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半透明のケット・シー  作者: 七瀬渚
第4章/猫の息吹(Juri)
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6.仲良くしようよ



ーーある日突然、両親が姿を消した。



前日の夜は今まで行ったことのない高い高いビルの最上階で、今まで食べたことのないテーブルいっぱいの美味しい料理を三人で囲んだ。


ほっぺたが落っこちるって、こういうことなんだと、頬を押さえながら実感した。だけどそれよりも、もっと嬉しかった実感は…



ーー樹里ーー



ーーホラ、こぼれてるよ、樹里ーー



真っ白なナプキンでそっと拭ってくれた。優しい手つき、優しい眼差し



優しく微笑む両親の姿。




私はこんなにも、こんなにも愛されているんだっていう“実感”。どう表現するかはわからなくても確かに感じていた。嬉しかった。



明日の学校は大好きな音楽の演奏がある。仲のいい友達と放課後に約束もしてる。想像してみるだけでも心が踊る、そんな楽しみな明日さえ、呆気なく上回る程の輝かしさがここにはあった。



このままずっと続けば…そんな風に思った私は何か予感でもしていたんだろうか?




ううん。



やっぱり、そんな気はしない。今でも。





翌日、いつも三人でいる小さな寝室で目を覚ますと、そこに私しかいないって気が付いた。薄明るい窓の外の一部が赤く点滅していた。




ーー警察の人が来た。




今まで一度だって会ったことのない、遠いおじいちゃんとおばあちゃんの家に連れていかれた。




両親が消えた理由を知った。



自殺だった。




昨日までの夢のような時間を思い出すとそれはますます信じられないことだった。気付かなかった。全然。




大人は割り切りが上手いんだってことも、知った。




それからもう一つ知ったこと。子どもは慣れるのが上手いんだってことを自らの身を持って知った。



ずっと会っていなかったはずの私を温かく迎えてくれたおじいちゃんとおばあちゃん。すごくすごく優しくって、私は心を開いていった。新しい学校でも友達ができた。お嬢様って羨ましがられてた。



だけどそれもすぐに終わった。




ある事実を知ってしまった、あの日を境に。





それから私はずっと独り。口数が減ると友達も減った。みんな冷たくなった。



ーー金持ちはいいよねぇーー



ーー金持ちは…ーー




そんな声をいくつか聞く頃にはもう何も感じなくなってた。お金があったって、変わらず優しい祖父母に見守られていたって、そんなの全部まやかしだって、もう知っていた。




私は独りだった。誰の元に居ても。



だから…






広い草原。なだらかな水流の遥か上、抜けるような空を見上げながら、樹里は密かに思う。





ーーこんなのは、初めてよ。




初めてよ。












「ジュリーーっ!」




遠くから呼ぶ声で我に返った。改めて見ると大きく手を振っているマギー。



疲れてるのかな、私。今すごくぼぉっとしていたような…思っていたそのとき




ばんっ!




突如衝撃に顔面を襲われた。ぱたっ、と軽い音を立てて草むらの上に倒れた。そこへバタバタといくつかの足音と声が近付いてくる。



「ちょっとぉ、大丈夫、ジュリ!」



「ボールそっち行ったよって言ったのにぃ」




あぁ、そうだ。そうだった。鼻を赤くしたジュリは仰向けのまま思い出す。まだヒリヒリする。




今日はみんな休み。いや、休みにしてもらった日。



そして、今日は…




「うん、大丈夫!」



むくりと身体を起こしたジュリは心配そうに見下ろすマギーとサシャへ顔を上げてにっと笑って見せた。平気、これくらい。ちょっとくらい転んだってぶつかったって、今日はうんと笑っていたいと思った。




だって今日は



特別な日だから。



✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎



発端となったのはあの面談の後。みんな!と引き止める一声をきっかけに切り出したのは他でもない、ジュリだった。勇気を出して言った。



「私ね、もっともっとみんなと一緒に居たいの。みんなのこと、知りたいの。だから…」



ジュリ…



驚くみんなが名をこぼす。慣れない恥ずかしさに熱が登ってきた。ここ最近レイに対して感じるものとはまた違う、そんな気がした。



これでも一生懸命考えた。それを一気に言い放った。



「ピクニックにでも行かない?予定合わせて」




……!




