第27話
「わかりましたー。」
ぷくぅっと頬を膨らませたシーラは、小走りで食堂を後にした。その様子をミーナは微笑ましそうに見ている。まるで手のかかる娘を見ているかのようだとクロエは感じた。そしてクロエの視線から何を考えているか察したミーナが口を開いた。
「あの子、シーラはこのアレクサンドリア家の中で一番若い子なんです。シーラは生まれてまだ十年ほど。次に若い者でも生まれて八十年ほどですから、皆からすれば妹か娘のような存在なんです。」
「そうだったんですか……。あれ? という事はつまり、ミーナさんとシーラちゃんは遠縁にあたるって事ですか?」
クロエの言葉にミーナは首を振った。思いつきとは言えその発想に自信のあったクロエは、その否定に首をかしげる。遠縁でなければ何故ゾーンも含め皆の姓が同じなのだろうか。クロエは素直にその事をミーナに尋ねた。
クロエの問いかけにミーナはすぐに何かを応えようとしたが、何かを思い直したらしく口を噤んだ。そしておそらく先ほど口にしようとしたこととは別の言葉を口にする。
「……お嬢様がもうすぐいらっしゃいます。先に資料室へ向かいましょう。」
有無を言わせないその雰囲気に、クロエはただならぬ物を察した。素直に頷く。ミーナは「では、こちらです。」と言い先導して歩き始めた。
窓のない長い廊下だが、間接照明らしきもののおかげで圧迫感はない。クロエは緩くカーブを描く廊下をミーナに続いて歩いた。数分で迷子になりそうだと考えながらも、いくつかの階段を登った後に、ミーナがある扉の前で立ち止まった。ミーナはクロエが付いて来ていることを確認すると、ガチャリと扉を押し開いた。
ミーナが扉を開けた先は、まるで図書館のような空間だった。本棚や机や椅子が並び、そして取り付けられた窓からは午前の日差しが入り込んでいる。この部屋は大樹の外側部分、厚角組織に属する部分の部屋であるらしい。
「それでは、クロエ様はあちらの席でお待ちください。私は、もうそろそろ到着なさいますお嬢様を迎えに参ります。おそらく、その間にシーラも来るでしょう。」
「分かりました、待ってますね。」
ミーナが一礼して資料室を後にした。クロエは本棚の本の背表紙を眺めながら向かう。たどり着いたそこは、まるで学校の教室のような作りの場所だった。壁の一角に黒っぽい、大きな物が取り付けられている。ゴツゴツとした表面から察するに、薄く巨大な岩のようである。
そしてそれに対面するような形で長方形の長机が置かれていた。クロエは備え付けられた椅子に腰を掛ける。大学生であったクロエにとってとても懐かしい感覚であった。きょろきょろと辺りを見渡す。
すると、この部屋、資料室の入口が開かれる音がした。クロエが振り向くと、そこに立っていたのはミーナではなくシーラであった。つまらなさそうな重たい足取りで資料室を歩いていたが、座っているクロエを見つけると少しだけ気分を良くしたような足取りで歩いて来た。
「やー、お待たせお待たせ! 座学は苦手なんだけどねぇ……。クロエちゃんは嫌じゃないの?」
「いや、ボクは別に……。」
「えー!? 変わってるなぁ、クロエちゃん。」
変人を見るかのような目でクロエを見たシーラは、クロエの隣に席一つ分を空けて座った。シーラは言っていた通り座学があまり好きではないらしく、椅子に座った状態で足をプラプラと振ってやや不機嫌そうにしていた。クロエ自身あまり自分から話しかけに行くようなタイプではなかったため、資料室には少し重たい空気が流れる。
「(うぅ……、沈黙が重たい。何か話題ないかな? そう言えば、さっきミーナさんに名字の事はぐらかされちゃったな……。あんまり根掘り葉掘り聞くのはアレだけど、気にはなるし、話題もないし……。)」
結局重たい雰囲気に耐えかねたクロエは、シーラに尋ねることにした。肩を指先でちょんちょんとつつき、シーラを振り向かせる。
「ねぇ、シーラ。」
「んー? なぁにー?」
