第41話
シーラの表情が怒りに染まった。シーラは駆け出した。憤怒の咆哮をほとばしらせ。手に持った木の枝を逆手に構えたまま。そのまま軽薄な笑みを浮かべる偽物の顔面めがけて振り下ろす。しかし偽物は軽くその攻撃をかわした。偽物が突き出した足に引っかかりシーラは転んでしまう。しかしすぐに立ち上がった。そして同じように偽物を殺そうと武器を振りかぶる。だがそれも簡単にかわされた。
「ああもう、しつこいな。止まれ。」
偽物が足元から影を立ち上らせシーラを拘束した。シーラはジタバタと抵抗したが動くことができない。噛みつくような目で偽物に言葉をぶつけた。
「クソッ、離せ! あぁああぁぁあっ‼︎ 離せよお前! 許さない、殺してやる!絶対に、絶対にだ! 殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる‼︎ ここで殺せなくてもいつか必ず殺してやるッッ‼︎‼︎」
「黙れ。」
偽物は冷たく言い放つと、作り出した虚腕でシーラの腹を殴打した。シーラの言葉が途切れる。そのまま気絶してしまった。偽物はシーラの拘束を解き虚腕で掴み上げると、そのままシーラを遠く投げ飛ばしてしまった。まるでゴミを捨てるかのようであった。
「シーラちゃん⁉︎」
サラが声を上げた。しかしすでにその姿は遥か彼方、見えなくなっている。今から追いかけたとしても、探し出せるかどうかわからない。
「運が良ければ生きているだろう。だが、重傷は免れぬまい。生きたまま獣物に喰われるか、即死して喰われるかの違いだな。そこの男の後を追えるのだ、本望だろう。」
サラの耳に偽物の心無い言葉が届く。サラの血が沸騰したかのように沸き立った。激昂の感情のままに弓を構え、偽物に向かって矢をつがえる。
しかし、矢を向けられた偽物は慌てるでもなく、ただただ冷めた目と嫌らしく歪めた口でサラを見つめていた。
「そんなに……。そんなに人を痛ぶって楽しいですの⁉︎ もう許せませんわ、覚悟なさい‼︎」
「ほう、そうか。許さない、か。どれ。」
偽物が一歩、サラの元へ踏み出した。サラがびくりと肩を震わせる。
「じ、冗談だと思ってますの⁉︎ 本気ですわよ! と、止まりなさい!」
「ならば射れば良い。ほら、どうした?」
また一歩足を踏み出した。サラの構える弓がかすかに震える。
「止まりなさい! お願いですから、止まって……! あなたを、傷つけたくない……!」
しかし偽物は頓着せずにまた一歩踏み出してきた。サラは歯をくいしばる。目の前にいるのは大切な仲間を傷つけ殺めた仇敵である。ここで仇を打たねば、仲間に顔向けができない。そんな事は、サラ自身よく分かっていた。
しかし、目の前でおぞましい笑みを浮かべる仇敵もまた、大切な仲間なのだ。
「やめて、やめて……! 嫌、もう嫌! 私にまた仲間を射れと言いますの⁉︎ 止まって、お願い! クロエさん……‼︎」
今やサラは、その大きな瞳からボロボロと大粒の涙をこぼしていた。様々な葛藤が心を蝕み、どんな感情を出せば良いのかわからなくなっている。奇しくも、先ほどのシーラと似通った状況だった。
「おや、いつのまにか目の前まで来てしまった。撃たんのか、なあ?」
「――ッ‼︎ ……ッ! ……出来ませんわ……。」
唯一異なったのは、シーラは怒りに飲まれたが、サラは諦めてしまった点だった。弓を取り落とし、足元から崩れ落ちれ、両手で顔を覆う。
「私には、これ以上仲間を撃つなんて出来ませんわ……! あぁああ、ごめんなさい……、ミーナ、ゾーン、シーラちゃん……! ごめんなさい……!」
結局、サラは偽物を撃つことができなかった。どれだけ目の前の敵の行いに憤慨しようと、どれだけ憎く思おうと、その姿を見て思い返すのはクロエとの楽しい日々ばかり。サラには、クロエを撃つことができなかった。
「ふん、詰まらん。我に攻撃したところを叩き潰してやろうと思っていたのだが、所詮は小娘か。目障りだ、消えておけ。」
