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半透明のケット・シー  作者: 七瀬渚
第8章/猫の目覚め(Juri/Ray)
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5.何でもお揃い、双子の光



ーー翌朝。



もう早起きならお手の物と自信満々に飛び起きてから我に返った。ん…と低く唸る声と引き寄せる感覚に気が付いて、薄暗い空間の中でただ一人を見下ろした。



「おはよう、レイ」



起こさないくらいの小さな声で言った。まるでイヤイヤするみたいに腰にしがみついて離そうとしない、彼の髪を撫でてからそっと抜け出した。



振り返っては薄く笑んで。後ろ髪引かれる思いで食堂へ向かった。




昨夜彼にも思い出させてあげた『とってときの約束』の前にもう二つある。



まずは一つ。




「花嫁修業に余念がないねぇ、ジュリちゃん」



踏み台に乗ってなお時々背伸びを必要とするから包丁を使う作業は禁止されしまった。それでも私の出来ることを…と、洗い物、ピッチャーの継ぎ足し、食材の出し入れと一生懸命にこなすジュリを微笑ましげに眺めるマドカが言った。彼女は続けて。



「ゆっくりでいいんだよ。レイ君は優しいからアンタが作ったものなら何だって喜んでくれるさ」



「うん。でも時間が…」


「え?何だって?」




「ううん、早く覚えてお嫁さんらしくなりたいの」




真夏に咲く向日葵ヒマワリなんかを意識してみた。カラッと笑って見せたジュリは内心でちょっぴりため息をつく。




危なかった。良かった。




聞こえてなくて。




今、きっと“二人”しか知らない事実に。




なかなかの重労働にじんわり汗が滲んだ。これを毎日、朝昼晩とこなしているマドカたちは本当に凄いと改めて感じた。


それにしても何だろう…やっぱり、時が迫っているせいなのかな?体力の消耗がやけに早い気がする。



だけど何とかやり切った。満足感に長い息を吐き出すジュリはいっぱいに埋まった食堂の席の中に彼の姿を見つけて手を振った。



「あとは大丈夫だから、行ってきなよ」



マドカがそう言って朝食のプレートを渡してくれた。ハムエッグとトースト、それにオレンジジュース。嫌いな野菜までちゃっかり付けてくれちゃってるけど、まるで図ったみたいな好物揃いに思わず頬が緩んだ。




おぅ、ジュリ!



今朝はお前も作ってくれたんだってな。




ニヤニヤした職員たちの笑みはこちらとあちらとを交互に行き来している。耐えられず鼻を擦り出したレイの向かいに座った。それからニッ、と歯を見せて。



「美味しい?レイ」


「あ、ああ。美味いぞ」


「私、頑張ったよ」



「お…おう…?」



万年縦皺たてじわ入りの眉間の下を見開いている。ぽかんとしちゃって。わかってないみたいだから教えてあげた。


身を乗り出して、頭を突き出して、上目遣いで、あざとく。




「よしよし…して?」




「………っ!!」




うぐっ!とか、ぐおっ!とか、そんな呻きを上げそうな顔をしてたけれど、そんな彼より先に上がった。




かーーーっ!参ったねぇ!



見せ付けてくれちゃってぇ!




どよめき沸き立つ皆の冷やかしの中、彼が震える手を伸ばしてきた。それから



「よ……よし……っ!」



一個足りない。だけどわしわし撫で回す大きな手がちゃんと二回言ってくれていた。ううん、きっとそれ以上。









ちょっとやり過ぎちゃったかな?



真っ赤な強面を思い返して少しばかり反省をする、ジュリはまた次の場所へと向かう。


慣れた白い道のり。見慣れたドアをそっと、開いて。




ーーナツメ。




「順調に進んでるよ。ありがとね」




まず告げた。


そう、今回のこの計画は彼女の力添え無しでは成り立たなかったから。



エドとマギーがペアを組んで任務に就いたのも、サシャとヤナギが共に休暇だったのも。



食堂への立ち入りも。事前の予定変更がなきゃ叶いはしなかったから。



何故か今日は漆黒を解いている。涼しげに微笑むナツメは、そうか、と静かに返してくれた。すでに用意してくれていた向かいのパイプ椅子に腰を下ろすと、静かに交わし合う時間が流れ始めた。




