第43話
戦いの後を見て黙り込むサラを見兼ね、ミーナが声をかけた。サラはハッと我に帰る。
「な、何ですの?」
「いえ、ここには大長老様はいらっしゃらないご様子ですので、国の中心部へ向かおうかと。事件が収束したならば、各所に指示を出すためにも中心部へ戻られるはずですから。」
「ええ……、そうですわね。そうしましょうか。」
サラはミーナの提案に頷いた。判断材料がない以上、邪推してはならない。大切な仲間を二人も目の前で失った。これ以上の失態は許されないと、サラは内心でまたも自分を追い込んでいた。
二人は国の中心部に向かって歩き始めた。ゆっくり歩いているのは、内心で戦いはすでに集結していると確信していたからである。二人の共通認識として、サーシャをはじめとする闇森族の精鋭たちが負けるということは頭にない。二人は長く彼らと付き合いがあったからこそ、その実力を疑いもしなかったのだ。
しかし二人の確信は、その歩みとともに音を立てて瓦解することとなる。
「こ、これは……、どういうことですの⁉︎」
サラが叫びをあげて駆け出した。その先には、一人の闇森族が血を垂れ流して倒れていたのだ。彼はすでに事切れており、サラの必死にの呼びかけにも答えることはできなかった。
彼だけではない。いたるところに多くの人々がいた。怪我をし呻きをあげる人、血を流し生き絶えた人、それらの人にうずくまり声をかけ時に涙する人。サラとミーナも決して平気とは言えない怪我を負っているが、おそらくこの場では一番の軽傷であろう。
「すみません。何があったのか、お話願えますか? 大長老様はどちらに?」
ミーナが比較的怪我の軽い闇森族の元へ駆け寄り話しかけた。彼は垂れた血で開けられない片目を拭い、ミーナを見上げる。
「お、おぉ……。ミーナか。無事だったんだな……。」
「私のことは置いておいてください。何があったのか教えてください。」
ミーナが急かすように尋ねる。冷静沈着な彼女にしては珍しい、ひどく焦った様子だ。闇森族の男性はそんなミーナに促され、荒い呼吸で話し始めた。
「奴だ……。クロエだよ。あいつにやられた。」
「そんな! そんなはず……。クロエさんがこのような事、するはずがないですわ!」
「お嬢様……。信じたくない気持ちは俺も同じです。俺だって、あいつのことは仲間だと思っていた。だけど、あいつはそんな事お構い無しに俺たちを倒していきましたよ。」
男が「見てください」と言いながら、腹を抑えていた手を退けた。服は破れ、血に染まっている。ミーナが慌ててその傷を塞ごうと手を出した。しかし男はそれを制止し、自らの手で再び抑える。
「この傷も、あいつにやられました。周りの奴らも、みんなです。あいつの固有魔法、クロエの時は可愛らしいもんでしたが、今やバケモンです。こう言っちゃなんですが、まるで魔物のようでしたよ。」
「そんな……、そんな……。クロエさんが……。」
まるで自らのことのように深く傷を負うサラ。その様子を見た男は小さく「すみません」と口にする。しかし伝えたいことはまだあるらしく、自らも苦しいながら必死に言葉を続けた。
「ミーナ……。大長老様はあいつと戦いながら中心部へ向かっていった。あの辺りは一般人が避難していないからな。だが、状況は芳しくねぇ。早く加勢に向かってくれ。」
「わかりました。ですが、いくら何でも大長老様が負けることはないでしょう?」
「ああ、俺たちもそう思っている。だが気をつけろ、あいつの固有魔法はただ影を操るだけじゃねぇ。黒い炎だ……。黒い炎に気をつけろ、いいな? 分かったら早く行け。俺なら、大丈夫だ……。」
男はそう言うと、もたれていた木に深く体重を預け気を失ってしまった。ミーナは男の体を横にすると、立ち上がり国の中心部の方へ目を向ける。サラも同様だ。
「参りましょう、お嬢様。我々も、覚悟を決めねばならないようです。」
「私は……。」
「いざとなれば、私が手を下しましょう。アレクサンドリアの家名を背負う者として、手を汚す覚悟はございます。」
ミーナの、隠れていない左眼が覚悟に染まる。サラはその覚悟の強さを思い知り、自らを顧みた。
「(私は……、撃てなかった。あの状態のクロエさんを、私は……。でも、このままミーナに任せておけば、私が手を下さずとも……。)」
