第20話
クロエはその人物を見た瞬間、思わず言葉を失った。そこにいたのは恐らく森精族なのだろう。しかしその容貌はクロエが見てきた森精族のそれとはかけ離れたものであった。
第一にその体躯は褐色で、そして筋骨隆々である。白い肌と細い体躯の森精族しか知らないクロエは、その威圧的な肉体に気圧された。耳は森精族と同じく長く尖っているが、類似点はそれぐらいと言っても過言ではない。
「(も、もしかして……、いわゆるダークエルフって人たちなの……?)」
クロエの予想は見事的中していた。彼らこそ長い森精族の歴史において禁忌とまで忌み嫌われていた存在、ダークエルフなのである。一般的に疎まれる傾向にある闇属性の魔力に適性があるばかりではなく、森精族らしからぬ恵まれた体躯に毛先が紫がかった灰色の髪、そして褐色の肌。何も知らないクロエであっても同じ森精族とは考えられない存在であった。
大樹の入口を守るように立つ二人のダークエルフは、近づいて来たサラとクロエをその高い視点から否応なしに見下ろす。その眼光もまた鋭く、例えクロエが男子大学生のままこの世界に来ていたとしても委縮することは間違いない。それが今では小さな少女の身体なのだ。もはや半分涙目で自らの身長の1.5倍はあろうかと言う巨躯を見上げている。
「(な、なんで……!? なんでこんなに睨まれてるの!? ボク何か悪いことした!? や、ちょ、ほんとに怖い……!)」
ダークエルフの二人からすればただ訪問客を見ていただけなのだが、クロエは被害妄想の入り混じった穿った視点で二人を見てしまっている。そのせいで無意味に恐怖を感じてしまっていた。
しかし、隣のサラは怖がるどころかいたって平気な表情である。強がりでも何でもなく、むしろ二人に対し好意的な笑みすら浮かべて大樹の入口の扉までたどり着いた。クロエはその隣で何とかダークエルフの二人と視線を合わせないように目をそらしている。
「遅れましたわ。サラ・エルゼアリスです。大長老様にお会いする用事がありますの。通してもらえますか?」
「お久しぶりでございます、サラお嬢様。中で大長老様がお待ちです。ミーナ様もお待ちしておりましたよ。」
「あら、それはそれは……。ミーナに会うのも久しぶりですわね。さ、クロエさん。行きますわよ?」
外見とは裏腹に紳士的な口調と声色のダークエルフに驚くクロエだったが、ダークエルフの発した「サラお嬢様」という言葉の衝撃の方が大きく、気が付けばすでに大樹の内部へと入っていた。
大樹の内部は、まるで本当の家の様だった。壁や天井、床のすべてが木製なのは大樹の内部であるから当然なのだろう。外見通りと言うべきか、クロエのいるその空間は木の内部であるという事が信じられないほど解放感に溢れており、間接照明のような不思議な明かりによって温かく照らされている。おそらく、ここが大玄関とでも言うべき空間だと予測できる場所だった。
「(何と言うか、ファンタジーっぽいな……。)」
「クロエさん? こちらですわ。」
少し先でクロエの方へ振り返ったサラがクロエを促した。クロエは少し小走りでサラの後を追う。緩くカーブを描く廊下に沿って、広大な樹の内部を歩く。調度品の類はなく、また廊下には外の見える窓がない。廊下を挟むようにして扉が並んでいた。それを見たクロエが、前世の生物学の授業を思い出す。
「(ちょうど、双子葉類とかの厚角組織と髄みたいな感じなのかな。つまりこの廊下はその境の内皮部分?)」
クロエがこの建物の構造について考えていると、前方より何者かが近づいて来た。遠くからでも分かるその特徴的な外観はダークエルフ、しかし入口にいた屈強な体躯ではなくスラリとしたスリムなシルエットである。クロエはその人物の胸の膨らみや体つきなどから、彼の人物がダークエルフの女性であると推測した。
その人物は書類らしき物を抱えて歩いていたが、歩いてくるクロエとサラに気が付くと一瞬だけ驚いたような表情を浮かべた後に、廊下の端によってクロエたちに道を譲った。と同時に深く頭を下げる。
「(お、おぉ……。こんな扱いされるの初めてだよ。気まずいなぁ……。)」
