第28話
「あー!! つっかれたぁー!!」
座学が終わりシーラは伸びをしながら大声で叫んだ。自ら言っていた通り座学が苦手であったらしい。眉をハの字型にして机に突っ伏した。
一方のクロエは初めて知る事ばかりだったためか、座学が終わった後でも疲労の様子は見えず楽しげな表情であった。元々前世では大学まで進学した身である。知的好奇心は旺盛なタイプだった。
「(でも、こうして勉強してみて分かった。やっぱりボクの魔法属性は異常だ。『無』って言うのがほんと意味わかんない。『無』以外なら、他の属性の派生か合成か予測できるのに……。それに、『魔法適性値なし』って言うのは『0』って意味なのかな? いやでもそれなら『0』って示されるだろうし、それにあの時全員の適性値を500以上にするって言ってた……。うーん……。)」
多少知識が備わったため、クロエは改めて自らの異常性が確認できた。自分なりにその異常性に理由をこじつけようとするがそれも叶わない。うんうんと唸るだけが関の山だった。
「ねーえー、クロエちゃん。クロエちゃんってばー!」
「ふぇ!? あっ、ちょっ、な、何……?」
突然後ろからシーラがクロエに覆いかぶさって来た。背中に仄かな柔らかさと温かさを感じたクロエは頬を若干染めてシーラを引きはがす。シーラは口をとがらせ手を頭の後ろに組んでいた。
「座学終わったよ! ご飯食べに行こ?」
「あ、そっか……。うん、行こうか。」
「シーラ、クロエさんをしっかり案内してあげてくださいね。あと、午後の訓練は西のテラスで行います。食事が終わったら来てくださいね? あ、お嬢様。片付けは私が行いますから、どうぞクロエさん達と一緒にお食事へどうぞ。」
「そうですの? では、シーラちゃん、クロエさん行きましょうか。」
資料を抱えたミーナが後片付けを請け負った。持ち出した資料も少ないので、無理に手伝う理由のないサラは素直に厚意を受け入れる。シーラが先頭に立ち、広い屋内を歩く三人。時折ダークエルフの従者とすれ違う。彼女たちは屋内の清掃などを請け負う役割らしい。
「基本的に、女が内勤で男が郷の外の探索とかなんだ。ダークエルフは男女関係なく、普通の森精族より身体能力高いんだけどねー。」
「それじゃあ、シーラもいつかはさっきの人みたいに掃除とかするんだ?」
「いや! あたしは外で哨戒とかしたい! お掃除とかつまんないし!」
ぷいっとそっぽを向いてシーラは内勤を拒否した。彼女の性質を多少なりとも知っているクロエとサラからすれば納得である。しかし普段郷の外で活動しているサラは、郷の外の危なさを知っていた。
「でもシーラちゃん、郷の外は危ないですわよ? 動物や獣物はもちろん、魔物だっていますわ。訓練もですけど、もっと勉強もして知識を蓄えなくては危険すぎますわ。」
「んむぅー……、それは分かってますけどぉ……。」
分かっているとは言ったものの、シーラは不満そうであった。その不満そうな表情のまま食堂へたどり着いたシーラと追随するサラとクロエは用意された昼食を取る。そして食事が終わり少しして、運動のできる格好に着替えも終えた三人の姿は屋敷のテラスにあった。
そこは昨夜クロエが大長老と共に訪れたのと同じ、大きなキノコで出来たテラスだった。昨夜のテラスよりも面積が大きく、同じように柵はあるもののイスやテーブルの類はなかった。その代わりに様々な訓練道具などが用意されている。ここが国外で活動する者たちの為の訓練場であった。
クロエたちがそこへ到着するころには、すでにミーナとゾーンが到着していた。周囲ではダークエルフの男性たちが各々訓練を行っている。彼らが国外のジーフ樹海で哨戒活動を行う集団の一部である。
「おう! よく来たな。午前は座学で肩こったろ? こっからはガンガン身体動かしてくぜ!」
「よっしゃ! お願いします!」
「お、お願いします。」
シーラは元気よく、クロエは少し遅れて返事を返す。ゾーンは満足そうに頷くとシーラと共に訓練へ向かった。残されたクロエの元にはミーナがつく。サラは離れた場所で弓の指導をしていた。
「さて、ここからは戦闘訓練ですが……。クロエ様は前世において、戦闘の経験はございますか?」
