第33話
響いたのはアレクサンドリア家の族長、ゾーン・アレクサンドリアの声だった。【魔力念話】越しの声であっても迫力を感じさせる声はとても特徴的だが、今やその声も焦燥に駆られていた。
「族長? 聞こえておりますが、この警鐘は何ですか? 第一級警戒事態発生なんて、よほどの事がないとならないものでしょう?」
『そのよほどの事が起きてんだよ! ウチの国外警備部隊が捉えた情報だが、この国に向かって動物や獣物どもが集結しつつある! しかも奴ら、揃いも揃って正気じゃねぇらしい! 裏が取れたわけじゃねえが、中には魔物も混じっているっつう噂だ! お前今どこだ!?』
ゾーンの語った言葉は、間違いなく警戒に値する内容だった。正気を失った動物や獣物たちがシドラへ襲い来る。これはもはや、他国が攻めて来るのと遜色ない事態だ。
「私はお嬢様とクロエ様と共に市場の方へ来ております。そちらに合流しますか?」
『ああ、そうだな……、いや、やっぱりそのまま市場に一番近い城門の方へ向かえ! お前の実力なら先遣隊として申し分はない。サラお嬢様とクロエもいるんだろ? 二人には避難してもらえ。何人か人員は送るが、あまり期待はするな。』
「まさか、多方面から襲来しているのですか?」
『多方面なんてもんじゃねぇ! 全方面からだ! 俺を含め主力の何人かは魔物の観測報告があった方角へ向かわなならん。お前に任すしかねぇんだ!』
「……かしこまりました、お待ちしてますよ。」
『いいか、ギリまで頑張ってもらいてぇが本気でマズイと思ったら逃げろ。誰も責めやしねぇ。お前が一人で対処出来ん相手なら、俺ら全員で対処する案件だ。絶対に死ぬな、俺らを頼れ! いいな!』
ゾーンの言葉を最後に【魔力念話】が途切れた。そしてミーナはクロエとサラの方へ向き直る。
「お二方とも、先程【魔力念話】にあった通りでございます。私はこのまま敵の迎撃に向かいますので、どうぞ避難を。」
しかし、それを聞いた二人は避難しろと言われて「はいそうですか」と言われた通り避難するような性格ではなかった。仲のいい相手が一人死地に向かうのを傍観などできなかったのだ。
「何を言ってますの? あなた一人で向かわせるわけにはいきませんわ! 私も行きますわよ。後方支援がいた方が有利なのは、言うまでもありませんわよね?」
「ボ、ボクも行きます! この数か月、勉強も訓練も頑張ってきました。邪魔にならない自信はあります!」
案の定、クロエとサラはミーナの避難勧告を跳ねのけ同行することを宣言した。その反応にミーナは一瞬反論しようとしたものの、口を開くことはなかった。ミーナは内心、クロエとサラの二人ならこのような反応をすると分かっていたのだ。おそらくこれからどれだけ言葉を重ねても二人がミーナを置いて避難することなどないだろう。ならば、それにかける時間は無駄である。
それを悟ったミーナは、軽くため息を吐いた。
「……本当なら、お二人を縛ってでも置いていくべきなのでしょうけどね。ですが、特にクロエ様。これだけは覚えておいてください。これは訓練でも、普段の哨戒任務でもありません。何が起こるかわからない以上、本当に危ないと感じたら何をおいても逃げてください。いいですね?」
「わ、分かりました……。」
「ご理解いただけて何よりです。さて……。【パンドラ】、オーダー『B.H. Mk.2』。」
ミーナの真剣な声色には有無を言わせない迫力があった。クロエはただ頷く。それを確認したミーナは【パンドラ】を展開し、愛用の巨大なハンマーを取り出した。
それに続き、サラも同じく腰のポーチから深緑の球を取り出し魔力を込める。それに応じ球から樹木が芽吹き一本の弓の形を成した。サラの主武器である「旋風」である。サラは旋風の蔦で出来た弦の張り具合を確かめた。
二人が武器を携える中、クロエは一人素手である。見ればその体のどこにも武器は携えていない。ミーナのような固有魔法もないので、現在クロエは正真正銘無手であった。しかし、そのことを自覚しているクロエは慌てる様子もなく、肩を回したり深く呼吸をしたりとウォーミングアップをしていた。
「編隊はいつも通りですのね?」
サラの言葉にミーナは頷いた。
