第40話
その言葉と同時に、偽物の背後に蠢く虚腕の数が倍に増えた。ゾーンは一瞬うんざりとした表情を浮かべたが、すぐに表情を引き締め構えを取った。
偽物がもう一度笑みを浮かべると、数を増した虚腕が一斉にゾーンへと襲いかかった。流石にゾーンもこの数を前に悠長に避けてはいられなかったらしい。大きく背後に跳ぶと、追いかけてきた虚腕を捌いていった。避けるのは無論のこと、自分めがけて飛んでくる虚腕の拳の横を殴りつけて軌道を逸らすなど、苛烈な攻撃に対し上手く対応していた。
一方、偽物はただ楽しそうな笑みを浮かべるだけで何もせずに突っ立っていた。クロエは自分の腕の動きに虚腕を連動させていたが、この偽物はそんなことせずに大量の虚腕を見事に操っている。魔法の練度だけならばこの偽物は圧倒的にクロエに優っていた。
「(畜生、クロエの魔法はスゲェとは思っていたが、敵に回るとこうも厄介かよ! 唯一の救いはこいつだな。)」
心中で悪態をついたゾーンだったが、チラリと自分の両手を見た。その手には、以前の戦いでクロエが作ってくれた漆黒の手甲が収まっている。欠ける事も無く、拳にかかる衝撃の多くを遮断してくれるこの武器のおかげで、ゾーンはこれまでの戦いを乗り越えて来られたのだ。今自分を襲っている相手に助けられているような皮肉、ゾーンの口の端にも苦い笑みが浮かんだ。
「どうした? 随分と楽しげではないか。」
偽物が薄笑いを浮かべてゾーンへ話しかけてきた。まるでリビングに座る友人に声をかけるかのような気安さである。死に物狂いに近い様相で攻撃を捌くゾーンだが、それでも偽物の言葉に軽口で返した。
「けっ、これが楽しそうに見えるか⁉︎ だとしたらテメェは性根だけじゃなく目も腐ってるぜ。悪いこた言わねぇ、大人しく捕まんな!」
「ふむ……。」
ゾーンの言葉を最後に偽物が突然黙った。ゾーンの言葉に機嫌を悪くしたわけではないだろう。相変わらず攻撃の手は緩むことはないが、腕を組みじっとゾーンをかんさつしている。
「(んだコイツ……、突然黙りやがった。クソが、何考えてやがる?)」
訝しげに偽物を睨むゾーンだったが、いかんせん偽物の攻撃の波が激しすぎた。先程から襲い来る虚腕を捌きつつ何とか偽物へ接近しようと図っているのだが、それも叶わずにいた。
「……ふむ、なるほど。それ、か。」
「あ? 何言ってやが――ッ⁉︎」
突然偽物が意味深な発言を零した。それにゾーンが反応した瞬間には、偽物はすでにゾーンのまこと眼前に迫っていた。突然の事に反応しきれないゾーン。偽物は虚腕でゾーンの胸ぐらを掴み、そのまま持ち上げた。
「ぐ、ぅうッ⁉︎」
「うむ、狙い通りだ。この身体の固有魔法を外殻のようにまとい、身体能力を底上げする。素晴らしいじゃないか。おかげで何となく戦いの感覚を思い出して来たぞ。」
「クソ、が……! 殺すなら、早く殺しやが、れ……ッ!!」
ゾーンが悔しそうな声を上げた。これまでの戦いで疲弊していたとはいえ、戦いに負けクロエを止められなかったのだ。悪態の一つや二つ吐きたくなるのも不思議ではない。
偽物はゾーンを捻じ上げ何か考え込んでいたが、突如その表情を一層危なげなものに変えた。それはまるで悪戯を思いついた少女のようにも、残酷熾烈な悪魔のようにも見えた。
「……いや、お前はまだ殺さぬ。少し、良い事を思いついた。」
「んだ、と……⁉︎
ゾーンが訝しげな声を上げたが、偽物はそれに構わず背後から虚腕を二本追加で出した。二本の虚腕は左右からそれぞれ蠢くと、ゾーンの両拳に付いている手甲に触れた。そしてまるで手甲に吸収されるように虚腕が手甲へ入り込んでいく。手甲自身が生きているかのように脈打ち、蠢く。
「や、やめろ……ッ‼︎ 離し、やがれッ‼︎」
「ああ、離すとも。ほら。」