日本で暮らしていたころは紛れもない一般市民であったクロエは、このような態度で持て成されることに慣れていない。やや気まずさを感じながら気持ち小走りで彼女の前を通り過ぎるが、対するサラは堂々とした様子であった。嫌味などは一切感じさせず、それが自然であると見る者に感じさせる。
クロエはこのサラの態度を見て、とある予測を立てた。
「(たぶんサラさんは、この国の貴族みたいな身分の人なんだろうな。門番の人も『お嬢様』って呼んでたし、こんな簡単に国で一番偉い人に会いに来てるし。うわぁ……、何か失礼な事とかしてないだろうな……?)」
サラの後を追って廊下を歩き階段を上がっていたクロエだったが、その内心は自らのこれまでの行動を振り返るのに夢中となっていた。
「(えぇ……。どうしよ、何かいろいろとやらかしちゃったかも。っていうか、何が失礼に当たるんだろ? ボクの常識がこの国の常識と完全に一致しているとは限らないし。あ、後で不敬罪とか言われないかな?)」
このように心ここにあらずの様相で歩いていたからであろう。クロエは立ち止まったサラの気が付かず、そのままサラにぶつかってしまった。
「キャアッ!?」
「わぷ! わ、ご、ごめんなさい!」
「だ、大丈夫ですわ……。それよりも、着きましたわよ。ここですわ。」
「え?」
前につんのめったサラは体勢を崩しかけながらも何とか堪え、クロエにある扉を示した。クロエはその扉を見上げる。扉はここまでに視界に入った扉とは一線を画する重厚な作りとなっていた。両開きのそれはまさに客人を迎えるのに相応であろう。
クロエはその圧力に少し気圧され、ごくりと唾を飲み込む。そしておもむろに両手を上げ、片方の扉の取っ手に手をかけた。
クロエが扉を引き開くと、そこはとても広い部屋だった。ほぼ円形の部屋である。壁一面に本棚が設けられ、その高さは優に4、5メートルはあるだろう。そして天井はヒカリゴケの照明。窓のない空間ではあるが、明るく広い空間のおかげで圧迫感は感じない。
クロエは部屋を見渡す視線を降ろした。部屋の中央には何者かが座っている。その人物を取り囲むような半弧状の面白い形の机があり、そこには書類らしき物が至る所に置かれていた。
その人物は書類に向かっていた顔を上げた。長くそして絹のような見た目の金髪に、緑の瞳。顔にはメガネをかけている。柔和な表情は見る者に安心感を与えるだろう。クロエの思い描くエルフの姿がそこにはあった。
その女性は持っていたペンをペン立てに立てると、椅子から立ち上がり机の前へと歩き出た。身長は日本女性の平均よりやや高いぐらいだろうか。サラより頭半個分ほど高めである。また、その乳房はこれでもかと言うほどに母性を主張していた。歩くたびに軽く揺れるその双球は、見ていて目眩を起こしかねない。
「待っていましたよ、サラ。そしてそちらのお嬢さんが、あなたが保護したという少女ですね?」
「はい、大長老様。要請に応じ、挨拶へと伺いましたわ。」
女性の、大長老の声は落ち着いており、そして同時に威厳に満ちていた。見た目とそぐわないと言っても過言ではないほどである。見た目通りの年齢ではないという事なのだろうかと、クロエは内心予測していた。
「クロエさん、一応クロエさんからご挨拶をお願いしますわ。」
「ひゃっ、は、はい……。」
サラがクロエの耳元で囁いた。その息遣いに少しだけ肩をすくめながらも一歩前へ出て、頭を下げる。
「は、はじめまして! えっと、森で狼に襲われてた所をサラさんに助けられた、クロエと言います! この度はありがとうございました!」
正式なマナーなど知らないクロエは、とりあえず挨拶と礼を述べること位しか思いつかなかった。しかしその思いは伝わったようで、クロエ以外の二人はクロエの言動をとがめる様子は見せなかった。
クロエが恐る恐る頭を上げると、視線の先の大長老は組んだ腕で胸を支え、そして右の手を頬に添えていた。目を細め、クロエを微笑ましそうに見つめている。
「やぁん、可愛いわぁ! こんな小さいのにしっかりと挨拶出来るだなんて、偉いわねぇ? んふふ、おいで? よしよししてあげるわ!」
腕を広げた大長老は、おいでと言った割には自らクロエに歩み寄りそのままクロエを抱きしめた。暴力的な柔らかさがクロエの顔面を襲う。身長差ゆえにクロエの顔の高さに大長老のその豊満な胸が当たるのだ。
