第11話
サラの呼びかけに応え、緑の珠が淡く輝きだす。すると、その輝きと共にサラの持つ珠から不思議なことに、樹木が凄まじい速度で生えだした。樹木はあっという間に成長し、弓の形を成す。この武器こそがサラの持つ武器、「森林の旋風」なのだ。
しかし、これで弓は出来たものの肝心なものが見当たらない。矢だ。サラは腰に付けたポーチの他には簡易なナイフ程度しか持っておらず、矢筒などはどこにも見当たらない。これでは攻撃ができないかと思われたが、ここは魔法の世界であった。
サラは矢もない状態で弓を構えた。そして強靭な蔦で出来た弦を引き絞ると、凛とした声で魔法の名を唱える。
「【風の矢】、番え。」
詠唱と共に、弓と弦の間で風が渦巻いた。風は淡く緑に輝き、一つの形を成す。まるで杭のような、矢羽のない矢である。
サラは鋭い目でトライウルフに狙いをつけると、一瞬、呼吸を止め、一息の内に射った。放たれた【風の矢】は風切り音を鳴かせ飛ぶ。そして驚くことに射線上にある木々を矢自身が避け、ほぼ直線に飛ぶのだった。
一瞬のうちに少女の横を通り抜けた【風の矢】は、正確無比な狙いで少女に飛び掛かろうとしていたトライウルフ二頭を射止めた。逆巻く風が頭の横を貫き、音をたてて肉と骨を削る。正面から射ぬかないのは、死角から確実に仕留めるねらいと、堅い頭の正面を避けるためである。正面からの射撃で横から攻撃できる自由さが【風の矢】の強みの一つだった。
哀れ頭蓋の内部をミンチにされたトライウルフらは、断末魔を上げて絶命した。油断なくトライウルフを睨みつけ残身を取っていたサラは、手に持っていた森林の旋風の珠に手を当てる。すると森林の旋風に生えていた樹木は、まるで灰が風に吹き飛ぶように光の粒子となって消え去った。サラは元の状態となった球をポーチに仕舞う。
周囲を注意深く見回したサラだったが、トライウルフの他に敵の姿は見えなかった。サラは安心したように大きく息を吐くと、急いで少女の元へと向かった。
「大丈夫ですの!?」
サラの呼びかけに少女は力ない動作で振り向こうとしたが、そのまま力尽きたように倒れ伏してしまった。サラが驚いて駆け寄り、少女の身体を抱き起す。
「(見知らぬ者に触れられていい気はしないでしょうけど、申し訳ありませんわ。)」
心の中で少女に詫びながら、サラは少女の容態を確かめ始めた。呼吸もしっかりしており脈もある。どうやら気絶しているだけらしい。エルフの細腕でも容易に抱えらえる程小さい身体だ。それだと言うのに正気ではないトライウルフに追いかけられたなんて、その恐怖は想像に余りある。
「(でも、どうしてこんな所にこんな少女が……? 見たところ、人類種ではないようですけど……。考えていても仕方ありませんわね。取りあえず、傷をいやさなくては。)」
「よい、しょっと……。」
サラは少女を背中におぶさった。サラを始めとした森精族は人類種と比べ身体能力はやや劣る傾向にある。しかしそんなサラであっても軽々と抱えらえるほど少女は軽かった。しかし軽いからと言って骨と皮だけと言う訳でもなく、サラの背中には確かに感じられる柔らかさがある。同性であるはずなのに、サラはその感触にやや頬を赤らめた。
「い、いけませんわ……。と、とりあえず置いて来た籠を回収して、郷に戻りましょう。」
誰に言うでもなく、むしろ自らに言い聞かせるようにサラはこれからの行動を口にした。そして少しだけ遅い足取りで森の中を歩くのだった。
少女をおぶさったサラは、行きで置いて来たキノコを回収し、そしてシドラの門へと到着した。それほど身体的疲労は感じてはいなかったが、額にうっすらと汗を滲ませている。
サラは少女を抱えたまま、キノコの入った籠のみを地面に下ろした。そして空いた片手で門の脇にある紐を二度、下へ引っ張る。すると、門の内側で音が鳴った。木の板に硬い何かを打ちつけたような音だ。その音を合図に城壁に取り付けてある小窓が開く。小窓の向こうには、整った顔立ちの森精族の男性の顔があった。
サラは男性が顔を覗かせるのを確認すると、それを待っていたかのように口を開く。
「サラ・エルゼアリスですわ。採集活動より只今戻りました。開けてくださいまし。」
「ああ、エルゼアリス様ですね。かしこまりました、少々お待ちください。」
パタンと小窓が閉じられると、少しの後に、重たいものが縄で引っ張られるような、ギシギシと言う音が聞こえてきた。そして同時に、巨大な丸太を横に組み合わせて出来た堅牢な門扉がゆっくりと縄に引っ張られ持ち上がった。
「エルゼアリス様、本日もお疲れさまでした。エルゼアリス様が危険な国外での採集活動をしてくださるおかげで、シドラはより繁栄いたします! 時に、本日はいつもより少し遅かったようですが、何かあったんですか?」
門番の森精族はまるでサラに媚びるかのように、顔面に笑みを張り付けて言葉を連ねてきた。サラは思わず浮かびかけた苦い顔を必死に押し込める。
「(あぁ……。やっぱりこの『おべっか』は気分が良くないですわ。今日の門番さんは、純血主義の方ですのね。)」