しばらくの間と、それから起こったザワ、ザワ…という響きが息苦しかった。行き場を失くした小さな両手は無理矢理服の裾を握らせておいた。



やっぱり迷惑だったかな?不安がよぎった。



レイは忙しくて疲れてるし、エドはピクニックよりお酒が飲みたいのかも。


運動が苦手なヤナギはそういえば研究所の外にはほとんど出ていない。


お洒落なサシャは泥んこになって遊び回るなんて嫌がるかも知れない。



マギーに至っては、レイ以外に何が好きなのかも知らない…




いろいろ考えてしまった。やっぱりいい、とか、無理なら別に、とか、次の切り出しを考えていた。しかしそれは必要なかったとすぐに知った。




へぇ…




興味深げに唸りに見合う笑みを浮かべたエドが言った。



「面白そうじゃん!行こうぜ、みんなで」



うん。



うん、いいね!



そこから広がり出したみんなの頷き。同意。感じ取ったジュリは恐る恐る顔を上げる。目を見張った。眩しいくらいに満ちたみんなの笑顔が映ってきたからだ。



「じゃあボール持っていきましょうよ!ここはやっぱりバレー?サッカーでもキャッチボールでもイケますよ、私!」



すでにノリノリな様子のマギーがぎゅっ、と腕まくりをして逞しい筋肉を見せつけるかのようなポーズを決める。そこでジュリがふふっ、と笑い出す。



「お弁当は私たちが作ってあげるから、飲み物の買い出しは男が行ってよね」



フェミニスト加減に定評のあるサシャが上から目線で言うと、レイとエドが揃って、げ、というような顔をした。



良かった…



安堵を得たジュリはしばらくくすぐったげに笑っていた。思いがけない事態がまさか、自分に、降りかかるなんて思いもせず。



「あとは幹事だな」


「ちょっと、エドさん。飲み会じゃないんですからぁ」


「そうか?でも計画的に進めるならやっぱ要るだろ、幹事」




ん?ジュリは両手で口元を押さえたまま、上目でそちらを伺った。耳慣れない言葉を不思議に思った。




何だろう…



カンジって?




「ここはやっぱり言い出しっぺだろ」



なっ、ジュリ!




ニシシ、と笑うエドの顔を前にジュリははた、と固まった。理解できない、だけど何だかとんでもないことを突き付けられたような予感に額から汗が滲んだ。



「えっと…あの…」



「ん?どした?」




慌てて言った。




「カンジって何?どうやるの??」




言い出しっぺ…確かにそれは私だ。だけど何もわからない。っていうか、何も考えてなかった。



「あー…そっからかぁ…」



エドが苦笑いしてる。



「幹事の仕事。時間と場所の設定、予算の計算、経費の徴収…」



ヤナギが箇条書きのような調子で説明してくれている。まさかそんな大それたこと…ジュリはますます青ざめていく。



得体の知れない空恐ろしさと自身の甘さを悔やんでオロオロしていた。そこへやがて声が届いた。



二つ。




「ジュリ…」



「ねぇ、ジュリ!」



最初の声に被さった元気な声のマギーが、大丈夫だよ、と言った後、高く手を上げた。



「はいはーい!私、副幹事やりまーっす!!」



うっすら涙目になったジュリが見上げると、彼女はVサインを作って実に頼りがいのある一言を言ってくれた。



「私が教えてあげるね、ジュリ」



うん…



ジュリは頷いた。笑顔を取り戻して。



「うん!ありがとう、マギー」




話はひと段落した。そろそろ仕事に戻る時間。



みんな次々と席を立って食堂の外へ向かう途中、楽しみだねぇ、などという声を何度か聞いた。嬉しく思ったジュリも弾む足取りで後を着いていく。



だけどふと思い出した。振り返った。




おそらく最初に声をかけてくれたのであろう、その人を。







ーーそうして今、ここに居る。念願叶ったピクニックの日は見事なまでの晴天だった。


場所はエドのお勧めの河川敷。研究所近くのものよりももっと開けたベストスポットなのだという。



「ジュース持ってきたよーっ!」



また遠くから呼ぶ声に転がるボールを追いかけていたジュリも顔を上げた。見ると坂になった高い位置からマギーがやってくる。大きな水筒を二つずつ両腕に下げて。



「あぁ、悪い、マギー。俺が取りに行くつもりだったんだが…」


「なら早く手伝いに行きなさいよ、エド!」



サシャに背中を押されるようにされたエドはドスドスと重そうな響きを立てて坂を駆け上がり、マギーの水筒を半分持った。降りてくる途中で何か話しているかと思ったら、ガッハッハ!と豪快な笑い声を一緒に上げた二人。こうして見ると、何だかよく似ている。



