4.守ってあげる(後編)
面談、という名でそれは始まった。
マギー、エド、ヤナギと続いて会議室に呼び出された彼女は気まずそうにうつむいている。至って変わらない様子のナツメが切り出す。
「アイツとはまだそんな状態なのか、サシャ」
「…はい」
「そうか。ちょうどいい、この機会に言っておくぞ」
え…と呟いて弱々しい視線を上げるサシャ。見下ろす銀縁眼鏡の奥が光る。
「アイツらはまだそこまでいっていない」
ぽかん、と口を半開きにした、サシャが遅れて問いかける。何処か怯えたようなグリーンの目で。
「そこまで…って?」
「一線は越えていない」
「やだ!言わないでよ…!!」
「…お前が聞いたんだろう」
やれやれ…とため息混じりに呟くナツメの向かい側、ついに両手で顔を覆ってしまったサシャは泣いているかのような細い呻きまで漏らしている。まるで迷子の少女のように頼りない姿、普段の強気な態度ばかり見ている者にはきっと想像もできまい。
だけど…
顔を覆ったままの彼女からくぐもった声がした。
「あんな格好ですることなんて一つしか…」
「あれは猫の発情期が引き起こしたアクシデントだ。何もしていないとアイツは言っているぞ」
「そんなのわからないじゃない!それに…っ」
一度苦しそうに詰まった、その声が続けた。
「昨夜は…キ、キ…」
「ああ、接吻をしたらしいな」
「だからっ、いいい言わないで…っ!!」
「…お前も言おうとしただろう」
難儀だな…などとこぼす、ナツメの黒の瞳がやがて柔らかく細まった。ちら、と上目で見上げるなりみるみる顔を紅潮させたサシャが再び口を開いた。鋭い強気な目つきを取り戻して。
「あの、言っておきますけどナツメさん。私は別にアイツのことなんて…!」
何とも…
煌めく髪を振り乱して叫びかけたはずのその声は最後、細く消えかかっていく。目を閉じてそんな過程を耳で確かめていたナツメがやがて瞼を開いた。彼女は言った。
「ああ、無理に言わなくていい。言わなくていいぞ、サシャ」
だけどな…
いくらか潤んでしまった目で見上げた迷子の彼女に、涼やかな声は続いた。優しく。
「あとほんの一ミリでもいい。信じてやってくれないか?仲間なら」
ーー好きなら。
最後の一言だけは音にはならなかった。唇だけで紡いだ。サシャは気付かなかった。
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次に呼び出されたのはレイだった。何故かほんのり目を赤くして帰ってきたサシャを気にしつつも、我慢できずに席を立った。トイレに行ってくる、と告げて食堂を後にした。
薄い会議室のドア。かすかに漏れてくる声は優れた聴力ならば割と聞き取れてしまうもの。
「いくら恐れ多い天界とは言え…」
低い声が言う。これはレイ、だよね。
「さすがにクレームをつけたい気分だよ。申請ならちゃんと出したのに…」
「あのな、レイ。天界とは我々が思う程万能ではないのだよ。神と称されるものはいわばこの世の全て。我々だってその一部なんだ」
「………」
「元々全ての魂のエネルギーが集約された場所。申請なんて形ばかりだよ。強い想いが覆すことだってある」
…お前ならわかるだろう?
柏原怜を残してしまった、お前なら。
何だか難しい話をしてる…そう感じる会話の中で一つ違う色を帯びたような…誰かの名?何だか耳慣れない感じだけど、とりあえずそれを真似てみる。
「カシワバラ…」
言いづらい。そして、何処かで聞いた、ような…?
「だけどよ…!」
再び切り出す声に気が付いた。また耳を押し当てて、すませる。
「樹里ならともかく何であの野郎まで覚えてるんだ?」
「ああ、葛城拓真といったか」
「そうだ。アイツを想った覚えはねぇぞ。気持ち悪りィ」
えっ…
小さく漏れた呟きと同時に胸の奥が高鳴った。不穏に。
ドアに当てがった両手をぎゅっ、と握った。疑問が加速していく。
今、私の話を、した?
それに…
また真似てみる。
「カツラギ…」
これも何処かで、聞いた…ような…
「その答えならもう知ってるんじゃないか?」
静かなナツメの声がした。そして…と続いた。
「そこで盗み聞きしているのは誰だ」
…と。
近付いてくる足音でようやく我に返った。ぎくっとなるジュリ。踵を返すも虚しく明け放たれしまったドアから伸びてきた手にひょい、と後ろ首をつまみ上げられた。
呆れたようなため息と声がした。
「ジュリ、か。よりによってお前とはな…」
「ごめんなさいぃ…っ!」
宙に浮いた足をバタつかせ、うぅ、と唸る差中で耳にした。
ーージュリ…
奥が締め付けられた。振り向きたくても振り向けない。だけどはっきりと目を映るようだった。わかるようだった。
私を呼んだ彼の声が、レイの声が……
すごく悲しそうだったから、私も。
――哀しい――