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半透明のケット・シー  作者: 七瀬渚
第4章/猫の息吹(Juri)
33/101

2.確かめたい、だけ



「……じゃあ、また。ナツメ」



「ああ、またな。ヤナギ」




ひらひら、手を振り合う、昼食後。相変わらず涼しげな様子の彼女を名残惜しげに何度か振り向いたヤナギは、一体何分経った頃か、ようやく研究室を後にした。



それから少し、本当に少し、むくれる。冷たい廊下を小股で歩く彼女は、またもう一人と出くわした。



「あれーっ、ヤナギさん!ジュリと一緒じゃなかったんだぁ?」


「…マーガレット」



「もぅ、よそよそしいなぁ。マギーでいいですって」



何やら嬉しそうにしているマギーは重そうな体格ながらも軽い足取りでヤナギの元へと近付く。つっ立っている方がわずかに目を見開いた。何か疑問を得たようだ。



「マギー、最近、ジュリと仲、いい?」



そう言って首を傾げるお人形のような彼女。鋼鉄の異名の方がああ!と納得の声を上げた。マギーは言った。



「そうなんです!あのときは喧嘩もしたけど、今じゃあ同盟組んでるんですよ!」



「同盟…?」



更に疑問の深まってしまった様子のヤナギは更に首を90°近くまで捻ってもはやフクロウのよう。ちょっと怖い。そんな風に顔を引きつらせたマギーが答える。親指を上に向けて突き出しながら。



「はいっ!いいですか、聞いて驚いて下さい。名付けて【レイモンド同盟】っ!!」



「レイモンド…ど、どめ…」



「ど・う・め・い!」




ファンクラブですよ、と彼女は白い歯を覗かせて笑う。




ど、ど…




ど、ど・う・め・い…




ブツブツ一人で繰り返している滑舌の悪い彼女にはお構いなしに勝手に続きを語り出す。実にイキイキと。



「レイさんってすごくカッコイイじゃないですかぁ。あの子、最初は警戒してたんですけどね…」





ある日、夜の食堂でたまたま会った。このときまだ絆創膏を貼りつけたままだったマギーは、片隅にぽつんと一人でいる小さなケット・シーを見つけるなり凍りついたという。



だけど勇気を出して声をかけたのだと言う。小刻みに動かす口元の動き、伏せた二色の目。あまりに寂しそうだったから、だそうだ。




ーージュリ。



声に気が付いて見上げた、彼女の目つきはみるみる鋭くなった。逃げたい思いを何とか抑えた、マギーは言った。



「レイさん、いい人だね。私にもわかったよ」



ぽかんと見上げていた、ケット・シーの彼女の顔が血色良く変わったのはその後だ。




「でしょ!だから言ったじゃん!」



優しくってカッコイイんだよ、レイは!!






ーー水を得た魚のようだった、と、語るマギーが笑う。


滑舌改善の練習を続けていたヤナギもいつの間にか顔を上げていた。それから切り出された。



探るような響きで。




「マギーも…レイ、好き?」




豪快な笑い声が止まった。驚いたように見下ろすマギーと上目で伺うヤナギ。空気がいくらか張り詰めた。そして




「うん…好きですね」




沈黙を破ったのはマギーだった。大振りな三つ編みを揺らし、手を後ろで組んで、ふらふらと彷徨い出す。


でも…と声がした。背中から。やがてゆっくり振り向いた、少し寂しそうな笑みの彼女が言った。




「私はかないませんよ。だってジュリのは…」




ーー恋、だから。




「恋…」



小さな口からぽつり繰り返すヤナギを置いて歩き出すマギーがまた一度振り向いた。



「恋してるヤナギさんならわかりますよね?」



バレバレですよ?と悪戯いたずらな含み笑いと共に言って勝手に去っていく、マギーの後ろに佇むヤナギの顔がひっそりと熱を帯び始めた。



うん…



静まり返った廊下。ヤナギの独り言がこぼれ出す。



「好き。ナツメが、好き」



だけど…




珍しく用いた接続詞の後に、それは続いた。




「ジュリ、わかってない」




“好き”の、意味。



✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎



ーー遅い。




欠けていく月の下。昼間とはうって変わって冷たさを増した夜風と夜露。



いつかみたいに草原の中をくるくる舞う、一人っきりのジュリが呟く。空へ。



「何かあったのかなぁ?レイ…」



今日は単独任務だって、言ってた。今までにも何度かあったのも覚えている。だけどこんなに遅くまでかかるものなのだろうか?