偽物が右手を、手のひらを上にして掲げた。異様な気配が偽物を中心に渦巻き始める。しかしサラは身動きしない。心が折れてかけているのだ。半ば自暴自棄になりつつある。偽物はサラのそんな様子に一層落胆したらしく、小さなため息と共につぶやき始めた。
「せめて苦しんで死ね。『消し去れ、【こk――」
「――そこまでです。」
突然女性の声が響いた。同時に突風が偽物を直撃し、体重の軽いクロエの体であるがゆえに、偽物は容易く吹き飛ばされてしまう。偽物が先程までとは一変し、少し楽しげな口を開いた。
「む、何奴だ。我の邪魔をするとは良い度胸だな。名乗れ、女。」
「良い度胸なのはそちらの方です。私の娘を泣かせましたね? 泣かせたら承知しないと言ったはずですよ。」
「あ……、お、おかあ……、さま……?」
サラが顔を上げると、そこにはサラを守るように立つサーシャの姿があった。サーシャ・エルゼアリス。森精族の隠れ郷シドラの女王、森精族をまとめる大長老にして、この国の最高戦力である。
サーシャは油断なく偽物を睨みながら、片手で指をパチンと鳴らした。すると、サーシャと偽物を取り囲むように多くの人影が姿を現した。皆一様に褐色の肌を持つ、並々ならぬ雰囲気を待とう猛者達である。森精族達から排斥され、しかし森精族の王族エルゼアリス家に忠誠を誓う闇森族の集団、アレクサンドリアの一族だ。
偽物はぐるりと視線を周囲に巡らせた。自らに向けられる様々な視線を一身に受け、楽しげに笑う。
「ハハハ、良いぞ。良い殺気だ。やはりこうでなくてはな。我が死して幾年月経ったかは分からぬが、ようやく寝起きの気だるさが晴れるような気分だ。」
「その言葉……。しっかりと記憶があるようですね。遥か二千年前、突如として現れた矛盾。有り得るはずのない八番目の大罪。『第八魔王第八魔王』……!」
サーシャの言葉にサラは耳を疑った。それは人類族の数倍は生きる森精族にとっても昔話として語られる遥か太古の夢物語。神話といっても過言ではないほど過去の話に登場する、一人の悪役の名前だったからだ。
「そんな、何を言っていますのお母様⁉︎ それは物語の中の創作、作り物でしょう⁉︎」
「……それが、事実だとしたら?」
会話に割って入るように、偽物こと「第八魔王第八魔王」が口を挟んできた。サラの目が驚きに見開かれる。
「我も記憶が完全に戻っているわけではないが、二千年前か? その時代に我が存在したことは覆らぬ事実だ。そこの女の言に誤りは無い。大戦の最中、いつか蘇るようにかなりの生贄を捧げた転生魔法をかけておいたが、まさか二千年も後にこんな小娘の身体に魂が宿っているとは思わなかったがな。」
おいそれと信じられない話が、当たり前のようにサラの耳に入る。いまだ不思議そうな表情を浮かべるサラに対し、サーシャが口を開いた。
「本来存在するはずのない八番目の魔王の実在を知っている、いえ、覚えているのは我々森精族のような長寿命の種族と、七大魔王大罪ぐらいです。我々は被害者として、大罪は加害者として。サラ、あなたにもいずれ話そうと思っていた事なのですよ。」
サーシャがそう語った。実の母親でありこの国の最高権力者の言葉であれば、信じざるを得ない。
「(にわかには信じがたいですけど、でもそれならばクロエさんが豹変した事も頷けますわ……。でも、どうしてクロエさんが? 転生者ならばクロエさん以外にも数多くいるはず。何故クロエさんでなくてはなかったのかしら……。)」
新たな疑問に頭を悩ますサラであったが、その悩みは不意に響いた重苦しい音にかき消された。それは第八魔王が新しい武器を取り出し、地面に叩きつけた音だった。第八魔王の身の丈はある巨大な大剣である。邪悪な外観の、おぞましさを感じさせる剣だった。
第八魔王が武器を取り出したことにより、サーシャをはじめとした第八魔王を取り囲む皆が一気に臨戦態勢を取った。サラも負けじと弓を携える。しかし、そこへサーシャが待ったをかけた。
「サラ、あなたは下がりなさい。」
「クロエさんは……、私がこの国へ連れてきたのです。私が戦わずして、誰が戦うと言いますの?」