「実は、ちょっと聞きたいんだけど……。ミーナさんや族長さんやシーラもだけど、みんな苗字同じだよね? 何か理由あるの?」
クロエがそう質問すると、今まで楽しそうにしていたシーラの表情がまるで「ピシッ」とひび割れたかのように固まった。そして目線を横に逸らし、明らかに言いにくそうに「あー……、うん……。」と口ごもる。
「(あ……。やっぱりこれ、聞いちゃいけない類の奴だ。やっちゃった……。)」
クロエは踏み込み過ぎたと悟った。慌ててシーラに「やっぱり話さなくていい」と伝えようとする。しかしその時、クロエの背後からとある声が飛び込んできた。
「――それに関しては私が話しますわ。」
「あ、サラさん……。」
「お、お嬢様? 何でここにいるの!?」
そこにいたのは、ミーナを後ろに連れたサラであった。サラがここに来ることを知らなかったシーラはとても驚いている。サラは自宅を出発し、この家に到着したらしい。背後のミーナが大きめの鞄を手に持っていた。
「アレクサンドリア家についてですわよね? それなら私が話せますわ。ミーナ達は話しにくいでしょう。」
「あっ、いいんです! ごめんなさい、無遠慮に踏み込んじゃって……。」
「いいえ、クロエさん。これはこの国の汚点。この国で過ごしてもらうなら、良いところばかりではなく悪いところも知っていただきたいのですわ。この国の代表ともいえるエルゼアリス家の私だからこそ話すのです。」
「で、でも……。」
サラの言い分はもっともだが、いくらクロエでもミーナとシーラの前でその理由とやらを聞く勇気はなかった。ためらいを見せるクロエだったが、そこでミーナが口を開く。
「クロエ様。よろしければ聞いていただけないでしょうか。本当は後ほどお話するつもりでしたが、お嬢様が話されるというのなら客観的な語りができるでしょう。シーラも、それで良いですね?」
「……うん。クロエちゃん、悪い子じゃないと思うし、それにこういう事話してこそ本当に仲間になれる気もするしね!」
意外なことに、当事者たる二人からの後押しを受けてしまったクロエ。あまり気乗りはしなかったがここで固辞することもまた出来なかった。サラに対し「おねがいします。」と理由を尋ねることにした。
「では、なるべく簡潔に客観的にするように心がけますわ。まず、ミーナとシーラは同じアレクサンドリア家ですけど、血縁ではないですわ。と言うより、アレクサンドリア家で血縁にある人はいなかったと思いますわ。その理由はただ一つ。彼らは皆、ダークエルフと言う理由だけで、家族から捨てられたからですわ。」
「――!? す、捨てられ……!?」
あまりの事実にクロエは言葉を失った。そしてサラは淡々と話しているが、クロエであってもそれが怒りを我慢しているが故の淡泊であることはありありと感じ取れた。サラもアレクサンドリアの森精族たちの境遇について思うところがあるらしい。
「古来より、闇属性の魔力自体があまり人々に好かれない傾向がありましたわ。それに加え、ダークエルフの人々は容姿や体格などが一般森精族とはかけ離れていましたの。さらに、森精族の大半は風属性に適性がありました。それもあってか、ダークエルフはエルフとは認められず、もし産まれたら森の奥底に捨てるのが慣習となっていた時期がありましたわ。我が生まれ故郷とは言え、信じがたい事ですわね……。」
サラの表情が暗く陰った。なるべく客観的にと言ったが、最後に吐き捨てた言葉は漏れてしまった嫌悪である。聞いていたクロエも聞いていて決して心地よくなかった。
「森の奥に捨てられた幼子がどうなるかは……、ごめんなさい、察してくれると嬉しいですわ。でも、中には運よく生き延びた人もいて、そんなダークエルフたちが集まり、一つの集落をシドラから離れた場所に築いていましたの。彼らはシドラに関わらず、そしてシドラから捨てられたダークエルフを家族として迎え入れていましたわ。シドラの森精族たちは、彼らを体の良い回収業者として扱って……! ……コホン、そして、そんな関係が長く続きましたの。」
