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半透明のケット・シー  作者: 七瀬渚
番外(Natsume/Kanata)
75/101

勿忘草〜カナタの私とユキの君〜(冬と別れ)



思い出してしまえば何のことはない。私たちは繰り返していたのだと知った。まるでやり直すが如く、同じ流れを。





ーー秋瀬…なのに、夏?ーー



ーー面白い矛盾だねーー




矛盾、だと?私は思わず眉をひそめてしまった。苗字と同じ季節の名でなくてはならないなど誰が決めた。それならばいずれ嫁いで姓を変える、女たちはどうなるのだ、と。



そして、何よりも。




ーーそれは君もじゃないかーー



ーー春日かすが雪之丞ゆきのじょうーー




それが最初の出逢いだったのだ。





時は大正後期~昭和初期。国は日本ここ



高等学校で知り合ったいかにも貧弱そうな同級生・春日雪之丞は奇しくも医者の家系。どういう訳か相反する勝気な私の後をいつも付いてくる彼を、やがて“ユキ”と呼ぶようになった。



彼。そう、頼りなげでもユキはれっきとした男。



私たちは同性だったのだ。




時は経ち、私たちは共に大学生となった。ユキは相変わらず大人しく、医者の家業を継ぐ為の勉学に励む日々。



一方、私は…




「また冒険ですか!」


「今度は何処へ行く気なんだい?秋瀬」



実家の財力、そして景気の良さに便乗して、学生の身でありながら物珍しい範囲に片っ端から食いついた。ついには屋敷一つ任される身分、念願の船も手に入れた後は、何らかの理由をつけては旅に赴いての繰り返し。心躍る冒険。それでしかないのに、青年実業家などともっともらしいことを名乗っていた。



「でも冒険話、好きです…私」


心配の面持ちを残しながらも肩を持ってくれたのは住み込みで働いていた16歳の娘、メイドの夏呼なつこ。使用人?可憐な彼女にそんなの古い呼び名は合わない。あくまでもメイドだ。



「でもどんどん行き先が遠くなっているじゃないか。何なら僕も…」


いつまでもいつまでも、女々しいとまでに心配し通したのはユキこと雪之丞。僕も…何だ?付いて来るとでも言う気か?季節の変わり目毎に風邪を引いているような君が?勘弁してくれ。



まぁ反応はこんななのだが、二人はいつだって私を見送ってくれたのだ。ユキだって話せばわかる男。私のこの情熱に叶いはしないのだとタカを括っていた、というのが正直なところ。



しかし。




ーー駄目だよッ!!ーー



ある日のユキは違った。地理に詳しい訳でもないくせに、行き先がどんなところかも知らないくせに、必死に縋り付いて止めようとしたのだ。



それでも意志は変わらない。一度決めたらテコでも動かない頑固さが成功の秘訣とまで称された青年実業家…もとい、冒険家・秋瀬は、夜明け前、彼の目を盗むようにして船の出航を命じた。



なのに一体どうやって嗅ぎ付けたのか。朝日の光が満ちゆく港へ息を切らしてやってきた。諦めざるを得ない。そんな哀しさを秘めたような眼差しの彼は震える手が持つ一輪を差し出した。



受け止めはした。思わず苦笑してしまった。意味を察して。



ーー私が死ぬとでも?ーー



見開くなり泣きそうに震えだしたユキの瞳…これ以上、見ることはできなかった。何を言いたかったのか、伝えたかったのか、そっちは受け取らないままに、背中で告げた。形ばかりのものにしてしまった、青い花を指先で踊らせながら。



ーー必ず帰るよ、ユキーー



そう言った。なのに、私は帰らなかった。


覚えているのは狂ったような稲妻と強風、激しく揺さぶられる船内の荒れ具合。そして、巨大な獣の如く牙を剥いた、大波。




やがて肉体を離れ、魂だけの存在となった私が、ここまでの経緯を察するのは容易だった。









そして私たちは再び出逢った。二度目はまさかの恋仲。私の性別が転じたのはこの為か?いや、むしろこっちは彼の方が適任だったのでは?



尽きない数々の疑問。その中でもわからなかったのは。




ならば何故、別の世に……?



私を女にしておきながら、何故引き離したのだ。


後に何故出逢わせたのだ。焦がれさせたのだ。



何故です?