「いえ……。ボクのいた世界では一部の場所で戦争はありましたけど、ボクの住んでいた国では戦うこと自体ありませんでした。一応剣道と空手……、えっと、剣術と格闘を習った経験はあります。」
クロエの言葉にミーナは少し意外そうな表情を浮かべた。しかしすぐにいつも通りの表情に戻ると、「分かりました。」と言ってテラスに設置された棚へ向かった。
ミーナは棚に置いてあった厚い布で出来たグローブを手に取ると、それを装着す両に言ってクロエへ手渡した。何となくこれから何をするか察したクロエは素直にそれを両手に付ける。
「では、クロエ様がどれほど出来るか、僭越ながら見極めさせていただこうと思います。ご遠慮なさらずにかかって来てください。」
「は、はい!」
久しぶりの戦いに、クロエは緊張と同時にほんの少しの高揚を覚えた。その場で軽く数回跳躍し、身体の感触を確かめる。記憶にある自身の体格とはかけ離れた姿になってはしまったが、稽古で染みついた動きは忘れていなかった。
「(……うん。万全じゃないけど、まだ少しは覚えてる。)」
クロエは左手を前に半身で構えた。前後に軽くステップを踏みながら、ミーナとの間合いを図る。相対するミーナは特に構える事もなく、いわゆる自然体に近い体勢だった。素人に近いクロエから見れば、隙などは見つからない。
クロエが飛び込んだ。まずは様子見程度に左手で突きを放つ。ミーナは軽い動作でそれを躱した。ひらりと翻るロングスカートが実に優雅である。避けられたクロエはミーナへ向かって足刀蹴りを放った。しかしそれすらも予見していたかのように、ミーナは一歩後方へ下がりクロエの蹴りを避けた。
「(うわ、リーチ短い! でも、筋力は意外とあるな……。よし、もうちょっと近づいて――)」
「――せいっ!」
ミーナの実力の高さを感じたクロエは、もはや遠慮無用と判断した。素早い動作でミーナへ向かって跳躍すると、右膝をかち上げた反動を使って空中で左前蹴りを放つ。狙いはミーナの顔面だ。
ミーナはここで初めて避けることを止めた。クロエの蹴りを掲げた右腕で受け止める。クロエの体格が放った蹴りにしては存外重たい衝撃がミーナの右腕に加わった。
クロエはミーナの右腕を蹴った反動を活かし、そのまま後方へ一回転し着地した。とても身軽な動きであるが、実はその動作を行ったクロエ本人がその動作に驚いていた。とっさに取った行動であったが、まさか本当にこのようなアクロバティックな動きができるとは思わなかったのである。
クロエは再び油断なく構えを取った。その表情にはうっすらと笑みが浮かんでいる。意外と自分が戦えている事実に、少し浮かれていた。
「ふむ……。驚きました、クロエ様、結構戦えるのですね。……今の動き、もしや『カラテ』と呼ばれるものですか?」
「えっ、ミーナさん知ってるんですか!?」
「ええ。とは言ってもほんの少しですが。過去の旅において、『カラテ』の使い手である転生者の方に会ったことがありまして。最初の打撃の形で少しピンときました。打撃を放った後、すぐに拳を引きましたから。」
「ボクはそんな達人じゃなくて、ほんの少し習った程度ですけどね……。」
クロエが苦笑交じりに言った。前世においてクロエが空手で取ったのは初段。黒帯とは言え初心者と言っても過言ではない。
ミーナは手を二、三度握り開き、そして構えを取った。左手を前にした半身の体勢に、左手を下げ右手は顎の前あたりに。異世界とは言え人型である以上、格闘の構えは大差がないらしい。
「それでは、もうしばらく攻めて来てください。クロエ様の格闘がどこまで出来るのか、今日の訓練はそれを見極めることにしましょう。途中からは私も手を出しますので、ゆめゆめ油断なさらぬよう。」
「それは……、怖いですね。精一杯、頑張ります!」
言葉と同時にクロエが跳び出した。左半身の状態から途中で腰をひねり、右の足刀蹴りを放つ。ミーナは冷静に左手でクロエの蹴りを外に向かって払った。一瞬クロエの胴体がガラ空きになるが、クロエは払われた勢いを利用しそのまま左回し蹴りを繰り出す。