「お前らはまるでリュウノツルギとバクテリアのようだったな」



「うん…いっぱい迷惑かけちゃったね」



「いや、あれ程愛に狂っているレイは私も初めてだったからな。貴重なものを見せてもらったよ」



「うん」




くすくすっ、と笑う自身の声は少しばかり哀しく響いた気がした。きっと近付いてくる気配に気付いていたから。そして願っていたから。




ーーもうちょっと。



あと少しだけ、待って。



間に合って。最後の約束のときまで




……お願い。





「祈っているのか?ジュリ」




あっさり見抜かれてしまった。ジュリはうつむいて少し、首を縦に振るだけ。


特に驚きはしなかった。いつだって並外れた洞察力を駆使して私たちの『運命の道』に手を貸してくれた…ナツメならきっとお見通しだとわかっていたから。




「レイは案外臆病だからな。だからお前が動いているのだろう?」



うん、それも…



「自分がやるしかないって」




……わかってる。





だけどね、ナツメ。彼が怯えていると私も怯えてしまうの。魂の頃からの繋がりだってことはもう知った。思い出した。だけど、何でだろう?



それだけでも説明がつかない、みたいな。




「もう一つだけ。最後の“鍵”を思い出していないな。お前は」



「ナツメ……でも、怖い」




震えてしまう。大好きな匂いに包まれながら感じ取った、あの細かな振動みたいに。



それでもナツメは見下ろしてくる。わかってる。本当に最後なのはきっと研究室ここだって。最後と言っておいたあの約束は…



『とっておきの約束』は




もっと、ずっと、先になるんだ、って。





やがて椅子から降りてそっと近付いた。優しく抱き締めてくれるナツメが、そっと




「ーー信じるんだ、ジュリ」



安堵へ導く静かな声色で



「何せお前たちは世界さえ超えた」



私の中の



「何度引き離したって離れはしないさ。その魂は…お前たちは……」




扉を開く。





ーー双子の魂ーー



いや





「“光”……なのだから」





「光……」








ーーレイ。



あなたは生きて……






レイ……!!







「わた…し……?」





繋がっていった。閃いていった。そしてついに知ってしまった。



ガクガク震えの治らない半透明の身体から始めに溢れ出したのは、とめどない、止められない、雫で。




「ナツメ…待ってって言ったのに」



声を詰まらせながら睨み上げた。こんな恨み言みたいなの、八つ当たりみたいなの、言うつもりじゃなかったのに。わかってたのに。



「思い出しちゃったよ、私…っ」




私の……



前世まえは。




私は……!





まだ頭の中で続いてる。遠い昔の森の中。狼の群れに囲まれたかつての仲間たちの、声、は。



逃げて、走って、あなたは生きて




ーーレイーー




その声は、名は、確かに私に向かって叫んでいるのだ。




「最後の意地悪を許してくれ。ジュリ」



いや…とすぐに仕切り直した。ナツメは呼んだ。私の名を。





「やっぱりもう…間に合わないね」


「まだだよ」



「本当…?」



「ああ、信じろ。そして行ってくるがいい。私の計画はこんなものではないよ」




哀しく乾いた笑みをこぼすジュリの前、ナツメはいつものような涼しく、だけど何処か名残惜しげに笑った。意地悪な彼女が教えてくれた。最後の『計画』。





部屋にいるよ。




アイツは今日、臨時休暇だ。








そして私は走っていった。走れるうちに、動けるうちにと、四肢を繰り出して脇目も振らず。



こじんまりとした新婚夫婦の住処。部屋のドアを開け放つと、息の上がったこちらに気付いた彼が目を見開く。




レイ…私、ね。




告げようとして歩み寄った。なのに、彼はひらりと背を向けてしまう。笑みの混じった声でこんなことを言う。



「遅ぇよ、お前。俺らの約束だって進めなきゃならねぇのに」



「ごめんね、レイ」



ぎゅっ、と後ろから抱き締めた。大きな背中から振動を感じる。彼は言う。振り向かないまま。




「6月にするんだろ?もう少しじゃねぇか。あとたった数日で叶うんだ。お前の夢が…」




うん。そうしたかった。



あなたと一緒に純白に包まれて、光に包まれて、梅雨空だって晴空だって関係なしに天高くへ投げるの。



思い出にしたかった花を。



辿り着けなかった青色を。高く。




だけど……





「ジュリ!?」




彼が気付いて振り返る頃。私は、もう




「ごめんね、レイ。私……もう……」




立てない、よ。




「ジュリ…何で…お前……」




腰から下がもう見えないくらいに薄れてしまっている。形のないところに力は入れられない、故に立ち続けることも出来ずに崩れてしまった私を彼が強く抱き上げた。青の瞳を満たして。壊れそうに揺らがせて、彼は問う。



