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半透明のケット・シー  作者: 七瀬渚
第4章/猫の息吹(Juri)
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7.不思議なお話、不思議な夢



それは不思議な会話だった。



そわそわして、落ち着かなくて、でもちょっと楽しみで、抑えられない好奇心のままに飛び込んでみたその先で、まさかこんな不思議の渦に飲まれてしまうなんて。




「ねぇねぇ、ヤナギさんはいつからナツメさんのこと?」



恋愛話とやらを仕切り出したマギーが甘々しく声を潜めて言った。それに対してうつむき加減のヤナギはためらいながらもこう答えたのだ。




ーーまえから。




「前…」



ジュリは小さく繰り返した。それからわずかに首を傾げた。



意味ならわかった、つもりだった。前から好き。それはこっちだって前から気付いてる。前からそんな感じだった。それでも何だか不思議に思えたのは、あまりにもわかりきっているというか、漠然としているというか…期待していた具体性がまるで感じられなかった為だろうか。



だけど違った。そもそも意味を履き違えていたのだと、後に知ることとなった。




前世まえ!?




上ずったマギーのその声は驚きと好奇に満ちたものだった。わぁ!すごい!なとど彼女は更に興奮した様子で、更にしっくりこない感嘆を羅列する。



「??」



ジュリは更に首を捻る。



え、まさか今の今まで気付いてなかったの?ヤナギの態度はあんなにわかりやすかったのに?



もはや研究所一の鈍感はこの人なんじゃないか、なんて思い始めていた頃。不可思議な現象がまた動き出す。




「私、前世まえ、屋敷のメイド。ナツメ、主人」


「へぇ!そうだったんだぁ。やっぱり前世まえも美人だった?ナツメさん」



「ナツメ、前世まえ、男」



「マジで!?」



何だかとんでもないことを聞いた。言うまでもない、大いに驚いている。なのに何故だろう、返す言葉が一つとして見つからない。口内が干からびそうな程にあんぐりとしたままのジュリはただ二人の会話に耳を傾けるだけ。



「あー、でもわかる気がする。ナツメさん、今でも男前って感じだもんね」


納得の頷きをするマギーが続けた。



「でも珍しいよね。性別が変わるパターンって」




性別が…



変わる?




「ちょっ…ちょっと待って!」




ここに来てジュリはやっと声を上げた。はた、と動きを止めた二人にまだろくに整理もついていない疑問をとりあえずとばかりに投げかけてみる。



「ナツメは男の人だったの?ヤナギはメイド…っていう人だったの?」



前っていつ頃?



私がここに来る、前?




すごくすごく不思議だったから聞いた。そしてまた驚いた。



不思議に思っている私を不思議そうに見ている二人の顔に。




「あぁ、そっか…」



やがてマギーが言った。



「ジュリは知らないんだね」


「えっ…」




そうして目を細める。ちょっと憐れむような視線は紛れもなくこちらに向けられていた。


マギーは話した。私が知らないことを、“まえ”というものを、教えてくれた。



「私たちが生きる世界って二つあるの。一つはここ【アストラル】、もう一つが【フィジカル】っていうの」



「フィジ…カル?」



特に気になった後ろの方を繰り返してみるとマギーがうん、と頷いた。彼女は言った。



「私たちはね、ここに生まれる前、みんなあっちの世界に生きてたんだよ。今とは別の姿と名前を持って。すごく珍しいんだけど、ナツメさんみたいに性別が違った人もいるみたい」



ここに生まれる、前…



前…




そんな意味だったの、まえって!?



いよいよ興奮を覚えたジュリはぐっと前へ身を乗り出して聞く。



「どんな世界なの!?」



「変な世界だよ。私たちは普通15歳前後で前世を思い出すんだけど、あっちの人は一生思い出さないの。私たちは両方の世界を交互に生まれ変わっているんだけど、あっちにいる限りは思い出さないの」



しかも!



同じ具合に興奮し始めた、マギーが鼻息荒く言い放った。




「あっちには妖精も魔族もいないんだよ!みーんな人間か動物、それだけ!しかもね、この幽体カラダの上にもう一枚、肉体ってやつを着て一生を過ごすの。それがあるから前世の記憶も一緒に封じ込められてるって説が有力みたい!」




変。確かに変なの…虚ろな目のジュリは思った。虚ろな中で更に浮かんだ。



ここに生まれる前の、自分。そんなのがあるなら、私にも…




遠くへ視線を投げた。いつの間にかエドとサシャの二人だけになっている。何処かへ行ってしまった。



行ってしまった…




彼、も…?





