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半透明のケット・シー  作者: 七瀬渚
第7章/狼の真実(Ray)
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4.真っ逆さまでも伝えたい(前編)



ーーそれは数日経ったある日、獣に囓られたみたいな三日月の夜。廊下の片隅にて起こったことだ。



騒ぎを聞きつけた者たちが一人、また一人と、何だ何だと言いながら囲んでいく。しかし中央に居る彼女はまるでそれらが見えていないかのよう。ただ向かい合う数人にだけ、臆せず声を張り続ける。



「騒々しいな」



やがてそこへ現れた。耳慣れた声色に振り向いたエドはわらにもすがるといった風にドスドスと駆け寄って言う。



「やべぇよ、何とかしてくれ、ナツメ!」


「どうした」


「マギーだよ!ぶん殴っちまったんだ、ブチ切れて!」



「…ほう?」



そこでナツメはどれどれ、と呟いて耳をすませる。その佇まいは実に悠長。エドが地団駄を踏んでやきもきするのも無理はない。


しかし、まとめ髪から露わになった彼女の耳は、しかと確かめ受け止めているようで。




ーー本当のことだろ!アイツはまっさらなフィジカルの少女に手を出した上、置き去りにして、また連れ去ったーー



ーー自分勝手な野郎だーー



ーー最低だ、見損なったよーー



ーーお前にはっ倒される筋合いはねぇ!!ーー




「……アイツ、か」


「ああ、そうだ!で、たまたま聞いたマギーがついに…!」




ーーだから!!ーー



ーーレイさんはそんな人じゃないって言ってんでしょお!?ーー




「この調子、という訳か」


「ああ、だからそうだよッ!」




お前も何とか言って…



言いかけたエドの声が消えかかる。コツ、コツ、と高い音色を響かせて歩き出した白衣の彼女は野次馬たちの背後で止まった。そしていつもよりワントーン程、低い声色が。




ーー鎮まりなさい。



若人わこうどたちよ」




耳慣れない口調、耳慣れない声色に、皆が揃って振り返る。いつの間にか仁王立ちを決め込んだナツメは銀縁の眼鏡を、次に黒髪を束ねる髪ゴムを外して、ツン、と顎を上向きに。



『……!』



明らかに違う。姿のみならず波長まで、いつもとは異なる様子の彼女に皆が息を止めて見入った。解かれてやっとセンターパートだとわかる、さらりと前へ流れる漆黒から覗く漆黒がまた、冷たい。恐ろしいくらいに。



恐れが広がっていく。それさえ楽しむかのように見下ろすナツメはニヒルな笑みを浮かべて言った。



「そこまで言うのなら教えてやろうか」



ーー孤高と孤独の違い、そして、愛と依存の違い。



「それは誰しもが持ち合わせているもの。故に!お前たちにも聞き取ることが出来よう。どうだ、扉を開けてみる勇気はあるか?」



…のう?



硬直していた一同の中からやがてヒソヒソと遠慮がちな囁き合いが始まった。



ーーな、何だ?ーー



ーー何かいつもと違くねぇか、ナツメさん…ーー



そう。まるで別人のような顔をしている。そして同じく訳がわからず固まっているエドの隣へ並んだ一人、ヤナギが声を震わせて呼んだのだ。



夏南汰かなた様…」



「は?誰だ、それ」




エドの問いも届きはしない、ヤナギはひたすら目を潤ませて惚けたままだ。駄目だ、こりゃ。エドがそんな風にため息をこぼす頃、白衣の彼女がひらりと漆黒をなびかせて振り向いた。小さな彼女を真っ直ぐと、見下ろして。



「愛の嵐…その中身は、誰かが解説せねば伝わらぬものさ。それをしてくれたのはお前だろう?」



ーー夏呼なつこ




「夏南汰…様…っ、私、は……」



ついに口元を覆い、ポロポロと雫をこぼしてしまう、現・ヤナギ、元メイドの夏呼に語りかける、元・夏南汰。



「お前が語り継いでくれた前世まえの私と彼の物語は、今や劇場化までされているとのことだよ。まぁ…必要以上に美化されている気はするが…」



「お二人の愛は美しかったのです…!」



「ええ!?ヤナギ、おまっ、そんなに喋れんの!?」



しかも“彼”?だってナツメの前世まえって確か…えっ!?落ち着かない独り言を繰り返すエドに首を傾いだナツメが問う。妖しく射るような目をして、甘く。




「ーー同性を想ってはいけないかね?」



……っ!




