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半透明のケット・シー  作者: 七瀬渚
第8章/猫の目覚め(Juri/Ray)
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8.だから優しいって言ったでしょ?(後編)



ちょうどお昼だとわかる。包み込む程よい暖かさかも望んだ季節を思わせる貼りつく湿度も。



意識はもう虚ろ。完全になることはできなかった、いつだって半透明だったこの幽体カラダも、霞の蒸発みたいにもうこの世界から薄れていってしまうの。それでもわかるの。



空気が変わったことも。生い茂る木々のざわめきも、草の匂いも




ーージュリ。




とりわけ強く響いている。まだ形になっている頭からもう見えない爪先まで、細胞に一つ残らず染み渡っていく…声。



優しく抱きかかえて進んでくれている、あなたの声が居続けてくれている。優しく。




なぁ…ジュリ。



よくわからねぇんだ、俺。




随分高みのところで陽が遮られているせいでよく見えない。陰っている…それでもわかるの。目に浮かぶの。困ったような笑顔が。



「6月の花嫁ってのはそんなにいいものなのか?」



声色にも笑みを交えたレイが問いかけた。小さく頷くジュリはちょっぴり照れながら打ち明ける。



「うん。憧れだったの…『6月の花嫁ジューン・ブライド…幸せになれるって…言われてる…」


「そうか」


「それに…」



もうすでにパラパラと降り始めている。濡らされていくこんな感触さえものともせず、きっと共に微笑んでいる私たちはやっぱりお揃い。同じ変わり者同士。




「私たちには…よく似合う季節、でしょう?」



雨が好き。





辺りは暗くてまだよく見えない。それで良かったと思った。


だって声で感じてしまうから、見えてしまうから。せめてこの虚ろな視界には…と伏せていた瞼の裏がやがて開けた気配と共に血潮の色へと変わった。



うっすらと開くと見えてしまった。眩しい煌めきと欲しかった色と…




「ホラ、見ろよ。ジュリ」




……欲しくなかった。見下ろしてくれる湿った青色は震え切ったその声に、あまりに似合い過ぎていて。



「レイ…」



やっぱり。




一面に広がった光景が嫌でも視界に入ってきて、染みる。予想も今、確信に変わってしまった。痛いくらい。



「雰囲気だけなら抜群だろ」



「うん。すごく…素敵」




素敵過ぎるよこんなの。忘れられないよ、離れたくないよ…そんな風に奥深くが軋むけれど。



見上げるとへへ、と笑ってる。誇らしげな彼の姿に応えなきゃと思った。せめて今は笑っていなきゃ、って。




やがて彼は静かにしゃがんだ。湖のほとりの木にもたれさせてくれた。純白のレースを頭からかぶせてくれると、そっと離れて向かっていく。



じんわり潤い、霞んだ視界でより幻想的に見えてしまう。もう胸元あたりまで薄れているジュリはそっと顔を傾けて確かめていた。噛み締めていた。



魅入っていた。




水面に降りてくる光の中には時折潤いらしき艶が混じる。自身の身体にも感じる、水の気配。


立ち込める匂いは草木の息吹。辺りを囲んでいるのは青みの強いものから赤みのもの、紫と称するに値するものまで、いっぱい。



前に訪れたときよりも数を増している。見ているだけで微笑ましい寄り添う形に触れてみたくなった。ジュリはそっと見下ろした。



限りなく透明に近い半透明の指先…これじゃあどうにもできないけれど。



だけどすぐに知ったのだ。願いはいつだってこの人が叶えてくれる。自身を擦り減らしてボロボロになってまで私の為に…と、舞い戻ってくる彼の姿を捉えて震えた。



摘んで束ねて作ってくれた紫陽花のブーケを一緒に持った。重なった手から確かなぬくもりが伝わってくる。




「花言葉は…『移り気』だっけ?あんま縁起良くはねぇな」


「ううん、もう一つあるよ…『辛抱強い愛情』…知ってた?」



「マジか」




教えてあげるとブルネットの眉を寄せて苦笑するレイ。伝わってくる。確かに伝わってくる想いを受け止めて更に実感した。



縁起とか言い伝えとか、言葉とか、もう関係ない。ここにある真実、それだけでいいって思った。



だってあなたは居てくれる。こうして笑っていてくれるの。




ジュリがそっと手を伸ばしていく途中、それで…とレイが切り出した。