「マギー」



上から降ってきた声を受け止めるみたいに顔を上げた。行ってしまったと思った人が、いた。



「レイ?」



「あっ、レイさん!どうしたんですか?そんなに息を切らせて…」



マギーの言葉で気が付いた。見下ろす彼の顔がうっすらと汗ばんでいる。走ってきたの?それとも具合が…?ジュリは心配になって立ち上がった。高い彼と距離が近付いた。



「その話は…」


「え?」




「…いや、何でもない」




聞き返すマギーに彼はそう返した。その前に確かに感じた。



一瞬。ほんの一瞬、こっちに向けられた視線を。



「レイ…」



悲しそうな狼の目を。








ーー楽しい時間と不思議な時間。



それはどちらもすぐに終わるものなんだって知った。終わりを示唆する夕日に赤々と染められていく河川敷で私たちは荷物をまとめた。帰りのときだった。




「やっべー!!俺、報告書一個仕上げるの忘れてたぜぇ!」



突如デカデカと上がったエドの声に私と彼は同時に振り向いた。その拍子に身体が少し触れた。



「えっ!ホントですか、エドさん。私手伝いますよぉ!」


「しょ、しょうがないわねーぇ!私も手伝ってあげるわ!」



そこにマギーとサシャが便乗するみたいに続ける。不自然だ。



「参ったなぁ~急ぎだしなぁ~。悪いんだが後の片付けは頼んでいいか?」



ふ た り に。




最後だけやけにゆっくりトーンダウンしたエドがにんまりと笑った。眉の間に三本の縦筋を作った隣の彼の顔が赤く見えた。夕日…だよね?




