12.隠れなくてもいいってよ
ーー同じ頃、蜂蜜色の三日月と金平糖の星々の下。
研究所近くの河川敷に寝そべる、二つの影が言葉を交わす。
「サシャさん、レイさんに会えたかなぁ」
「大丈夫だろ」
「ちゃんと言えたかなぁ」
「…大丈夫だ、きっと」
共に遠い遠い目で仰いでいる。それが時折隣へ交互に動いては元へ戻る。実に完成度の高い見事なまでのすれ違いを織り成している二人の会話はまた、ぽつり、ぽつり、と。
「で、マギー。ツインなレイって何だ?」
「ツインレイですよ」
「ああ、そうだっけか。で、それ何だ?」
はぁ…と溢れるため息が天へ登る。呆れたようなマギーの苦笑が今度はしっかりと隣を向いて。
「男の人って本当に疎いんですね、そういうの」
む、と唇を尖らせた、エドも負けじと隣を向いて。
「知らねぇモンはしょうがねぇだろ」
正面から向き合う会話が始まっていく。
「前世を知っている世界…アストラルに生きているのに興味を持たなかったんですか?」
「いや、何つぅかよ。運命とかそういうのは…」
「信じてない?」
「だから何つぅか…」
耐えかねたのか先に天へと視線を逃れさせたエド。染まった頬、更にこもる口調で彼は言う。
「覚えてはいても、何か気恥ずかしいんだよ、そういうのは」
ここでマギーも天へと戻す。きっと彼とは違う理由でだ。
「意外と可愛いんですね、エドさん」
「からかってんのか?」
「まずソウルメイトが魂の家族。で、ツインソウルは魂の一卵性双生児みたいなものです。元が同じだったのがそれぞれの人格として分かれたっていう」
へぇ…!と興味深げな声が上がった後にまた始まる。ソーセージ?と問う彼に、ふざけてるですか、と冷ややかに返す彼女。いつものような軽やかな流れが。
何処かのタイミングでクスクスと笑い出す二人は、どうしようもないことが可笑しいといった風。それでも忘れてはいない、確かに受けた問いをマギーはちゃんと返したのだ。
【双子の光】
「ソウルメイトの中の最上級。お互いがお互いしか居ない、代わりなんて絶対に効かない。真実の愛を知る為に出逢う“たった一人”のことです」
「この広い世界でたった一人ってことか?すげぇな!じゃあやっぱりあいつらは、その…」
運命ってやつじゃねぇのか?
まだ何処か照れている様子ながらも自らの口でそう言った、エドを横目で一瞥したマギーから、続く。
ーーでも、簡単じゃないですよ、あれは。
哀しげに。
「出逢ってしまったが最後、お互いがお互いに一体化するくらいの勢いでくっついて離れようとしません。激し過ぎる感情に翻弄されて、それこそ嵐のようになります。しかも一筋縄ではいかない。穏やかとは言えない。きっとまだ出逢っていない私たちからしたら想像を絶するくらいの試練に見舞われるんです」
「うわ……」
「二人で生み出すエネルギーが強過ぎるせいです」
もはやロマンチックなんて甘々しい響きでは括れない。壮絶な気配を感じ取ってなのか表情筋を引きつらせていたエドにやがて悲壮の色が宿っていく。
「なぁ、あいつらはそんなものになっていかなきゃいけねぇのか?」
「………」
「辛過ぎるじゃねぇかよ。無邪気に恋愛を楽しんでいる奴らがごまんといる中、そんな楽しめない愛を続けていくってのか?なぁ…」
ついにはブラウンの瞳をいっぱいに潤わせる。震える声で言う。
「愛し合うだけじゃ駄目なのかよ。あいつら…まだ若いのによ……」
ーー運命に憧れる者はごまんといる。幽体のこちらにも、肉体のあちらにも。
だけどすすり上げる音が示している。そして高く果てしないところから見下ろす星々が教えているかのよう。
ーー運命は美しいばかりではないーー
飛び込む勇気はあるか、と。とりわけ熱くみなぎっているのであろう、表向きばかり静かな青色の星が訊いてくるかのように。
でもね、エドさん。
我がことのように鼻を赤くして涙ぐんでいる彼を呼ぶ彼女の同色の瞳は、彼方へ向かったり、隣を向いたり
「乗り越えられると見定められた二人だからこその試練だって聞きます」
行ったり来たり。
「レイさんとジュリ、世界を飛び越えた二人の魂はもう気付いていると思います。どんなに苦しくても、辛くても悲しくても…痛くても」
ーー繋がることこそが何よりもの喜びーー
「だから何度でも選ぶと思います。やっぱり素敵ですよ、運命。簡単には真似できないからこそ」
締め括ったらもう、夜空を仰ぐだけ。目に映るものを遮断する、瞼を伏せて深い息を吐く彼女は
遠く?あるいは近く?