いくら考えてみても答えなんて見当もつかない。そもそも何処で何をしているのかも知らないのだから、と自分を納得させようとしたはずなのに、じんわりと湿ってくる目尻に気が付いた。



「やだな、私。また…」



地平線の上の夜空を透かす半透明の指で拭った。一体何処でたかが外れてしまったのか、何だか怖くなった。無性に。



「好き」



こんなときに今朝聞いたあの響きを口にしている、自分を可笑しく思った。意味なら知っているはずなのに、今までだって普通に言ってきたはずなのに、何故だろう、と思った。



「好き」



口にする度に響きも変わっていくようだと気が付いた。これは何の魔法の呪文?そんな疑問まで浮かんでくる。



ころん、と寝転がった。冷たく湿る感覚に背中がぴくっとなる。吸い込まれそうに綺麗なのに容赦もなく月を食べていく、実は悪魔なんじゃないかと思えてくる夜空が怖くって固く目をつぶった。




好き、好き…




紛らわすみたいに呪文を繰り返す、ジュリは一つ、試みた。組み合わせた。




「好き……レイ」




それを言ったが最後、全身を伝う流れがまた速度を増した。だから何?何なの、これは…冷えていくはずの身体が熱くて苦しくて、胸が痛くて、ぴゃあっ!と意味不明な呻きを上げたジュリはついに胎児のように丸まった。


宙を泳ぐ透けた尻尾も丸まり出す。横向きのまま、両手で顔を覆った。




思い出してしまった。





ーー俺がお前をどうにかしちまうっつってんだよ!!ーー




「どうにか…?」




一体どうするっていうのだろう。こちらもまた見当がつかない。だけど思ったんだ、あのとき。確かに。




荒い彼の息遣いを聞きながら。





ーーレイにだったら…いい。




小さな胸の奥に灯った疼きは四肢にまで伝わった。喉を鳴らした。あのときは抑えられない本能に突き動かされてああしてしまったけど、今じゃとても、口にはできないだろう。



ジュリは思った。




あの感覚に覚えがあったことも、それが期待とすごく似ていたことも…




言えない。



…言えないよ。




何だか悪いことのような、そんな気がするから、と。








ーーサワサワ揺れる遠い音。無残にかじられた月。



散りばめられた星々は、もしかすると、この残骸…?




珍しく怖い空想にふけっていた。更に冷えていく夜風は、限界まで熱くなった身体にはむしろ心地いいくらいだった。




怖い、けれど戻りたくはなかった。このままで居たい気分だった。



そんなとき。





ーージュリ…?




虚ろな意識の中で呼ぶ声が聞こえた。目を閉じたままのジュリの耳が片方ぴん、と動いた。



うっすらと瞼を開いた。




「風邪引いちまうだろ、こんなところで…」




欠けた月を背負った高い高い、人。逆光に陰っていてもわかった。レイ…抱き上げられる差中で名を呼ぶと、ん、と低く言って近付いてきた顔。




レイ…



怜…




何だろう?今、誰かもう一人が彼を呼んだ気がした。いや、むしろ私がもう一人を呼んだのだろうか?



それはきっと気のせいなんかじゃなかった。はっ、と小さく息を飲んだ、彼の表情が変わっていく。



腕の中のジュリは魅入った。鋭い輪郭に象られた青い色はまるで海のように澄んでいて…



まるで海のように怖くて…



悲しそう。




そっと両手を伸ばした。今日はまるでわからないことばかり。だけど今思うとそれは、どれもこれも自分の中で起こっていたことのような気がする。



そして今、確かめたいこと、一つ。




「レイ…」



そんな顔をしないで。



私…





「…好き、だよ」





「……っ!!」





そっと触れた。自分から重なった。



刹那に詰まった彼の息をじかに感じながら、少し期待をした。もう一度…もう一度、その熱い息が、動きが、こっちへ来てはくれないか、と。





涙が頬まで伝った。温かく。





唇を重ねながら甘く願った。その期待は叶わなかった。だけど、共に冷え切っていたはずのそれがすっかり温まった頃、そっと当てがわれる感覚を後頭部に覚えた。



今はそれでいいって、思った。撫でてくれる大きさを感じて、確信した。




ホラ、やっぱり





ーー優しいーー



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