第2話
少し書き溜めがあるので投稿します。次回ぐらいから旧版には無かった要素が出てきます。あと、今回から後書きにちょっとしたオマケを載せてみます。
黒江が次に目を覚ましたのは、壁も天井も床も区別のつかぬ真っ白な空間だった。眼球の動きだけで回りを見渡すが、何も見当たらない。
肘をつき、手を着き、上体を起こした。不思議と体は軽く、痛みなどは感じない。黒江は上を見上げたが、そこも相変わらず真っ白であった。あまりの白さに遠近感も分からず、天井が遥か彼方なのか、それとも目の前に迫っているのか、そもそも天井などあるのだろうか。それすらも分からない状態である。
「(……。どこだ、ここ……。僕は、バスから落ちて、その後……?)」
上手く思い出せずモヤモヤとした心持ながら、黒江は立ち上がった。そしてふと背後を振り返ると、そこにはあのバスの中にいた皆が横たわっていた。そこでようやく黒江は遠近感を感じられる。
一瞬死んでいるのかと驚きかけた黒江だったが、よく耳を澄ますと呼吸音が聞こえている。胸元も上下しており、どうやら無事であるらしい。
安心した黒江は改めて周囲を見渡した。しかし見れども見れども分かる事など何もない。そもそも、さきほど人生最後の瞬間を味わったばかりと思いきやこの謎の空間である。混乱が無駄に重なるだけで、ろくに考える事も出来なかった。
黒江が混乱にさいなまれる中、横になっていた9人が一斉に目を覚まし始めた。皆は先ほどの黒江と同じように上体を起こし、そしてこの空間の異様さに驚いている。しかし周囲に見知った顔があった為か、パニックなる事もなくただただ困惑しているだけにとどまったようだ。
「お、おぉ、黒江もいたか。ここは、どこだ? 俺たち、一体どうなったんだ?」
黄河が立ち上がり、黒江へと話しかけた。いつもの明るさは鳴りを潜め、混乱が表立っていた。
「いや……、僕も分からないよ。僕もさっき目が覚めたばかりなんだ。」
「そうか……。いや当然か。って言うか、マジでここどこなんだよ……?」
周囲に見知った顔がいる安心感に浸っていた皆であったが、次第に自分たちが置かれた状況の不明瞭さに気が付き始めた。徐々に面持ちに陰りが見え始めてくる。
場の雰囲気が負の方向へ傾きつつあったその時、まるでそのタイミングを見計らっていたかのように、どこからともなく声が響き渡った。
『――皆さん、目を覚ましたようですね。』
響き渡ったその謎の声に、その場の全員は周囲を見渡した。しかしどこまでも真っ白な光景が続くばかりで、その声の主は見当たらない。
また、その声も独特のものであった。抑揚があまりなく、それでいて人間味を感じさせない。まるで機械の合成音声のようだ。人によっては不快に感じるだろう。
「おい! 一体どこの誰だよ!? ここはどこだ、姿を見せろよ!」
「せやで! 俺らを一体どうするつもりなんや!?」
黄河が声を上げた。普段の彼ならこのように怒気を孕んだ声など滅多に上げないだろうが、場合が場合であった。そして、声を上げた黄河と共に、その隣にいた天然パーマの青年、足立健人も関西弁で声を荒らげた。
この場にいる男性陣の内、黒江は黙って辺りを見回している。そして運転手を務めていた遠藤浩は、油断なく周辺を警戒していた。
二人の声が聞こえていたかのように、いや実際聞こえていたのだろう。謎の声は二人の声に応えるように、再び声を発した。
『混乱するのも無理はないでしょうが、まずは落ち着いてください。私を始めとする私たちは、あなた方に危害を加える意思を有していません。』
独特の一人称を持って語られたその言葉は、どこか慇懃無礼な印象を受ける。その合成音声のような声色も相まって、発する言葉が素直に受け取れない。そしてその予想通り、謎の声に反発する声が上がった。
「……そんな風にそんなこと言われて、『はいそうですか』と納得すると思うか?」
