第42話
「え? あ、ギッ⁉︎ ぎゃぁぁああぁああッ‼︎」
突如、青年の足元の地面が揺れた。そして次の瞬間には地中から突如現れた無数の黒い棘の群れが、青年の身体を無残に突き刺した。青年は身体中から黒い棘と赤い花を咲かせ、目を見開いて絶命する。周囲の闇森族たちが、先程以上の動揺に包まれた。
第八魔王は大剣をただ無為に地面に突き刺したのではなかった。地面に突き刺した大剣の切っ先を変化させ、自らの周囲に根を張ったのだ。そしてその根から無数の棘を生成したのである。
その事を察知した闇森族たちは素早い動作で後方へ下がった。そして口々に第八魔王へ向かって罵倒を投げつける。その喧騒の最中、これまで堪えていたものを吹き出すかの様に、第八魔王は大きく吹き出した。
「アッハッハッ‼︎ 二千年経っていると言うのは本当らしいな! こんな三文芝居に騙されるとは、貴様らどれだけ平和ボケしているのだ⁉︎ 油断した我を殺しに飛び掛かるところをまとめて串刺しにしてやろうと思っていたら……。クククッ、まさかあんな茶番が見られるとはな!」
第八魔王の言葉によって、周囲は怒りに満たされた。先程よりも苛烈に第八魔王を罵倒する言葉がぶつけられる。ただ、一部の闇森族とサーシャはこうなることを予測していたかの様に、悲痛な面持ちを浮かべていた。
サーシャが右手を高く挙げた。周囲の闇森族が口を閉じる。静まり返った場に、サーシャの声が響き渡った。
「分かったでしょう、皆よ。もはや目の前の存在は我らが同胞クロエにあらず。大切な家族の命を奪った仇敵です。躊躇い、手加減、情けは無用。皆よ、かかりなさい‼︎」
サーシャの号令を合図に、闇森族たちは一斉に第八魔王に向かって飛び掛った。対する第八魔王は突き刺した大剣を引き抜き、楽しそうな笑顔でそれを迎え撃つのだった。
「はっ、はっ、はっ……! どこですの……? シーラちゃん。 お願い、無事でいて……!」
木々の合間を縫い、サラはシーラを探しながら走っていた。どこまで飛ばされたかは分からないが、一直線に飛んでいった以上、真っ直ぐに進めばシーラは見つかるはずである。それだけを信じ、サラは一人周囲を見回しながら走っている。
そんなサラの下に駆け寄るもう一人の姿があった。
「お嬢様、お待たせいたしました。」
「ミーナ⁉︎ どうしてここに……。怪我は大丈夫ですの⁉︎」
それは先ほど深い傷を負い、サラの介抱で後方に下がったミーナだった。その表情は少し憔悴している様子だったが、確かな足取りでサラと共に森を駆ける。
「私が撤退した場所に大長老様が来てくださいました。お嬢様がこちらの方角へ向かうはずなので、それを追いかける様にと。」
「そうでしたの……。それは、助かりますわ。」
「……ときに、お嬢様。私のこの傷は、記憶が確かなら……。クロエ様の手によって負わされた物だと……。お嬢様がこちらへ向かっていること、そして大長老様が――私の記憶が確かなら――初めて見るほど険しいお顔をされていたこと。何か、関係があるのでしょうか。」
ミーナの言葉に、サラはすぐに答えることができなかった。あまりに多くのことが連続的に起きたせいで、何から説明すればいいか分からなくなったのだ。
言葉に詰まるサラの様子から何かを察したのか、ミーナは何かを話そうとするサラを止めようとした。しかし、サラはそんなミーナの制止を遮って口を開く。
サラはミーナが倒れてからここに至るまでの出来事を、時系列に沿って順番に話し出した。走りながら話せる様な内容ではない。サラとミーナはその歩速を緩めていた。ミーナはサラの言葉を、ただ黙って聞いたいた。
「……そうですか。族長が、逝きましたか。」
「私の……! 私のせいですわ! あの時ゾーンに矢を放っていなければ、そうすればあんなことになんてならなかったはず! 私の……、私のせいで……!」
「お嬢様、『もしも』の話ほど不毛なものは御座いません。それにこの非常事態です。話を聞く限り、客観的な立場から見てもお嬢様に非は御座いません。ご自愛を。」
