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半透明のケット・シー  作者: 七瀬渚
第1章/狼の日常(Ray)
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2.何故俺に懐く



――いいなぁ、空かぁ……――



――私も行ってみたいなぁ――




――ねぇ、ホントに駄目なの? レイ――




 蒼の機体の前。遠い空を遠い目で見ていた、うっすら頬を染めた幼い横顔がまだ目に焼き付いている。痩せっぽちの小さな手を天へ伸ばす残像は、どれだけ空高く登ってみても振り切れそうにない。




 一緒にハムエッグを食ったあの後、ジュリがこぼした言葉。それを聞くのは別に初めてではなかった。生物保護班に入りたい。アイツは前々からそう言っていたからだ。




 バーカ。


 お前にはまだ早えよ。




 茶化すように返すと膨れっ面で睨んできた。私もう16歳だよ? 童顔の顎を突き上げ、無い胸を張る仕草をいじらしく思いながらも、結局上手くは笑えずため息だけが漏れた。



 相変わらず16歳と言い張るジュリは悪いがとても年相応には見えない。童顔、痩せ型、何処から見てもぺったんこで、容姿だけで言うならせいぜい13、4歳くらいがいいところだ。


 いや、実際には容姿だけではない。無邪気で危なっかしいあの性格だって一役買っている。年頃の色気なんて皆無。失礼? いや、だって、なぁ……



 そんなんだから誰もが未だに疑っている。というか、聞き流している。彼女はただ背伸びをしたい一心で大きなことを言っているのだろう、と。自然な解釈だと思う。はいはい、と優しい笑みで頷くばかりの奴らを特に悪いとも思わない。




 だけど……




 ゴウ、と強く吹き付ける風に機体が揺れた。空へ出るようになってもう何年と経つ者に取って、こんなのは慣れたもののはず、なのに。



 レイはごく、と喉を鳴らす。立て直そうと改めて操縦桿を握り直す。その手が汗ばんで、わずかに滑る。実感がまた、沸いてくる。



 子どもにしか見えないケット・シーの少女。出生不明、記憶喪失。



 だけど俺は知っている。




 アイツは間違いなく16歳だと、知っているんだ。



✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎



 今日も一匹新たな動物を保護してきた。ふわふわなびく緑の地に機体を落ち着かせたレイはゲージを片手に、もう片方の手でツナギの前を半分程はだけさせる。下はタンクトップ一枚、露わになった胸板から生地の間へとほのかな風が流れ込んでくる。


 割と暖かな陽気だった。心地の良い緑の匂いと風の柔らかさが名残惜しかったくらい。だけどモタモタしてなどいられない。レイは足早に研究所内を目指した。



 保護してきた動物は生物研究班という場所に預ける。DNAを採取し、詳細まで調べ、適した環境を割り出す。弱っていれば必要に応じて治療を施す獣医もいる。こうして着々と根気強く進めていくのだ。野生への帰還を目指して。



 この後の予定ならある程度決まっていた。同じ生物保護班の隊員であるエド、それからサシャと共にまた機体を飛ばして巡回へ向かう。それまでに少し時間があった。いつもなら食堂か休憩室で何か飲んだり煙草を吸いながら一息入れるところだ。だけど……



 この足はまた外へと繰り出した。何故だろう。



 理由なんてはっきりしない。ただ、久しぶりに見たくなったとしか言いようがない。アイツの働く姿を。



 朝露も蒸発した草原を歩いて辿り着いた5つの温室。今何処にいるのかわからないはずなのに、自然と開いた一つの部屋で



 ドンッ!