ミーナは自らの心に湧いた黒い思いに気づいてしまった。クロエに嫌われたくない。自分が悪者になりたくない。心の片隅に隠れていた浅ましい気持ちを自覚した瞬間、サラは両手で自らの頬を張った。
「お、お嬢様⁉︎」
ミーナが突然の奇行に驚き声を上げる。しかしサラはそんなミーナの驚きには目もくれず、頬を張る時につむった目を見開いた。
「……覚悟を決めましたわ。次は、躊躇いません。命の危機に瀕したクロエさんを救い、この国に招いたのは他でもない私、サラ・エルゼアリスですわ。私がこの手で解決せずして、誰が解決するのです。」
サラは歩き出した。ミーナはそんなサラの心中を察し、無言で後を追う。二人は怪我人や死体が転がる道を走った。所々から聞こえる痛みに呻く声やすすり泣きの声に混じり、遠くから戦いの音が聞こえてくる。
二人は脚を速めた。周囲に怪我人などはいない。しかし至る所に破壊の後が目立つ。戦闘が激化した証だ。戦いの音は先程よりも近くから聞こえる。二人の緊張はより一層高まっていった。
そしてついに、二人は国の中心部にたどり着いた。その光景を見たサラとミーナは、思わず足を止め驚愕に表情を染める。
「あ、そ、そんな……! 嘘ですわ……!」
二人が目撃したものは、ボロボロの無残な姿で倒れ臥す数を減らした闇森族たちと、重ねた両手を黒い槍で貫かれ大樹に縫い付けられた大長老サーシャの姿だった。
周囲の闇森族たちは皆重傷の体を様しているが、幸か不幸か死んではいないらしい。ただしその大半は気を失っており、その他も立ち上がることができない様子である。
大樹に縫い付けられているサーシャは身体中に傷をこさえている他、その縫い付けられた両手からは痛々しくも血が流れ出していた。表情は苦痛に歪んでいる。
そしてそのサーシャの前に立っているのは、白銀の長髪を風に揺らし、平静とは異なる残忍な笑みを浮かべた少女、クロエこと「第八魔王エッセ」であった。
「お母様ッ‼︎」
サラがサーシャへと駆け寄ろうとするが、ミーナがそれを止めた。行く手を塞がれたサラは立ち止まる。
「……危険です、お嬢様。」
「で、ですけど! このままではお母様が!」
「承知しております。……私が奴を引きつける間に、お嬢様は大長老様を。」
ミーナはそう言うや否や自身の固有魔法【パンドラ】を展開、中から愛用のハンマーを取り出すと一直線に第八魔王の元へ距離を詰める。そして一切の遠慮なくハンマーを振りかぶると、渾身の力で振り抜いた。
しかしハンマーは第八魔王に当たる寸前に巨大な何かによって止められてしまう。クロエの固有魔法【影操】で作り出された巨大な腕だ。今やその腕はクロエが作り出した時のそれとは完成度が段違いであり、小手鎧のような装飾まで付いていた。
「貴様、仮にもこの身体の知り合いであろう? よくもまぁ遠慮なく攻撃できるな。」
ミーナの神経を逆なでするような挑発を口にする第八魔王。しかしミーナは耳を貸さず、グイグイとハンマーを握る両手に力を込める。しかし、ハンマーのインパクト部分をしっかりと握り込まれてしまい、ビクともしない。
「(私がハンマーを振りかぶって当たる寸前まで、一切の身動きはなかった。魔法の名前も詠唱せずに、ここまでの精度の物をここまでの速さで作り出すとは……。もはや元の使い手のクロエ様以上に使いこなしている……!)」
内心で得た驚愕を心に押し込め、ミーナはハンマーを引いた。第八魔王は執着せずにハンマーを手放す。
ミーナがちらりと横目を送った。その視線の先ではサラが大樹の幹の一つに登り、サーシャの手を貫く槍を引き抜こうとしていた。
「あのような小物、くれてやるわ。それよりも貴様だ。」
ミーナの視線の意図に気がついたのか、第八魔王は振り返ることもせずにサーシャをあっさりと見逃した。そして、【影操】で身の丈はある大剣を作り出すと、その切っ先をミーナに向ける。
「貴様、何か隠しているだろう。巧妙に隠しているな。我でも薄っすらと感じる程度だ。だが、薄っすらで十分だ。感じるぞ、懐かしい感じだ。恐らく――」
第八魔王がそこまで話した時、ミーナはすでに駆け出し第八魔王に渾身の乱打を叩き込んでいた。相手の肉体がクロエのものである事など忘れたと言わんばかりの連撃を、第八魔王は手にした大剣で迎え撃つ。
