第31話
「(あれは……、あれが、『無属性』の属性反応? まさに『無』にふさわしい色と言う訳ですね。)」
ミーナはクロエの右手に出現した魔力球に対し、素直な感想を抱いた。しかし睨みつける視線は厳しいままである。その理由は、魔力球から感じるあるものにあった。
「(……ですが、この感じる魔力量、これは明らかに小魔法の魔力量では……。まさか、多量の魔力を無理やり小魔法の形に押し込めた? そんな芸当を、転生者であるクロエ様が、初めての魔法で……?)」
ミーナは正直、よもやクロエが魔法を発動できるとは考えてはいなかった。魔法が発動できずうんうんと唸るか、もしくは奇跡的に発動できても不発に終わるだろうと高をくくっていたのだ。
それが、ごく当たり前のように小魔法を発動したばかりか、明らかに小魔法ではあり得ない量の魔力が込められた魔力球が生成されている。その矛先はミーナ自身。少し前まで教え子を見守るような心持でいたミーナだったが、いまや敵と相対するような心持になっていた。
「……。行け、【虚空小魔法】!」
「――ッ!?」
突然、クロエが魔法を放った。凄まじい速度で射出された魔力球は、一切の容赦を感じさせない弾道でミーナへと迫る。数秒にも満たない時間の中で、ミーナは培われた戦闘経験からほとんど無意識のうちに自信の固有魔法を発動させていた。
「【パンドラ】!」
魔法名の詠唱と同時に右手を何もない場所へ突き出す。すると、まるで時空に裂け目が出来たかのようにひび割れが生じ、そのひび割れへミーナの右手が吸い込まれた。そして右手を入れた次の瞬間には再び右手と、そして右手に握りしめられたとあるものを抜き出した。
ミーナが持っていたそれは、巨大なハンマーだった。ヘッド部分がミーナの胴体ほどの大きさもある代物で、インパクト面の片方は鋭い棘がびっしりと並び、反対側はまるでジェット装置のようなものが着いている。このシドラの雰囲気にそぐわない、とてもメカニカルな外見だった。
ミーナはハンマーの柄を両手で握ると、素早い動きでハンマーを後方へ流し構えを取る。迎撃の構えだ。そしてミーナはまるで竹刀を絞るようにハンマーの柄の一部を回転させる。すると、柄を通しミーナの魔力がハンマーへと流入した。そしてその魔力をエネルギー源に、ハンマージェットが唸りを轟かせる。
「――ハッ!!」
目前まで迫った魔力球を、ミーナは気合一閃、正面から迎えうった。ダークエルフの膂力とハンマージェットの推進力で爆発的な加速を見せたハンマーヘッドは、迫りくる魔力球を芯でとらえる。瞬間ハンマーの柄が少ししなるほどの拮抗があったが、最後はミーナが腕力にものを言わせ魔力球を上空へと打ち上げた。
上空へ打ち上げられた魔力球は、しばらくの間目標のいない上空を飛翔するもすぐに霧散した。訓練場の皆はポカンとした表情で、平和な青空を見上げている。しかしその中でミーナだけは視線を上空へ向けず、油断なく魔法の元凶であるクロエへ視線を向けていた。
「……、……?」
当のクロエは尻餅をついた体勢で、自らの右手を呆然とした表情で眺めていた。その表情に敵意のような物はなく、自らが放ったものが信じられないという考えが顔に描かれている。
「(あの様子は……、おそらく本当にびっくりしているのでしょうね。あれが演技だとしたら……、いえ、考えるのは止しておきましょう。)」
「――ふぅ。」
ガシャンという大きな音をたてて、ミーナはハンマーを床へ降ろし構えを解いた。ハンマー自体の重量もすさまじく、並みの人類種ならば持つことすら叶わない代物であるのだ。
そして、その音で我に返ったらしいクロエが、音の発生源であるミーナの方へパッと顔を向けた。一瞬の間の後、その表情が信号のようにサッと青に変わる。
「ご、ごめんなさいっ!! 大丈夫ですか!?」
半泣きの様相でクロエがミーナの元へ駆け寄った。その顔には先ほど垣間見た攻撃性は微塵も感じられない。ミーナは一切の警戒を解いてクロエを迎えた。
「大丈夫ですよ。あれしきのことで怪我を負うほど鈍ってはおりませんから。それより、クロエ様の方こそお怪我などはありませんか?」
「ボ、ボクは何ともないですけど……。あの、信じてもらえないかもですけど……、さっきのはわざとじゃなくて……、その……。」
クロエがおずおずと弁明を始めた。自分のせいじゃないと伝えたいのだろうが、それでも自分の責任は感じているらしく、何とも中途半端なものになってしまっていた。ミーナはその言葉とクロエの表情を見て、小さく噴き出した。
「分かっていますよ。先ほどのような事態は、実は魔法の初心者には時折みられるものなのです。まぁ予想よりも強力でしたが、それもクロエさんの才能あってのことでしょう。」