森精族にはいくつかの種類がいる。シドラのおよそ八割を占めているのが、白い肌に金の髪と緑の瞳、風属性に適性を持つ一般森精族である。さらにその中でも特に高い魔法適性値をもつ森精族は「ハイエルフ」と呼ばれていた。
そしてシドラの約二割を占めるのが「ハーフエルフ」である。彼らは森精族でありながら風属性以外に適性を持ち、その証として金色以外の髪色を発する。ハーフエルフは森精族たちの間で半端者として見られ、嘲笑の的であった歴史がある。今でこそ公に指をさす者はいないが、劣等感を持つハーフエルフは少なくない。
最後に、シドラに住む森精族たちの間で禁忌ともされていた存在が「ダークエルフ」である。彼らは闇属性に適性を持つだけでなく、褐色の肌に白と紫の髪、深紫色の瞳と、同じ森精族とは思い難い外見をしていた。ただでさえ忌避される傾向にある闇属性であるのに、かけ離れた外見に加え強靭な肉体を持つダークエルフは、やっかみを孕んだ差別の対象となり、歴史上においては存在すら許されないこともあったほどである。
そんなハイエルフ、エルフ、ハーフエルフ、ダークエルフであるが、実は皆同じ森精族である。しかし一部の森精族の間ではエルフとハイエルフしか森精族として認めないという考えが根強く存在していた。それこそが「純血主義」である。どうやら、この門番の男はその純血主義者であるようだった。
ハイエルフと呼ばれる存在であるサラは、この門番の男にとって尊敬の対象に当たるようだ。しかし、サラに対する態度にはそれ以上の諂いが感じられる。それはサラの出自が関係しているのだが、サラ自身その事には触れられたくないと考えていた。
サラは内心辟易しながらも、円滑な社会生活の為に愛想笑いを浮かべ男の言葉に対応するのだった。
「え、ええ。少し、トラブルがありましたの。」
「トラブル、ですか?」
「えっとですね、こちらの子なんですけど……。」
サラは身体をひねり、背中に背負っていた少女を門番の男に見せた。すると、門番の男の顔が分かりやすく歪む。そこに含まれる感情を言葉にするならば、恐らく「嫌な物を見た」とか、「汚らわしい」などが相応しいだろう。
森精族には全体的に別種族の事を避ける文化がある。それには森精族という種族の歴史が深く関与しているのだが、純血主義者らはその排他的感情が強い傾向にあり、門番の男もその例に漏れないらしい。
「……エルゼアリス様? その汚い娘っ子はどうされたのですか? 見たところ、外部の者のようですが。」
男は態度と表情だけのみならず、言葉にも忌避感を過分ににじませてきた。よほど森精族以外の種族の事を良く思っていないようである。
男の言葉に一瞬激昂しかけたサラであったが、ぐっと言葉を飲み込み、平静を装う。
「も、森で傷ついた少女を保護しましたの。森の守護者たる森精族としては、傷ついたか弱い存在を無下にはできませんわ。これもハイエルフたる者の務め、通していただけます?」
一言で言えば「けが人を保護した」なのだが、純血主義の門番の男を懐柔するためにはやや大げさな言葉を使った方が良いと判断したサラは、普段なら口にしないような尊大な言葉を盛り込んだ。サラは自らの言葉に虫唾が走るような思いを得た。
だが、その甲斐はあったようだ。門番の男はサラの言葉に森精族としての矜持をくすぐられたようで、途端に気分を良くする。
「おお! そう言う事でしたか。さすがはエルゼアリス様、そのような汚い娘っ子相手になんと慈悲深い……! どうぞ、お通りください。ですが、申し訳ありませんが長老方へのご報告はエルゼアリス様にお任せできないでしょうか。私を通すよりも、より効果的かと思われますので。」
「え、ええ。わかりましたわ。私にお任せなさいな。」
サラは愛想笑いを浮かべているが、口の端が細かく痙攣している。怒りを抑えている証だ。門番の男はこの短い間に少女の事を「汚い」と二回も形容した。許されるなら今すぐ目の前の男をぶん殴りたいと考えているサラだが、少女の事を考えることでなんとかその物騒な発想を押しとどめた。
「それでは、もうよろしいですわね? これで失礼いたしますわ。」
これ以上この男と会話していると、我慢の限界が訪れそうだ。そう考えたサラはやや強引に男に別れを押し付けると、地面に下ろしていた籠を拾い直して門をくぐった。そして人目を避けるようにシドラの外縁部沿いの道を駆け足で行き、自宅へとたどり着くのだった。
森精族の隠れ郷・シドラは、ジーフ樹海に位置する。郷の周りは勿論の事、内部もまた木々で溢れていた。故に、基本的に住居形態はツリーハウスが主である。木々を倒さず、木々と共存する形である。濃厚な自然の魔力を孕んだ木々は太くしなやかであり、多少の風ではビクともしない。
サラの家もその例に漏れずツリーハウスであった。木を囲むようにして設置された螺旋階段を登る。階段は木に板を打ちつけるような形であるが、長い年月の末に土台の木と癒着していた。
【お知らせ】
副題を少しだけ変更しました。とは言っても英語にしただけですが……。内容に変わりはありません。