ーージュリ。




私たちを置いてどやどやと歩き出す、その中の一人がすれ違いざまに囁いた。柔らかく。



「ありがとう。もう…いいよ」



「サシャ…」



彼女の顔は反対側からじわじわと侵食する藍色に染まっていた。陰になってよく見えなくって、それでも澄んだグリーンの目だけは夕の光を拾ってた。綺麗だった。





…誰もいなくなった。赤みの薄れた藍の空に星が現れ始めた。



冷えたレジャーシート、空っぽの水筒、動きを失くしたボール。残った私たちはそれらを畳んだり掻き集めたりした。黙々と言葉の一つもなく…二人っきりで。




「疲れたんじゃない?レイ」


「ん、あぁ…」



「…ちょっと座ろうか」



「…あぁ」



斜面になった草むらにすとん、一緒に腰を下ろした。ますます深みを増していく空、反して明るさを増していく星たちをジュリは眺めた。薄くこぼれる息。闇に滲む川の輪郭。




ーー今日は。




こんなことを思ってた。




今日という日は、特別な日。それはみんなにとってだと思ってた。いや、願ってた。そうなればいいなって思ってこんな初めてのことに踏み切ったんだ、って。



なのに、可笑しいね。どういう訳か、いつ何処からだったのか、何から何まで私の為に動いていた時間のような気がするの。




ねぇ、レイ。




鋭い目で遠くを見ている。遠吠えしそうな青みの横顔に魅入った。そしたらみるみる滲んできた。思い出してしまって。



ナツメから言われた、あのことを。






ーーサシャ姉も、レイが好き…だから?ーー




恐る恐る尋ねた、そこへナツメが返した。



「近付きたくて仕方がなくて、それが故に見えなくなってしまうことがあるんだ…」



ジュリ。




優しく頭を撫でてくれた、彼女は言った。教えてくれた、こんな言葉で。



「お前が今見失っているのは、案外一番近い奴かも知れないぞ」








悲しげな響きを含んだようなそれを聞いて、浮かんだのは一人しかいなかった。満ちたいっぱいの雫の中で今も揺らいでいる、この人くらいしか。



ーーレイ。



そうなの?レイ。





「ジュリ…お前…」





呼ばれる声にはっとなった。揺らぎの素を慌てて手で拭うと薄暗い中に見えた、心配そうに見下ろす彼の顔。



ハハ…と笑って誤魔化した。砂が入ったみたい。そう言うと唇を固く結んだ彼が顔をそむけた。ハハ…薄れゆく笑いを残したまま、私も視線を落とした。足元へ。




彼は上を、私は下を向いていた。しばらくそうしていた。やがて…




ーージュリ。




ためらいがちな声が呼んだ。隣を見た。



「…さっきの話、だけど…何か思い出したか?お前」



まだ上を向いたままのレイの問いに少し考えてしまった。思い出す…って言うと、やっぱりあれかな?って、導き出したものを口にする。



前世まえの私のこと?」



「ん…まぁ、それでもいいんだけど…例えば、ここに来る前、とかさ」



彼が示したのはどうやら文字通りの“前”だったようだ。合点がいくと自然なことのように思えた。私は記憶喪失。前の世の記憶より今の世の記憶の方を心配される立場なんだ、と。



ん~……



ジュリはまた考えた。一片いっぺんだって思い出せない。だけど浮かぶものがあった。関係あるのかは…わからないけど。




「…何か夢を見た、みたいなの」


「夢?」



彼がこちらを向いた。ジュリはうん、と頷く。



「何度か聞いているみたいなの。名前…なのかな?えっとね、確か…」




カ…




頭だけ出してみると彼が少し、こちらへ寄るのがわかった。彼が問いかけた。



「どっちだ?」


「どっち、って?」



「あっ、いや、何でもねぇ。とにかく何だ?“カ”から始まるんだろ?」



何故だか下から伺うようにして見ている、その様子にジュリは驚いた。何故そんなに…よくわからないけれど続けてみる。



カ…



カシ…



二つ目のところではっと見開かれたレイの鋭い双眼。夢中で記憶を手繰り寄せる、ジュリは気付かない。



やがて繋がった気がした。まだ自信はなく、首を傾げて。




「カシワギ?」



「おい!くっつけんなよ!!」




レイが心底嫌そうに顔をしかめた。それから我に返ったように大きな手で口元を覆う。何か間違った?いや、それ以上に不思議なことに気付いたジュリは目を見開く。くっつける、って…?ジュリは問う。



「レイ、何か知ってるの?」



「い、いや…」



何となく、というか…




細く萎んでいく彼の声は残り香みたいに胸の奥に霞んだ。ジュリは唇を噛んだ。スッキリしない思いが巡っていく。




ーーいつもそう。


そうやって隠した何かをいつだって一人で抱え込んで…



言ってよ、レイ。





気が付いたら冷たい草の上を這っていた指。少し湿った隣のものにコツン、とぶつかると、電気が走ったみたいに跳ねる感触を受けた。見上げて目に映った彼の表情を前に、ジュリは胸の内で呟いた。



あぁ。



そういえば、もう何度もこんな顔を見ている。あのときも、このときも、と鮮明に蘇ってくる。




ーー大好きだよーー



ーーずっと一緒だよーー




そうやって腰にしがみ付いた。その度に彼はこんな苦しそうな顔をしていたと気付く。やっぱりそうなんだ…確信へと変わりゆく予感に涙が滲んだとき、ジュリは口を開いた。理由もわからないまま、でも今に相応しいと思えるものを告げた。



「レイ…ごめんね」



短く息を飲む音が、彼から。その意味を知りたくなかった。怖かった。



逃げるみたいに彼の手から遠のいた。瞬間。




「……!」




強く引き寄せられる勢いに今度はこっちが息を飲んでしまった。背中から肩へがっしり掴んでいるのは彼の腕。耳元で低く鳴っているのは彼の…胸。実感するなり熱くなってきた。痛いくらいに。ジュリは彼を見上げる。




「レイ…」




すぐ近くで絡み付いた視線は引力を生み出した。どちらからともなく引き寄せられそうになっていた、途中。



「……っ」



「……っ!」




共に同じタイミングでうつむいた。同じように目をつぶって、耐えた。


それでも腕を解かない、彼はやがて低く悶えるように言った。




「悪い、ジュリ…もう少しだけ」




「…うん」




ざわついていた草の音が遠のいた。今聞こえているのは壊れそうに高い彼の鼓動だけ。




ねぇ、レイ…




もう声にはならない語りかけをした。




こんな風にしてくれる、あなたも少しは、少しくらいは、私のことが好きなの?そうだったら嬉しいな。涙が出ちゃうくらい。



でも、でも…




半透明の手で手繰った。辿り着いた厚い胸板をそっと撫でて、思った。





ーー痛そうーー



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