 何かぶつかった。見下ろした。



 視界に飛び込んできた。



 しりもちをついたばかりの彼女……




「おい、大丈夫か!」



 レイはすぐにしゃがんで声をかける。こんなバカ高いトーテムポールにぶち当たった彼女を素直に案じた。だけど笑っていた、このときはまだ。


「仕事熱心なのはいいけどよ、ドンくせーんだからもっと慎重になれや」


 からかうみたいに言ってやった。そこへ。




 レイ……



 細く、消えかかる声した。そこにわずかに震えを感じた。やっと気付いた。



 う……



 うう……っ



 すすり泣く声が、俺の顔をみるみるうちに険しい真顔に返らせていく。



「お、おいっ……」


 起き上がる様子もなく泣きじゃくるジュリの顔を覗き込んだ。こんな頼りなく小さな身体、やはり半端じゃない衝撃だったのか。心当たりなんてそれくらいしか思い浮かばなかった。


「ケツ痛いのか? ホントすまなかった! 医務室で……」


 提案と共に引っ張り上げようとしたとき、彼女の小さな手の方が先に掴んだ。俺の胸元を。息が止まった。動きも止まった。そこへ震えがちな声が届いてくる。



「助けて、レイ……私、どうしよう……」


「何だ、どうした?」



「あ……あれ……」



 声と同じように震える彼女の人差し指が指し示した。レイもそちらを向いた。まだ記憶に新しいものが先にあった。



【リュウノツルギ】……つい最近からここにある、細く繊細ながらも執拗に天を目指すような形状が特徴の植物。理解するなりレイは再び視線を戻す。



 震えたままの彼女。色の異なる双眼は何処か定まらない場所を向いているよう。半開きの小さな口がうわ言のような弱々しい声だけを漏らし出す。



「弱ってるの……あの子。レイが連れてきてくれた、大事な……このままじゃ枯れちゃうよ」



 私のせいで……



 強く握る力に更に引き込まれそうになっていた。レイは立ち上がった。掴んでいた指が胸元の生地からぷつん、と離れた。振り払う形になってしまったがやむを得ない。こうしていたってどうにもならないと、迷わず一直線に歩き出した。



 レイ……



 レイ……!



 続く彼女の声は焦燥に満ちていて、どうやら植物の群れに紛れた俺を探しているようだった。それでも続けた。今しなければならないことに、今は、黙々と集中するだけだ、と己に言い聞かせながら。



 続く涙混じりの声色が霞み、薄れていく。その差中で一つ、自分の名以外の響きを聞いた。ぐっ、と喉が詰まった。


 一通りすることを終えて、レイは振り返った。未だ起き上がることもかなわない彼女の方へ向かって。



「この土のサンプルを採って研究班へ持っていく。バクテリアの問題かも知れない」


「レイ……」



 立ち上がって植物の間から顔を出してやると、すぐに見上げてきた、潤んだ目。レイは更に言う。



「リュウノツルギを見付けたとき、バクテリアのサンプルも持ち帰って研究班に届けてある。データと比較すれば原因がわかるかも知れない。ジュリ、サンプルケースは何処だ?」



 はっ、と目を見開いた、彼女がようやくおぼつかない動きで起き上がった。テーブル側の棚を漁り始めた。レイはまた固まりそうになった。



 動く度に揺らぐ透けた尻尾に見入ってしまう。怖くなってしまう、もしかしたら、彼女以上に。




 ジュリ……




 俺は言った。ちょうど振り返るところだった彼女に、はっきりと告げた。



「大丈夫だ、一緒に居る」



 せっかく落ち着き始めていたというのにまたすずっとすすり上げる、薄い色の泣きっ面。


 サンプルケースを持ったままの彼女が、ジュリが、駆け寄ってきた。あの俊足で飛び込んできた、この胸へ。こちらからしたら息つく間もない。


「泣くなよ……」


 預けられた細い身体を撫でながら、そうこぼすだけ。さっき聞いたばかりの響きが同時に、蘇る。






――レイ……ごめんなさい。だから……





 一人にしないで。






 それは何度もうざったいくらいに脳内でリピートされた。一緒に外に出てからもずっと続いた。結局こんなことしかできない、自分の方がもっとうざったいと思った。



 ある程度の合点はいった。枯れかけのリュウノツルギ。あれは他でもない、俺が保護してきたもの。俺が……




 だけど残ってしまった聞きたいこと。それは虚しく胸の内だけに収まった。聞けなかった、結局。





 ジュリ、お前は、何故俺に懐く。狼なんて恐れられる俺に、何故、すがる?



 そんな目をして、そんな声をして、そんな、壊れそうに震えながら





――何を恐れている?――



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