「ええ。クロエ様が先陣を切り私がそれに続く。お嬢様には殿として後方から支援をしていただきます。クロエ様、よろしいですか?」
「分かりました。いつも通り、ですね。」
「はい。それでは参りましょう。」
ミーナの言葉に二人は無言で応えると、三人は示し合わせたように同時に動き出した。この世界に来て数ヶ月のクロエであってもその動きに迷いはない。それ程までに訓練を積み重ねてきた証左である。
三人は城門へ向かって駆けた。その道中にはすでに人々の姿はない。第一級警戒事態の警鐘が鳴ると同時に、街にいた森精族たちは各自近くの避難所へ避難していた。幸か不幸か、城門までの道は走りやすい。
「――ッ! 見えました、すでに中に侵入されてます!」
先頭を走っていたクロエが声を上げた。クロエの声に導かれサラとミーナの視線が集中した先、そこには無残にも破壊された城門と跋扈する敵の姿があった。シドラに侵入した動物や獣物たちは、正気を失ったように唸りを上げている。一部はおぞましい事にお互いにお互いを喰らいあっていた。すでにそうした争いで城門付近は血に染まっている。
「クロエ様、後詰めはお任せください。」
「でも、無茶だけはダメですわよ!」
サラとミーナがそれぞれクロエへ声をかけた。二人からの言葉を背に、クロエは足に力を込め弾かれたように飛び出した。
迫るクロエの姿に敵が気がついた。新たな獲物がやってきたとばかりに好戦的な視線を向ける。牙をむき出し爪を戦慄かせ、無謀にも無手で迫る華奢な少女を食らわんとしていた。
しかし、何もクロエは意地や矜恃で武器を持たなかったわけではない。持つ必要がないのだ。クロエは「無属性」というこの世界でも唯一無二な魔力を足元へ流し込んだ。そして、この世で彼女しか使えない、彼女だけの魔法の名を詠唱する。
「【影操】!!」
呼ばれた名と共に、クロエの足元の影がまるで蠢くように波打った。敵に迫りながらクロエは右手を真横に伸ばす。同時に、とある名を呼んだ。
「来い、虚鴉!」
波打ち蠢く影が寄りあつまるように凝縮し、クロエが差し出した手元へ向かって集まった。まるで夕焼けに群れで飛来する鴉の如く。クロエの手元へ集まる影は、その手元へ収まる頃には一つの形となっていた。
それは、一本の打刀だった。鍔も柄も刀身も、全てが漆黒に染まっている。黒でない部分が存在しない黒刀を、柄が先となる逆手の形で受け取ったが故に、クロエはその華奢な腕からは想像できないほどの様子で軽々と回した。
クロエは刀を霞に構えると、数歩ののち、ひときわ大きく飛び出した。向かう先にいるのは何の因縁か、クロエがこの世界に来て初めて命の危機を覚えた相手であるトライウルフである。
トライウルフは正気を失った様子で、口の端からは涎と共に軽く泡すらも吹いていた。しかし、敵愾心は衰えることもなく少しだけ身を沈ませると、反動をつけてクロエへ飛びかかる。
空中で会敵する形となったクロエだったが、その表情に恐れは見られなかった。冷静に身体を捻りトライウルフとすれ違う体勢になると、霞に構えた刀を脇に下げる。そして、トライウルフとすれ違うその瞬間。身体を水平方向に回す動きと共に、トライウルフを真横一文字に切り裂いた。
哀れ二枚におろされたような形となったトライウルフは、絶命の悲鳴をあげることなく飛びかかった勢いのまま地面に叩きつけられた。そしてクロエが着地すると同時に、柔らかい血肉が叩きつけられる湿った音がクロエの背後から耳朶を叩く。その音に一瞬顔をしかめたクロエだったが、すぐに表情を引き締めると目の前の敵たちに視線を送った。
油断なく刀を霞に構えたクロエだったが、視界の端に黒い影を捉え、とっさに刃を眼前に送った。すると次の瞬間、硬いもの同士が衝突する鋭い音と共にクロエの手元へ衝撃が襲いかかる。
「く……ッ!」
顔をしかめたクロエが空中を仰ぎ見た。そこにいたのは鳩を一回り大きくしたような姿の鳥である。その鳥はクロエの頭上を一周すると近くの木の枝にとまった。鋭い爪が木の枝に食い込み跡を残す。あのような鋭い爪で攻撃されようものならば、クロエの柔らかい肌はいとも簡単に裂け血潮が舞い踊るだろう。
