第13話
その時。サラの背後で「ジュワァ……ッ」という水が蒸発する音が聞こえた。サラが驚いて振り返ると、加熱していたお粥が吹きこぼれている。慌てたサラは紙片を机の上に放ると、石窯にくべた薪を取り出し火を消した。中身を確認すると、少し底が焦げ付きつつあるもののしっかり出来上がっている。
「……いろいろと納得が追い付きませんけど、まずはあの子の容態を確認しましょうか。」
サラは出来上がったお粥を別の器に移し替え、お盆と共に寝室へ向かった。そしてお盆を一時片手で支えると、寝室の扉をノックし寝室の中にいるであろうの少女へと声をかけた。
「――クロエさん? 起きてますの?」
少し緊張していたのか、やや上ずった声が出てしまったサラ。その事実に少し頬を染める。だからであろうか、ここまで一度も会話を交わしていないはずの少女の名前を口にしてしまったミスに気付くことは出来なかった。
サラは緊張しながら少女の反応を待っていたが、寝室からは一向に反応が返ってこない。しかし、弓手として鍛えられた聴覚を研ぎ澄ませると、寝室からは微かに衣擦れのような音が聞こえてきた。もしかしたら寝室の少女はすでに目を覚ましているのだろうか。少なくとも寝室には何者かがいることは確実である。
「(ど、どうして返事がありませんの? 警戒、されている? でも、それにしても、何かしらの反応があっても良いはずですわ……。)」
少女から反応が返ってこないことに焦ったサラは、とりあえず言葉をかけ続けることを選んだ。
「あ、あの……、クロエさん? 大丈夫ですの? あ、もしかして、言葉が通じていないとか……。ど、どうしましょう……?」
語り掛ける途中で、サラはある可能性に気が付いた。少女に対し自らの言語が通じていない可能性である。サラが話す言葉は「森精族語」と呼ばれる言語であり、森精族のあいだでのみ通じる言語であった。古くは別の語に祖を持つ語だが、今や森精族以外にこの言語を語る者はいないのだ。
そんな「超」が付くほどマイナーな言語で話しかけられたら分からないのも当然である。そもそも、少女が森精族でない時点で気が付くべきだったと、サラは自らのうっかりを反省する。そして、昔習った記憶のある人類種の共通言語で少女に改めて話しかけようとした、その時だった。
『あ、あの! 起きてます! 言葉、通じてますよ!』
「――ッ!? え、何で、エルフ語を……? そ、それよりも! 起きていたんですのね!? 良かったですわ……!」
なんと、扉の向こうの少女はサラに対し「エルフ語」を用いて話しかけてきたのだ。その衝撃過ぎる事実に驚愕したサラであったが、その事実よりも少女が無事であったことに大きな安堵を得ていた。寝室の中で何かしらが動いていたことは分かったが、それでも少女が声を返せるぐらいには回復していたことは素直に喜ばしかったのである。
「(不思議な事には変わりませんけど、クロエさんの背景を考えればそう不思議でもありませんわ。さて、それでは改めて。)」
「食事を持ってきましたわ。入らせてもらいますわね?」
念のため一言断った後に、サラは扉に肩を当てて扉を押し開いた。視界に入る見慣れた寝室。そのベッドに横たわる見慣れない少女は、ベッドに横たわったまま顔だけをサラに向けている。今までは瞼を下ろしていたので気が付かなかったが、少女の瞳はとてもきれいな赤色だった。サラは思わず見惚れかけるが、その綺麗な瞳に見つめられるうちに謎の気恥ずかしさを感じてしまう。
「あ、あの……。そんなに見つめられると、その……。な、何か付いてます……?」
少女は森精族が珍しいのか、サラの耳をじーっと見つめていた。しかしサラの言葉にハッとした表情になると、慌てたように視線を逸らす。
「あ、ご、ごめんなさい……。」
少女もまた恥ずかしそうにしていた。そのややおどおどした様子がまた小動物のようで、サラは思わず緩みかける口元を隠すようにキュッと引き締める。妙な雰囲気が二人の間に流れるが、サラはなるべく気にしないように心中で自らに言い聞かせ、手に持ったお粥をベッド脇のサイドテーブルに置こうとした。
それを見た少女は何かに気が付いたような表情になり、そして傷ついた身体であるにもかかわらずその身体を起こした。
「あ、手伝いますよ。」
身体を起こした拍子に身体に痛みが走ったのだろう。少女は少し顔をしかめた。サラはそんな少女の心遣いに感謝しながらも、「ダメです、寝ていてくださいな。」と、少女をいたわる言葉をかけるつもりだった。
しかし、少女の方を向き言葉を発しようと口を開いたところで、サラの正常な思考はプッツリと途切れた。目の前の少女はすでにベッドから立ち上がってしまっている。しかしその少女が、その少女がなんと、一糸まとわぬ裸体を惜しげもなくサラに晒しているのだ。
何故全裸なのか。その原因はサラにある。先ほどの治療の際、服を脱がせたのはいいが、少女の着替えがなかったのだ。仕方なくサラはタオルを少女の身体に巻いたのだが、寝返りなどでそれも取れてしまったのだろう。よく考えればわかる事だった。
「(ああっ! 寝ているときも思いましたけど、なんて可愛らしいんですの!? 体もほっそりとしていて、まるで人形みたいですわ! って、そんなこと考えている場合ではないと言うか、早く何かで隠して差し上げませんと、えっ、この芸術品を隠してしまいますのなんてもったいない! いえいえ、何を考えてますのって、あれなんだか意識が……)」
あまりの出来事にサラの思考がオーバーヒートを起こしていた。手に力が入らなくなり、手に持っていたお盆が零れ落ちていく。落下のけたたましい音に少女はビクンと身をひるませ、しかしそれでもサラを気遣うように声をかけてきたが、その声は途中で窄んでいった。どうやら自らが裸体をさらしてしまっていることに気が付いたようだ。シミ一つない綺麗な頬が真っ赤に染まる。目元にも涙が溜まり、「え、あ、うぁ、ひっ」と、言葉にならない言葉が口から洩れている。
「(ああ、もう! どうしていちいちそんな可愛らしい反応ですの!? ああいけませんわこんなにドキドキするの初めてですわ、もう何が何だか分からないと言うより、思考がまとまらないって、あれ、い、意識が、やっぱり――)」
思考と共に顔が熱くなっていくのを感じていたサラだったが次の瞬間、鼻の根元が燃えるように熱くなったのを感じた。そしてその熱さを感じたのを最後に、サラの意識は途切れる。少女がサラへ向かって何か声をかけてきたような気がしたが、もはや返事をする余裕はサラには無かった。
そして場面は現在に至る。