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半透明のケット・シー  作者: 七瀬渚
第4章/猫の息吹(Juri)
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8.変わっちゃいけなかったの?



思いがけない情報にジュリとマギーが揃ってどよめいたのはあのピクニックから一週間程したある日だった。



月をまたいだ5月。ついにやってきた新緑の時期。




「昇進試験!?」



「レイが!?」



昼間の食堂でガタガタッと立て続けに腰を上げた。すでに鼻息荒くなり始めている私たちにふくふくとした笑顔のマドカがうん、と頷く。



「研究所の仕事は専門的だからね。各班ごとに資格があるのはもう知ってるでしょ?」



「う、うん!」


「それは」



無資格ぺーぺーの少女二人が頷く。いつかは自分もすることだ、その実感にますます他人事ひとごととは思えずに喉を鳴らす。ましてや彼ならなおさらだ。



「【特殊生物保護管理者2級】…全く大したもんだよ、あの若さで」



まるで我が子の自慢でもするみたいに頬を染めてしみじみと語るマドカの様子にジュリはいよいよ耐え切れなくなった。テーブルを押しやるように両手をついて、ぐっと身を乗り出して尋ねる。



「それに受かったらどうなるの!?」



「ふふっ、ジュリったらそんなのも知らないの?」



返ってきたのは横から。隣のマギーが自分のことのように豊かな胸を貼っている。えへん、とでも聞こえてきそうな様子の彼女が言った。



「2級に受かったらね、何と副隊長よ!」



副隊長…



エドのすぐ下。




ぽかんと見入るジュリの脳内で理解が確かに固まっていく。誇らしげなマギーはなおも続ける。



「副隊長ってなったら担当する範囲も今よりもっと広がるから、レイさんすごく忙しくなると思うよ」



「忙しく…」




ぽつ、と胸の奥に宿った一つの欠片のようなものに気付いた。すごくすごく小さいけれど、その形は…



鋭利で…




そこで我に返った。ジュリはふるふるとかぶりを振った。何してんの、と笑うマギーの声で現実に引き戻された。



「そういう訳だから…ねっ、ジュリ?」


「え…」



悪戯いたずらっぽいウインクを一つ投げてきたマギーがジュリに言った。



「私たちがしっかり支えてあげなきゃ」



ファンクラブとして!






…うん。





ジュリは頷いた。



「そうだね!いっぱい応援しよう」



目一杯の笑顔で言った。






その後マドカから聞いた。レイの昇進試験の日は三日後。案外すぐなんだって知った。


試験の内容は大きく分けて二つ。筆記と実技。至ってスタンダードな形式、らしい。透けた猫の耳を時折ぴくっとさせながら聞いていた、ジュリはまた一つ尋ねる。



「実技ってどんなの?」



いくらか落ち着いて食後の紅茶を楽しんでいる、マギーがこちらに目を止めた。やれやれとでも言いたげに目を細めて彼女は答えた。


「任務の一つを試験に組み込むのよ。資格の基準に最も近い生物の捕獲でどう動けるかを試験官が見るの」



「大丈夫…かな」



よぎった不安に眉を歪ませたジュリに二つの豪快な笑い声が降る。



「大丈夫よ、レイ君なら」


「だって異名・狼だよ?」



相当レベルの高い肉食獣だよねぇ、あの人が。どっちかが言ったそんな言葉にどっちかのガハハ…という声が重なった。ふふ…ジュリも口を覆って笑う。




ふふ…





やがて全部が遠くなった、気がした。





「おぅ、お疲れ」




どれくらいした頃だろう。その声が届いたのは。あっ、噂をすれば!マギーが高らかに声を上げて立った。おやおや。厨房に向かいかけていたマドカも微笑ましげに振り向いた。虚ろだったジュリも顔を上げた。みるみる笑顔が戻った。