何処かに居る光を感じ取ろうとしているのか。
ーー夜空は繋ぐ。
密度の高い鬱蒼とした木々の麓にも、星明かりは隙間を縫って訪れる。
レイ……
甘く切ない響きで呼ぶ。木々を薙ぐよそ風ばかりが占める天を仰ぎながら、整った形の唇を押さえている彼女が居た。
蒼に乗って彼方へ消えた、ただ一つを目指す彼は結局、気付きはしなかった。
天への梯子の如く機体へ登りゆく途中、去りゆく差中
本当は柔らかい心を守るべく張り巡らされた筋肉、その背中に、柔らかく頼りない感触がほんの一瞬ばかり触れたこと。
「あなたとソウルメイトだったらいいな」
響かない口付けの名残りを指先で確かめる。忘れまいと、閉じ込めようとばかりに離さないでいるサシャは、わずかな指の隙間から欠片を落とすみたいに。
「…知ってるわ、叶わないって。あなたはもう出逢ってしまったから、そんなのは…もう…」
あなたが光へ向かっている以上。
それでも…
私なりの形で支えたいのよ。
だから
だから……
穏やかだった闇の木々が騒ぐ。刹那の嵐を彷彿とさせる、舞い散る新緑の中で。
「今世くらい傍に居させてよ。振り向かなくていいから、一緒に生きてよ、レイ…ッ!」
かすれる響きは旋風に巻き上げられる。連れて行く。
広がる夜空、あるいは宇宙。広大で未知なその存在は小さな一つの魂…彼女の想いを受け止めてくれるのか。
届けてくれるのか。
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ーー急ぎのときこそ慎重にーー
ーーそもそも不安定な心なんかに進路を惑わされてはいけないよーー
初めて自ら空へ赴く前、フライトを教えてくれた上司の言葉は今でも深くまで根付いている、つもりだ。
それでも震えてしまう、操縦桿を握る骨ばった手。思い通りにならない本能と叱咤する理性とのせめぎ合いだった。
途中、横から現れた黒い影を目にしてとっさに高度を落とした。
「あっぶねぇ…」
梟か。滲む冷や汗と共に呟いた。そして改めて、理性が重さを増してくる。
俺が事故っちゃしょうがねぇ。アイツは待っているんだから。
待っている。
きっと……
「そうだよな?ジュリ」
居るはずだ、待っているはずだ。帰ってきた俺を笑顔で迎えて抱き締めてくれる、新妻の姿が目に浮かぶ。
なのに、もう一つ浮かんでくる。
ーー磐座さん!ーー
ーー磐座さん…!ーー
ーー私たちも居るよ!!ーー
容赦のないフラッシュバックに何度となく遮られる視界。苦しく詰まる胸元を押さえて呻いた。容赦もなく込み上げてくる身勝手な想いに心底嫌気がさした。
やらない。
お前らにもあの世界にも、やらない。
傍に居るのは俺なんだ。これからもずっと…!
罪悪感とかそういうくだらないモンは捨てると決めただろう。宙ぶらりんの己を引き戻そうとするレイの元にフラッシュバックはまた訪れた。今度は感触として。
ぎゅっ、と確かに握られた。この手を。
美樹の言うように、ずっと待っていた、みたい、に……
ーー消えて…くれ……っ!ーー
俺を救ってくれたばかりの幽体の彼女に言った。それは“戻ってくれ”の意味に他ならない。あんなに望んだことだったのに。
またこっちから取り戻そうとしてる…なんて。
………っ!
