第24話
恐る恐ると言った様子でサラがクロエに尋ねた。何を今更とクロエは内心思わないでもいたが、思い返してみれば自ら元男性だと名乗り出た覚えはなかった。クロエはそこで思い至りポケットの紙を取り出す。そこに書かれた文面を読み返してみると、確かにそこにはクロエが元男性であったという記述がなかった。
「(そっか……。これを見せたから何となくすべて説明した気でいたけど、忘れてた……!)」
「……ごめんなさい、言うのを忘れてました。」
「い、いえ、責めてるわけじゃありませんのよ!? でも、言われてみれば下着の付け方なども分からないみたいでしたし、一人称もどちらかと言えば男性のものですわよね……。」
サラは一人納得したようにブツブツと呟いていた。何となく気まずい思いで沈黙するクロエだったが、その場の全員、クロエが元男性であることに対し警戒などは抱いていない雰囲気である。彼女たちの思いとしては、「元がどうであれ今は少女であるならば問題はない」という共通認識で収まっていたのだ。
「それじゃあ説明を続けるわよ。丁度出してくれたし、クロエちゃん。その紙、ミーナに読ませてあげて?」
「えっ、でも……。」
クロエは一瞬ためらった。さきほどサーシャから、この国内において自身の秘密については無暗に口にしない方が良いと言われたばかりであったからだ。しかしサーシャはそれを見越してか、心配いらないとばかりに手を軽く振った。
「あぁ、大丈夫よ。ミーナは口が堅いわ。クロエちゃんさえ良ければ、見せてあげてくれないかしら?」
「ボクは別に構わないですけど……。あ、どうぞ。」
「ありがとうございます。拝見いたします。」
クロエが手渡した紙を、ミーナは丁寧に両手で受け取り目を通し始めた。ミーナの表情は、まずその紙に記された文字に驚き、そしてそこに書かれた文字を追うにつれ、ほんの少しだけ険しくなっていった。
少し読むのに苦労したのか、じっくりと文面に視線を落としていたミーナが数分ぶりに顔を上げた。そしてじっとクロエを見つめる。
視線を向けられたクロエは、当然というべきかその視線を真っ向から受け止めることは出来ず、ついと視線をそらしカップに口をつける。その様子は紛れもなく気弱な少女そのもので、紙に記された内容が信じがたい程である。
「……失礼いたしました。クロエ様、こちらをお返しいたします。」
「あっ、はい、どうも……。」
しかしミーナは軽く笑みを浮かべると、紙を元通りに折りたたみクロエへと返した。クロエは最悪、ミーナが自分に殴りかかることまで想定していたが故に、その呆気ないとまで言える反応に拍子抜けのような心持で紙を受け取った。
「で、ミーナ? クロエちゃんの事情を知って何か感想はあるかしら?」
「そうですね……。率直に言えば、『信じられない』と言うのが素直な感想です。数々の転生者の方にお会いしましたが、誰も彼もこのように特殊な背景はありませんでした。無属性と言う、聞いたことのない魔法属性。そしてロール『魔王』……。『罪の証』がありませんのでクロエ様が魔王だとは思いませんが、何を意味するのでしょう……。」
サーシャの質問にミーナは半ば独り言のような回答を返した。口元に右手を当て、集中して考え込んでいる。その様子を見たサラとサーシャもまた同じように考えていたが、クロエはミーナの発言に気になる点を見出した。
「あの……。『多くのピースに会った』って言ってましたけど、それってどう意味なんですか? そもそも、『ピース』って何ですか?」
「あら? 私説明してなかったかしら。やあねぇ、うっかりしてたわぁ。」
サーシャが左手を頬に添えた。どうやら本気で失念していたらしいサーシャが、あらためてと言った様子でクロエの方を見る。
「そんな深い意味はないわ。クロエちゃんのような転生してきた人のことを、他の国では『転生者』って呼ぶのよ。この国ではあまり使われないけど、私やミーナは普通に使っていたわ。ごめんなさいね?」
「あっ、いえいえ。そうなんですね。転生者、ですか……。不思議な響きです。」
