第25話
「では、さっそく。私はいったん自宅へ戻りますわ。ある程度荷物をまとめて、明日にでももう一度こちらへ伺えばよろしいですわね?」
「はい、お手数をおかけいたします。では私は、クロエ様をお部屋にお連れ致します。」
「ええ、二人とも明日からよろしくね? クロエちゃん、サラちゃんとよろしくやるのよ? サラちゃん泣かしたら、お母さんただじゃおかないんだから!」
冗談か本気かわからない言葉にクロエが苦笑する。そしてサーシャ以外の三人がテラスを後にした。一人残ったサーシャは、ミーナがいれたお茶を一人すすり、夜空を見上げている。静かな森の中、昼間とは違う鳥の鳴き声が梢を越え木霊する。一般人からすれば根源的な恐怖を想起させられる闇に満たされた森も、森精族にとっては何ということはない風景だった。
「失礼します。クロエ様を客室にご案内いたしました。」
「あら、ご苦労様。」
十数分ほど経った後、ミーナがテラスへと戻って来た。サーシャは振り返り労いの言葉をかける。ミーナは一礼を返し返答とした。
「クロエちゃんは、明日からはあなた達の居住スペースで生活させましょ。その方が日常的な部分も学べるでしょうしね。」
「かしこまりました。……大長老様、一つお尋ねしてもよろしいでしょうか。」
「んー? いいわよぉ。」
普段なら要件のない限りここで立ち去るミーナだが、今回は留まり質問をしてきた。サーシャはその事に少し驚きながらも、その反応を喜ばしく感じ質問を受け付ける。
「何故、クロエ様をこちらで生活させるようにさせたのですか? 大長老様の決定に異を唱える訳ではないのですが、別にお嬢様の家で生活させ私が出向くなどの形態でも問題はないと思います。何か、特別なお考えでもあるのではないかと……。」
ミーナの疑問は決して的を外したものではなかった。先ほどサラはその場の雰囲気に流されていたが、サラがクロエを引き取り同居する選択であっても何ら不自由はなかったのである。確かにサーシャの言った通り、資料などはこの屋敷に数多く揃っているが、それも決定打となり得る理由ではない。先ほどのミーナはサーシャの意図をくみ取り意見を同調させたが、内心では疑問を感じていたのだった。
「うーん、そうねぇ……。三つ、理由があるのよ。」
「三つ、ですか?」
「そう。一つ目は、クロエちゃんを監視下に置きたかったのよねぇ。」
あっけらかんと明かされた理由の一つ目にして、ミーナは内心驚きを得ていた。サーシャがクロエのシドラ滞在許可を下した理由をミーナは知らなかったが、許可を出した以上クロエの事を信頼したのであると判断していたからだ。
「つまりそれは、クロエ様にはまだ何かしら疑わしいことがあると?」
「やぁねぇ、そんな物じゃないわよ。でも、あの子はただの転生者じゃないことは確かでしょ? 不確定要素が一つでもある以上、クロエちゃんを国に放り出すわけにはいかないわ。」
サーシャの選択の裏側を知り、ミーナは深く感服した。普段の言動からは想像しにくいが、サーシャは熟考を重ね計画を張り巡らせる、策士のような人物であった。その事を改めて感じ取ったミーナは、素直に賞賛の言葉を口にする。
「そうでしたか。ご慧眼、御見それいたしました。他の理由を、お伺いしてもよろしいですか?」
「後はそんな大した理由じゃないわよ? 二つ目はねぇ、そろそろサラちゃんをこの家に戻したかったからよ。」
二つ目の理由にして、ミーナの密かに予測していた理由が述べられた。
「……やはりでしたか。てっきり、私はその理由が一番かと思っておりました。」
「丁度いい頃合いよ。もうそろそろ、自由期間は終わりね。いくら何でも、次代の大長老が国の外れでずっと一人暮らしって言うのは、民衆は良くても統率者たちは良い顔しないわ。今までは人生経験の為って周囲には説き伏せていたけど、もうそろそろ限界なのよねぇ。」
「そうですね。大長老となるための勉強も、もうそろそろ始めていただいた方がよろしいとは思っておりました。」
「サラちゃんの事だから、絶対家でクロエちゃんを引き取るって言ったら反発することは目に見えていたわ。案の定、乗って来たわね。上手くいったのはミーナのおかげよ、ありがと。」
「いえ、当然のことをしたまでです。」
ミーナとは異なり、サーシャの裏表の差が激しい事が明らかになって来た。これこそが一国の長たる証なのかもしれない。もしここにクロエがいたとすれば、サーシャの事を信用ならない人物だと判断していたかもしれないが、クロエがいたならばサーシャは先ほどまでの「ゆるふわなお姉さん」としての仮面を被っていただろう。
「最後の理由は……。本当に大したことじゃないわ。ただちょっと、気になることがあっただけよ。」
「気になる事、ですか?」
「ええ。でも、本当に大したことじゃないの。あなたが気にする程じゃないわ。」
「……かしこまりました。出過ぎた無礼をお許しください。」
「そんな謝る事じゃないわよぉ。さ、もう夜も遅いわ。そろそろあなたも休みなさいな。」
「はい。では、お言葉に甘えまして、これにて失礼いたします。」
ミーナは深々と一礼すると、テーブルの上に残されたカップなどを回収しテラスを去って行った。再び、自身以外誰もいなくなったテラスにおいて、サーシャは風に撫でられる髪を手で軽く抑えた。
「(……そう、あなたが知る必要はないのよ、ミーナ。だってこれは、この国じゃあ私と、私のお母様しか知らない事なのだから。)」
サーシャが一人、心の中で考えを巡らせる。ゆっくりとテラスの中を歩きながら、まるで夢遊病のようにウロウロと。これはサーシャが集中して考え事をする時の癖であった。
「(クロエちゃんのあの姿、あれはまさに人魔大戦における人類種の救世主、勇者その者よ。髪の色とか目の色とか異なる部分はあるけど、まるで生き写しだわ。私がまだ幼い頃、一度だけお会いしたあの方……、見間違えるはずないわ。でも、どうして……? 本当、分からないことだらけだわ。それとなく、あの子の事を探らなくちゃ。)」
考えをまとめたサーシャは、テラスの際、手すりの方へ向かった。そこからはシドラの国が眼下に広がる。そう多くは無いものの、そこでは多くの同胞たちが生活している。サーシャは大長老としても義務などの前に、いち森精族として彼らの事を守りたいと考えていた。
「……いざと言うときには、非情にならなくちゃいけないわね。」
覚悟を決めたその言葉を、聞く者は誰一人としていなかった。