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半透明のケット・シー  作者: 七瀬渚
第3章/狼の葛藤(Ray)
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5.誰か説明してくれないか



ーー“カシワ”……ですよーー



柏原さん。




いつかそう教えられた場所だった。



遥か高くの夕暮れを透かす木の葉は赤みを帯びた木漏れ日を降らせていた。遠い瓦屋根の町並み、神社の境内。まだ慣れない“国”特有の景色も合間って、幻想とか風情とか、そんな言葉が浮かんでしまう程、それは綺麗なものだった。



だけどそのふもとで起こっていた事態は慎ましやかな風情などとは程遠いものだった。乱れてなお美しさを保っていたのは彼女の方だけだったように思える。



断片ばかり思い返してみるだけでもむず痒さと罪悪感が全身を走る。重なり支配しようとする己と、逃げては絡みを繰り返す彼女の熱さが、今もありありと口内に染みてくる。



あのときの俺はといったら…酷いものだった。






チュンチュン…とさえずる音に薄く目を開いた。鳥の鳴き声…晴れの朝。こんなのを意識しながら目覚めるなど、一体どれくらいぶりだろうか。


疲労の蓄積した身体にもはや必要不可欠であるはずの目覚まし時計も今朝は鳴ることもなく、出番なく終わった。ちょうどいい時間であることに気付いたレイはアラームをOFFに、そのまま身体を起こして慣れた支度へと赴いた。



昨日の晩、公衆浴場前で感じたあの空気から、今日がどんなものになるかもう想像がついている。マイペースなナツメとヤナギはともかくとして、サシャはきっと今日もあんな調子なのだろう。


無理もない。レイは思った。


誰が好き好んで他人の情事など覗きたいものか。あんなのはせいぜい作り物や妄想でいい。実際に目にしたら生々しい以外の何ものでもなかろう。



……実際は何もないのだが。




フライト用のツナギに着替えると重々しい足取りで、更に険しい面持ちで、小型機の車庫に向かった。サシャの姿は見当たらない。先に出発したか、あるいは上手く避けているのか……そんな推測をしていた。



おはようございます!



突如、背後から高らかな声がした。レイは振り返った。だいぶ下を見下ろした。



「マーガレットか。おはよう」


「はい!今日からまた宜しくお願いしますっ!」



少しばかり背伸びをする仕草で、にっと笑うマーガレット。何だ、今日はやけに機嫌が良さそうだ。



「今日は俺と一緒のエリアだな」


「は、はい」


「じゃあ早速事前打ち合わせを……」



「あ、あの、レイさん」



ん、と再び見下ろした。マーガレットが逞しい両手を下で組んで身をよじっている。もじもじしている。何だ?



「“マギー”……です」


「え?」


「マギーって、呼んで下さい」



「……お、おう。マギーだな」



まさかの愛称要求。一体どういう風の吹き回しだ、と疑問をいだきつつ、求められた形を口にしてやると、マーガレット改め、マギーは頬まで染めてくすぐったげに笑った。そんなに呼ばれたかったのか。



ともかくこうして保護班に戻ってきてくれて、これから向かう任務にも前向きな姿勢でいてくれているよう。それは上司として素直に、ありがたく受け止めたかった。不器用なりにも少しだけ笑いかけた。そのとき感じた。



チク、と刺すような視線。



レイは見上げた。凍りついた。




梯子のかかった小型機の上部に立っているサシャ。どうやらメンテナンス中だったらしい。高く遠い彼女の顔はよく見えない。だけどわかった。何となく。鋭い視線の出処はここからである、と。



普段なら「よぉ」とか「おぅ」とか声をかけるなり、手を振るなりしていたところだ。だけどわからない。今日はまるでわからない。そんな困惑の途中。



フン!と吐き捨てる声が聞こえてきそうな勢いで彼女がそっぽを向いた。それから機体の向こうへ引っ込んだ。エドに何か言ったかと思うとさっさと乗り込んで、先に飛び去っていった。



……何だ?



✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎



それからマギーと同じ機体に乗り込んでいくつかの現場を回った。エドに頼んでなるべく危険な生物のいない場所を見繕ってもらった。


正直、慣れたこちらからしたら歯ごたえがないというくらい難易度の低いスケジュールだった。だけど仕方がない、と納得していた。マギーを泣かせてしまったあの日、中途半端に終わってしまった研修も兼ねての今回の任務。やり直しなのだから、と。



「私、動物が大好きなんです。爬虫類や両生類も…みんな気持ち悪いとか言うけれど、可愛くないですか?」


森を歩く差中でマギーが言った。太い腕を後ろで組んで、楽しく跳ねるみたいに歩いている。思いのほか純粋な言葉と仕草にくすぐられるというか、あったまるというか……



「大事だな、その気持ち。お前はきっといい隊員になれる」



「ホントですか!」



くる、と振り返ったマギーはまた頬をピンクにして満面の笑みを咲かせた。不覚にもニヤけてしまった。



意外と愛着湧いてくるな、コイツ。


……妹みてぇだ。



不覚にも思ってしまった。






昼頃、他の隊員と合流した。午後からのトレーニングに備えて研究所近くの河川敷で弁当を食った。


埃っぽい服で食堂に入るのも気が引けるし、かと言って着替えている時間などないことから、いつの間にやらこうなったらしい。すっかり定着した風習、とりわけ今は感謝せずにはいられない。



「レイさぁん!」



サシャと食事を終えたマギーが尻尾…もとい、三つ編みを振りながら駆けてきた。その仕草はまるで大型犬、いや、ここは小動物と称しておいた方がいいだろうか。いずれにしても犬っぽい。



「午後も宜しくお願いしますっ!」


彼女は言う。


「お、おう。宜しくな」


何を今更、と思いつつ、一応返す。



へへ…と笑いをこぼしながらマギーは何故か俺の隣に落ち着いた。草むらの上、膝を抱えて時折ちらちら横目で見てくる。レイはただ首を傾げるだけ。


そこへひゅう、と風が吹いた。やけに冷たい気がした。そして気が付いた。


「サシャ?」


いつからそこに立っていたんだ。仁王立ち、といった形でマギーを挟んで見下ろしている。温度のまるで感じられない冷え切った緑の双眼が…怖い。


すとん、と当たり前のようにマギーの隣に座った。サシャがおもむろに取り出した、ノック型のペン。



カチ、カチ、カチ



マギーに見せ付けるようにやっている。異動してきたばかりの彼女は意味がわからずポカンとしている。しかしレイにはわかった。



サシャと同じようにペンを取り出した。呆気にとられるマギー越しに、睨み合って送り合った。信号を。



『マ ギ ー に 近 付 か な い で』


『ケ・ダ・モ・ノ』




『ふ・ざ・け・ん・な』



本当は声に出して言ってやりたい、このわからず屋のフェミニスト女に。弱者は女ばかりだと思っているのか、冗談じゃない。あんなことをされて心底弱ったのは俺の方だぞ、と。


何も知らないマギーの手前、声を荒立てる訳にもいかない。信号にするには長過ぎる。そんなジレンマにイライラしていた。サシャがまたフン、とそっぽを向いた。更にイラッとした。



殺伐とした空気などお構いなしとばかりに、穏やかな煌きを乗せて流れていく河川。ふわり漂う春先の草の香り。



遠くのエドが何故だか、ちっくしょう!!などと叫んで地団駄を踏んでいた。何故かこちらを見ながら。



何をやっているんだ、アイツまで。眉間の溝を深めたレイは一人毒づいてみるくらい。もちろん内心で。




――訳わかんねぇよ――



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