「紳士も淑女も関係ないよ。そして…」



人もけものも。



「ーー皆、誰かを想うのだ」



締め括ってまた、振り返る。彼女の前にはぽかん、とだらしない半開きの口をした面々。しかし相変わらずニヒルな彼女は更に切り出すのだ。



「さぁ若人わこうどたちよ。ここで一つ想像をしてもらいたい」



ーーもし、自分の所業も痕跡も、跡形もなく消し去れる“世界”で、麗しき淑女、或いは紳士に出逢い、共に想ったとする。繋がり続けることは許されないーー



「さぁ、どうする?味わうだけ味わって、無かったことにして帰る…自分はそんな貞操観念の軽い人間です、とこの場で言える勇者は居るかね?」



うっ、と喉を詰まらせる大多数、だが。さすがに言いくるめられはしまいとばかり、ついに一人が声を上げた。



「だとしても僕は…っ!せめて彼女の記憶を消します!覚えているままでは辛いじゃないですか」



真摯な眼差しを前に、ほう…と呟いて漆黒の目を見張る。しかしナツメ、もとい、夏南汰はなかなか容赦のない男だ。


ならば!そう言って長い人差し指を突き付けると更に言う。



「そんな一途な君に問う。己が忘れられない…その時点で、彼女にも記憶は残ってしまうのだよ。消し去ることなど出来ない。されど繋がることも、また…」



ーーさぁ、どうする?



「……っ」




「彼女は覚えているのだよ。そのまま去るのかい?無責任だね。不誠実だね」



「じゃあ…僕も残ります!帰らずに、彼女の傍で…!」



「ほう…素晴らしいね。実に美しい愛だ。しかし君はいずれ消えるよ?肉体は借り物だからね。彼女はまた悲しむ。どうしようか?」



……のう?若人わこうど




「………」




ついに落ち着いた。鎮まってしまった。



誰もが口をつぐんでいるその中で、便乗する声が上がったのは、しばらく後。




そうだよ…



「そうだよッ!ナツメさんの言う通りだよ!!」



囲む群れの中で、ここぞとばかりに力一杯叫ぶ。ぶるん、と震える彼女の豊かな頬はすでに涙に濡れている。



「責めるばかりのアンタたちに最善の答えなんてわかるの!?出せるの!?ねぇ、だったら見せてよ!」



「マギー…!」



ついにいたたまれなくなったのか、エドの逞しい脚が大股を繰り出した。だけどやめない。驚き強張った皆がおのずと道を開けても、人目もはばからず抱き寄せる彼の腕の力を受けても、マギーはそれさえ振りほどかんとして、決してやめることはなかったのだ。




わかってないよ…



みんな、わかってない。




すすり泣きに混じる声は続いた。さすがに反論できない、それ程の戦慄が全空気を占める中、マギーが濡れた顔を上げて見据えた。エドの腕の中から、力強く。




ーーレイさんがどれ程辛かったか、どれ程孤独だったか、誰もわかってなかった。



ううん。



知ろうとしなかったんだ。




「私も…だけど!」




また何粒かがボタボタッと零れ落ちる。ブラウンの彼女の目は、瞳は、拭いきれない淀みを映し出す。



拭いきれない後悔の色そのものだったのだ。



✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎



ーー時は前々日まで遡って。




「狼……?」




昼下がり。いくらか家らしく整った小屋の中、目を丸くして見上げるジュリにレイが、うん、と頷いた。



「思わず名前つけちまった。レサトって」



「へぇ……」




狼…さん、かぁ。




ぽつりと独り言のように言う、ジュリは確かに微笑んでいる。なのに、レイは高すぎる身体をかがめて彼女を覗き込む。優しく語りかけている…ようだが、それはよく見るとまるで