「滅多なことをいうものではありませんよ、サラ。大切なものを手にかけるという汚れ仕事は大人の役目です。あなたは、救える命を救いに行きなさい。」
サーシャは視線で国外の、森のとある方角を指し示した。それは先ほど、第八魔王の手によってシーラが投げ飛ばされた方向である。サーシャの先程の言葉と併せて、サラはサーシャの言いたいことを察知した。
サラは逡巡した。ここでこの場を離れるのはあまりに無責任なのではないか。サーシャの言葉に逆らってでもこの場に残り、自分も戦うべきなのではないかと。
しかしこの場にいる闇森族たちは、エルゼアリス家に仕えるアレクサンドリア家の中でも精鋭揃いである。そこに自らが加わったとて邪魔になる可能性もあった。サラは心中の悩みを押しつぶし、決断を下した。
「……分かりましたわ。お母様、ありがとう。大好きよ。」
サーシャを軽く抱いてそう言うと、サラは弓を仕舞い森の方へ駆けて行った。すぐにその姿は木々に紛れ見えなくなる。サーシャはサラの後ろ姿を名残惜しそうに眺めていたが、すぐに第八魔王の方へ向き直った。
「娘との別れを待っているとは、伝承で聞いたものより大分と慈悲深いのですね。」
「良い、薄ら寒いお涙頂戴に吐き気を我慢していただけだ。」
「(下衆が……。クロエさんの影響が残っているかと期待しましたが、無駄でしたね。)」
サーシャの顔に分かりやすいほど嫌悪の表情が浮かんでいた。微笑みを常に浮かべている彼女だからこそ、その表情の変化は正直な心の現れであると理解できる。
「第八魔王。先に言っておきますが……。大人しく封印、もしくは捕まる気はありませんか? 私たちは戦いを望んでいません。たとえ相手があなたであっても。どうですか?」
「ほう、そうなのか?」
サーシャの言葉に第八魔王は少しだけ嬉しそうな声色で答えた。そして手にしていた大剣を自らの横に深々と突き刺すと、まるで不抵抗の証のごとくその場に座り込んだ。第八魔王の突然の奇行に、周囲の闇森族の一部がざわめき出す。
「正直言うと、我も戦いを望んでおらぬ。こうして少女の身体に宿ったのも何かの縁、第二の生涯は平和に過ごしたいと考えたのだ。先程までの非礼、全て詫びよう。さぁ、好きに縛でも何でも掛けるがいい。」
第八魔王は今や微笑みを浮かべて目を閉じていた。その姿はまるで敗北を覚悟した敗将の様でもある。しかしサーシャはその第八魔王の様子を厳しく冷たい目で黙って見ていた。
すると、闇森族の集団から、比較的若い闇森族の青年が歩み出てきた。その手には丈夫な縄が握られている。それを見たサーシャは慌ててその闇森族を止めた。
「止めなさい! 何を考えているのです⁉︎」
「……俺、コイツのこと、妹みたいに思ってたんです。家族がいたらこんな感じなんだろうなって。俺たちがコイツを信じなくて、誰が信じるんですか⁉︎ コイツがこう言うんだったら、俺はコイツを信じます!」
闇森族の青年はそう言うと、第八魔王の元へ走り出した。周りの皆はそれを止めようとするが、青年の言葉に揺れている者もいたらしく、結局誰もそれを止められなかった。
それは家族を知らない闇森族だからこそだったのかもしれない。その生まれゆえに家族から捨てられ、同じ境遇の仲間たちと家族の様に暮らしてきた。そんな彼らに取って、異世界に送られ一人孤独のクロエはまさに自分たちの仲間にふさわしい存在だったのだ。
青年が第八魔王のすぐ近くまでたどり着いた。第八魔王はその大きな瞳を見開き、信じられないという顔で青年を見上げている。
「き、貴様……。まさか、我を信じると言うのか……?」
「当たり前だ、家族を信じない訳ないだろう? さぁ、帰ってこい。俺は、俺たちだけは、お前の味方だ……!」
「そう、か……、そうか……。貴様は、貴様たちは……!」
第八魔王が何かをこらえる様に言葉を詰まらせると、青年に向かってその手を差し出した。青年もそれに応じる様に一歩踏み出し、迎えようとする。それを見た第八魔王が優しい笑みで口を開いた。
「――救いようのない馬鹿だな。」