「誓いの言葉?あれ、何だっけ?何て言うんだっけか?なんも調べてなかったんだ、俺。だって、よ…」



そっと触れた、透けた指先はみるみるうちに湿った。そう、この笑顔さえあれば…



「神父が言うもんだろ…コレ。まさか…自分らでやらなきゃならない、なんて…」



レイ…




「思わなかった…から……っ」




ーー笑って。泣き虫さん。





今度は両手で包み込んであげる。自分だって泣いてるけど、溢れて込み上げてどうしようもないけれど、ちゃんと教えてあげた。



「ごめんね、レイ。私も…わからないの…だから、ね…作っちゃおうよ?」



「ジュリ…」



「こんなのは…どう?」




ずっ、一回とすすり上げてもやっぱり鼻声。それでも伝えた。できるだけはっきり、ゆっくりと。



だってこれは大切な言葉。魂に刻み込む、誓いだから。





ーー私、ジュリは。



何度離れても、何度生まれ変わっても


何処に居ても


必ず貴方を探します。



貴方がしてくれるように、私も貴方を守りますーー





「ずっと傍に居ます。貴方の…魂の伴侶で居続けると誓います」



「……っ、………っ……」




「ホラ、レイも…言って?」




今や狼の異名なんて嘘みたいに声を詰まらせて悶えている彼を促した。カッコ悪い…って、可笑しく思いながらも止められない想いがつのっていく。




「ああ……俺…は…っ…」



情けないよ、頼りないよ。



「何処に居てもお前を探す…絶対に忘れねぇ…!俺の嫁は…伴侶は…お前、しか、いない…から……」



すっごくカッコ悪いよ、レイ。



「いつまでだって、探すし、待つ。好きだ、ジュリ…お前を、ずっと…」



愛おしいよ。




「ぢがいまずッッ!!」




何か間が抜けちゃってるよ?決まってないね。もう、本当に……大好きだよ。




ベールを上げて口付けたが最後、たがが外れたみたいにわんわん言って抱き締め合った。ジュリー、レイー、って飽き足らずに呼び続けながら、鼻声のカッコ悪い者同士、いつまでもいつまでも濡れた頰をすり寄せていた。続いたやりとりなんか酷いもので。



「大好きだよ」


「知ってるよ」


「離れたくないよ」


「じゃあ居ろよ」


「出来ないよ…」


「知ってるよ!」



「だって…愛してるんだもん…!」



「俺もだよッッ!!」



わかりきっているにどうしようもなく繰り返しているどうしようもない私たち。答えならもう見付けたはずなのに、何度となく覆っては戻る、そんな途中。



なぁ…ジュリ。



彼が呟いた。教えてくれ、と弱々しく。



「まだ覚えてるんだ。俺を優しいって言ってくれたこと…何度かあるよな?でもわからねぇんだ、俺」



なぁ…?



すがるように顔を埋めて問いかけた。声を詰まらせて。



「お前の言う優しいって何だ?お前を散々振り回した上、身勝手な想いでがんじがらめにした…俺なんかの何処が優しいってんだ。いつだってフラフラと定まらない、俺なんてただの優柔不断じゃねぇか。たったの一文字しか合ってねぇぞ。なのに…」



何で……



せっかく落ち着きかけたのにまたおいおい呻きそうになっている彼の背中を撫でて笑った。ううん、とかぶりを振る振動を頰から伝えて。



「…レイは優しいよ」


「だから何で…!」



「わからないの?」



しょうがないなぁ、と今度は硬い髪を撫でた。もうわかった気がした。何故、この人が



「鈍感」



こう言われるのか。




「レイの優しさはね、合わせる優しさなの。本当は人の気持ちに凄く敏感なの。でも気付いてないんだよね?あなたはいつも、自分の気持ちには気付かない」


「俺の…気持ち…?」



「そうだよ。人の気持ちは動くの。同じ場所には居ない。だからレイは定まらないんだよ。揺れ動く私に合わせて…自分も、動いちゃうから」





ーーそんな気がしていたの。



自分で口にしながら確信した。



だってあのときあなたは泣いた。それまでの孤独の涙じゃなくって、寄り添う私の情念を受けて、おんなじようになったから。



だから…ね。







うう…と耳元で続くむせび泣き。ざわめく木々の少し湿った音の中にもう一つ…いや、もっと混じってるって気付いた。ううん、本当はちょっと前から知ってたけど。



二人っきり。それもいいけれど、もう一つ叶ったのだと知った。ジュリはそっと薄い顔を傾ける。




ジュリ!!