溢れてくる熱い流動に視界が滲みかけてかぶりを振った。それでも振り切れない、貼り付いて、貼り付いて、仕方がないそれをやむなく手で拭ったレイは、呼ぶ。
ジュリ……
「怖いよ……ッ!」
出逢った…いや、再会した瞬間から思っていた。知らなければ良かった。出逢わなければ良かったとさえ思ったくらい。
今思うと。
あのとき俺の魂は気付いていたんだ。
出逢ったが最後、もう離れられない。世界の隔たりがあろうが関係ない。きっと飛び越えてしまうだろうからって。
失う恐怖がここから始まるんだ、って。
ーー事実、彼女を知った瞬間から始まった。
泣きじゃくる子どもから燻し銀の年長者に至るまで、誰もが一瞬にして凍り付く長身、強面。狼の異名。仕事一筋。そんな俺の人生は呆気なく一転した。所詮は表向き、魂を包むどれもこれもが装飾に過ぎなかったのだと思い知らされる程に。
蘇ってくる、夕の木漏れ日のような記憶の断片。
ーー葛城ィ…!!ーー
腹黒くとも身体はか弱い仔犬系男子に拳を振るった。俺はもうちょっと、後先を考える男だったはずだ。
ーー樹里、俺、ごめ…ーー
重なったが最後、もうどうにも歯止めが効かなくなった。俺はここまで押し付けがましい男じゃなかったはずだ。
そして、今。
ジュリ…
ジュリ……ッ!
矛盾した想いが内側でぐちゃぐちゃになって、やり場のない嗚咽をかろうじて彼女の名に変えている。泣く子も凍る?黙る?これじゃあ俺が子どもじゃねぇか。
俺は…こんなに脆かった…のか?
情けなく震える手元と海ほどまで満ちた青の瞳。こんなでも蒼の機体は無事に崖の麓へと連れてってくれた。飯を食うみたいに空を飛ぶ日々を続けてきたからなのか。細胞の一つ一つまで技術を行き渡らせてくれた今は亡き上司に感謝の想いがつのってきた。
だけどそれも束の間。機体から降り立ち生身で夜風に触れるなり突き動く。身体全体を占めたのは
「ジュリ!!」
ただ彼女一色なのだ。本当にどうしようもない、俺は。
ワウ!とレサトが吠えた気がしたが止まりもせずに開け放った。バン!とドアが音を立てると小屋全体もミシッと危うく軋んだ。それでも。
「ジュリ……」
想うのは、求めるのは…
目に映るのはただ一人。
ーーレイ。
窓際で。
届いた声は細くって、ひらりとなびいた漆黒は短い。ただでさえ大きすぎた白いシャツはもはやワンピース状態に。
変わってしまっている。いや、戻ってしまっている。だけど、変わらないものもまた、ここに在る。
「またちっちゃくなっちゃった」
余った袖を遊ばせながら困ったようにはにかむジュリ。この世界で再会したときと同じ幼い風貌。こんななのに。射し込む月と星の明かりに透かされる身体は、凹凸少ないのに…気が狂いそうなくらい艶かしく。
「あっちの私が頑張ってるのかなぁ…もう少し、なのになぁ…」
愛おしい。大人だろうが子どもだろうが変わりはしない。静寂と情熱の色に引き寄せられるように、引力に導かれるようにレイは歩み寄った。腰あたりですっぽり納まってしまう小さな身体を優しく包んだ。
「ジュリ」
良かった…。
しばらくはこの身勝手な想いと共に抱き締めていたいと思った。今は、今は…もう少しだけ、と祈るような時間は意図せず長くまで続いてしまった。
窓際の青の明かりが薄れた。流れ込む雲の群れ…多分、風向きが変わった。
やっと身体を離した。共に温まったまま、すぐにでもまた引き寄せられそうになる感覚に共に耐えてうつむいたまま。
ジュリ。
あの…な。
レイは伝えた。全部は無理だった。片方だけだった。
そうしているのはすっかり情けなくなってしまった自分自身のエゴに他ならない。一方で、彼女も同じであってほしいと願う気持ちで見つめた。
やがて見えた。うん、という小さな同意も受け止めた。
ただ黙って微笑み合う。あの頃みたいに合わせた額で閉じ込める。このぬくもりだけを救いにしていた。
「短い間だったけど」
先に口にしたのはジュリの方。一通りを詰め込んでいっぱいに膨らんだボストンバッグを手にしたレイも後方を振り返り
猫の幼妻と元狼は光放つドアの元、同時に腰を折って。
『お世話になりました!!』
“隠れ家”に別れを告げた。
尻尾を振って付いて来るレサトの想いがレイにはすぐにわかった。そうだよな…小さく呟いて白銀の息子と額を合わせる。狼語で行き先を伝えてやる。
ワウ!!
