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半透明のケット・シー  作者: 七瀬渚
第7章/狼の真実(Ray)
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2.刺激の強いモーニングコールだな!



ーー怜。




ーーねぇ…怜。




柔らかな声色が呼ぶ。涼風かと錯覚したのも束の間、ふわりと耳元を撫でたそれは思いの他、温かくて。



「朝、ですよ。レイ」




静寂と情熱の二色、なのに。どちらも同じようにして滲んでいる。陽だまりのような優しい眼差しが



………



………




すぐ間近、に。




「………っ!」




跳ね起きた振動でシングルベッドが古びた軋みの音で鳴く。隣に寝そべったまま。朝日の白を反射する眩い彼女はどうやらずっと俺を抱き締めていたらしい。


理解してしまったが最後、夕日のような熱の色合いに染まりゆくレイは、あの超高速の指で高い鼻の下を摩擦することくらいしかかなわない。



「もう、だから鼻血出ちゃうって…」



クスクスと悪戯いたずらっぽく笑ったかと思うと



「薬草を摘んできました。手当てして…いいですか?」



きゅっ、と遠慮がちに服の裾を掴む。きっと意図していないのであろう、妖艶な上目遣いで見上げる。




ジュリと樹里。記憶が一ヶ所に集まって間もないからなのか、口調も定まらず、無邪気な妖精と慎ましい令嬢とを行ったり来たりしている。



相反するのはそればかりではない。



子どもじみていた頃に着ていた衣服はやはり無理がある。きつそうな胸元をもう片方の腕で恥ずかしげに押さえている。なのに、純白のワンピースの裾からはしっかりと艶やかな脚が。けしからんところスレスレまで丸出し…こんなところばかり、無防備。



「ジュリ…」




押し倒したい。




けしからん一言が脳裏をよぎった、直後、レイの頬がすぱぁん!と音を立てた。他でもない、自らの張り手によって。



「レイ!?」



当然ながらジュリは驚く。当然、なのだが。



「何してるの?ほら、もう…赤くなってるじゃない…」



案ずる眼差しを更に近付けて情けなく腫れた頬を撫でてくれる。躊躇ちゅうちょもなく寄せた身体の感触がたまらなく柔らかくてたまらない熱が込み上げてたまらん。


ついにうつむいて武者震いの如くぶるぶるし出すレイの頬に、彼女の唇が優しく、容赦なく、触れて




お願い。もう…傷付かないで。




「そうしたくなったら言って下さい……代わりにキスしてあげますから」



微笑んで言うのだ。容赦もなく。




何だか光の粒が舞っている。いや、これは朝日を受けたちり。ただの埃だ。わかっている、わかっているのに。


皮肉にも純白を纏った彼女を更に幻想的に彩ってしまう。何だ、ただの天使か。そんなことを今まさに思っている俺は何なんだ、馬鹿か、もう一発張り倒してやろうか、俺。



俺の…




「馬鹿……ッ!!」




悲鳴のようにして叫んだ。わかっているのに、馬でも鹿でもないって、そんな草食獣ではないって




わかっているのに。








ーー何もかも投げ捨ててここまで来た俺らに、いつまでもイチャついている余裕はない。考えるべきことは巨大な山となって目の前にそびえ立っている。まだ整理しきれていないだけで。



半年程度とはいえど、さすが元管理班。傷薬となりうる草を見事に見極め集めてきたジュリは、丁寧にすり潰したそれをレイの身体に塗っていく。そっと、撫でるような手つきで。


傍らには小さな石臼とすりこぎ。研究所を出てくる前の彼女が、これも、と言ってボストンバッグの中に突っ込んできた、やけに重たい包みの中はこれだったのか、とレイは感服の思いを噛みしめて目を固くつぶる。


痛い?と心配そうに問いかけるジュリは…こいつは、いつだってこちらしか見えていないのか。あまりに健気な想いを示すかのように、自らの為のものはほとんど持ち合わせていない。



ならば。かぶりを振りつつ、レイは口を開く。



「今日はこの家を補強して、食い物の調達をしてくる。俺が…」



そう。そこは俺が用意してやらねば。



「仕事も探さなきゃな」



お前さえ居てくれれば……確かにそんなクソ恥ずかしい台詞を言ったような気がするが、それは極限状態の中で唯一の希望となった綺麗事だ。金や住処や食い物が無きゃ、唯一無二の“お前”だって守れはしない。



自給自足。ちら、と考えてはみたが…



元管理班の彼女が畑を作って耕して……いや、作物が実るまでに何ヶ月かかる?


元保護班の俺が持ち前の体力を駆使して狩りを……いや、もし死んじまったらおしまいだ。もちろん、こいつも。



それに…




「アイツ、元気にしてっかなぁ…」


「アイツ?」


「ああ、前に保護してきたスカイウルフ。俺に似てるっていう…」



おのずとこぼしていた。



誰かが畑を肥やしたり狩りをしたり、もっと言うならば命を奪っているからこそ俺らは食い物を得て生きていける。可哀想だとか残酷だとか、そんなのは、食っている以上言えた立場じゃない。


だけど、やはり難し過ぎるのだ。“生かす”目的で保護を繰り返してきた、それを職務としてきた人間に…己の手で、とは。いざとなったらやむを得ない、知ってはいるが。



一人、苦悩の殻の中に閉じこもっていた。そこへ、彼女の声が隙間を空けて斜陽の如く流れ込んでくる。



「あの子、大丈夫かな。枯れてないかな…」


「あの子?」


「うん、前に危なかったリュウノツルギ」




ーーああ。そうか、コイツも……




そこで俺らは考えるのをやめた。ともかくすべきことなら今まさにはっきりしたと、可笑しいくらいに揃って立ち上がった。光の射す方を見据えて。



「メシはパンしかないけど、いいか?」


「うん」


「俺が補強と買い出しに行ってる間、お前は掃除を頼む。電気は通ってるし…明日にはそれらしい生活ができるだろうから」


「わかった!」



ぐっ、と握り締めた小さな拳を胸の前で構えるジュリ。いじらしい仕草に抗えない頬が緩む。すっかり柔らかな目をしたレイは愛おしい彼女を見下ろして



「昼はハムエッグ作ってやるから」



「うんっ!」



好物の名が出た途端、令嬢の面影が跡形もなくすっ飛ぶ。現金な奴だ。思わず苦笑するレイは寝癖だらけの黒髪をわしゃわしゃ撫で回しながら、己の中の迷いを少しずつ、少しずつ、覚悟へ変えていった。



そうだ、俺らは無力。妖精だろうと人間だろうと、独りでは生きられない。



肉も卵も野菜も食う。会ったこともない誰かに縋ってやっと成り立っているこの命。なのに、一人前面なんかして恩人たちに背を向けて『駆け落ち』なるものをやらかした馬鹿な青二才だってことも、知ってる。だけど。




ーージュリ。



「始めるか」




それでも俺は手を差し伸べる。ただ一人に向かって我儘わがままに。



無力なら無力なりに、ただ精一杯、お前の為に。




そんな思いで踏み出した一歩。可笑しいくらいに足並みを揃えて、今にも崩れそうなオンボロのドアへ向かった。



顔を見合わせ微笑んで、共に手を当て開け放った。いっぱいに満ちて迎える眩しい白光に目をつぶった。きっと可笑しいくらい、揃って。




――朝だ――



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