貫く声を捉えた。きっと視線に気付いたのであろう彼が茂みの中から立ち上がって



「レイのことももちろんだけどよ、俺らのことも探してくれよな!いつかまた…必ず…!!」



「エド…」



呼ぶともう一人が隣から立ち上がる。



「私もだよ、ジュリ!せっかく友達になれたんだからさぁ、忘れないでよねッ!!」



「マギー」



それからまた一人、もう一人。




「結婚、おめでとう」



「綺麗だよ、ジュリ…!」




「ヤナギ。サシャ姉」




泣き濡れているくせに、いつもみたいな笑顔やら無表情やらを一生懸命に象っている、みんな。後ろから駆けつけた何人かも言う。おめでとう、忘れないでね、元気でいてね…なんて、あまりにもあったかい言葉を容赦もなく投げてくる。



「祝福しよう」



そしてやっぱり最後は、何だかんだと出たがりなこの人だ。




「素晴らしい式を見届けさせてもらった。お前たちはもう誰もが認める夫婦と言える。もう何処へ行っても怖くなどなかろう」



「うん…ナツメ」



「達者でな。そしていつかまた会おう、オーク夫人」




いや。





ーーレイチェル・D・オークよーー





「ありがとう」




きっと、あまりにも自然に交わしていたが為に、衝撃は遅れて届いたのだろう。皆に。そして、彼に。



「レイチェル…だって?」



多分、エドが言った。



「ジュリの前世まえ…それじゃあ…?」



マギーも驚いてるね?




「ああ、レイチェルという名の女性。その愛称といったら大抵は…」




そう、ナツメ。教えてあげて。




【レイ】




「…こうなるのだよ」




「レイが二人って、マジだったのかよ」



「エド、エスパー説」




遠くてもわかる。きっとみんなみんな、呆気にとられてる。でも…




「お前……が…?」



抱き合っていた身体を少し離した。海のように満ちた青色で見つめる彼だけは



「俺に……くれた、のか?」



二人しか知らない唯一を感じ取ってくれた。




「うん…そうなの。忘れないでほしかったから。別の世界に行っても私は居るって、ずっと繋がってるって、覚えていてほしくて…送ったの」



この名前を。光の響きを、片割れを貴方へ。



結婚して姓が変わったらますますお揃いだね。一緒だね。凄いよね、私たち。



でもね。




頰に当てがった手で寄せる。額を合わせてジュリは願う。




ーー呼んで。





「ジュリ」





うん…



「うん」




やっぱり、それ。あなたの声で紡がれてやっと息付いたその響きを



その名前を持って、私は生きていくね。だから…



「レイ」



こっちはあなたが持っていて。大切にしてね。時も世界も超えた私からのプレゼントなんだもの。







ーーやがて、降り注ぐ。




ちょうどここへ降りてくる天使の梯子は決して晴れを示すものではない。



雫は数を増していく。降り注いで生かしてくれる。木も、草も、青の花も。



還りゆく私も、優しい彼も。





「雨……だね、レイ」



「そうだな」



「レイも好きだよね」



「ああ、好きだ」




祝福のお天気雨の中でそっと寄せた。もうすっかり薄いけど、意識も五感も遠のいているけれど、きっと最後まで残ってくれると信じて



今世、この世界で最後の触れ合いを。彼と。




交わす。





降りてくる雨粒が時を遡るかの如く登った。いや、これは私なんだと気付く頃にはもう、形もなかったけれど。




ーージュリーー



ーー愛してる…ありがとうーー




ほら。想いはちゃんとここに居る。主を失くした抜け殻のベールを抱えるあなたが心配だったけれど




ーーレイーー



ーー私こそありがとうーー





ーー愛してるわ、ずっとーー






登りゆく天へ、私へ、ちゃんと返ってきた。もう…大丈夫ね。




この世界での形はなくても



私は願う。




散々振り回してもなお支えてくれた、優しい被害者たちに。みんなに、泣かないで、と。





……り…




樹里……!




聞こえてくる。戻っていく。



ピッ、ピッ、と続く機械音を捉えてる、懐かしい肉体の感覚と




樹里……っ!



磐座…!




散々傷付け合ってなお、まだ呼んでくれる。隔たりの向こうで祈ってくれてる。こっちの被害者たちにも想いを伝える……泣かないで、と。






そして




世界こそ離れてしまったってちゃんと感じてる。繋がってる。




これから還りゆく肉体の脳には障害が残った可能性がある。だからもう歩けないかも知れない。もしかしたら…忘れてしまうかも知れない。



だけど怖くなんてないわ。



だってあなたが教えてくれた。魂は前へ進めるって。





一緒に溶け合う光を目指すと誓ってくれた。



それがどんなに苦しくても変わりはしないと。傍に居ると。




私を選ぶと言ってくれた。



とびきり不器用で優し過ぎる彼へ




もう一つの私。大切な光へ。





笑っていて【レイ】。




大好きな大好きな、たった一人の




挿絵(By みてみん)





ーー私の旦那さんーー



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