「そ、そうだったんですか……?」
ミーナの言葉にクロエの表情が少しだけ明るくなった。自分に起きた異常が珍しくないという事実と、褒められたという事実。青かった顔も今や普通の顔色に戻っている。
「(フォローは成功したようですね。……異世界には『嘘も方便』という言葉があるそうですが、なるほど、よく言ったものです。)」
ミーナは内心で感心していた。実は、ミーナが先ほどクロエに言った言葉、「初心者には時折みられるもの」と言うのは真っ赤な嘘であった。クロエを安心させるためにとっさに言った言葉だったが、思惑通りにクロエは心を落ち着かせている。
「さぁ、仕切り直して魔法の勉強を再開しましょう。……と、その前に。私としたことが忘れ物をしてしまいました。申し訳ありませんが、少し待っていてください。」
「分かりました。」
「私が戻るまでの間は、そうですね、シーラと休憩していてください。そこまで時間をかけずに戻って来られるはずですが。」
そう言ったミーナはシーラを呼び、今さっきクロエに言った言葉と同じことをシーラに語った。
「えー? ミーナ姐さんが忘れ物なんて珍しいねぇ。明日は雨かな?」
「私とて忘れ物ぐらいしますとも。……特に、あなたが先日壊した窓の補修などを行って忙しい時なんて特に、ね?」
「う……っ!? あ、あはは……。クロエちゃんあっち行こうか! あっち!」
思わぬ藪蛇、シーラの額に冷や汗が光る。シーラは強引にクロエの手を取ると訓練場の端へと引っ張っていった。それを確認したミーナは踵を返すと、訓練場の扉をくぐる。
「っ! ふぅ……。」
扉を抜けて少しした後に、ミーナは突然自分の右ひじを抑えた。よく見ると微かに右腕が痙攣している。ミーナの表情も普段に比べ、どこか苦しげであった。
すると、ミーナが痛みを覚える彼女に右ひじに、痛みを抑える冷たさが現れた。驚いたミーナが視線を向けると、そこには革袋のような物をミーナの右ひじに当てたサラがいた。
「お、お嬢様……。気づかれてましたか。」
「シーラちゃんの言葉ではないですけど……。あなたが忘れ物をするのも珍しいですし、何よりタイミングが急すぎですわ。……大丈夫ですの?」
「問題ありません。少し筋を痛めた程度でしょう。」
「あなたがそう言うのなら無理に止めはしないですけど……。ねぇミーナ、クロエさんの様子、気付きました?」
ミーナに水の入った革袋を渡したサラは、少し表情を暗くしてミーナへ問いかけた。その様子から、ミーナはサラが何を言いたいのか察する。
「……ええ。あの視線を真っ向から受けておりましたから。」
「目を疑いましたわ。あの表情、視線、雰囲気……、殺気に満ちて……。あれは、流石に見間違いなどでは片づけられませんわ。」
「そうですね……。それに、まさかいきなり魔法を発動できるとも思いませんでした。しかもあの威力……。とっさに弾けたから良かったですが、下手を打てば私もここに立っていなかったでしょうね。」
二人の間に重い雰囲気が流れる。純粋な笑みを浮かべるあの少女を疑いたくないという想いは二人の共通認識であるが、それでも嫌な想像しか浮かばない。そうせざるを得ない歴史がこの国にはあった。
「……例えどんな真実であろうと、私はクロエさんを守りますわ。これだけは譲りませんわよ。」
「私とて、クロエ様を害そうなどとは考えておりませんとも。ですが、アレクサンドリア家の一員であることは忘れられません。」
「その時は……、私は、エルゼアリスの名を捨てても構いませんわ。この名があなたを苦しめるなら。……私を縛るなら。」
サラの瞳には決意が宿っている。この頑固さは母親譲りか。サラの瞳に仕える主の面影を垣間見たミーナは、小さくため息を吐いた。
「……何はともあれ、あれだけでは何も分かりません。これからの時間で、慎重に探っていくしかないでしょう。」
「分かりましたわ。……それでミーナ? これからどう誤魔化しますの? 忘れ物をしたといったからには、何か持ってこないと流石に疑われますわよ?」
「そうですね……。」
ミーナが頬に手を当てて考えた。このポーズは彼女が考え事をする時の癖であり、それを見たサラはどこか懐かしい思いを得た。
「本当なら、今日の夕方にお出しする予定だったお菓子がございます。それを持ってきましょうか。『今日頑張ったご褒美』として。」
「……そうですの。では、私は先に戻ってますわね。」
サラはそう言うと、踵を返し訓練場へと戻っていった。ミーナはその後ろ姿を少しの間見つめていたが、すぐに歩みを再開させた。