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半透明のケット・シー  作者: 七瀬渚
第1章/狼の日常(Ray)
3/101

1.そのケット・シーは完全ではなかった



挿絵(By みてみん)



 晩冬。



 三寒四温だなんて呼ばれているけれど、何だかんだとまだ寒さが大半を占めている。足して七、ならば、もう“六寒一温”それでいいのではないか。脳内で勝手に冴えない四字熟語を組み立てて息を吐く。白く登って立ち込める霧と同化する。



 冷水で濡らしてやった後、痺れる手で全体を拭いた。霜が取れて、やっと輝きが戻った。後は熱、エンジンをかけて温めて飛行に備える。


 ナツメの開発した新作の曇り止め、これはなかなかだ。磨かれた窓ガラスは見事に保たれている。手元のスプレーを眺めて、うん、と小さく唸る。


 もはや俺の身体カラダの一部とも言えるこいつをここまでイキイキとさせてくれる。“寒”が去り“温”が占めるまで、これはもう手放せないであろうと、賞賛の思いで。



 すっかりあったまった碧の機体に乗り込んだ、レイは強く行く先を睨んだ。いや、正確に見据えているだけだ。何処かを見つめる都度、見据える都度、睨むなどと称されるのは、正直言って、不服。



 【レイ】……それはいつしか定着した俺の愛称。本名はレイモンド・D・オークという。特別な捻りもない、レイモンドという名の男がレイと称されるのはよくあること。捻られているのはむしろ、二つ名の方だ。



 皆は言う。【蒼の狼】または【疾風の狼】、【狼騎士ろうきし】……確かそんなのもあったな、と思い出す。



 共通点は言うまでもなかろうがあえて言う。狼、いつだってそれが添付されている。むしろメインか?



 渋くて良いではないか。上司であり友人でもある、エドはそう言った。だけど俺は知っている。この名が付く理由はただ一つ。鏡のように澄んだ窓ガラスからこちらを睨んでいる男を前に実感する。



 何と柄の悪そうな目つき、青いはずの瞳は眉との彫りで陰って色もろくにわかりはしない。眉間のしわ……二本、だったか?ガキの頃からすでにあった、こいつはどれだけ増える気なのだろう。


 ブルネットの短髪はいつだってゴワゴワと逆立っている。セットなんてしていない、勝手にこうなるだけだ。


 長い腕と長い脚は狭い操縦席の中では常に苦しく曲がり気味。いっぱいに伸ばせば、それはさながらトーテムポール。貪欲に成長を進めたこの身体、背丈はあとわずかで190cmに到達する。男の身長は25歳まで伸び続ける……いつか聞いたその恐ろしい情報は果たして事実なのだろうか。




 もうこれで十分であろう、狼と称される由縁。泣く子も黙るどころか息までフリーズさせる、長身&強面こわおもて。そう考えると捻りでも何でもないな、と笑えてくる。単に見たまんま、蒼い機体で空を飛んでいる狼ヅラ……直訳そのものだ、と。





 今朝の目的地はわりかし近い。あっという間に辿り着いたレイは、慣れた手つきで小型機を旋回させる。茂った森の中へ目を凝らし、着陸を相応しい地点を探す。眉間の皺が三本になる瞬間だ。



 今じゃ当たり前のように乗りこなしているこの機体は小回りの効くなかなか便利な奴だ。時々ふっと思い出す。速さを重視した鋭い形状でありながら、垂直に滑らかに降りていくことができる。プロペラもついていないのにこんな動きができるとか……当時は画期的だったよな、なんて。



 いい具合に空いた木々の隙間に落ち着くと、レイは機体を降りた。探査機をツナギの腕に取り付けて鬱蒼うっそうと暗い奥へと進んでいく。霧のせいで非常に見えづらい、だけどやがて示してくれた。



 ブルル……



 腕に伝わる振動。こうやって伝えてくれる。音を鳴らさないのは対象を驚かせない為だ。



 発見したのはそれからすぐだった。ユニコーンのような角を生やした白い小さな生物。 “一角兎ホーン・ラビット” がこちらを見ている。頼りなく怯えた赤い目で。



 今にも逃げ出しそうな気配を察したレイは身を屈めた。好物は普通の兎と何ら変わらないと調査済み。小さく仕込んでおいたレタスとニンジンを置いてやる。おずおずと近付いてクンクンと匂いを嗅ぐ。