クロエは転生者が全員持つと言われた「自動翻訳」の能力のおかげで、サラ達が発音する言葉が自動的に日本語に置き換えられて理解できる。しかし何故彼女たちが転生者のことを「ピース」と呼ぶのかについては分からないのだ。
「それで、何故私が多くの転生者の方々と会ったかについて、でしたね。」
「あ、そうです。サラさんからも教えてもらったんですけど、森精族の人たちは基本的に国の外に出ないんですよね? じゃあどうやって転生者の人に会ったんですか? ボクみたいに、森に送られたとかですか?」
「いえ、この国に訪れた転生者はクロエ様が初めてです。と言うよりも、この国に森精族以外の種族が来ること自体初めてでしょうね。」
「そうねぇ……。先代の大長老の時代でも聞いたことはないわ。」
「さて、それほど閉鎖的なこの国で私が多くの転生者の方にお会いした理由ですが……、何てことはありません、私が過去にこの国を出て世界を巡った経験があるからでございます。」
「そ、そうなんですか……!」
クロエのテンションが高揚した。この国以外の事情を知る人物がようやく表れたのだ。ここぞとばかりに聞きたいことが思いつく。
しかし、クロエがミーナに色々と聞こうとしかけたところで、サーシャがそれを制止した。
「ごめんねぇ、クロエちゃん。色々と聞きたいとは思うけど、いったん置いといてもらえるかしら。大丈夫、後でいくらでも聞けるから。ね?」
「は、はい。」
「うふふ、良い子ねぇ。どぉ? やっぱりうちの子にならない? たくさん甘やかしちゃうわよ?」
「ちょ、お母様! 話が進みませんわ!」
「んもう、ちょっとした冗談じゃない。……えっと、どこまで話したかしら?」
「私がクロエ様の事情を把握した辺りです。」
「ああ、そうだったわ!」
サーシャが両手を打って反応した。その様子はおよそ一国の主とは言い難いものだったが、サーシャの真剣な様子を知っているクロエはその落差に驚きが止まらずにいた。一方、実の娘であるサラは「やれやれ」と言った様子で肩をすくめており、ミーナは変わらずのすまし顔である。
「みんなが知ってる通り、クロエちゃんはちょっと特殊な状況にあるわ。それに、転生したばかりで知らないことだらけ。このまま国の外に出すわけにもいかない。そこで、私にある考えがあるのよ。」
「ある考え、ですの?」
「ええ。クロエちゃんにはしばらく、家に住んでもらうわ。そしてこの世界の事を含め、いろんなことを勉強してもらおうと思うのよ。幸い部屋は一杯余っているし、お勉強に必要な資料も揃ってる。それに、優秀な先生もいるわ。ねぇ、ミーナ?」
サーシャがミーナの方へ顔を向け、笑みを浮かべた。突然話を振られたミーナであったが、クロエとは違い臆する事もなく堂々と返答を返す。
「ご命令とあらば。」
「やあねぇ、そんな堅苦しい物じゃないのよ。サラちゃんの先生をしてた頃みたいに、また色々と教えてあげてちょうだいな。転生者の生徒なんて教えがいがあるわよ。クロエちゃんもそれでいいかしら?」
サーシャがクロエに尋ねた。クロエからすれば保護してもらえるだけで充分であったので、その上さらに様々な事を教えてくれるのだという。断る理由がなかった。
しかし、クロエが「お願いします」と頭を下げようとしたその時、待ったをかける者が現れた。
「ちょ、ちょっと待ってくださいまし! クロエさんがここに住むんですの!? は、反対ですわ!」
サラだった。それまで事の成り行きを黙って見ていた彼女だったが、ここに来て声を上げてサーシャの意見に反対した。サラ以外の三人の視線が集まる。
「あら? どうしてかしら、サラちゃん?」
「だ、だって……! クロエさんは私が保護したんですもの! きょ、今日だって夜ご飯を一緒に作って、一緒のベッドで寝ようとか考えてましたのに……。」
「でも、それはサラちゃんのワガママでしょ? クロエちゃんの事を考えれば、お母さんの考えが一番だってわかるわよね?」
「そ、それは……、そう、ですけど……。」
