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半透明のケット・シー  作者: 七瀬渚
第8章/猫の目覚め(Juri/Ray)
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7.だから優しいって言ったでしょ?(前編)



「おい、ナツメッ!!」



バン!と勢いよく開け放たれたドアから雪崩れ込む。その数は次第に増していく。


呼ばれてひらりと振り返る、漆黒を纏め上げたばかりの彼女に先頭のエドが整わない息遣いのまま詰め寄った。問いかけた。



「今の何だ。どういうことだ?レイの奴、何か白いカーテンみたいなのを持って…」



「あぁ、あれはレースのテーブルクロスだ。最近購入したばかりの新品だったのだがな」



そうか…なんて、一瞬ばかり納得しかけた彼はすぐにかぶりを振る。表情険しく、仕切り直すかの如く。



「んなのはどうでもいいんだよ!」



大音量で苛立ちの突っ込みを放った。それより!と更なる大の音で続けるエドの表情には焦燥の色が増して、満ちていく。



「ジュリが…っ、アイツの身体、すげぇ薄かったぞ!脚なんかもう見えなかった。顔色も真っ白で…!」



つい先程目にしたばかり。呆然とするあまり一声すらかけられなかった、あまりに異様な光景を逸る口調で伝えた彼は



「何がどうなってるんだ!?どうなっちまったんだ、ジュリは!!」



ナツメ!!



掴みかからんばかりの勢いで叫んだ。いかつい肩で息を切らせている。その後ろで続々と集まってくる職員たちもまた、じわりじわり、確実に表情を強張らせていった。




エドの言葉が示すように、理由も状況もきっと誰にもわからない。それでも何か感じ取っている。不穏な空気に飲まれたうちの一人、マギーに至ってはすでに涙目だ。…訳もわからないはずなのに。



そんな中でも至って涼しさを崩さない。半開きの窓から吹く湿った風の後押しで白衣を翻すナツメは




ーージュリが思い出したのだ。




一つ、解き明かす。




「自らの“名”を」




あまりに短い、故の沈黙が占める。再び始まったのはしばらく後で。




「え…名って…」



「ジュリ、でしょ?」




いつだって先頭をきっているエドとマギーは共に同じ色の瞳を見開いたまま、瞬きすら忘れてためらいがちに呟いた。こうなるのは無理もないことだ。必然だ。すでにそう察しているのであろうナツメは相変わらずの姿勢でまた告げる。



「それは現世いまの名だ」



解き明かす。更に。




「今ここに居るのは前世まえの姿。人型ケット・シーは動物妖精とは言えどかなり人に近いと聞く。名付ける文化もまた存在する」



ーーそれは彼女もまた然り。




前世まえには前世まえの名があったはずなのだよ」




「前世の…名前?」




呆然として返すマギーに向かってナツメは、ああ、と頷いた。あくまでも構わない様子で淡々と続けた。



「通常、前世の記憶を取り戻すとき、名は一番始めに思い出すはずのものなのだ。何故ならばそれが“鍵”となるから。しかし…」




ジュリは違った。



他なら全部思い出しているにも関わらず。




「…もうこれは意図的な現象としか考えられない。彼女の魂が意図して封じていた、としか」




しばし鎮まった後にやはり生まれ出したざわめきは、遠慮がちに、密やかに。



それからやがて、突き破る。




「でも…」




回りくどくさえ感じられる解き明かしの差中もずっと、絶えず雫を流し続けていた彼女のもので。もう耐えられないとばかりに。



「それでもいいじゃないですか!ジュリは【ジュリ】でいいじゃない!何で思い出さなきゃいけないんですか!?」



涙も唾もいっしょくたに。四方八方に散らしながらマギーは叫んだ。食い込んだ爪による出血が危ぶまれる程に強く、限界まで拳を握り締めていた…悲痛。



「幸せは目の前なのに…レイさんと、ジュリは…っ、もう一緒になっていいはずでしょう?あんなに苦しんで…ここまで…来たんだ、よ…?」



なのに何で?



「ジュリは消えちゃうの?酷いよ、こんなのって…!」



「マギー…」



肩を抱き寄せるエドの逞しい腕力さえものともせず。




「こんなのって無いよッッ!!」




割れる響きで叫んだが最後、うう、と声を殺してむせび泣く。自身も苦痛に顔を歪めているエドはただ震えるマギーの背中をさするくらいしか出来ないようだ。



しばらくは静寂の訪れを待つかの如く瞼を伏せていた。そんなナツメもやがて口を開いた。次第に数を増していったむせび泣きは止まらない。故に、観念したかのような哀愁漂う表情でそれ・・を言った。




双子の光ツインレイ




きっとこの場の誰もにとってまだ記憶に新しい、一つのワードが蘇る。




「…正直私も驚いているのだよ。あれはある程度成熟した魂こそが成せる運命の形態だ。人としての転生を重ね、出会いと別れを繰り返した先でやっと辿り着く。今世においてもそれなりの経験を積んでいないとなかなか起こり得ない為に、片割れのレイと出逢うのは年齢にして40代くらいからが最も多いとされている」



しかしあの二人はどうだ?