天よ。








疑問は晴れぬまま、訪れてしまった三度目の出逢い。時は現代。場所は…世界は、アストラル。



研究所の前で倒れていた、身体の半透明な男。その姿は紛れもなく



「ユキ…!!」



彼だったのだ。





そもそも肉体とは幽体の上に纏うもの。例え前世生きていたのがフィジカルだとしても、例外だとしても、前世まえの波長が姿となって蘇る。どうやらそれは同じだったようだ。



彼がここへ来た経緯を知った。交通事故による瀕死の重傷。故に、不完全な幽体のみがこの世界に迷い込んでしまったのだと。



天界を恨むのは罰当たり、いや、きっと筋違いなのだ。わかってはいた。それでもしれっと青々している空を睨まずにはいられなかった。


何故なのだ。何故、こうも残酷なことをなさるのだ、と。



私たちはこれからどうすればいい、と。



天からの答えはほんの短く返った。帰還を願うか、あるいは留まるか。戸惑い迷うナツメに彼は言った。いや、それはむしろ懇願。




ーーやっと君に出逢えたんだ。思い出せたんだ…



秋瀬。



ずっと一緒に居たいーー




想いを受け止めた。私たちは後者を選んだ。無知が故の判断。そう知るのにさほど時間はかからなかった。



それ程に、二人で過ごすときが、愛を交わし合う日々が、時を忘れるくらいに幸せだったのか。





少しずつ、崩れていっているのは知っていた。雪崩れる音は聞こえていた。それでも




ーー秋瀬。



ううん、ナツメ。



……愛しているよーー





一体何処に隠し持っていたんだと思う程に甘くくすぐったい、その言葉を信じたかった。



しかし時は無情で。



無知とは罪で、残酷で。





冬…樹……さん……?




ある日、研究所の片隅の一室で、ナツメは愕然と佇んだ。



薬の瓶が転がっていた。泡を吹いた跡があった。


顔は蒼白、息は絶え絶え。小刻みに震える半透明の身体を恐る恐る抱き上げるナツメに、虫の息が声を紡ぐ。




かな……た……



か、な………




「ユキ…っ!」




こちらも呼んだ、その直後に衝撃は降りた。激しい電流のような錯覚、それは他でもない、腕の中の彼の情念だとすぐにわかった。感電したかのように打ち震えるナツメの中へ流れ込んだのは、声にならない、彼の声。




一緒に居たいよ、夏南汰かなた



君が生まれゆく場所へ、僕も、行きたい、よ……



だから、寂しいけれど



僕は、もう一度、




あのせか、い、へ……





脳裏を駆け抜けた光景に息を詰まらせる、ナツメは全てを悟って嗚咽する。




秋瀬と呼ぶのが常だった彼からこの名を聞くのは初めてだ。だけど彼は呼んでいたのだ。私が旅立った海の前で、断崖絶壁から見下ろして




ーー夏南汰……ッ!!ーー




ずっと呼びたかった響きで叫び続けた。声を枯らして。




きっと同じことがあったのだ。だって私は呼んだのだ。あの海で、命尽きる間際に、勿忘草の意味…君の気持ちを知って。



だけど再会は叶わなかった。当然だ。死んだばかりの私は魂のみの存在。新たな幽体さえ成せていなかったのだから。



推測でしかない。本当のところなんてわからない。だけどもし、それが、身勝手な私の想いと一途な君の想いが起こした、それが、現世の放棄と見なされたのなら…




何故気付かなかったのだ。それならば、あの日“後者”を選んだ時点で、彼は、もう……





ユ……キ……




ユキ…ィィィ……ッ!




嫌じゃ、嫌じゃぁぁぁ……ぁッ!!