「それなりにデカイけど、まだ子どもだった」


「そう…」


「いい子だったぞ」



「……うん」



何処か媚びへつらっているかのようだ。




しかし流れはまた元へと戻る。何事もなかったかのように無邪気な笑みを咲かせたジュリは腰掛けたベッドの上から目を輝かせて見上げる。



「じゃあやっぱりレイに似てるの?」


「いや…どっちかってぇとダチに似てる。すごく綺麗で」



……ふぅん。



最後のあたり。そこでジュリの声色が再び沈んだ。だけど何か違う。伏せた目も、もぞもぞと落ち着かない仕草も、さっきのものとはまた。



「ん?何だ?」



何か聞きたげな様子も。かつて鈍感などと散々罵倒された経歴を持つレイもさすがに気付いたのか、曇った顔をした彼女にどうした?と尋ねた。



「似てるんだ?友達」


「あ、ああ?」




ねぇ…遠慮がちな切り出しに、レイの動きが止まる。じとっと湿った眼差しに見つめられて更に固まる。彼女は言う。



「それって女の子ー?」



「え…」




鋭い青の瞳は確かに捉えた。ぷうっ、と膨らむ頬、潤んだ二色の双眼。



もじもじ身をよじる仕草を目の当たりにして理解する。




ーーヤキモチ。





「………っ!!」




限界まで登り詰めた熱に耐えきれなくなったレイは口を押さえてそっぽを向く。これじゃあ更に誤解される?いや、しかし、この状態を一体どうしてくれようか。


もう自分でも何が何だかわからないまま、目も合わせられないまま、叫ぶくらいしかできなかった。みっともないくらい上ずって。



「ちっ…げーよ!そんなんじゃなくて…」


「だって綺麗って…」



「綺麗な“男”だ!」



そう。それでひとまずは済むと思った。というか、それが事実だ。しかしすぐに知ることとなった。安直であったと。



「でも……綺麗、なんだ…」



心細げに消えかかる声はさながら迷子のよう。しゅん、とうなだれている、子どもじみた姿の頃を思い起こさせる彼女を捉えたレイはいよいよ呆れた。反して、つのった。



コイツ…何言ってんだ?本当に…



「……馬鹿」




レイ?と呼ぶ声が返ってくる頃にはすでに彼女の頭を撫でていた。もう一方の手で、指で、せわしなく鼻をこするレイは震える声で言った。




おま……い……ばん……



「え?」




「お前が一番綺麗だよッッ!!」




「レイ……」




真っ赤な顔はほとんど大きな手で覆われている。隙間から覗いた青い目は、みるみる晴れていく過程を捉えてなおさら震え出す。たまらず。



あぁ、何なんだ何なんだもう…



もう……





クソ可愛い。




想いが溢れそうで止められなくて悶絶するしかない、そんなレイにがばっと柔らかい感触が被った。猫らしい俊敏な動きで首元へ飛び付いたジュリは頬を摺り寄せながら嬉しそうに



「好きです、レイ。大好き!」


「あ…ああ」



あろうことか更に求める。




「私、綺麗ですか?」



だ…から……



「綺麗ですか?」




「綺麗だよッ!言わせんなッッ!!」




最後はもうヤケだった。想いは巡っているのに空回る口は続きを紡ぐことができなかった。




ーー女とか男とかじゃなくって。



“お前”……なんだ。



お前じゃなきゃ駄目なんだ、ジュリ。





……好きだ。




口にできなくて良かったと思った。言ってしまえたならそのときは、熱中症で倒れてしまうだろう、と。



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