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半透明のケット・シー  作者: 七瀬渚
第1章/狼の日常(Ray)
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7.操縦士の名が廃るからな



しつこい、とは思うがもう一度言う。生物保護班は過酷である。故に必要となるのは第一に体力。じっとしているだけでは身に付きようもない。だから当然…



「どうしたぁ!遅いぞ、レイ!もう一周残ってるんだからなーっ!!」



「…へーーい」



日々のトレーニングも必須となる。





やや曇った日の日中にっちゅう。フライトの合間のランニングを終えたレイは、上向きの蛇口から吹き出す水を一滴もこぼさぬ勢いで飲み下していく。ごくごく隆起を繰り返す喉はまるで何かの生き物のよう。


「調子悪いな、今日。煙草の吸い過ぎで肺活量落ちたんじゃねぇのかぁ?」


隣でとっくに水を飲み終えたエドの呆れたような声がした。ちら、と横目で見つつも、レイは構わず飲み続ける。ふれくされているとでも思われたのだろうか、エドは更に容赦のないことを言い出す。


「このまま不調が続くならお前、禁煙させるぞ」


ここにきて、初めて水を飲み損ねた。思いっきり半開きの口元に被ってしまった。



“それは勘弁してくれ”レイは目で訴える。


“そんな顔をしても無駄だ”エドも厳しい目で答えてくる。完敗だ。



体力勝負の班な上に性別は男。身体も顔もいかつい。弱音など許されないぞ、と全空気が四方八方から言っているようで身が縮こまりそうになる。職務に支障をきたす訳にはいかない。人並み以上に、と実感させられる。半分に減らすか…などと考え始める。



ちらりと遠くへ視線を送ってみると、サシャと毘沙門天…もとい、マーガレットが、あはは、うふふ、なとどさえずりながらベンチに座って水筒のお茶を飲んでいる。あの二人はこちらよりも随分前からああしていることを思い出す。



いい気なもんだ。



そう思ったところで小さくかぶりを振った。心底嫌気がさした、自分に。俺はいつからこんな古臭い男尊女卑な思考に片足を突っ込んでしまったのだろう、と。



なぁ、レイ。



しばらくの自己嫌悪の後、エドの声が届いた。何か気を遣っているのか、困ったような笑みを浮かべた彼が言った。




「またあるんだろ、単独任務」



あっちで・・・・





「ああ…」



レイは小さく返した。おのずと目をそらしていた。



✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎



“単独任務”




そういうことにしてある。



いや、正確には間違いではない。ただ、みんなが想像している内容とは異なるというだけだ。決して外せないものであることに変わりはない。



…俺にとって。



認めざるを得ない。そう、完全に俺にとって、なのだ。アイツの為になっているかどうかなんてわからない。実際のところ、何もできていないと思う。届いていないと思う。



アイツは目覚めないから、だ。




今でも。





「レイーーっ!!」




高く、響いた声にはっと息を飲んだ。紛れもなく自分を呼んでいる、そして向かってきている、その気配に振り向いた。



ジュリ…!



レイの青の瞳が震えた。あっと言う間に駆け付けた、当の彼女はまるで気付いていないかのよう。



「やっと会えたぁ。ねぇ、最近何処に行ってるの?単独任務って…」



言いかけた彼女が次の瞬間、ふぎゃっ!と声を上げてのけぞった。顔をしかめて上目遣いで見ている。久々に目にする、自分以外の者の眉間のしわに見入るレイに彼女は言う。鼻声で。



「その匂い、やだ。煙草ー?」



しまった、とやっと我に返った。いつも夕食の後、一服済ませて風呂に入る。それからはなるべく吸わないようにしていたのだが。


エドから言われた無情なる“禁煙”を意識し過ぎた為だろうか、禁断症状というものだろうか。日中我慢していた反動で、風呂の後に2本も吸ってしまった。動物は匂いに敏感だというのに、これではもはやプロフェッショナルとも言えない。苦い嫌悪をまた己に感じてしまう。


ジュリは猫の妖精ケット・シー。嫌がるのは当然だと思った。なのに、何故なのだろうか。



……!




ぴたっ、とくっ付かれる感覚を腰あたりに感じた。レイは驚いて見下ろす。



「身体に悪いよ。それに…」



レイの匂いが消えちゃう。




そんなことを言う。細い両腕で腰にしがみ付くジュリ。うっとり眠そうに目を細めながら彼女はまた言う。



「だからこうして…ねっ。私の匂いを分けてあげるよ」



すりすり、身体を擦り付け出す。硬直したままのレイの身体。思考だけがやっとめまぐるしく回り出した。




待て待て待ておい嘘だろ




「ジュリ…!」



慌てて引き剥がすと彼女は心底驚いたような顔をした。そしてゆっくりと変わり出した。泣きそうに。



「あ、いや、だから…その…」



レイはあたふたと両手を腰あたりでまごつかせた。まさに狼狽。奇しくもこんなところにまで狼の字が…って、それどころではない、などと訳のわからない思考と熱に浮かされた。



「煙草、やめてくれる?」



小さく届いた声にはた、と動きを止めた。すっかり明るい表情に戻ったジュリが言った。



「レイの匂い、大好きだから」



……!



がばっ、とまた腰に重みを感じた。くんくんと嗅ぐ小さな音。黒髪からはみ出た猫の耳が腕に当たってくすぐったい。言葉の意味を理解してから決意が固まるまで、実にあっと言う間だった。猫の俊足にも劣らぬ勢いだった。




やめよう。



そう思った。何なんだ、俺は。





とりあえず実感したことがあった。



禁煙は確かに必要だ。肺活量不足は思いのほか深刻だったらしい。仮にも操縦士パイロット、こんな状態じゃあ今に務まらなくなるだろう。



エド?あいつはまぁ、いい。良くはないんだろうけど、なんだかんだと強靭な肺をしていやがる。羨ましいこった。



だけど、俺は……



俺は。





ほら、今でも胸を押さえずにはいられない。



こんな、状態じゃ……




――苦しくて――




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