ナツメは続けた。泣きっ面、しかめっ面、立ち尽くすのみの面々に向かい合うその顔は何処か怯えてさえいるかのよう。



「ジュリ…いや、磐座樹里は17を迎えたばかりの少女。レイに至っては人間初心者だ。言うまでもない、成熟などとは程遠い成長途上の初々しい魂なのだよ。しかし私は目にした。耳にした。そして改めて知ったのだ」




ーーこの世は未知だ。滑稽だ。



故に、神秘だ。




「まさに例外としか言いようがない。どうやらあの二人の約束はすでに始まっていたようなのだ。魂自体は未熟なまま。されど生み出す愛のエネルギー…あの凄まじさはまさにツインレイのそれと言って然るべき。あんなのは見たことがない。聞いたこともない。未知なる進化か?突然変異か?私も何と称するべきかわからずに混乱しているくらいだ…」



そして憧れやら好奇やら、興奮やら。あれこれ混じり合ったような複雑な形を成している。銀縁の奥で見開かれた双眼やわずかばかり蒸気した頰が示している。


三度の飯より研究、ワーカーホリックなどと称されている。それでいて時折浪漫ロマンさえ匂わせる、彼女にとっては自然な反応といったところか。



見入っていたエドが一歩踏み出した。でも…とためらいがちに切り出した後は、いくらか落ち着いた口調で。



「何だかすげぇってことだけはわかったけどよ、ジュリはここで生涯を過ごせば来世またフィジカルに生まれるんだろ?レイと同じ場所へ。それじゃ駄目なのか?今世も来世も一緒に居られるベストな選択…じゃねぇのか?」



散々鈍いと言われたけれどもうある程度理解しているとわかる。だからこそ実感してが増していってしまったのか、落ち着き始めていた口調も比例して乱れた。時々裏返った。



それでもエドは言った。救いを求めるかの如く薄く笑んだまま、泣いた。



「ここで別れたら来世もまた別の世なんだろ?次に出逢えるのは…いや、出逢える保証はあるのか?世界を超える奇跡ったってよ、あまりにも悲し過ぎただろ。普通に結ばれちゃいけねぇかよ……なぁ…?」



「レイの魂が許さないんだ。現世の放棄をしたジュリだけが同じ試練を背負うなど。そしてジュリもまた、そんなアイツの優しさを知っているから…」


「だけどよ…!」


「エド」



ナツメがたしなめるように名を放つと、マギーが迷わず動き出した。震える彼の背中を包み込むも、更にガタガタにどうしようもなく震え切った声が




「俺は現世いま!幸せな二人が見てぇんだ!!」




叫んだ。




ナツメが口をつぐんだ。取り囲む一同も、支え続けるマギーも、放った当人もそれ以上を続けられはしない。



だけどしばし後。




「…すまん。我儘わがままを言った」


思い詰めているとわかるエドの声は詫びた。


「気持ちはよくわかるよ、エド。二人を愛しているからこそ…だとな」


優しく静かに返す言葉に彼は遅れ頷いた。ナツメも頷いた。慈しむ眼差しへと落ち着いていった。



彼女は言った。




「ツインレイ。確かにそう言った。愛の形はまさにそれだと思う。それ以外に無いとさえ思う」



だけどな。



それでもまだ未熟なんだ。



青臭くて、荒削りで、時に破壊的。



そんな二つの魂は、な…





「何処までも愛にストイックなのだよ。恐れることも傷付くことも忘れて突き進むんだ。求め合うんだ。そこばかりは実に若者らしい…目が眩む程にね」



「ナツメ…」



「私もまだわからないのだ。身体が向かった先なら何となくわかるのだがな、何を選ぶのかどう決めるのか、正直言って見当もつかない。だから興味深いのだ…知りたいのだ」




見てみたいのだ。



光に成り行く貴重な過程を



光の示す方向を。その先を。





まるで導かれるみたいにして動き出した。棒立ち状態の間をすり抜けて進みゆく彼女がやがて足を止めた。



自らそよ風を起こすが如く、純白と漆黒をさらりとなびかせた。ドアの前で振り向いた彼女の瞳には確かにそれがある。



「何をしている。行くぞ」



迷いのない短い促しを放つ。行く…って?涙目で問うマギーに向かって返ったのは



「このままで良いと…?」



ニヒルで哀しいあの笑みだ。はっ、と息を飲む音。我を取り戻したかのように目を見開いたマギーは自身にいっぱいの力を込める。そしてせきをきったように



夏南汰の微笑みに向かって





嫌だよ……ッ!!





力一杯叫んだが最後、みなぎる全身で繰り出した。俺も、私も、と続く声の主たちは凄まじい地鳴りを起こして先をを目指した。もう迷わず。先に進んだはずの彼女を瞬く間に追い越していった。






ーー静寂がよく似合う。




ゆっくり現世いまへ戻っていく。そんな彼女が、ナツメが小さく紡いでいく。




ーー本当に驚いているよ。本当に予測がつかない。



不思議で滑稽で神秘なお嬢様だな、君は。



どうか悔いを残さないでくれたまえ。そして見せてくれたまえ。身体ばかり熟れていく私に



新たな選択を教えておくれ?なぁ…





「神秘の【レイ】よ」




紡いでいった。最後で呼んだ。



確かに




その名を呼んだのだ。



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