ーーわかった気がした。完全ではなくとも。



きっと混乱したのだ。怒濤の記憶の渦の中で見誤ったのだ。



こうすれば、また私と同じ世に生まれ落ちることができると思ってしまったのか。肉体を見切った時点で君の次の世は決まっていたのに、早まって、しまって。



そしてもう一つ、私は確信したのだ。



無邪気かつ無鉄砲だった私の遺した傷痕は消えないのだ。癒えないのだ。



たった今、息絶えた彼が新しい生・磐座冬樹を捨てたのも



今は“ヤナギ”として生きているかつてのメイド・夏呼が笑顔を失くしたのも




全部、全部……この私の、罪。




無邪気、とは





時にこの上ない罪と成りうるのだ。









ーーこんな罪深き私が、今度は寄り添う立場になろうとは。感慨深い想いなんかに浸る夏南汰…改め、ナツメは青の光を帯びた隣の狼を横目で見る。また一つ、思い出す。





身を引き裂かれるあの別れから約半年後、もうすぐ14を迎える少年が涙混じりに言ったこと。




ーーどうしよう…俺……



みんなと違ったんだ……!ーー




ナツメは微笑んだ。おのずと滲んだ潤いに目を見張る少年へ諭したのだ。




ーーレイ。



人間だろうが動物だろうが、幽体だろうが肉体だろうが



そして男だろうが女だろうが。




皆、尊い命なのだよ。案ずることも、ましてや恥じるなど何もない。




ーーお前はお前でいればいいんだーー








その想いは今でも変わらない。いかついツラだろうが、デカかろうが、お前はお前だと言ってやりたい。そしてお前が心から愛した、その者もまた尊いのだ、と。しかし。



ついさっき耳にしてしまった。




ーー磐座樹里。




恋焦がれた者の名だという。……何ということだろうか。



推測も憶測も、始めてみたらキリがない。もし、私たちが出逢わなかったら?あなたが肉体を捨てなければ…?



その少女の辿った道はまた、違ったのだろうか?課せられる荷はいくらか軽かったのだろうか。



ならば私たちは共に罪人となる。身勝手なまでの愛の嵐に後世を巻き込んでしまった、のか。



しかし…




そこで再び隣を見る。狼の毛皮のような髪に見入ってしまう。小刻みに揺れているのは梅雨の風のせいか…あるいは……



「レイ」



やたら大きく育ってしまった、見せかけの孤高を纏った青年の眼差しに確信を見た。




ああ……



お前はもう少しで壊れるところだったのだな。限界だったのだな。



救いの手は彼女だったのだな。忘れられるはずもない、よな。




涙を拭う大きな手を握ってやる。そうして私はもう一つ尋ねてみたのだ。衣装を返す為に町へ出て、彼女と再会した。そこから歯止めが効かなくなった……切ない打ち明けの一部分がやけに気になって。




「お前が演劇とはねぇ…どんな舞台だったのだ?」


「さぁ…昔の話らしい。“タイショー”とかいう時代の」



「……ほう」



「冒険家と医者の卵の友情の話、だったな」




……友情、ねぇ。




穴が開くほど見つめられてなお、まるで気付いていない傷心の若人わこうど。重なってしまう、あの頃と。重ねつつ、また問いかけた。



「それで、お前の役は?」



「悲しい役だった。死んでしまった親友を追って断崖絶壁から飛び降りる…」




……嗚呼。





ーー嗚呼…!ーー





“君の居ない空虚の世で”



“僕は如何にして僕となることが出来よう”



“居させてくれまいか、君の傍に”



“許してくれまいか、この軟弱者を……”




ーーカナタの君よ!!ーー





「役名は確か……カスガ…」



春日かすが雪之助ゆきのすけ、だったかな。





ーー息を止めていた。しばらく。




それからぽつりと溢れる……「嗚呼」。



何故こうも世は巡るのか。奇怪な歯車は機械仕掛けになりきれないが故に…残酷だ。滑稽だ。



それからじんわりと込み上げる、どうにもなりそうにない感覚を苦し紛れの笑みで覆ったナツメ言う。クッ、クッ、と肩で笑いながら。




雪之丞ゆきのじょう、だよ。馬鹿」




え…、と心底呆気にとられたような間抜けな声を漏らす、そいつには見られまいと顔を伏せ、肩を震わせる。ナツメが、夏南汰が、一つの結論を導き出した。





ーー例え罪でも。



やはりこの思い出話は要らないな。



何故なら愛はそれぞれに、ただ一つ。



忘れようにも忘れられない、癒えない傷は宝物と紙一重。




勿忘草、それは……“真実の愛”





だから見守らせてもらおう。信じさせてもらおう。



こやつらが永遠を成し遂げたとき、それはきっと私たちの希望となるよ。




どうだろう?ねぇ。




冬樹さん



ユキ




雪之丞……!





ーー愛しい君よーー




挿絵(By みてみん)


Kanata×Yukinojo



挿絵(By みてみん)


Natsume×Fuyuki





 ーーナツメと冬樹。


 そして、カナタとユキ。



 本編は別に在る為、あえて抽象的描写をさせて頂きました。より詳細な描写やその前、その後については「真夏の雪に逢いに行こう」にて現在連載中です。



 性別を超越して巡り逢いを続ける二つの魂は、まだ「運命」を目指している途中、なのです。


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