その様子をありありと想像してしまったクロエは少し顔を青ざめさせた。数ヶ月の訓練で戦闘での恐怖心は幾許かは軽減されたものの、なくなることはない。かすかに震える両手に力を込めて周りを見据える。
すると、巡らせた視線の先にミーナの姿が見えた。ミーナは【パンドラ】から取り出した巨大なハンマー、「B.H. Mk.2」を縦横無尽に振るい、襲い来る敵たちをミンチへと変えていく。その様子は華麗な舞のようにも、洗練された型のようにも見えた。思わず見とれるクロエ。その構えにほんの少しの隙が生じる。
「ーークロエ様⁉︎」
「え……、あっ!」
戦いながらもクロエのことを気にかけていたらしいミーナがクロエの名を呼んだ。その声でとっさに我に帰るものの、その時にはすでに先ほどの鳥を始め多くの動物や獣物がクロエめがけ飛びかかっていた。
「(あ……、えとっ、刀をしまって、それで、あの、あ……!)」
本当ならいくらでも対処のしようがあったはずだが、とっさのことに何も出来ずクロエはまごつくだけであった。あとほんの数センチで鳥のかぎ爪がクロエの眼前に突き刺さる。クロエがもうダメだと目をつぶりかけた、その時。
「グギャァッ⁉︎」
「ガギャッ!」
「ギッ……ヒッ!」
クロエへ攻撃を仕掛けた敵たちが、それぞれ絶命の叫びをあげた。先ほどとは違う理由でクロエが動きを止める。断末魔をあげた動物や獣物たちの頭には、魔力で固められた緑色の風の凝縮体が突き刺さっていた。
「今ですわ、クロエさん!」
「――ッ! はい!」
クロエは持っていた刀を、自身に飛びかかろうとしていた猿のような敵に投げた。虚を突かれた敵は避ける間も無く大きく開けた口に刀を迎え入れる。断末魔も上げられず敵は絶命するが、今のクロエはまたもや無手である。敵もそれを察したのか、慎重にジリジリと距離を詰めていた状態から一気にクロエへ襲いかかった。
「【影操】、虚腕!」
敵がなだれ込むその直前、クロエが新たに魔法を詠唱した。その声とともにまたもクロエの足元の影が波打ち、中からあるものが姿を現した。
それは一本の腕だった。クロエの背丈の二倍はあろうかという、太く力強い腕だった。右腕と思わしきその手の指先は鋭く尖っている。クロエが虚腕と呼んだその腕はクロエの背後からクロエの右手の動きと連動して動く。右手を体の前に、自らの体を抱きしめるように動かすと、虚腕も同じくクロエを守るようにクロエの前へ動いた。
「せいやっ!」
可愛らしい掛け声とともにクロエが右手を薙ぎ払う。クロエの細腕では大した威力はなかろうが、クロエの召喚した虚腕ならば話は別だ。恐ろしい風切り音と共に、まるでゴミを払うかのように払われた虚腕は、クロエに襲いかかる敵をまとめて払いのけた。
混ざり合った汚い悲鳴と共に敵たちはそれぞれあさっての方向へ飛んで行った。一部は生えていた樹木にぶつかり、無残な姿へ変わる。そのことに胸が痛まないクロエではなかったが、そうでもせねば自らが肉塊へ変わるのだ。仕方ないことだと心の中で言い訳をつぶやき痛みを押しつぶす。
「大丈夫ですの⁉︎」
遠くから先ほどの声が聞こえてきた。近くに敵がいないことを確認してからクロエは背後へ振り向く。少し離れたところ、木の幹の上にあったのは膝を立てて弓を構えたサラの姿だった。
先ほどクロエの窮地を救った緑の風は、サラの固有魔法【ウィンドアロー】である。弓を主武器として戦うサラであるが、その武装の中に矢筒はない。サラは自身の魔力で風を凝縮し矢とすることができるのだ。そのおかげで、体内に蓄積できる魔力が尽きない限り無限に矢を射ることができる。しかもその矢はサラの意思である程度方向操作が可能であり、このジーフ樹海のような木々が密集した場所であっても構わず矢を射ることができるのだった。
「はい! ありがとうございます。助かりました!」
「それは良かった。ですが、油断してはなりませんよ?」
クロエの言葉に答えたのは、いつのまにかクロエの背後に立っていたミーナだった。驚いて振り向くクロエ。そこに立つミーナは一切の息の乱れもなく、また服などに返り血もない姿だった。代わりに、その肩に担ぐハンマーにはべっとりと血糊が付着していた。




