえてきた言葉にミーナが思い切り後方へ跳んだ。そこへサラの【ウィンドアロー】が飛来する。数にして十は下らない魔法の矢の一斉攻撃は、死角無く第八魔王へ襲いかかった。
しかし第八魔王は焦る事なく槍を肩越しに溜めると、少し力を込めて横一閃に振り抜いた。槍は瞬間的に暴風とも言える風をまとって第八魔王の眼前で吹き荒ぶ。その風に散らされ、サラの【ウィンドアロー】はその全てが消え去ってしまった。
「そ、そんな……! 私の矢が、どうして……⁉︎」
サラが信じられないと言った様子で声を上げた。サラの【ウィンドアロー】は風を魔力で凝縮した魔法の矢である。ただの風ごときに散らされる様な柔なものではない。
それでも散らされてしまったのは、ひとえに第八魔王が起こした風に風属性の魔力が込められていたからに他ならない。改めてあり得ない事態の証拠を突きつけられ、サラとミーナは改めて驚きに満たされた。
そして第八魔王はその隙を見逃さなかった。槍の先端をミーナの方へ突きつけると、静かにとある魔法を詠唱したのである。
「吹き荒べ風よ、巻き上げ飛ばし、叩きつけろ、【疾風中魔法】。」
唱えられたそれは、風属性の属性魔法であった。槍の先端から発射された緑の輝きは、直線上にミーナへ飛来する。魔法を放った槍からは緑の輝きが消え、漆黒の槍となった。
ミーナはとっさに光線と自身の体の間にハンマーを差し入れた。僅かな時間光線とハンマーは拮抗したが、光線が伴う暴風にハンマーが吹き飛ばされた。しかしミーナは光線を持っていたもう一つの武器で迎撃した。光線の先端が小爆発を起こす。ミーナはその衝撃で吹き飛ばされ、後方の木に背中を強かに打ち付けられた。
ミーナは鈍い声を口から漏らし、そのまま木の根元に崩れ落ちた。よく見ると、すでに傷だらけのメイド服には新たな赤い滲みが浮かんでいる。完全に治りきっていない傷が先ほどの衝撃で開いたらしい。
「ミーナ!」
サラがミーナの元へ駆け寄った。ミーナは口元からも出血しており、サラがその身体を抱え上げようとすると小さく痛みを訴えた。肋骨や内臓も傷ついている可能性がある。
しかしそんな瀕死の状態であっても、ミーナは自分以外を心配するのだった。逆流する吐血に咳き込みながらも、サラへ言葉をかける。
「お、お嬢様……。お逃げ、ください……、ゴホッ!」
「あなたを置いて、逃げられる訳ないでしょう⁉︎」
サラはそう言うと、ミーナの前に立ちふさがり改めて弓を構えた。目の前の第八魔王は先ほどの槍を消し、今度は身の丈もある大剣を作り出した。
それを見たサラはすぐに固有魔法を発動、弓に【ウィンドアロー】を番えて第八魔王の眉間へピタリと狙いを定める。
しかしサラは弦から指を離すことができなかった。この場になって迷ってしまったのだ。また魔法が吸収されてしまったら? この手でクロエの命を奪ってしまったら? 様々な考えが頭を巡り、身体が硬直したのだ。
気付いた時には、目の前に第八魔王が迫っていた。肩に大剣を担ぎサラの元へと距離を詰めた第八魔王は、そのまま大剣を振り抜きサラの弓を弾き飛ばす。
「あッ――」
サラはとっさに弾かれた弓に手を伸ばす。しかしその手が弓を手に取るよりも早く、サラの脇腹へ強烈な回し蹴りが叩き込まれた。身にまとった【影操】で強化された第八魔王の蹴りである。
サラは骨の軋む嫌な音を感じながら、熱さにも似た激しい痛みと共に蹴り飛ばされた。少し離れた木の一本に叩きつけられる。
「――ぁがッ‼︎ ぐぅっ……、ぅぅ……。」
「その迷いが貴様の敗因だ。戦いに向いていない。戦えない者が戦場に残るな。邪魔だ、我が消してやろう。」