食い入るようにぼおっと眺めていたジュリの肩をぽん、としなやかな手が叩いた。



「休憩にしましょう」


「うん、サシャ姉…」



綺麗な笑顔の彼女を前に、本当は少しためらった。不安だった。だけど言った。




「あのね、サシャ姉…」



私、ちょっと…




ん、と顔を寄せる彼女に背伸びをして耳打ちすると



「わかった、いいよ」



割とこころよく受け入れてくれた。きっとまだ、意味を知らないからだろう。





ーー今日のメンバーはエドとマギー、ヤナギにサシャ、それからレイと私。



そのうちの二人が先程から仲良く話している。残ったのは四人。こっちがペアになってしまえば…



きっと…





遠く向こうでしぶしぶ一組になったあの二人を眺めていた。そこへ



「ジュリ、いいの?」



隣のヤナギが問いかけた。我に返って振り向いた、ジュリは薄く笑って答えた。



「うん、いいの。だって仲直りしてほしいから」



「…ジュリ、偉い」




ヤナギは無表情のまま、無言で頭を撫でてくれた。ジュリはゴロゴロと喉を鳴らした。



揺らぐ草の音、流れる川のせせらぎ、そればかりが聞こえた。



ヤナギは本当に喋らない。だけどそれはいつものこと。特に居心地悪いとは思わなかった。




「ジュリ」



しばらくしてから声をかけられた。




「このピクニック、何故、急に?」



「あぁ、うーんと、ね…」



やはり不自然だと見抜かれていたか。人形のように可憐な先輩にかなわないものを感じたジュリはちょっと苦々しく笑った。それから打ち明けた。



「ナツメが教えてくれたの」



仲間の大切さ。





あの会議室で何故か眠ってしまったらしき後に言われたことを思い出した。





ーー人を好きになるのはいいことだ、ジュリ。



だけど覚えておいてほしいーー




え、と短く呟いて見上げたジュリに彼女は言った。



「一途な想いは時に極限まで視野を狭めてしまう。お前はただ真っ直ぐに想いを伝えているつもりでも、それで痛みを覚えている者がいるかも知れない」



ズキッ…その痛みって、もしかしてこんな感じ?胸元を握ったジュリに一筋の予感が訪れた。好きな人に無理矢理迫ってしまったあの日から本当は気付いていたように思える。そして目をそむけていたようにも…



口にするのは初めてだった。




「それってやっぱり…サシャ姉?」



言うとみるみる怖くなった。だってあのとき彼女は泣いてた。そんな顔さえ綺麗だった。



私にないものを持っている、サシャ。透けるようなプラチナブロンドにすらっとしたラインの身体。大きくてセクシーなグリーンの目。そんな彼女が…



「サシャ姉も、レイが好き…だから?」



そんな彼女が私と同じ、気持ち…?



脳内で二人、立たせてみた。背丈のバランスといい、年代の近いとわかる顔立ちといい、全てが整ってる。似合ってる。


実感するごとに痛みが増す。だけどきっと彼女もこんな痛みを…



葛藤が始まっていた。だけど次にナツメが言ったのは、続けたのは



すごく意外なものだったのだ。







ーー回想から戻ってきた、ジュリはゆっくり視線を傾けた。いつの間にか頬を染めてうつむいているヤナギがその先に居た。



「やっぱり、ナツメ…かっこいい」



そう小さく呟いて更に背中を丸くする。そんな仕草にジュリはくすっと笑う。



「ヤナギって本当にナツメが好きなんだね」



それはもう慣れた自然なことだった。まさかこんな風に返してくるとは思わなかった。



「ナツメ、女の人。私も、女」


「え…?」



「女が女を好き…変って、言われる」



「ヤナギ…」



ジュリは見入った。ただでさえ寂しげなヤナギの声が今、更に寂しく聞こえる。胸が詰まってしまって。




「そぉかなー?別に良くない?」




突然の声にヤナギが顔を上げた。ジュリも一緒に。



でんっ、と仁王立ちに構えたマギーがいつの間にかすぐ後ろに居たことに驚いた。



「あれ、マギー…エドと話してたんじゃあ…?」



「急用ができたみたいよ」



ホラ、あれ。



そう言ってマギーは親指で示した。ジュリとヤナギもその先を見た。



「あぁ…」



納得の声が漏れた。ついさっきまで気まずい二人が座っていた草むらにエドが混じっている。まぁ、そうなるとは思っていたけど…と苦笑が込み上げてくる。



「二人とも健気だよねぇ」



言いながらマギーが隣に座ってきた。やがて悪戯いたずらな笑みを浮かべた彼女はある提案をした。



「ねぇ、恋愛話しない?」



恋愛…



その響きに何故か身体の奥から、そわっ、と疼いた。




――れ・ん・あ・い――



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