偽物は呆気なくゾーンを放り出した。ゾーンは背中から地面に落ち、ろくに受け身も取れず苦しそうに呼吸をする。しかし果敢にも立ち上がり構えを取る。だがその視線の先にあった両拳、それを包む手甲の様子は様変わりしていた。
「な、何だこりゃあ……?」
ゾーンが胡乱な声を上げたのも無理はない。ゾーンの両手の手甲は気味悪く蠢き、今やゾーンの二の腕あたりまで侵食していたのだ。
ゾーンは急いで手甲を外そうと試みた。しかし両腕が包まれている以上、どれだけ手を動かしても外すことができない。むしろ蠢く手甲はゾーンの抵抗を感知したのか、その侵食の速度を格段に上げた。
「ぐっ、が……、がぁッ! 何が狙いだ、ちくしょう! クソが、やめろぉぉおおおッ‼︎」
「クフフ、ハッハッハッ! すぐにわかるさ、すぐにな。」
偽物が楽しそうにこぼした。そうしている間にもゾーンへの侵食は進んでいき、身体のほぼ全てがすっぽりとクロエの影に覆われてしまっている。空いている箇所といえば、背中と鼻より上の顔面ぐらいだろうか。今や話す事も出来ないらしい。
「(ちくしょう、外れねぇ……! 身動きも取れねぇ。ヤロウ、何が目的だ……⁉︎)」
渾身の力で抵抗するが、闇森族の筋力をもってしてもわずかに動くことしかできない。唯一自由の効く目で偽物を睨みつけた。偽物は楽しそうに笑っていたが、一度目を閉じると突然その表情を困惑したものに変えた。と同時にしおらしい声を上げた。
「サラさん!」
「(何だと……⁉︎)」
ゾーンが眼球の動きで何とか右の方を向いた。その視線の先には、先ほどミーナとともに後方へ下がったサラがいた。おそらくミーナの治療が終わり戻ってきたのだろう。息を切らし、急いで来たことが分かる。
「ク、クロエさん……? それにゾーン、その姿は……?」
「(マズイ! お嬢様が危ねぇ……!)」
しかしゾーンの意思に反し、口を開くことはできずサラへ危険を伝える事も出来なかった。それどころか、ゾーンにまとわりつく外殻はゾーンの意思に反しその身体を操り始める。その足は前進し、在ろう事か偽物の方へその身体を運んでいった。そして腕を振り上げ偽物へ殴りかかろうとさせる。
すると、今まで殊勝な表情で黙っていた偽物が突然サラの方へ向かって声を上げた。
「た、助けてサラさん! ゾーンさんが突然ボクを……! うわぁっ!」
それはクロエそっくりの声色だった。ゾーンの拳を必死なふりでかわして逃げる。それはまさに突然のことに動揺して逃げるしかない弱者そのものだ。サラはもちろんのこと、ゾーンも偽物の狙いがわからない。
「(コイツ、何の真似だ……? 俺の体を操って、俺にテメェを襲わせて、自分は弱いふりだ? クソ、分かんねぇ……!)」
最初の攻撃から数回、ゾーンは外殻に操られて偽物を攻撃し続けていた。しかしその攻撃も苛烈なものではなく、普段のゾーンの攻撃に比べれば可愛いほどである。実際、弱々しい演技をしている偽物も必死な様子でかわして見せているが、時折ゾーンにしか見えない角度でその口の端を歪めていた。
「やだ、やだ……! いやだ、怖いよ! 助けて、誰か助けて!」
「わっ、ひゃっ⁉︎ うぅ……!」
「サ、サラさん……! 助けて! サラさん……‼︎」
偽物は弱者を演じながら、必死に攻撃をかわし続けている。その様子に、とうとう堪え切れなくなったサラがゾーンを止めに入った。
「止めて! 止めてゾーン! どうしてそんな事をしますの⁉︎ あぁっ!」
必死にゾーンを止めようと背中からサラが覆いかぶさるが、元の体格が違いすぎる。呆気なく引き剥がされてしまった。
それでも諦めず何度もゾーンを止めようと試みるサラだったが、何をしてもゾーンは止まることがなかった。その間もゾーンは偽物を攻撃し続けている。偽物は弱者の演技を続けるが、サラからすれば既にその姿はクロエそのものだった。
