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半透明のケット・シー  作者: 七瀬渚
第7章/狼の真実(Ray)
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7.一つだけ、お前だけ(後編)



小鳥のさえずりと香ばしい匂いにくすぐられた朝、起きたてのレイは挑発でもするかのように左右に揺れている漆黒の尾に目を止める。



ジュリ…



呼んでみても振り返らないのは、それ程に没頭している為か。蒸気の中で鼻歌らしきものを漏らしているエプロンの後ろ姿に胸の奥がたまらなく疼く。立ち込める匂いがもはや香ばしいの域を超えていることに気付きつつも、レイはそちらへ歩を進めていく。



「ジュリ」



驚かさないよう、少し距離を置いたところから呼んだ。くる、と振り返る汗ばんだ顔がみるみる晴れて恥じらう色合いに染まっていった。クソ可愛い。



「おはよう、レイ。今朝は私が作ったの!」



台所の天使と化したジュリは星のステッキ…もとい、フライ返しを手にしたまま、見て!と弾む声で言う。彼女が視線で示す方をどれ、と覗き込むレイの目に映ったのは、何だかよくわからないがやたらと香ばしいキツネ色…いや、むしろ狼色の…



「ハムエッグだよ!」



マジか。



強面が引きつる。が、すぐに笑みが浮いてくる。狼色だっていいではないか。そんなのより何よりも、疼きの治らない自身の方がよほどこんがり出来上がってしまいそうだった。


ハムエッグだという一色の塊、多分トーストと、多分茹でた何かの野菜。一緒に運んで一通りテーブルに並べた。いただきまーす!と響く愛らしい声につられて、レイ自身も柄にもない弾む声を続けた。



ぱく。と食いついた、ジュリの表情はやがて苦々しく変化して



「…何か硬〜い。焼き過ぎたかなぁ?」



うぅ…と呻きまで漏らして眉を寄せる。だろうな。パリパリいってる時点でその推測は間違いじゃなかろう。嘘をつくのは好きじゃない。だから俺はこう言ってやる。



「これから覚えればいい。お前はよく頑張ってるぞ」



トーストらしきやつをカリカリ嚙りながら、鼻の下をこすこすして。それに、と続けて言った。



「獣の牙にかかっちゃこれくらいどうってことはねぇ」



もうそんな波長は消え失せているのに、狼の牙に見せつけるみたく、にっ、と笑ってやった。今度はしなっとした薄茶の葉を口に放り込む。噛んでやっとわかる、ブロッコリーだったか、と。



食感はしなびてる。だけど確かに感じ取れる味に苦笑した。やっぱり美味い。何よりお前の気持ちが美味いんだって。



もじもじと身をよじってはにかむ、半透明の嫁が目に映ってなおさら甘く感じた。








ーーお前、いくらかはっきりしてきたな。




身支度を終えたレイがドアの前で言う。それは目覚めたときから感じていたこと。



「うん。きっともうすぐだと思う」



ジュリは頷いて答えた。半透明、だけど、今までとは違う。だいぶ濃くなった。だいぶ鮮やかに。



「今日は仕事探しに行くんだよね?」



鮮やかに微笑む。明朗な声で。ん、と頷くレイの胸には宿っていく。



「早く金稼いで、もっと落ち着ける場所に住もう。あの小型機もいずれ返さなきゃな」




ちゃんと自分で新しい機体を買って…



休みの日は海でも山でも行こう。



市場や観光地や



それから






それから……








見せてやりたい。連れて行ってやりたい。


せっかく自由を手に入れたコイツに、もっと新しい世界を覚えさせてやりたい。


出世の為のライセンスだったけれど、こうなったら一から出直しだ。コイツの為に使ってやれればいい。




この笑顔が見られればいい。








想いは変わらなかった。覚悟も。




だけど。









やがて小屋を後にした。いってらっしゃーい!気を付けてねー!と、天までいっぱいに伸ばした手を振るジュリと千切れんばかりに尻尾を振るレサトを何度か名残惜しく振り返った。旦那。父親。大黒柱…そんな気分を味わっていた、束の間。





荒野の片隅から飛ばした蒼の小型機が向かったのは……深く碧く茂る、霧が溶け込んだ、あの森。




意味はないかも知れない。わかってはいても、こうせずにはいられなかった。そっと降り立ったレイには新たな覚悟があった。



きっと未練がましい行いだ。だけど、覚悟ゆえのものだ、と己に言い聞かせるようにして




天を仰ぐ。





光が降りてくる。






幽体カラダを包み込む、あれ・・が。








瞳を開くとそこはもう違う。見据える瞳、それ自体の色も、然り。




「ーー樹里」




罪悪感はもう捨てようと決めた。経緯は決して褒められたものじゃない、罪と呼ばれても仕方がない。だけど、俺たちを結んだのは紛れもなく真実だから。



あのときみたいな色とは違う、だけどどうにも哀しく見えてしまう木漏れ日のもと肉体カラダを進ませる。



柏原怜は向かった。もっと先へ。





目指していたのはただ一ヶ所のはずだったのに、どうもこの肉体は言うことを聞かない。いつもいつも、あのときも、扱いづらいったらなかった。



気が付いたら辿り着いていた。そびえ立つ高さに顔を強張らせるカウンター越しの中年の男には見覚えがある。あっちはもう覚えていないだろうが。



気が付いたら手にしていた。それを差し出して



「これを」



狼男のくせに柄にもなく微笑んで、思った。少しばかり哀しく。





勿忘草わすれなぐさよ、再び。




挿絵(By みてみん)



ーー忘れないからーー



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