「わ、私たちをどうするつもりなんですか……!?」
声を上げたのは、怯える女性とそれを守るように寄り添う女性だった。怯える女性、井上彩葉はこの状況にすっかり怯えきっており、芯の強そうな瞳で虚空を睨む乃木一二三にすがっている。
二人の発した言葉はその場の全員の心を代弁するものだった。黒江たちは平和な日本で生まれ育ったが、この状況下で知らない声の言葉を鵜呑みにできる程平和ボケはしていなかった。
その事を謎の声も承知しているのだろう。自身の身の潔白を証明するでもなく、淡々と言葉を続けるのだった。
『順を追って説明しましょう。ご自身でもご理解しているでしょうが、あなた方はすでに死亡しています。ご愁傷様でした。』
「「「……はぁ?」」」
突然の死亡宣告に、その場にいた大多数が呆れたような声を上げた。しかし謎の声は皆の反応に頓着せずに言葉を続けていく。
『あなた方は、落雷が原因の落石が引き起こした落下事故により氾濫する川へ落下。そのまま死亡しました。溺死が六名、落下死が三名、失血死が一名ですね。』
その言葉に何人かが首を傾げた。黒江も訝し気に考え込んでいる。その場の全員、死の際の記憶がないのだ。黒江が覚えている最後の記憶は、目の前に迫る濁流と燃えるように熱い身体、そして恐怖。それだけである。溺死にしろ何にしろ、それ以上の記憶がない。
『あなた方の死に際の記憶は消しておきました。自らの命が失われる刹那の記憶など、覚えていて気持ちの良い物ではないでしょう。……ご要望とあれば、元に戻しますが?』
謎の声の提案に、皆は一斉に否定の気持ちを示した。不思議に思っただけであり、思い出したいとは言えない記憶である。むしろこの件に関してだけは、この謎の声に感謝すべきだろう。
『そうですか。では、続けさせてもらいます。私を始めとする私たちは、あなた方に謝罪する義務を付与されています。』
「謝罪?」
赤い髪をツインテールに結んだ背の低い女性が、やや不機嫌そうに尋ね返した。その声色にはややドスが利いており、突然声を掛けられれば身構えてしまいそうである。しかし、謎の声は臆する様子もなく、ただ淡々と言葉を続けていった。
『ええ、謝罪です。あなた方が死ぬ原因となった落雷ですが、あれは本来あのタイミングで落ちるものではありませんでした。決して私が誤ったわけではありませんが、私を始めとする私たちに責任がある事を認めざるを得ません。故に、あなた方の死には私を始めとする私たちに責任の一端があると言って差し支えないでしょう。申し訳ありません。』
謎の声はどこか不自然な日本語で、そしてかなり遠回しな言葉を上げ連ねた後に、実にそっけなく謝罪の言葉を付け加えた。ただでさえ機械の合成音声のような声色なので謝罪の気持ちがほとんど伝わってこない。
そんな皆の気持ちを代弁するかのように、今まで静観を保っていた遠藤浩が口を開いた。
「……おい。もう御託は結構だ。それだけじゃないんだろう?」
浩の言葉の意味をすぐに理解できた者は少なかった。しかし、その意図をいち早く理解した者が遠藤の言葉足らずを補うように言葉を続けた。
「――そうね。私たちが本当に死んだとして、何も用事がないのならわざわざこんな意味の分からない場所に押し込めないわよね。死の宣告以外の用事を聞きましょうか?」
彼女、敷島零の言葉に、その場の皆がハッとした表情になった。それはまさに希望であった。
零の言う通り、たとえその謎の声のせいでこの場の皆が命を落とす羽目になったとしても、そんな事はわざわざ言う必要はない。それなのにわざわざこうして黒江たちを集め話しかけたという事は、黒江たちに用事があるという事である。
『察しが良いですね。では、お話ししましょう。』
謎の声が浩と零の指摘を認めた。その事実に、皆が固唾を飲み言葉を待つ。
