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半透明のケット・シー  作者: 七瀬渚
第5章/狼の遠吠え(R.Kashiwabara)
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4.許せないのはあの野郎(後編)



ピッ…ピッ…ピッ……



機械の規則的な音だけが響く、静寂の部屋。



「樹里…」



今日も微動だにしないという彼女の名を呼ぶ。奥歯を強く食いしばる。



あっちなら…




ーーレイーーっ!!ーー




あんなに元気に返してくるのに。名を呼んでやる度、嬉しそうにはしゃぐのに…って。



枕に散らばる長い黒髪。白く曇った人工呼吸器で生き繋いでいる、彼女の頭上を見上げた。いくつもの束になった色とりどりの…もう知っている。これは千羽鶴と言うんだ。



もう何度も訪れているのに今日も言われた。記憶を消しているのだから無理もないが。




ーー従兄なんだって?あなたーー




毎回同じ、マドカさんくらいの歳の看護師だ。はい、海外に住んでいるので遅くなってしまって…日を追うごとにそう答えるようになった。今はカナダ在住ということにしてある。そろそろ日本の真裏くらいまで遠のかせておいた方が自然か。



何故か俺にあまり警戒を見せない、その人は言う。




「気の毒にねぇ…こんな優しそうで綺麗なお嬢さんが、たった一人であんな場所へ…」



ーーお父さんとお母さんに会いたかったのかねぇーー





すでに知っている話だった。彼女の両親は…自殺。寂しくないはずはないだろう、会いたいと思ったこともきっとあるだろう。思い出の一つもない俺とは違って。



だけど答えならはっきりしている。あの日、あの海で、彼女が求めたのは…そいつは…



本来この世界には存在しない人間だったんだ。





薄手の手袋を付けた手で、おもむろに彼女の髪を撫でた。その拍子にはら、と数枚の何かが落ちた。いつからそこにあったのか、全く気付かなかった。



「…何だ、これ」



思わず顔をしかめた後はクッ…と小さく笑った。手の中にいくつかの青い紙。くちゃくちゃに丸めただけのように見えるが、よく見れば作りかけ。固めて何か形成しようとしている途中のものだとわかった。



心当たりがあった。




紫陽花あじさい、か。まだ早いだろ…」




親戚の子どもが作ったのだろうか?何度も折り直したような跡がある。不格好だけど必死さだけはしかと伝わる。



もしかして…



ふと思い立って呟いた。




「6月…」




そのとき。






ガラッ…






背後で戸が鳴った。チューブの差し替えか巡廻か、浮かんだ予測に立ち上がった。振り向いた。しかし…




そこに居たのは。





「………」



「………」





懐かしい、何とも懐かしい姿。



頼りなげな細い身体。“イマドキ”だというふんわりした茶系の髪。制服。



仔犬と称された円らな目がみるみる大きくなっていく。そう、コイツは……





かっ…





「かしわ…っ!」



「かぁ~つぅ~らぁ~ぎィィ!」




何処の獣かというような唸りが己の喉元から沸いた。視界を細めた、この目もきっとそんな形をしていた。



どういう訳か俺を覚えている。極悪人・柏原怜のビラを撒き散らした張本人が呆然と突っ立っていた。



俺だって忘れもしない、葛城かつらぎ拓真たくま



ジョニーズ…だったか?何かそんな感じの名前のアイドル事務所の何某なにがしに似てるって持て囃されていた、彼女と同い年の男。可愛い、確かにツラだけなら。



だけど俺は知っている。コイツの本性も…



「てめぇ…!」



彼女に何をしたのかも。



「何故ここにいる!?」



ついでに何故俺を覚えている、と問いたい。



「何故って…」



目前まで詰め寄られて小動物の如く身をすくませている葛城。それでも滾るものは治まらない。怜は更に前へ踏み出して、浴びせる。



「樹里に何をする気だ!」


「なっ…何もしねぇよ!ただ…」



ただ…




そいつの声が消えていった。続きはだいぶ遅れてから。




「待ってる…だけだよ」




胸ぐらを掴もうとした、自身の手が、降りていく。茶に染まった鋭い目を見開いて。



待ってる…だと…?



頭ごと食らいつく肉食獣のような怒りは落ち着いた。入れ替わって別のたぐいのものが沸いてきた。例えるなら、密やかに地を這い迫る、さそりのような、怒り。



いずれしても“怒り”であることには変わらず。



「…表、出ろよ」



「また…暴力か?」



反抗的な上目遣いはあの夢と重なって一瞬の寒気を走らせた。怜は負けじと睨み付ける。通さない、その一心だったのだが。




ーーいいよ。




その答えに、不覚にも目を見張ってしまった。思ってしまった。



あのときみたいに尻尾を巻いて逃げるかと思っていたが、コイツ…




「いい度胸じゃねぇか」




一つだけ、褒めてやった。だけどそれだけだ。思うことは変わらない。



葛城と二人、共に黙って病室を出る間際、怜は彼女へ振り返った。樹里…大切なその響きと名残惜しさを胸に、再び前を向いたときには強く決意していた。




コイツに、こんな奴にだけは、絶対に




ーー奪わせないーー



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