そして遂にゾーンは偽物を追い詰めた。追い詰められた小動物のように、偽物は大樹を背に震えている。ゾーンは偽物に詰め寄り、その巨大な拳を振り上げた。
しかしその拳が振り下ろされることはなかった。とある物がゾーンの動きを止めたのだ。それはゾーンのガラ空きの背中に突き刺さった、薄緑色に発行する一本の矢だった。
「はっ、はっ、は……っ!」
サラが呼吸を荒げて弓を構えていた。クロエの危機を見てとっさにゾーンを射抜いてしまったのだ。呆然とした表情でゾーンの背中に突き刺さった、自分の作り出した矢を見つめていた。
「あ……、嫌……、嘘、私そんなつもりじゃ……! ゾーン!」
サラがゾーンの元へ駆け寄った。膝をついてその身体を揺さぶる。矢は運悪く致命傷となるような場所に突き刺さっていた。このままではゾーンは死ぬだろう。
ゾーンの体を覆っていた黒い外殻が、風に吹かれた塵のように消えていった。うつ伏せで倒れているゾーンが、顔を横にして口を開いた。
「た、助かりやした……、お嬢様……。申し訳ねぇ……。」
「え……? 助かったって……、ど、どう言う、ことですの……?」
「そ、それは……、俺は、アイツに――ガハッ‼︎」
ゾーンが言葉を続けようとしたその時、突如として飛来した黒い塊がゾーンを背中から貫いた。それは両刃の巨大な剣だった。サラの目が驚きに見開かれる。そこへ、先程まで演技を続けていた偽物が近寄ってきた。嫌らしい、邪悪な笑みを浮かべながら。
「なかなかに面白い余興だった。よく踊ったな、森精族の小娘。」
「え……、ク、クロエさん……? な、何を……、ゾーンが、ゾーンが!」
「死んだよ、現実を見ろ。貴様の矢が発端でな。ハハハ。」
理解が追いつかないという目で偽物を見上げるサラ。偽物は愉快そうにサラへ真実を叩きつける。
「貴様は騙されていたのだ。この男は我の魔法で操られていたのだ。自分で動くことはできぬ。貴様は我の演技に騙され、この男に矢を射ったのだ。ご苦労だったな、ハッハッハッ!」
「そ、そん……な……。私の、私のせいで、ゾーンは……‼︎ あ、あぁぁああっ‼︎」
サラがゾーンの遺体に泣き崩れた。その様子を愉快そうに、ニヤニヤと見つめる偽物。そんな混沌とした場に、最悪のタイミングでとある人物が辿り着いてしまう。
「えっ、どういう、こと……? 何、この、状況……?」
それは傷ついた身体に鞭打ち、必死にこの場に戻ってきたシーラだった。シーラは泣きじゃくるサラを、その下で物言わぬ状態となっているゾーンを、そしてそのゾーンの背中に突き刺さっていた大剣を引き抜き消し去った偽物を見た。
「族長……? 何で、そんな血が出てるのさ……? 死んでるみたいじゃん、それじゃあ……。冗談キツイよ、ねぇ、起きてよ……!」
「馬鹿か貴様、この男は死んでおる。襲ってきたから殺してやったわ。」
愉快そうに吐き捨てられたその言葉に、シーラの顔から表情が抜け落ちた。そしてポツリと小さく呟く。
「何で……。」
足元に落ちていた、折れた木を拾い上げる。
「何で、こんなことをしたのさ……! 信じていたのに、仲間だと、家族みたいに思っていたのに……‼︎」
逆手で構えて、一歩二歩と歩み始めた。
「答えてよ! お願いだよ……。嘘だって言ってよ、間違いだって、誤解だって言ってよ‼︎」
今やシーラの表情は、悲しいのか怒っているのか笑っているのか、訳の分からない表情になっていた。クロエを信じたい気持ちと、目の前の事態に激昂する気持ちが混ざり合って心をかき乱しているのだ。
しかし、シーラの想いは届かなかった。
「五月蝿い、何度も言わせるな。この男は我が殺したと言っているだろうが。この手でな。」
「――あ、ああぁあああぁぁあぁああぁあああッッ‼︎‼︎」