「お前…願ったのか?自分で」



耐えられず、こぼしながら。





「あの世界に帰りたいって?」





こくり、と頷くと、何で…何で…と繰り返して戦慄わななくレイ。愛しい人の泣き顔。こんなの苦し過ぎる。


だけど、レイ。あなただって、もう




「気付いて…いた、でしょう…?」



こうなることを。だって知ったはずなんだもの、あの日。




ーー樹里。




ーーお前を愛してる!!!ーー





「レイの声が…聞こえたんだよ。あっちから私を呼んでくれてるの…私の、魂は、ちゃんと…」



「ジュリ…ごめん。俺のせいで…俺があんなことしたせいで…!」




「…ううん、いいの。これでわかったはずなの。私も、レイも」




さっきナツメが教えてくれた。その後思い出した。すぐに合点がいった。




ーー片割れの光は、ピンチのときにこそ現れるものでね…ーー




そう。私たちはお互いの危機を感じ取ったの。同じ魂の故郷を持つ双子は、同じ試練を持ってそれぞれに産まれ落ちた。



【孤独】



これを持って。




私たちは闘ってた。それぞれの場所でそれぞれに。だけどもう限界だったのね。もう少しで原型も保てないくらいに崩れてしまいそうだったから……出逢ったの。



そして私たちは世界を乗り越えた。




ーーレイは悪くないもん!!ーー



思い出す。マギーに掴みかかったあの日。



私はあなたの。




ーー葛城ィ…!!ーー



思い出す。噂の元凶に食ってかかった後ろ姿。



あなたは私の。





互いの世界で互いの居場所を作ろうとした。それは簡単じゃなかった。苦難の道だった。それでも。



あの瞬間、あなたの声を聞いた。私は思ったの。




あなたが作ってくれた私の居場所。あなたが愛してくれた『樹里わたし』。




「捨てるなんて、できないよ…!」




そして研究所ここに帰ってきてから確かになった。あなたにも居場所がある。出来上がっていく。だから。




「捨てないで…レイ……っ」




サシャもエドもマギーも。ナツメもマドカも、みんなも。あなたが好きなの。わかってくれたの。



もう独りじゃないんだよ。





伝えていくうちにいつの間にか泣いていた。離れたくない、消えたくない。だけど…信じたい。そんな風に想いをこぼしているうち、いつの間にか廊下を駆け抜ける彼に、力強い腕に抱きかかえられていると気付いた。




彼は行く。その途中で一つの部屋へ寄った。ついさっきまで私が居た場所でナツメから一枚のレースの布をひったくるようにして受け取ると、呆然と見上げる職員たちには目もくれずただひたすらに外を目指して走った。




迎えた空気は、ちょっぴり湿ってた。




間に合わない。実際はまだ届いていないけれど、待ち望んで止まなかった季節を彷彿とさせる風を帯びながら、ジュリは彼の進む意味を悟っていく。



「レイ……」



あなたはまだ、あの約束を…?




「ありが…とう……!」





力の入らない喉から精一杯に絞り出した。厚い胸元の布地を握ると、いっぱいに潤んだ青の瞳が見下ろした。



彼は…



レイは言った。力強く。





「いいから黙って嫁になれ!!」





うん…




「うん……っ!」






本当に真っ直ぐな人。一途で不器用で時々鈍感で、痛々しいくらいに…優しい人。



疾風の彼の象徴とも言える蒼の機体に乗り込んだジュリはそっと身を預けて想いを馳せる。それから信じた。今度は迷いなく、はっきりと。





ーー大丈夫。



何処に行ったってあなたと一緒よ。



ここから消えたって、消えたりなんかしない。



私たちの魂は、私たちは、もう。






ーー双子の光だものーー



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