『普段ならばこのような事故が起きたとしても、精々次の人生に多少の便宜を図る程度で終わらせています。ですが、私を始めとする私たちの偉大なる主はあなた方の境遇にいたく同情しておられます。そして、私を始めとする私たちの偉大なる主のその深遠なる慈愛により、あなた方を数ある世界のうちの一つに転生させることを許可なさいました。』
つらつらと語られた言葉に一同は理解が追い付かずポカンとした表情となる。しかしその中で、先程も謎の声の言葉に噛みついた赤い髪の女性、日笠絢火が眉間にしわを寄せながら口を開いた。
「あぁー……、えっとつまり? 『わたしたちのミスでそちらさんは死んじゃったから、そのお詫びとして別の人生歩ませてあげるよ』ってわけ? つまりアレ? 『異世界転生』ってやつ?」
『ええ、大体その通りです。』
その場にいた一部のものを除き、ほとんどの者が怪訝そうな表情を浮かべた。一部の者、先程「異世界転生」という言葉を口にした絢火とそして黒江は別の意味で考え込んでいた。
「(異世界転生……? 最近読んだ本でそう言った展開はあったけど、まさか自分の身に起きるなんて……。っていうか、本当にこれ現実なの? 実はまだバーベキューは続いていて、僕が居眠りしているだけなんじゃ……?)」
黒江はこの、あまりに都合のよすぎる展開に猜疑心を抱いていた。確かに謎の声の話に道理は通っている。ミスに対する責任と補償。しかしその補償が「異世界転生」というのは、あまりに突拍子がないのではないか? 一連の流れは自らの見ている夢か何かなのではないか? 疑いの心のみが広がっていくのだった。
そして、その疑いを持つものは他にもいた。天然パーマの青年、足立健人だ。彼は律儀にも右手を軽く上げ、発言の許可を求めた。
「あ、あの~。ちょいええですか?」
『何でしょう。』
謎の声は姿を見せずとも、やはり黒江たちのことを認識しているらしい。健人の挙手に反応を示し、発言を促した。健人はそれに対し「お、おおきに。」と感謝の意を示し、言葉を続ける。
「えっと、その、『異世界転生』? っちゅうもんがどんなもんかはいまいち理解でけへんのやけど、俺たちを生き返らせるっちゅうんはアカンのですか? こう、死んでまう数時間前に戻してくれるとか……。」
健人の指摘は当然のものだった。何も訳の分からない異世界なんかへ行くよりも、見知った世界で生きていく方がリスクの面から考えても容易い。中には異世界へ好き好んでいくものもいるのかもしれないが、少なくともこの場にいる皆は異世界を心から望んではいないようであった。
その証拠に、健人の発言を聞いた九人は如実に反応を示していた。それが何を意味するのかは当人しか分からないのだろうが。
『……申し訳ありませんが、その要望には応えられません。死者蘇生は私を始めとする私たちの偉大なる主が固く禁じています。それでなくとも、異世界転生は破格の特例です。どうぞ、御納得ください。』
「そう、ですかぁ。まぁしゃあないか……。」
謎の声が初めて逡巡のような物を見せた。しかし、告げられた言葉は健人の提案を却下するものである。健人は落胆したような声を出したが、別段それ以上食い下がる事はなかった。本来ならば死んでそれまでのところ、異世界とは言え新しい人生を歩むことができるのである。十分な好条件だ。この好条件を取り下げられてはたまらないと判断したのだろう。誰一人として反論することはなかった。
A大学
黒江たちが所属する私立大学。文理多岐にわたる学部を保有し、その総生徒数はおよそ一万人に及ぶ。キャンパスも広大であり、施設内の車両通行が一部許可されている。大学だけで一つの街を形成している学園都市。
生徒たちの自主性を尊重する校風であり、クラブや部活、同好会の数は公認非公認合わせ数えきれない。因みに黒江の所属するゼミは文学部日本文学専攻古典日本文学ゼミである。