ミーナは左足を外回りで後方に送る。左半身から右半身に体勢を入れ替え、自身の胴体を狙うクロエの回し蹴りを右腕で受け止めた。蹴りを受け止められたクロエはそのまま足を垂直方向に踏み抜く。狙うはミーナの右足先だ。
しかしミーナもクロエの動きをよく見ていた。サッと右足を素早く引くと、その反動を使ってクロエから距離を取る。しかしクロエも攻めの手を緩めなかった。避けられたとはいえ床を踏み抜いた反動は生きている。クロエはそのまま左足で床を蹴り大きく跳んだ。そして空中で右腕を腰に溜め、ミーナの顔面を狙い突きを放つ。
「(取った!)」
クロエは内心で勝利を確信した。それほどまでに思い通りの動きが取れたからだ。新しい身体の身体能力は高く、そして記憶にある前世の身体よりも思い通りに動いた。故に、クロエは少々調子に乗っていた。これならばどんな相手でも勝てるのではと、自分はかなり強いのではと内心驕っていた。
しかし、クロエの細やかな思い上がりはすぐに潰える。ミーナは放たれたクロエの突きを首の動きだけで避けると、そのまま右手で手首を掴みクロエをグイッと引っ張った。
空中の踏ん張りがきかない場では抵抗する術がない。クロエは引っ張られるがままに体勢を崩した。ミーナはそのままクロエの手首を掴んだまま、左手でクロエの腰を持ち上げそのままクロエを空中へ投げ飛ばしてしまった。
「あっ!? わ、ちょっ、いだっ!」
投げ飛ばされたクロエは無様に体勢を崩したまま、受け身もとらずに床へ背中から落ちた。まるでベッドから寝ぼけて落ちたような情けない格好である。先ほどまでの動きからすれば、身体をひねって脚から着地するぐらいは出来たはずである。それすらも出来なかったのは、単純にクロエの油断の他にない。
クロエは涙を目の端に浮かべて、歯を食いしばって立ち上がった。鈍い痛みが背中をジンジンと圧迫する。ミーナは相変わらず涼しい表情のままだ。
「(い、今のはちょっと油断しただけだ……! 今度は、今度こそは……。)」
自信満々の攻撃をあっさりと崩され、クロエの闘争心に少しだけ火が付いた。再び構えると、攻撃を加えるためにミーナに跳びかかる。
しかし、クロエの攻撃は不発に終わった。脚に力を込め踏み出そうとした瞬間、いつの間にかクロエの眼前にミーナの拳があったのだ。ぴたりとクロエの動きが止まる。この瞬間、少しだけ芽生えていたクロエの自信は砕かれた。この相手には、現段階ではどうしても敵わないと悟ったのだ。それがわかる程度にはクロエも熟達していた。
「う……ッ!」
「油断大敵、ですよ? ……だいたい分かりました。まったくの素人ではないですが、まだまだ訓練の余地があります。それに実戦の経験が圧倒的に足りないですね。それと、少々油断が過ぎます。平和な国で過ごされていたというのは嘘ではないみたいですね。」
冷静に見極めを終えたミーナの言葉は、ぴったりとクロエの状況に当てはまっていた。反論のしようもなく、黙る他ない。トスンと尻餅をつき項垂れた。
「お気を悪くされたのなら申し訳ありません。むしろ、その平和な国において先ほどまで戦えるというのは素晴らしいと思います。これなら、組手を重ねることで格闘技術は上がるでしょう。」
「そ、そうですか……。」
ミーナはフォローしたつもりだったが、元男性であった身としては女性であるミーナからこのようにフォローされては立つ瀬がない。クロエは何とも言い難いモヤモヤを抱えた。
クロエの落ち込み様が予想外だったのか、ミーナが珍しく困ったように眉根を寄せていた。口元に手を当てて少しキョロキョロと視線をさ迷わせている。ミーナを困らせていることを知ったクロエは、心に残った悔しさをぐっと堪え立ち上がった。
「分かりました。気持ちを入れ替えて頑張ります。」
「その意気でございます。クロエ様は、基本的な動き方は既に体得していらっしゃるようなので、とにかく組手を行っていきましょう。戦いに慣れることです。その中で気が付くことがあれば指導させていただきます。それでよろしいですか?」
「はい! お願いします!」
先ほどまでとは違い元気よく返事を返すクロエ。ミーナも満足そうに構える。こうして午後の訓練は充実して終わっていくのだった。