「レイ…」


「聞きましたよ、レイさん!私たち応援しますね!」



「お、おぅ…ありがとな」




ーーもう知ってる。触ると指先に刺さりそうなくらい硬い髪。整髪料のベタつきも何もなかった。自然とそうなるんだよね?本当に狼みたい。



そんな頭のものをバサバサと掻き乱している、逞しいその腕も触るととても硬い。だけど、あったかいよね。なのにうっすら頬をピンクにしてる…意外と照れ屋さん。



こうして見ているだけでも顔の筋肉が次々と解けてしまうよう。光のように眩しい人、そんな彼に変わらぬ上機嫌のマギーが言った。




「横断幕作りますね、でっかいの!書くならやっぱり…」



ぱっと横に顔を向けた、ジュリもそこへ乗っかる。見合わせた彼女と口を揃えて。




『羽ばたけ!疾風の狼☆レイモンド・D・オーク』



『by・レイモンド同盟!!』






「…やめてくれ。恥ずかしいから」




眉間を深い川の字に、超高速の指で鼻の下を擦り始めた彼はやっぱり…照れ屋さん。くすぐったく笑ったジュリの足はおのずと前へ進み出す。




「そんなに擦ったら鼻血出ちゃうよ」



レイ…




触れようとでもしたのか。いつの間にか差し伸べていた手が、ふい、とすり抜けた。ジュリはそこに視線を止めた。静止した。




半透明の指先。



ついにものを掴めなくなるまで…?




そんな風に思った。でも違った。



両の手を合わせてみて気付いた。ちゃんとある、形。ちゃんと触れられる。ふっと見上げた。




「レイ…?」



「………」




すり抜けたんじゃない。彼が離れたんだって、知った。



✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎



ーー思い切って提案したピクニック。あの日から変わったことがある。



まず。




エドとマギーが仲良くなった。どんとこい!とでもいうような横広の体格に豪快な笑い方。細めると案外可愛い目。二人ともよく似てるんだってもう気付いた。


エドに研究班は似合わないから、マギーがもっと早く保護班に異動していれば良かったんじゃないかな、なんて思った。遅かれ早かれこうなっていたかも知れないけどね、こんなに相性がいいなら。




次に。




ヤナギの気持ちがほんの少し、知れた気がする。今までわかっていた気でいたのが馬鹿みたいってくらい。ヤナギもあれからちょっとずつ、本音みたいなのを話してくれるようになった。表情は相変わらず変わらない。だけど…



女、だけど…



女、なのに…



寂しげな響きの声は更にこう言ったのだ。



「ナツメ、ずっと、好きな人、いる」



…片想いだったんだね。女同士だってこともそんなに気にしていたなんて知らなかった。これからもっともっと話聞いてあげよう。


元男だっていうナツメ。やっぱり女の子が好きな男?それとも男の人が好きな男?いや、でも今は女…うん、何だか頭がこんがらがってきそうだけど、ヤナギがいいっていつか思ってくれたらいいのにな。




あとはね。




サシャがちょっと元気になったみたい。ずっと口をきいていなかったレイとも少しだけ話せたみたい。この間いつものダイエット話の途中で言ってた。



大丈夫。



もうすぐ吹っ切れそう。



って、ちょっと恥ずかしそうに。




私にバレてるってことがもうバレてるんだね。それなのに私に譲ろうとしてくれてるんだね。おんなじ気持ちだったのに…優しいね。


何だか苦しくなって胸元を握った。そんな私に言ってくれた。




「いいのよ。アンタは自分勝手で雑だけど…何だか不思議と清々しいの」



ーーレイをあんな顔にさせるとか、してやったりな気分よ。




潤んだ目を見られないようにしようとしたとき、くしゃっと頭を撫でられた。勇気をもらった。何処か奥が、ちょっと、痛かったけど。




いろいろ変わった。たくさん変わった。ここまでなら良かったって思えた。やっぱりあれはやって良かったんだって、今も思える。思っていいと、思う。




なのに…




視線を落とすと目に映る。きっと今、二色の瞳の中で二色になってる透けた二つの手。



重ねるとやっぱり、ある。そうだよね、そんな訳ないよね、これで、この手で何度も触れてきたんだからって、安心しているはずなのに、また苦しくて弱い息が漏れてしまう。



あの日から…



目を閉じた。遠くなりそうな感触を閉じ込めるみたいに。だけど閉じ込められない。またああしてすり抜けていくよう。



どうしてだろう?何処かへ向かって問いかける。




あの日から、彼が、彼だけが……



……





――遠くなってしまったの――



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