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半透明のケット・シー  作者: 七瀬渚
第5章/狼の遠吠え(R.Kashiwabara)
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12.居場所はただ、一つだけ(後編)



ーージュリ。



熱く湿った吐息で呼ぶ。仰向けの姿勢からぶら下がるように首へすがり付く、彼女も同じように返す。


多分、もうすぐ……夕暮れ時。



もう随分前からじっと真っ直ぐこちらだけを見ている、静寂と情熱の二色の瞳。口にした覚悟をこうして身体全体で示している、彼女。



対して、俺は……




「病室には千羽鶴が飾ってあった。クラス全員で作ったそうだ」


「そう」


「葛城は学校をサボって、毎日お前に会いに来ているらしい。アイツも変わろうとしている」



「……そう」




まだ確かめようとしている。彼女はこんなに落ち着き払っているのに、何と臆病で未練がましいのだろう。



だけど、それでも次から次へと沸いてくる。己に対する嫌悪。それから彼女に対する罪悪感。




「葛城は嫌いだ。だけど、俺なんかよりはよっぽどマシに見え……」




ーーレイ。




彼女が呼んだ。掴む指に力を込めて。



「他のひとの話なんてしないで。もう関係のないことよ」



悲しそうに言う。それでいて何処か冷め切っているような低い声色に、ぞく、と背中に寒気が走った。そこからはもう、恐る恐るで。



「本当に、いいのか?お前はもう……」


「いいって言ってるじゃない、レイ」




葛藤は続いていた。それでも。





ーーわかった。





もう戻れないと全身で感じた。





名を呼びかけた彼女の頬を撫でた。乾いた涙の跡を指先でこすった。今度は舌で拭い取る。塩辛さと彼女の甘く細い鳴き声を同時に受けるなり、たがが外れた。



ジュリ……!!



折れないようにと加減しても、抱き締められた彼女の身体は大きくしなる。潰さないようにと自身を片腕で支えても、彼女の腕は力強く引き込んでくる。こんなに細いのに…耐え切れないレイは熱い息をこぼすその唇に自らを重ね合わせる。もう片方の手で、絡ませた指と指とをぎゅっと握り合う。



深く染みていく温かさも切なさも、あのときみたいだった。だけどあのときと違う感覚も覚えていった。



レイ……ッ



時折名を呼びながらも、重なり合う度に彼女が奥へ奥へと入って来て、絡む。一生懸命応えようとしているいじらしさを受けて更に歯止めが効かなくなってくる。室内にただ一つ響く、混じり合う音が更に加速させていく。



共に無防備なパジャマ姿。裾から手を差し入れれば素肌のどの部分に触れることも容易い。難なく飛び越えられるように思えた。彼女を呼びながら。



ジュリ……



ジュリ……ッ!



愛おしくて、愛おしくて、もう離したくない。速く高鳴り続ける胸と競うかのようにレイは己の中で繰り返す。



奪いたい……奪いたい、奪いたい……




なのに





「ジュリ……ッ……」




……っ。




…………っ……!





「ジュ……リ……」





ちくしょう。





「………っ……」





……奪えない。






「レイ……」



声を詰まらせたレイは彼女の上でうずくまる。小刻みに震える広い背中を彼女の小さな手が撫でた。優しく。



ポタポタと絶えずこぼれる生温かい雫が、彼女の顔の横の白い面をみるみる濡らしていく。




レイ。



もう一度、彼女の声が呼んだ。それは柔らかく続いた。




「もう……いいよ。我儘わがままを言って……ごめんね」



何も返すことができないレイをさすり続けるジュリは言う。




「私はここに居る。もう決めたの。だからレイはそのままでいて。そうすれば、この身体も、いずれはっきりとする。ね、それだったら……」



レイのせいじゃない。




「ジュリ……」



やっと顔を上げて呟くと彼女の半透明の手が頬を両側から挟んだ。微笑みながら、それでもはっきりとした意志をその目で示してくる。




「レイとなら私は何処へでも行ける」


「ジュリ?」



「何処へでも……」


「お前……」




決して長くはない言葉。それなのに言わんとしていることがわかった。彼女はもう知っているんだと、わかった。



俺の居場所がもうないことを。



「私がレイの居場所になる」



告げられて、予感が当たっていたことを知った。共にはだけた姿のまま起き上がる。愛おしげに見つめる彼女の瞳を見ながら、レイは思う。




ーーそうしたい。



自分もそうしたい。想いは同じ、でも理由はきっと違うんだ、と。



彼女のパジャマの襟を直してやりながら、白く覗く艶かしい肌を眺めながら、実感がつのっていく。




ーー渡したくない。もう、誰にも。




小さかろうが大きかろうが、肉体だろうが、半透明の幽体だろうが、いつだって気が狂いそうになる程の愛おしさは変わらなかった。だけど彼女の表面しか見えていない者の方が大多数なんだと想像した。



こんなに美しくなってしまった、猫の妖精。ここに居る経緯もきっと、研究所の皆の知るところとなってしまった。今後彼女に向けられるのは好奇や同情の視線。悲劇のヒロインなんて二つ名が皆の中で更にドラマを生み出していくのだろう。



守りたい、なんてほざいたり、欲情する奴も居るかも知れない。想像は強制的に遮られた。考えたくもなかった。



自分の立場なんてもうどうでも良く思えた。ただそればかりは耐えられないと、レイは唇を噛み締める。ジュリ……やっと彼女に話しかける。




「俺ん中、今すげぇ変なことになってる」



「うん」



「もうお前さえ居てくれれば……」




「……わかってるよ」





溶けてしまいそうなくらい恋い焦がれた。互いに。



大切で大切で愛おしくてたまらないのに、立てなくなるくらいに傷付け合って、枯れ果てる程に泣いて、泣いて。




もう無理だ。限界だ。



きっと同じだ。




そんな二人が導き出した、結論。





――みんなには申し訳ないけれど――



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