クロエは慌てて息を吸った。しかし感じるのはどこかミルクめいた大長老の香りであり、それが胸を満たす。今や同じ女性の身であるというのに、その胸の柔らかさと香りにクロエは燃えるように顔を赤らめた。
「ちょっ、大長老様! 仮にもシドラの主でありますのにそれはいけませんわ!」
しかしサラの抑制も効かず、大長老はクロエをぎゅっと抱きしめたまま、そのままに自己紹介を始めた。
「はじめまして、クロエちゃん。私の名前はサーシャよ。この郷の大長老をやってるわ。よろしくね?」
「だ、大長老様! そのままだとクロエさんが窒息してしまいますわ! 離してあげてくださいまし!」
「あら? これは失礼。」
大長老ことサーシャはパッとクロエを解放した。ミルクめいた香りから解放されたクロエは肺一杯に空気を吸い込む。顔の赤さは息苦しさのせいだと受け止められたようだ。サラが心配そうに顔を覗き込む。
「大丈夫ですの、クロエさん……?」
「な、なんとか……。ちょっと、驚いちゃって……。」
「んー、ほんと可愛いわねぇ。まるでサラちゃんの小さい頃を見てるみたいだわぁ。」
「だ、大長老様! 今はその事は……!」
サーシャの漏らした言葉にサラは過剰なまでの反応を見せた。二人の気の置けない雰囲気やこれまでの会話から、クロエは二人の関係を予測する。
「あ、あの……。間違ってたらごめんなさい。もしかしてサラさんと大長老様って、もしかしてご姉妹か何かなんですか……?」
クロエの一言に、サラとサーシャの二人が同時に黙りクロエを見つめた。その沈黙に何か地雷を踏んだかと警戒するクロエだったが、次の瞬間サーシャが破顔してクロエを再び抱きしめた。
「やーん! お姉さんだなんて、なんて嬉しいこと言ってくれるのかしら! 決めたわ、この子うちの子にしましょう! あーもう、可愛いんだから!」
「ク、クロエさん!? って、大長老様も! クロエさんが窒息してしまいますわ!」
「あらあら、ごめんなさいな。」
再びクロエを解放したサーシャは、それでも嬉しそうに身をくねらせている。その様子をサラは頭が痛むかのように眉間に指を添えて見ていた。そしてため息を一つ吐くと、ひざを折ってクロエに目線を合わせる。
「クロエさん、そんな勘違いはいけませんわ。大長老様と私は無関係。私はしがない一般エルフですわ。」
「えー、サラちゃんったら、そんな酷いこと言うの? お母さん悲しいわぁ。」
「え……。お、お母さん!? お母さんって、えぇっ!?」
サーシャの発言に、今度はクロエが驚いた。何度もサラとサーシャを見比べるように交互に見る。言われてみれば、顔の造詣などが似通っているようにも見える。何となく似通った雰囲気からクロエは姉妹だと予測したクロエだったが、まさか母娘だとは想像だにしていなかったようだ。
一方、クロエの視線を受けたサラは気まずそうに視線をそらしている。しかし説明を求める無言のクロエの視線に耐えかねたのか、棒読みに近い調子で口を開いた。
「し、知らないですわ……。聞き間違いじゃありませんの?」
何も知らないクロエから見ても、その言葉は無理があるとしか思えない。しかし、そんなサラの様子を面白そうに眺めていたサーシャが口を開いた。
「ねぇクロエちゃん知ってる? この娘ったら昔、『怖い夢見たの……』って泣きついて来た挙句、翌朝おねs――」
「この方は私の愛するお母様ですわっ!!」
サーシャの言葉を遮るように、サラが大きな声でサーシャが母親であると認めた。まるで拷問に屈した捕虜も斯くやと言うような形相である。対照的に、サーシャの方はサラの言葉が嬉しかったのか満面の笑みを浮かべる。
「はぁい! サラちゃんの母親、サーシャ・エルゼアリスよ! 改めてよろしくね、クロエちゃん。」
二人の言葉を受け、クロエはようやく事実を受けいれた。しかし、それでいてもすんなりとは受け入れられない。ポカンと呆気にとられたような目でサーシャを見つめていた。
「あら? クロエちゃんは知らないのかしら。森精族はとても長寿なんだけど、一定の年齢までは人類種と同じぐらいの速度で成長するのよ。でも、その後の加齢はとってもゆっくりなの。特に、私たちのように高い魔法効率値を持つハイエルフは、ね。」
「まぁ、そのなかでもお母様は特に若々しい部類ですけどね……。」