「く……ッ!」
「どうした、斯様な小さき身体にお得意の腕力が通じず困っているようだな。何故だろうな? ハハハ。」
幾度目かの打ち合いの後、ミーナはハンマーを叩きつけた反動で後方へ跳んだ。そして第八魔王の身体をじっと観察する。すると、とある事に気がついた。第八魔王の手足は、すっぽりと黒い何かに覆われていたのだ。光を反射させない黒。それを見た瞬間、ミーナはある可能性を思いつく。
「……まさか、【影操】を全身に纏わせ、それを外骨格のように操っているのですか?」
「ほう、存外に賢いではないか。闇森族は脳まで筋肉かと思っていたが、特殊個体はいつの世もいるのだな。」
口を開くたびに憎まれ口を叩く第八魔王だが、今更そんな安い挑発にのるミーナではない。しかしミーナは眉間にしわを寄せていた。挑発が気に障ったのではない。別の要因だ。
「(いざとなれば体重差に物を言わせて押さえ込もうと思っていましたが、それも無理と……。困ったものです。)」
窮地に立たされたミーナだったが、そこへサーシャを助け出したサラが助太刀に来た。弓を構え矢を番い、いつでも放てる体勢である。
「おまたせ致しましたわ。お母様は無事よ。今は意識を取り戻した闇森族の治療をしていますわ。」
「それは良かった。ですがお嬢様、ここは危険です。どうぞお下がりください。」
「一人よりも二人ですわ。それに、あなただけではあの敵は厳しいでしょう? 私も、微力ながら加勢しますわよ。」
ミーナは本当に一瞬だったが、とても複雑そうな表情を浮かべた。サラが自分と肩を並べて戦うという喜びと、サラが目の前の存在を「敵」と表現した諦念にも似た悲しみ。
しかしすぐに表情をいつもの冷静なものに落ち着かせると、鋭い目つきで目の前の「敵」を見据えた。相変わらず目の前の存在はいやらしい笑みを浮かべるのみだ。ミーナは再び【パンドラ】を展開すると、空いている左手に無骨なメイスを構えた。
「お嬢様、勝とうとは思わないでください。時間を稼ぎましょう。」
「……お母様たちが合流するまでですわね。どれだけ早くても五分はかかりますわよ?」
「長い生涯で、まさかそんな僅かな時間に左右される日が来ようとは。分からないものです。」
自嘲気味に呟かれたミーナの言葉に、サラの口の端に小さく笑みが浮かんだ。サラは改めて弓を構える。キリキリと蔦で出来た弦を引きしぼり、狙いを第八魔王へ向けた。
突然、ミーナが何の前触れもなく動いた。ハンマーとメイスを左右に構え、全力で第八魔王に向けて振り下ろす。
第八魔王は手に持っていた大剣を投げ捨てた。大剣は朝露に消える闇のように搔き消える。その代わりに第八魔王は足元から二本の虚腕を生成すると、虚腕の両手をそれぞれ左右に広げミーナの攻撃を受け止めた。
「な……ッ⁉︎」
「邪魔だ、消えろ。」
第八魔王は脚を上げミーナを蹴り飛ばそうとした。しかしその直上から風を凝縮した矢が打ち下ろされる。近くの木の幹から跳び真下へサラが矢を放ったのだ。
第八魔王はその矢の存在に目ざとく気付くと、なんとそれを避ける行動を取るどころか右手を掲げ矢に手を伸ばした。第八魔王の目の前のミーナが驚きに目を丸くする。
「喰らえ、【黒焔】」
第八魔王の言葉と共に、その掲げられた右の手の平の中心に炎が立ち上った。しかしその炎はただの炎ではない。炎心と内炎の一部は白銀に輝いているが、外炎が漆黒に染まっている。その炎を見たミーナは猛烈に嫌な予感を覚え、素早く後方へ下がった。
黒色に燃えるという信じがたい炎は第八魔王の手のひらから素早く上へ伸びると、まるで獣の顎のごとく上下に開きサラの【ウィンドアロー】をぱっくりと飲み込んでしまった。
「なっ……!」
着地したサラが驚きの声を上げた。素直に当たるとは考えていなかったが、まさか避けるではなく手の平から出した炎で防がれるとは予想だにしなかったのだ。
サラは次の矢を番えながらもそれを放てずにいた。先程のように攻撃を無効化されてしまうのではと言う考えもあったが、何となく相手に魔法をみだりに撃ってはいけないという嫌な予感があった。
そして、得てしてその手の嫌な予感は当たるものである。
「うむ、流石は森精族の王族だ。上質な風属性の魔力よ。礼だ、我が力の一端、見せてやろう。」