サラを蹴り飛ばした第八魔王が大剣を担ぎ直し、ゆっくりとした歩みでサラの元へ近寄ってきた。サラは痛む脇腹に手を添えながら、必死の思いで上体を上げて顔を上げる。
正面の第八魔王は見た目こそクロエであるが、その目つきその表情、まとう雰囲気の全てが酷薄であった。為すすべもないサラは悔しそうな表情を浮かべる。
「……どうして。」
「ん?」
ぽそりと呟かれた言葉に、第八魔王の眉がしかめられる。サラはその両目から涙の粒をこぼしながら、噛み付くように言葉を吐き出した。
「どうしてこの様な事をしますの⁉︎ 私達が何かしましたの⁉︎ どうしてクロエさんの身体で目覚めましたの? どうしてその身体で酷い真似をしますの? どうして、どうして……⁉︎ 私たちは……、何も悪いことはしていませんわ!」
サラが心情を吐露した。サラたちからすれば、あまりの突然の事態の連続であった。何故この様な状況になってしまったのか、とんと見当もつかない。絶体絶命の死の淵に立ち、理不尽な疑問をぶつけずにはいられなかった。
サラは叫び終わると、顔をうつむかせて静かに泣き出した。もはや最後の瞬間を迎えるのを待つのみである。遠くからミーナが何かを言っているが、今のサラはその声を注意して聞くこともできなかった。
しかし、その最後の瞬間は来なかった、不思議に思ったサラが再び顔を上げると、そこにはサラが初めて見る表情を浮かべたクロエ、もとい第八魔王がいた。これまでの無表情や酷薄で嫌らしい笑みではない。生々しい怒りにも似た嫌悪感を顔の前面に押し出している。可笑しな表現だが、とても生き生きとした怒り顔であるとサラは感じた。
「どうして、だと……?」
第八魔王は身の丈もある大剣を頭上にかざした。
「悪い事をしていないだと……⁉︎」
両手に力を込め今にも大剣を振り下ろしそうな、とても剣呑な様子であった。
「貴様は……! 貴様らは、『存在』する事が、許されざる悪だ……ッ‼︎」
第八魔王の口から一言一言に怒気を込め放たれる言葉は、まるで目の前で傷つき涙を流すサラに向けてでは無く、この世の中全てに向けられている様な力強さがあった。
「だから、だから……!」
白銀の髪を返り血で赤錆の様にまだらに染めた第八魔王は吼えた。感情の乗ったその声に、サラは何も言えなくなってしまう。
その華奢な腕で持つには大きすぎる大剣を頭上に掲げ、第八魔王は感情を爆発させ続けた。
「だから我が無に還すのだ! 貴様らの犯した大罪を背負い、その罪に苛まれながら、貴様らにその悪徳を、身を以て示す!」
第八魔王の、クロエの真紅の瞳からは、いつのまにか大粒の涙がこぼれ落ちていた。それはあり得るはずのない涙だった。
サラはあまりのことに目を白黒させていたが、振り上げられた大剣に怯え何も問うことができないでいた。ただただ、その剣の形をした殺意が振り下ろされる瞬間を想像していた。
しかし、その剣が振り下ろされることはなかった。サラが見ているその眼前で、第八魔王は大剣を投げ捨ててしまったのだ。そして不意に両手で頭を抱えると、その場にしゃがみ込み苦しそうに叫び出した。
「ガァアアァアアアッ‼︎ クソッ! 何故だ⁉︎ 何故こんな小娘一人殺せぬのだ! アグッ、ガッ⁉︎ な、何故涙が溢れる⁉︎ 何故こうも心がかき乱される⁉︎」
第八魔王は地に爪を立て、口惜しそうに歯嚙みをしながら叫び続けた。時折悲鳴を上げるのは、どうやら頭に痛みが走っているらしい。それでも叫びを止めるつもりはない様だ。
「この様な小娘、幾度となく屠ってきたではないか! もっと残酷に命を奪いもした! い……ッ⁉︎ そ、それだと言うのに、何故だ‼︎ 何故剣を振り下ろすことすら出来ぬ⁉︎」