 やがて小さくぱくついた、そいつの側に座り込む。しばらくはこうしている。何せデリケートな動物だから、慣れてくれるまではわずかな刺激も禁物。



 陽が昇っていく、霧が晴れていく、その差中、白い毛玉は俺の隣に落ち着いた。身体を寄り添わせてくぅくぅ寝息まで立てているのは、身に振りかけてきた鎮静成分の為か、それとも……




 よしよし。



 大きな手でそっと撫でながらレイは呟いた。すっかり晴れた冬の空を見上げた。木々の間から。ふっ、と笑みがこぼれた。小さく口にしていた。



「狼……か」



 可笑しくなってしまう。やっているのはこんなことだと言うのに、と。






 再び機体を飛ばしてあの場所に帰った。ゲージの中で目覚めた兎は慣れない光景を目にするなり早くも怯え始めている。毎度毎度、胸が痛んでしまう瞬間。だけど意味あることだ、仕方がない、と自分に言い聞かせることで乗り切っている。



 【稀少生物研究所きしょうせいぶつけんきゅうじょ


 絶滅危惧種の動植物の生態系管理の為…などという正義を掲げた機関、ここが俺、レイモンド・D・オークの職場だ。


 所属は生物保護班という。小型機で各地を回り、動植物を監視したり、必要に応じて保護してくる。今回は小さな兎だが、とんでもなくデカイとのか、凶暴なのもいる。最もアクティブであり、ときに危険の伴う部署として知られている。



 体力だって並大抵のものでは務まらない。強面な上にインナーマッスルが鍛えられ、ますます獣じみてしまったのも無理はないと言えよう。



 もう少しで半年になろうとしている。こんな俺に新たな任務が加わったのは。




 レイーーっ!!




 幼げな高い声と俊足の音にぎくりとなった。



 もういい加減慣れてもいいはずなのに、どういう訳か日を追うごとにこんなリアクションが増えていく。自分でもよくわからない。



 ちり一つない磨かれた長い廊下。白に内観によく映える黒が、もう、すぐ傍まで。相変わらず速い。




 無理もない。こいつは猫。だけど限りなく人の形、更に言うなら幼女のような風貌をしている。




 猫の妖精ケット・シーの血を引く【ジュリ】。痩せ型の145cmの小柄。少し乱雑なショートの黒髪に同色の尻尾、無邪気な丸顔に埋まった青と黄色のオッドアイ。


 こんな成りではあるが推定年齢16歳だという。6つ上の俺からしたら、それでも十分ガキだと言えるところだが。




 ねー、ねー



 そいつは何のためらいもなしに汚れたツナギの腰あたりを掴む。今日はいつもにも増して機嫌がいい。と、いうことはやはりアレか?



「朝ごはん行こうよ、レイ!」



 嬉しそうに言う。



「今日はハムエッグ作ってもらうんだぁ」



 何処までも無邪気な顔をして。




 猫のくせに好物はハムエッグだという。低血圧などとは無縁の様子で毎朝毎朝、腹の虫と共に起きる現金な奴。ピョンピョンと跳ねる度にブカブカの白いパジャマから覗く鎖骨の隆起。


 レイはぎこちなく目をそらす。そんなときはいつも鼻の下をこすっている……らしい。



「早く早くーっ!」


「わーったよ、ちょっと待て」




 後ろ手に掴んで勝手に歩き出す。揺れる尻尾は前方のその身体を、透かす。




――更に、補足する。こいつは半透明だ。



 抽象的な心の描写? 何かの比喩? いや違う。読んで字の如く。身体がわずかに透けているのだ。


 ものも食えるのに、出るもんだって出ているはずなのに。そんなことを考えている今もこう、きゅっ、と腕にしがみ付いてきた……こうして触れられるのに。



「レイ」



 円らな目で見上げてくる、こいつは時々、不意に、こんなことを言う。




 大好きだよ。




 躊躇ちゅうちょもなく発せられる、その響きを耳にするなり奥深くが軋む。すりすり頬を摺り寄せてくる半透明のケット・シー。伝わる温かさ。こうして喋っているのに、声がするのに……






――不思議だ――



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