ミーナはそう言うが、サラはどうしても自分を責めずにはいられなかった。元々責任感の強い性格であったことも災いし、今回の件の全ての元凶は自分なのではないかとさえ考えてしまう。
それを傍目で見ていたミーナはあえて黙っていた。ここでどれだけ言葉を尽くしたとしても、サラは自分を責め続けるだろう。なれば、サラ自身が自己解決を図るしかない。ミーナはそう判断した。
「(本当、頑固で不器用な方です。もう少し狡く生きてもいいような気もしますが……、む? あれは……?)」
「お嬢様、お止まりください。」
ミーナがサラの前に手を突き出しその動きを制止した。サラが立ち止まる。何事かとサラはミーナを見上げると、ミーナは真剣な様子で少し先を見つめていた。
「どうしましたの、ミーナ?」
「お静かに。お嬢様、正面方向をご覧ください。」
「正面……?」
ミーナの言葉に従いサラが正面方向を注視すると、木々の向こう側、怪しいフード姿の人影を発見した。
「……少なくとも、森精族の類ではありませんわね。森を歩き慣れていない動きですわ。」
「ええ。ですが、ここはまだシドラの周辺部。ジーフ樹海の中心部周辺です。そんな場所に、我々森精族以外の者がいますでしょうか?」
「むやみに疑うのはいけませんけど……、怪しいですわ。少し、様子を見ましょう。」
サラたちの監視の中、怪しいフードの人物は辺りをキョロキョロと見回していた。まるで何か探し物をしているかのようである。二人がしばらくその様子を監視していると、不意に謎の人物は何かを見つけたように迷いない歩みで歩き出した。
「追いかけますわよ。」
「かしこまりました。」
謎の人物に気取られない距離を保ちつつ、二人はその足跡を追った。時間にしてほんの数分ほど歩いたのち、謎の人物は突然しゃがみこんだ。すぐに立ち上がる。しかしその両手には、先程まではなかったものが収まっていた。
それは、意識を失って傷だらけのシーラだった。
「お嬢様、あれは――」
ミーナが何か問いかける前に、サラはすでに走り出していた。弓を素早い動作で構え、牽制で謎の人物の真横の木へ向けて矢を放つ。
ミーナの声に気がついた謎の人物は振り返ると、シーラを肩に担ぎ左手を空けた。そして自由になった左手を迫り来る矢へ向けると、手首を軸にその手を一回転させた。
すると不思議なことに、サラの放った魔法の矢はまるで風に吹き消されたように消えてしまった。サラはあまりの出来事にポカンと口を開き呆気に取られてしまう。
「お嬢様!」
矢が掻き消されてしまう瞬間を目撃したミーナが固有魔法【パンドラ】を展開し、武器を取り出してサラの前に立った。どんな仕組みかは知らないが、サラの固有魔法【ウィンドアロー】が無効化されてしまったのは事実である。
「(シーラのことも気にかかりますが、お嬢様をお守りすることが優先です。さて……、どう出る?)」
油断なくハンマーを構え、謎の人物に敵対するミーナ。対する謎の人物はミーナとその武器を一瞥すると、あっさりと振り返り後方へ歩き出した。
「お、お待ちなさい! その子を、どうするつもりですの⁉︎」
サラが叫んだ。しかし謎の人物は振り向かずに歩み続ける。突如、ミーナは構えていたハンマーを振りかぶると、渾身の力でそれを謎の人物めがけ投擲した。
闇森族の腕力で放たれたハンマーは恐ろしい速度で謎の人物の後頭部へ迫る。数秒もしないうちに血しぶきが舞うだろうと思われたが、謎の人物は半身で振り返ると、空いていた左手をハンマーに向けてかざした。
するとハンマーは突如としてその勢いを殺し、ついには少し押し戻される形で地上へ落ちた。柔らかい土である。深々とハンマーは突き刺さった。
ハンマーを止めた謎の人物は掲げた左手をそのまま正面に回すと、上から下へなぞるように振り落とした。すると、その動きに沿う形で空中に一筋の線が走る。その線はひび割れを起こすように空間を侵食すると、見る間に人が一人通れるほどの大きさになった。