サラが言いよどむ。サラ自身、自分が筋の通らない主張をしていると分かっていたのだ。しかしそれでも、自身が助けた少女が自身の下を離れていくのには寂しさを感じるものであり、ましてやその行き先が自らの母親である。様々な事情から家を出た身としては、納得しかねる思いがあったのだ。
「……お嬢様。僭越ながら、私から一つお願い申し上げます。」
「な、なんですの……?」
「クロエ様へ教育指導を致しますことを考えますと、私一人では荷が重いと考えられます。クロエ様は転生者、この世界の常識の部分からお教えするとなると一人では対応しきれなくなる可能性がございます。また、私の業務の多くを他の者へ委託したとしても、私が関わらねばならない部分がございます。その業務を遂行している際にクロエ様に対応できる方が必要なのです。」
ミーナが陳情のような言葉を口にした。誰かに何かを教えるという行為には、過大な労力が必要となる。そしてその相手がこの世界の事を知らない赤ん坊同然となれば、その労力は甚大であろう。サラもその事は理解していた。そしてミーナが言外に何が言いたいのかも、サラは察していた。
しかし、サラは承諾しなかった。
「……つまり、戻って来いと言う訳ですのね? 気遣いは嬉しいですが、ミーナ。私にも今の生活がありますわ。それに自分の意思でこの家を出た矜持もありますの。おいそれと戻るわけにはいきませんわ。」
「ええ、承知しております。ですので、このミーナ、お嬢様に戻ってこいなどと言うつもりはございません。私はお嬢様に、家庭教師としての役割をお願いできないかと請願したいのでございます。」
「家庭教師、ですの……?」
サラが首を傾げた。サラとすっかり蚊帳の外に置かれたクロエは上手く理解しきれなかったようだが、話を横で聞いていたサーシャがミーナの思惑をくみ取った。カップに口をつけ唇を潤わすと、何気ない呟きを装い言葉を発する。
「そうねぇ。もしサラちゃんがミーナの補助として家庭教師をやってくれるならとっても嬉しいわぁ。サラちゃんが優秀なのは知ってるし、一応ここは国の長の邸宅だからみだりに人を入れる訳にもいかないのよねぇ。その点サラちゃんだったらここに入る資格は十二分にあるわ。」
サーシャはにっこりと笑みを浮かべた。そしてここが責め時とばかりにサラへ言葉を投げかける。
「もちろん、サラちゃんが引き受けてくれるならお部屋だって用意するし食事も提供するわ。そして、国外での採集のお仕事ができない分お給金だって払うわよ? どうかしら、戻って来いだなんて言わないけど、クロエちゃんがいる間だけでもお仕事頼めないかしら?」
「私からもお願いいたします。どうか、私やクロエ様を助けると思って、なにとぞ……。」
なだめすかし持ち上げて。ここまで条件を整えられて首を横に振る事は容易ではないだろう。サラ自身もサーシャとミーナの事を恨んでいる訳ではないので、「クロエとミーナ助けるため」や「家庭教師として一時従事する」という建前を用意されれば応じることができるのだ。
「わ、分かりましたわ! そこまで言われて断ればエルゼアリス家の名折れ。サラ・エルゼアリス、クロエさんの家庭教師として従事いたしますわ!」
「あらぁ! 助かっちゃうわぁ、さっすがサラちゃん!」
「流石です、お嬢様。ご協力感謝いたします。」
サーシャとミーナがまたもサラを持ち上げる。おだてられたサラも悪い気はしないようで、少し得意そうに口の端をにやけさせていた。
「(……何か、良い様に操られているようにしか見えないけど、ボクにとってプラスである事には変わりないし、サラさんとお別れって言うのも寂しいし。ここは黙っておいた方がいよね。)」
「よろしくお願いします、サラさん。また一緒になれて嬉しいです。」
サーシャとミーナの思惑を何となく察したクロエは、最大限空気を読んだ。余計な事は言わず、ただサラに礼を述べる。サラもクロエの言葉によってさまざまな気持ちが満たされたらしく、満足そうな表情を浮かべた。