サラは目の前で苦しむ第八魔王の様子を、ただ呆気にとられた様子で眺めていた。しかし不意に自らの隣に誰かの気配を感じた。
サラがそちらへ視線を向けると、そこには満身創痍の様相のミーナがいた。ここまで痛む身体を押して来たのか、足を引きずった様子も見られる。
サラは自らも傷ついているのも構わず立ち上がりミーナの身体を支えた。ミーナはとっさにそれを辞退しようとするも、断る間も無くサラの肩に腕を担がれていた。サラはそのまま苦しむ第八魔王から少し距離を取ったところまでミーナを運ぶと、ミーナを下ろしながら自らも座り込んだ。
「申し訳ありません、お嬢様。私が不甲斐ないばかりに……。」
「あなたの責任では無いですわよ。そんな事より、クロエさん……いえ、第八魔王の様子が急変しましたの。ミーナ、何か分かりますか?」
ミーナは苦しむ第八魔王を見た。頭を抱え地に伏せる様子は、まるで身体の内部から攻撃を受けているかの様である。そのことに気がついたミーナは、恐る恐るといった様子で口を開いた。
「もしかしてではありますが……、第八魔王に乗っ取られたクロエさんの身体で、クロエさんが抵抗をしているのでは無いでしょうか。お嬢様の命を奪う瀬戸際に、クロエさんの意識、魂が反抗したのでは……。」
「そ、それでは……!」
ミーナの推測にサラの表情が明るくなる。ミーナはサラの言わんとしている事を察し、小さく頷いた。しかし、そこへ二人では無い声が響く。
「そうか‼︎」
サラとミーナが声のした方へ目を向けた。そこには、先ほど投げ捨てた大剣を杖に必死の様子で立つ第八魔王の姿があった。額からは汗を流し、両目からは涙を落としている。憔悴しきった様子で荒い息を吐くも、その表情はいい事を聞いたとばかりに笑っていた。
「そうか、そうか! 貴様かクロエ……‼︎ 忌々しい宿主よ! 貴様の魂は全て塗りつぶしてやったはずだったがな、とんだ誤算だ! 今更しゃしゃり出て来た所で何が出来る……⁉︎ 大人しく、消えるがいい……‼︎」
第八魔王は地面に突き立てていた大剣を引き抜いた。そして右手一本で自らの前で横向きに構えると、その刃元に左手を添えた。
「纏え、【黒焔】……‼︎」
詠唱と共に第八魔王の左手から漆黒の炎が噴き出した。炎は一瞬の間に大剣の刃元を包み込む。第八魔王が添えた左手を剣先に向かって動かした。すると、その動きに合わせて炎も動き、あっという間にその刃は漆黒の炎を纏った。
第八魔王は炎を纏った大剣を満足そうに見つめると、両手で持ち直し正眼に構えた。
「ク、フフッ、クハハハッ! 面白い、存在という大罪を司る我に抗うか! たかが転生者風情が生意気だ。今すぐその魂! 我が燃やし尽くしてやる‼︎」
第八魔王はそう叫ぶと、あろう事か反動をつけてその刃を自らに向けて振り上げた。サラとミーナは驚いた表情を浮かべる。しかし咄嗟のことに何も出来ない。サラがその両手を顔の元へ近寄せた頃には既に、炎を纏った刃は第八魔王の肩口の近くへ迫っていたからだ。
しかし、その刃が第八魔王の身体に触れる直前、森の中から複数の影が飛び出し第八魔王の身体を拘束した。ピタリと刃の動きも止まる。驚くサラとミーナ。一体何が第八魔王を止めたのか。二人はその正体に再び驚いた。
それは複数人の闇森族達であった。彼らは一様に怪我を負っているが、それでも必死に第八魔王の動きを拘束している。
クロエの固有魔法【影操】で作り出した影を身にまとい身体能力を底上げしていた第八魔王だが、屈強な闇森族複数人に拘束されては流石に身動きが取れない様子であった。
「ぬ、クッ……⁉︎ 何だ貴様ら⁉︎ 離せ、邪魔だ! まず貴様らから消してやってもいいんだぞ⁉︎」
「……消えるのはあなたの方ですよ。」