謎の人物はそのひび割れに手をかけた。そしてあまりのことに呆気に取られ動けないサラとミーナをよそ目に、ひび割れの中に姿を消した。ひび割れは謎の人物が姿を消して数秒の後、跡形もなく消えてしまった。
「シーラ!」
ミーナがひび割れのあった場所へ駆け寄った。しかしもはやそこはただの空間である。ミーナはその場所を含め周囲を調査したが、謎の人物とシーラの痕跡は見つけられなかった。
ミーナとともに周囲を探していたサラだったが、結果は同じく振るわず、己の無力感を再確認するだけに終わってしまった。力なく木に頭からもたれかかり、悔しそうに何度も木を叩く。
「また……。また私は……! 仲間を失いますの⁉︎ 私が……、私が無力だったばかりに……!」
「お嬢様……。」
ミーナはサラの元へ歩いた。そして、木に叩きつけられ血が滲み始めたサラの手をそっと止める。
「お願いいたしますから、もっとご自愛ください……! 今の出来事の、どこにお嬢様の責任があると言うのですか。どちらかと言えば、最後の攻撃で仕留められなかった私の方にこそ責任があります。……お嬢様は私を責められますか?」
「そんな、とんでもないですわ! ミーナ、あなたは重傷を負っていながらよくやってくれましたわ。それを褒めこそすれ、糾弾するだなんて……。」
「そうであるならば、どうぞご自身を責められるのもお止めください。お嬢様がご自身を責められるたび、私自身もまた辛いのです。お願いします。」
そこまで言われて意固地になるほど、サラは頑固ではなかった。ミーナに止めれていた手から力を抜き、木から離れる。ミーナは安心したように頭を下げた。
「度重なる物言い、お許しください。」
「……謝るのは私の方ですわ。心配ばかりかけますわね……っと、いけませんわ。癖ですわね。」
ごく自然に自らを責めかけたサラが、苦笑で言葉を止める。しかし、すぐに表情を引き締めると、ミーナの方に向き直った。
「ではミーナ、前向きに考えましょう。先ほど、シーラちゃんを連れ去った謎の人物について、心当たりや気になることはありまして?」
ミーナは顎に手を添え、少しだけ黙り考えた。数秒の後、静かに話し始める。
「彼の人物については心当たりはありません。ですが、あの人物が姿を消す際、空間に亀裂を生じさせていました。あれは天龍種の一個体、『次元竜』と呼ばれる魔物の固有魔法だったはずです。」
「次元竜……。昔話に出てくる竜のことですわね。」
「はい。生態を含め多くのことが謎に包まれている次元竜の数少ない分かっている特徴、『次元渡り』。何故あの人物がその芸当を行えたのかは分かりません。ですが、只者ではないでしょう。」
二人は頭を抱えた。結局のところ、謎の人物について分かったことは何もないのである。手がかりもなく、連れ去られた仲間を追うこともできない。
サラは再び自らを攻めようとする心を何とか押さえつけ、前向きであろうと努めた。
「ここで考え合っていても仕方ありませんわ。一度、国へ戻りましょう。お母様たちの戦いも決着がついているはずですわ。」
「かしこまりました。先導いたします。」
サラの言葉にミーナは頷くと、サラを先導すべく先に歩き始めた。サラはそれに遅れぬよう後を追う。揺るぎない足取りに見えるものの、その内心は言いようのない、ぼんやりとした不安に苛まれていた。
しかしそのことを口にすれば、ミーナはまたサラのことを心配するだろう。サラは不安を胸に抱きながら、ミーナの後をついていくのだった。
時間にして一時間ほどであっただろうか。サラは先ほど後にした国の外れに戻ってきた。しかしその場には誰も残っていなかった。激しい戦いがあったらしい跡だけが残っている。サラが不安をその顔に浮かべた。
「(何がありましたの、一体……。特に、あの場所。いくつもの穴に、おびただしい血痕……。まさか、クロエさんを捉えて拷問を? いえ、お母様がそんな事をするはずはないですわ。)」
「お嬢様?」