サラの眉間のしわが隠せないほど深くなっていった。よほど嫌悪感があるらしい。そして聞いているクロエも、胃の奥が重たくなるような感覚だった。クロエは数分前の、呑気に苗字の謎について尋ねていた自分を恥じていた。まさかここまで暗い理由があるとは夢にも思わなかったとはいえ、あまりに軽率であったと後悔が止まらないでいる。
「でも、少し前。当代の大長老の時代ですから、300から400年前ですわね。大長老……、まぁ私のお母様ですけど、お母様がダークエルフの集落を訪れ彼らに謝罪しましたの。そして、同じ森精族として国へ迎え入れたのですわ。その時、彼らの家族意識の高さを考慮して一つの姓を与えたのですわ。それこそが、アレクサンドリア。すでに途絶えていた、エルゼアリス家の分家の一つですの。これが、彼らが同じ姓である理由ですわ。」
「そう、だったんですか……。ごめんなさい、こんな話しづらいこと聞きだすようなことをしちゃって……。」
ミーナやシーラたちの姓が同じ理由は判明したが、クロエの胸中には謎が解けた爽快感よりも後味の悪い後悔が広がっていた。しかし当事者であるダークエルフの二人は気にしていないような素振りである。
「いいんだよー! クロエちゃんもこれで仲間だね、改めてよろしく!」
シーラが笑顔でクロエの手を握って来た。その様子は一見朗らかであるが、その背景に先ほど聞いた暗い過去があると思うと、クロエは胸が締め付けられる思いだった。
「(……いや、それだけじゃない。ダークエルフのみんなの秘密は聞いたのに、ボクは自分の秘密は黙ったままだ。でも、それは教えない方が良いって言われたし……、でも……。)」
散々迷ったクロエだったが、結局黙ったままでいることを選んだ。自分にいろいろと言い訳をしたが、本当の理由は自分に好意を向けてくれるシーラに嫌われたくないと言う物だった。臆病だったのだ。
クロエが後ろめたさに苛まれている間に、サラとミーナが座学の準備を整えていた。資料を用意し、クロエとシーラの前にメモ用の紙を置く。
「さ、準備も整いましたし、さっそく座学を始めていきましょう。クロエ様、ご準備はよろしいですか?」
「あっ、だ、大丈夫です。……あの、ミーナさん、シーラ。」
「はい?」
「さっきはごめんなさい。こんな事情があったなんて知らなくって……。」
クロエの言葉にミーナがきょとんとした表情を浮かべる。その後に小さく笑みを浮かべた。それはシーラも同じである。その笑みの意味が分からないクロエはきょとんとした顔を浮かべた。
「いえ、失礼しました。他の森精族の皆様からはそのように気遣いいただいたことなど無かったものですから。クロエ様はお優しいのですね。」
「い、いや……、そんな事……。」
「ううん、クロエちゃん優しいよ。あたし町を歩いていても露骨に避けられるし、無視されたりもするもん。お嬢様とか大長老様とか、あとアレクサンドリアの闇森族以外の人から謝られた事なんて無いよ!」
「シーラの言う通りです。我々闇森族は疎まれる存在。最近でこそ大長老様やお嬢様のお陰で町中を歩くことができるものの、一昔前は町中に出ることすら困難でした。ですが、クロエ様は私たちの事情を知る前から気を遣ってくださいました。ありがとうございます。」
シーラとミーナの言葉にクロエは恥ずかしそうに頬を染めるばかりだった。クロエからすればこの程度の気遣いは当然の範疇に入るものなのだが、それすらも受けられない者たちが目の前にいると言う事実に気付き、その内心には驚きの気持ちもあった。
「さて、そろそろ始めましょうか。」
ミーナが両手をパンパンと打ち鳴らした。それにより場の雰囲気がさっと変わる。どうやら授業が始まるようだ。クロエも気持ちを切り替え、目の前へ集中する。クロエの隣のシーラは眉をしかめているが、その隣にはサラが付いており体制は万全だった。
「それではまずは魔法の発動過程から学んでいきましょう。これは……」