元気よく吠えた。これは“わかった!”と言っている。まさぐるようにして頭を撫でた。そう、こいつは息子。家族だ。もちろん一緒だから安心しろと伝える思いで。
「レイ!」
現狼と元狼。獣同士の親子で戯れていた、途中。高らかな妻の声に顔を上げた。指差し、示している。向いている顔には驚きがあった。続いて同じ方を見た、眉間に川の字を刻むレイもまた。
「あれは…」
「ミク!!」
見間違いかと思った、しかし、見間違いようがないとすぐに改めた。のそりのそり、と向かってくる漆黒の巨体はあまりに存在感があり過ぎるというもの。
にゃーーぁ!!
こちらも元気に鳴いてジュリの前に落ち着いた。俺と同じように顔を寄せ、額を合わせる彼女は確かに聞き取っていく。
「うん…うん。そっか、ありがとう」
レイは察した。ごく自然に。猫語はわからないが多分
“迎えに来たよ!”
こんなところではないか、と感じ取ることが出来たのだ。
家族は四人…いや、現世は二人と二匹か。ともかく増えた。皆で同じ場所を目指そうと決めたところで、一つ興味深いことが起こった。
大きなグリーンの瞳が、はた、と止まった。自分より遥か下の方を食い入るように見つめていた彼女はやがてゴロゴロ喉を鳴らし出した。巨体を屈ませ顔を寄せた。
にゃあぁぁん
実に甘ったるい鳴き声を出していやがる。白銀の頬へ自らを押し付けている。多分ビビって顔を引きつらせているレサトにはお構いなしだ。
レイとジュリは互いに顔を見合わせる。それからどちらからともなく、ぷっ、と吹き出した。くすぐったく。
「おいおい。気に入ったのはいいけど、レサトが困ってんだろ」
「でも…ねぇ、見て」
先に気付いたのはまたしても彼女だった。苦笑したままのレイもやっとその過程を目の当たりにした。確かな変化を。
おずおずと視線を行ったり来たりさせていたレサトが、ためらいがちにミクの胸元を嗅ぐ。それからゆっくりと仰ぎ見る。
間近の漆黒の頬をぺろ、と舐めたが最後、解き放たれたみたいに身を寄せた。曲線の身体同士。異種であるはずのシルエットが見事に噛み合った瞬間を見て呆然とした。
「お前ら…」
思わず呟いてしまう、レイは思った。何ということだろうか。これじゃあまるで。
「…俺らみたいになっても知らねぇぞ」
言ってすぐに後悔した。嫌な思いをさせたか、と慌てて隣を見下ろした。
しかしレイはすぐに知る。寄り添ったばかりの獣を優しく見守る彼女の微笑みを確かめて。
「そうだね。私たちみたいになっちゃったら、きっと凄く苦労するよ。いっぱい泣いて、いっぱい傷付くよ。疲れちゃうくらい」
でもね。そう続く言葉を…柔らかな声色を確かめて。
「宝石よりもお金よりも、大事な大事な宝物も見つけられるよ。おっきくてあったかくて、痛みも涙も飲み込んじゃうくらいの幸せな宝物…」
ねっ、レイ。
ーーため息が溢れる。
あったかくて、おっきくて、痛みも涙も飲み込まれるくらいの、幸せな。
「ジュリ」
レイは手を差し伸べる。微笑みを宿して唯一無二の存在、たった一つの宝物へ、言う。
「…行こう」
「うん」
ワウ!
にぃ~ぁ!
すっかり奥へ傾いた三日月の代わりと言わんばかりに輝きを強くした星々が見下ろしてくれる。埋めていた暗雲も何処ぞへ。本当に気まぐれだと思わされる初夏の空。
まだ夜、とは思えない明るさの下、家族は歩き出す。やがて二手に分かれる。
一方は蒼の機体へ、もう一方はそのまま彼方を目指して歩んでいく。だけど行き先は同じだ。乗り切れないからそうしているだけだ。またちゃんと、約束した場所で出会うのだ。
レイ。
名を呼んで手を握る。いっぱいに腕を上げたお前ももちろん、だ。
唸る機体は舞い上がり、期待を叶えてやろうとばかりに軽やかに夜空を滑る。まだ見えない先。確かではない場所。それでも形になっていく想いと決意。
レイは自らの内に呼びかける。命じる。
早く確かになれ、と。
「ジュリ」
自分もまた名を呼んだ。窓の星々を背にした隣の彼女は微笑むだけ。これだけで成り立つ。今更だけど、俺らの会話は本当に少ないと気付いた。
少なくたっていいと思った。
ここにお前がいる限り、何処へ行こうと何になろうと
ーー怖くはないからーー